私はあなたに、願いを歌う。
ぬるいですが、残酷描写あります。
最近、歌ったあとの疲れが激しい気がする。
それに、歌い始めてから立てなくなるまでの時間も短くなっていて。
立ち上がれない状態で朝を迎えることもある。
そういうときはいつもヴィルさんがおぶって塔に連れていってくれる。そして支えられるような形で歌を歌う。
神官から、歌をやめることを勧められることも何度もあった。
今唯一歌える状況にある私が倒れてしまうのは、極力避けたいことだからだ。
でも、それでも。
唯一歌える歌姫であるからこそ、歌おうと思った。
もしもシスが返ってくるときに間に合わなかったら……そのときはそのときだ。
なによりも、ここまで弱ってしまえばきっと、女神としては生きていけないから。せめて歌姫としての責任だけでも、ちゃんと果たしておきたかった。
あの人が……ヴィルさんが私を守っていた騎士であることに胸を張れるようになりたかった。……それが無理でもせめて、それが恥にならないようにしたい。
光石がぼんやりと照らす暗い部屋の中。ぼんやりとそんなことを考えていたら、気付けば眠気がやってくる。
私はその眠気に逆らわず、横になった。
意識が落ちていく途中。
懐かしい声が聞こえた気がした。
*
今日は、何故か朝目が覚めたときから、胸騒ぎのする日だった。
それを伝えれば、ヴィルさんはかさついた温かな手で私の手をギュッと包んでくれる。
「安心しろ。絶対に守るから」
力強い声に、怯えていられない、と、なんとか自分を奮い立たせて、塔の上で歌う。
不安でいっぱいの心とは逆に、身体の調子はここ最近の中で群を抜いていい。
胸元にある袋の中身、ルアディス・ウィションの欠片に意識を集中する。そこから風が流れて、今私の歌を聴いてくれているルアディスの民の身体に沁みこんでいく。そんなイメージで歌う。
もしも色を付けるのなら、橙色。
もしも香りを付けるのなら、よく日に当たった野原の草の香り。
もしも温度をつけるのなら、日向の温もり。
それを届ける。
ルアディスの民に。
先に旅立ってしまった女神様やそのお姉様、クレハさんとアイラさん。
捕らえられてしまったエラと、その見張り兼お世話をしているらしいトレイさん。
アンディスにいる民と、ヌドクさん、リターナさん、シス。
そして……今、一番近いところで聴いてくれている、ヴィルさんに。
そうして歌っていたときだった。
音が、聞こえた。
あの、静かな音。
しかも、今までに聞いたことがないくらい、しっかりとした旋律として。
思わずヴィルさんの袖を掴む。
「どうした」
すっと屈んで、耳を私の口元に近づけてくれる。
「アンディスの音が聞こえてきます」
「あいつらが帰ってきたのか」
普通に考えれば、音が聞こえるということはシス達が無事に帰ってきたことを表すんだと思う。
だけど、相変わらず収まることのない胸騒ぎのせいなのか。
その音は、とても不吉な物を一緒に連れてきている気がして。
「警戒してくださ――」
言い切るよりも前に、思わず口を閉じてしまう。
息が詰まるような殺気。
それに私たちは囲まれた。
歌をやめて、こわばっているであろう表情の私と、その隣で武器を構えるヴィルさんに、民がざわめき――それはすぐに大きくなる。
姿を現したのは黒いマントを着た人たち。
二人や一人の騒ぎじゃない。
百人は余裕で超える。
きっと、今ここにいるルアディスの民と同じくらいか、それよりも多い。
その誰もが、手に武器を持っていて、先ほどの殺気が彼らから発せられたものだとわかる。
「……殺すんじゃねえぞ」
耳元で囁かれた言葉に、私は頷く。
もう私は、人の命を奪うために歌わない。
ここで歌うようになったとき、ヴィルさんと、約束したのだ。
それに、こんな大人数を相手にすれば、中途半端なところで命を落とすことになる。そしたらどんなことになるか。……しょうじき、想像したくもない。
「どうしてこんなに……」
「……決まってるだろ。向こうの仲間がこっちにいたんだ」
エラは捕らえられている。トレイさんはそのお世話についている。
これだけの大人数を今ここに、ここまでばれずに連れてくるのは、不可能ではないけれど、難しいと思う。
だとすれば、残る人たちは絞られてくるわけで。
「嘘だよ……」
「……」
信じたくない。
そう思うのに。
黒いマントの集団に、亀裂が入る。
その間を堂々と通り、現われたのは、白銀の髪に紫水晶の瞳が良く似合う女の子。
彼女は、私の良く知る声で、自分はアンディスの女神だと名乗った。その横には、エラが拘束された状態で座らされている。
彼女は語る。
ルアディスへの憎しみを。侮蔑を。憎悪を。
襲い掛かろうとした人は皆、黒いマントの人たちに殺されていく。
逃げる人も。
泣き叫ぶ人も。
歌わなきゃ。
守らないといけない。
なのに、今目の前に突き付けられた真実を身体中が拒絶していて。
ふらりと身体が傾く。
受け止めてくれたのは力強い腕で。
ギュッと抱きしめてくれる。
しっかりしろ。
そう言われているように感じて。
なんとか両足で踏ん張って立ち上がる。
エラの歌声が聞こえる。
歌っている。
いつものそれよりもずっと力強くて温かい歌声。
泣き叫んでいた人たちが口を閉じて一斉にそちらを見る。
その場にいる全員がエラに目を向けたときだった。
アンディスの女神を名乗る彼女の右手が、エラの胸に勢いよく当たる。
そこから紅い飛沫が飛び散る。
エラの胸から離れた右手には、鈍い色に光る刃物。
「エラぁぁぁああああっ!!」
倒れたエラの身体の下から、紅が溢れていく。
騒ぎはさっきまでよりもさらに大きくなる。
震えが止まらない。
どうして。
なんで。
なんであの子が、シスがエラを刺すの?
私たち、姉妹なのに。
どうして。なんで。
わからない。わからない。
その間にも彼女は、エラの隣にいたトレイさんを刺す。
そしてシスは私を見上げる。
綺麗な、紫水晶の瞳で。
紅さえもよく似合う真っ白な顔を上げて。
「ホロ。あなたもわかるよね?!」
わからない。
小さいころから一緒にいた人を殺したのに笑っていられるあなたの言葉なんか、わからない。
「私たちを受け入れることができない世界なんか、滅びちゃえばいいんだよ?!」
「……世界?」
その言葉に引っ掛かりを覚える。
どうして、今までルアディスを否定していたのに、突然、世界と言ったんだろう。
なにより、こんな言い方、シスらしくない。
「私は大嫌いよ! 外見だけで人を判断して暴力を振るうルアディスも! 勝手に人を祭り上げるアンディスも!」
「シス……?」
ルアディスの民を殺し続ける黒いマントの人たちに戸惑いが起きているのか、動きが鈍りだしている。
「私から見れば、ルアディスもアンディスも変わらない! 私は女神にも歌姫にもなりたくなかった! ホロなら……ルアディスで傷つき続けたホロならわかるよね!?」
違う、と思った。
シスは、私に訊いてるんじゃない。
私がどんな答えを返しても彼女はきっと、今からするであろう行動を変える気はない。
「シス! 私は大好きだよ! シスもエラも女神様もそのお姉様も! ヴィルさんやトレイさん。クレハさん、アイラさん、ヌドクさんにリターナさん! ルアディスの人たちのこと、大好きだよ! ……だからごめん、わからない!」
本当はわかるところだってある。
きっと、ルアディスもアンディスも変わらない。
環境の違いはあるけれど、ウォルテの人も、アルフォの人も、ファルンの人も、皆同じだったから。
同じようにみんな違っていたんだから。
きっと二つの世界だってそんなに変わらない。
私だって、女神はもちろん、歌姫にもなりたくなかった。
そのせいで、たくさんの人を傷つけたから。
だけど、だからってどうして仲間にまで手をかけるの。
私が言えた口じゃないかもしれないけれど。でも。
「もういい」
シスは、笑った。
ふと思い出したのは、何年も前。
私が初めて人を殺めたあのとき。
シスは微笑んで言ったんだ。
――私は絶対に、あなたを女神にしてみせる。
そう、力強い声で。
シスの右手が上がる。
「皆死んじゃえばいい!!」
「シスやめて!」
傍にいたヌドクさんとリターナさんを立てつづけに刺していくシス。
そのシスを――アンディスからも裏切り者になってしまったシスを、黒いマントの人たちが襲い掛かる。
命を落とすかもしれない。
そんな状況なのに、歌声が聞こえる。
旅に出る前。
女神様に教えてもらった、ウィションを直すための歌。
その歌声が、私の予想を肯定する。
シスは、自分が代償になろうとしている。
そして、私を――ルアディスで死を歌う歌姫として恐れられていた私を、強制的に女神にしようとしている。
きっと、自分がアンディスに行ったのは、これだけの人数のアンディスの民やアーニストを集めるためもあったんだろうけど、その間にルアディスの民に私を認めてもらうためでもあったんだと思う。
*
シスに初めて会ったとき。
暗い瞳をしている子だな、と思った。
綺麗な色をしているのに、どこか、黒いものを押し隠しているようで。
敵意がむき出しだった。
すごく私たちのことを避けていた。
どうしてだろうって不思議だった。
それからすぐだった。
シスが虐められているところを見かけたのは。
女神様にも、そのお姉様にも、神官にも、騎士にも、エラと二人で相談しに行った。
だけど、それは陰湿になっていくばかりで、止む気配は全くなかった。
みんなでファルンやアルフォに行っている間は、ウォルテを離れたからなのか、それともずっと騎士が貼りついているからなのか。
シスが虐められることはなかった。
だけどウォルテに戻ってくれば、また虐められていて。
他の人がどうにもしてくれないのなら、私がやるしかない。
そう思って歌った。
それがきっと、すべての始まりだった。
私があのとき歌わなければ、きっとシスは、ルアディスの崩壊を祈っていたかもしれないけれど、自分が女神になろうと、生きようと思っていたはずなんだ。
それなら、私が片づけるしかない。
私なりの、方法で。
*
息を吸う。
しっかりと、たっぷりと。
私を抱きしめてくれているヴィルさんの腕をギュッと掴んだのは、殺すために歌うんじゃないよ、という意思表示。
少しだけ私を抱きしめる腕に力が入ったのは、了承した、ということなんだと思う。
ゆっくりと息を吐き出す。
夜色の薄い布が、この場にいるほとんど全員を包むイメージで。
口から吐き出す息に音を載せて。
そっと編み込んで、被せて、、包んで。
キュッと結ぶイメージができた頃には、動いている人は誰一人としていなくて。
代わりに寝息が聞こえてくる。
ふぅっと息を吐き出す。
少し疲れた。
でも、まだ休んじゃいけない。
私は後ろを振り返り、顔を上げる。
「ヴィルさん」
「なんだ」
どこか安心したような声。
その声に、私もまた、歌が失敗していないことに安心する。
「下まで……できれば、シスのすぐそばまで運んでほしいです」
「そのために俺だけ起こしておいたのか」
やれやれ、とため息を吐きつつ、ヴィルさんは私を背負ってくれる。
それだけのためじゃない、なんて言えば困らせちゃうかな、なんて、こんなときなのに考えてしまう。
なにも言えずにお別れは嫌だったから、なんて。
ゆっさゆっさと、ヴィルさんの身体と同じように私の身体も揺れる。
こうやって背負われていると、旅に出ていた頃を思い出して。
その間、シスはどんな思いでいたんだろうと思うと、胸が痛む。
ヴィルさんが私を下ろす。
黒いマントの人たちが山のように折り重なっているのを、ヴィルさんは無言でどけていく。
すべてどかし終えると、そこにはシスがいた。
傷だらけのその姿に、一瞬ドキリとしたけれど、浮き沈みする胸元に、少しだけ安心する。
ヴィルさんが離れていく。
「ごめんね」
小さく謝ってから、耳を頼りにシスの服をいじる。
目的の物はすぐに見つかった。
小さな袋。中からは例のあの音が聞こえてくる。念のために開けて確認する。予想通りアンディス・ウィションの欠片のようなものがたくさん入っている。
その欠片はまるで、シスの瞳のような紫色をしている。
「……トレイもヌドクもリターナも、それに、もう一人の歌姫も、とりあえず息はしている。歌姫は傷もだいぶふさがりかけていた。傷からして、全員、急所を少し避けるようにして刺されてる……たぶん、殺すつもりはなかったんだろう。……だからって許されるわけじゃないけどな」
隣に戻ってきたヴィルさんを見上げる。
「……やるんだろ」
「はい」
頷くと、ヴィルさんは、曖昧に笑う。
「頑張って歌えよ?」
「止めないんですか?」
「止めてほしいのか?」
「……意地悪な質問ですね」
「それはお互い様だな」
二人で顔を見合わせて笑う。
「止めたいのは山々だけど……言ったところできかないだろ」
「そうですね。ずっと決めていたことですし……シスとエラのためにも、私はそうするべきなんです」
大切なところで歌えなかった私と、歌えたエラ。
結果的に依存させてしまった私と、依存してしまったシス。
皆のために、じゃなくて、誰かのためにある歌。
それが私の歌だった。
はじめは、歌が大好きな自分のために歌った歌だった。
それが人を守るために誰かの命を奪ってしまった歌になって、やっぱり自分のために歌う歌になって、一度、誰かの命を救う歌になったと思えば、同じ歌でまた人の命を奪って。
その繰り返しの中で。
それでも、特定の誰かに送るための歌を歌えたこと。
その歌で、その人が微笑んでくれたこと。
それは、少し胸を張ってもいいのかな、なんて。
そんな私の歌だから、最後の歌くらいは、歌姫らしく世界中の皆のためでもいいのかも。……なんて思いつつ、結局は知っている人たちがちゃんと生きていける世界であってほしいから歌うわけで。その延長で知らない人たちも生きていてくれたら、なんて相変わらず最低なことを考えている。
やっぱり私は、歌姫にも女神にも向いていないな。
「ヴィルさん」
「ん?」
「さっき、私を運ばせるために、ヴィルさんだけ起こしておいたのかって、ヴィルさん、言ったじゃないですか」
「言ったな」
「それもあるんですけど」
「やっぱりあるのか」
ヴィルさんが笑う。
つられて私も少し笑う。
「私の最期の歌、ヴィルさんにだけは聞いておいてほしいなって思ったんです」
ヴィルさんの笑みが少しだけ歪む。
「私、ヴィルさんに会えてよかったです。あなたがいたから、私はまだ、ここにいられる。あなたが守ってくれたから。大切な言葉を、たくさんくれたから。私のことを、忘れてくれて構いません。幸せになってください」
笑え、と自分に言い聞かせる。
今できる最高の笑顔で。
ヴィルさんを、じっと見つめる。
「ヴィルさん。あの日から今まで。私はちゃんとあなたの歌姫でいれましたか?」
ヴィルさんの腕が伸びてくる。
それだけじゃない。
顔まで近づいてくる。
「ヴィ――」
止める前に唇を柔らかいもので塞がれて。
驚いて目を丸く見開けば、ヴィルさんの顔は文字通り目と鼻の先で。
離れていく感触を、寂しい、なんて感じてる自分を、首を振って追い出す。
「ヴィ、ヴィルさん! 自分がなにをしたのかわかってますか!?」
「キス」
「そ、そうなんですけど、そうじゃなくて!! 歌姫とそんな、き、きききキキキスなんてしたらヴィルさん、歌姫を宿すことになるんですよ!?」
「今まで男性でそれはいたのか?」
「聞いたことないです!」
「ならお前のこと、忘れたくても忘れられないだろうな。歴史上でも初だろうし、きっと後世にまで語り継がれるぞ」
「ふざけないで――」
「ふざけてない」
真面目な声に、思わず口を閉じる。ヴィルさんが、私の肩に手を置いて、私と目線を合わせるために屈んでくれる。
「俺はお前が好きだ。だから忘れる気はない。お前も俺を忘れるな。……忘れたくても忘れられないだろうけどな」
「……ほんとですよ」
「誰がなんと言おうと、お前は俺の歌姫だ。ホロ」
胸が跳ねる。
嬉しかった。
ただ、嬉しくて、温かくて。
「ありがとうございます」
本当は、抱き着きたかった。
最後にもう一度、抱きしめてほしかった。
だけど、そしたらそのままずるずるしてしまいそうで。
肩から手が離れていく。
それを合図に、私はウィションの欠片が入った二つの袋を握りしめる。
チラッと上目遣いに見上げれば、ヴィルさんがしっかりと頷いてくれる。
それに笑顔で頷き返す。
そして目を閉じて、ゆっくりと息を吸う。
橙色と、紫色の光を思い浮かべながら。
歌が最後のほうになるにつれて、少しずつ身体が熱くなっていく。
薄く目を開いて――驚いてその目を思いっきり開く。
自分の身体から、橙色の輝きが流れ出している。
それは、私の身体がまるでほどけていくような、そんな景色で。
その光はいつの間にか袋から出ていた二つのウィションの欠片たちを縫うように、絡まっていく。
何処かからやってきた橙色と紫色が混ざった少しの光はきっと、さっきシスが歌った分のそれで。
たぶんこの光は、私たちの歌の力そのもので。
おそらく普段歌っているときにも、目には視えていなかったけど、この光が皆に生きるための力を運ぶ役割を担っていたんだと思う。
歌い終わると同時に、身体中の力が抜ける。
欠片はちゃんと二つのウィションに戻っていて。
引き寄せられるようにして塔のくぼみにはまる。
瞼が引き合わされるように、閉じていく。
ふと視界に入ったのは灰色の三白眼で。
感触は感じないけれど、きっと角度からして、抱きかかえてもらっちゃったのかな、なんて思って。
そうだといいな。
そう思いながら。
私は静かに目を閉じた。
――死を歌う歌姫。編 完




