二つのウィション。
ゴクリ。
唾を飲む音。
「……それでも、私は知りたいです」
エラの言葉に、女神様はにっこりと微笑む。
「そうでないと困ります。……あなたたちが旅にでる前。ホロが歌ったこと以外にも、ルアディス・ウィションが割れた原因があると言ったこと、覚えていますか?」
私たちは頷く。
「アンディス・ウィションとルアディス・ウィション。この二つがなければ、本来、世界はうまく回らないのです。ルアディス・ウィションだけでは、歌の力が許容範囲を超え、いつか割れてしまうことは確定していたのです。……それでも、本来ならばあと数年は持ちこたえる予定でした」
「じゃあ、なんで割れてしまったんですか……?」
シスが首を傾げる。
「ホロの歌声が、強すぎたんです。歌っていない八年間はあっても、それまではずっと歌っていたんですから。ホロ。あなたの歌声には、私たち女神や歌姫の平均的な力の数十倍の力がある。あなたが歌えば歌うほど、ウィションの限界がものすごい早さで近づいていることには、私も姉さんも気づいていました」
「気付いていたのなら、どうして私に歌うことをやめさせなかったんですか……?」
「もしもやめなさい、と言ったら、ホロはやめていたんですか?」
女神様の言葉に、私は即座に頷く。女神様の表情が曇る。
「……そう言うのがわかっていたから、私たちはなにも言えなかったんです。あなたは本当に、キラキラした目で歌を歌っていた。歌が本当に大好きなんだってすぐにわかるくらいに。ホロ。あなたの歌声は希望に満ち溢れていたんです。いろんな人に希望を与えられる、そんな歌声。あなたから歌声を奪えば、その分、他の人からも希望を奪ってしまうような気がして、できなかったんです。……それに、ルアディス・ウィションが壊れるのなら、できれば今の代にしてほしい、と思ったのよ」
「え?」
意味がわからない。
「今までの代は、歌姫は二人しかいなかった。だけど、今の代は三人いる。今なら割れてもどうにかできるんじゃないかと思ったんです。……完全に賭け、でしたけど」
「どうして三人も歌姫がいるんですか?」
ヴィルさんの問いかけに、女神様はあいまいに笑う。
「それは、まあ……いつか、わかりますよ。それよりも、アンディス・ウィションが割れた原因ですが」
露骨に話をそらされる。口を挟もうとしたヴィルさんを、エラが止める。
というのも、女神様は一度話を逸らせば、どれだけ聞いたところで話を戻してくれないことを、私たちは嫌というほど知っているからだ。
女神様は私たちを無視して話を続ける。
「今から六百年ほど前に、争いが起きました。きっかけは本当に些細なことだったそうよ。アンディスの子供が、ルアディスの神殿に迷い込んじゃった、とか。だけど、当時からアンディスをあまり良く思っていなかったルアディスはその子供を散々いたぶってから殺してした」
「迷い込んだだけ、なのに、ですか……?」
あまりにも酷すぎる事実に、信じられない思いで聞き返すと、女神様は頷く。
「怒ったアンディスはルアディスを攻撃した。そして戦争は始まって。百年近く続いたんです。それを嘆き、疲れてしまった当時の女神が、いろんな人に何人もの歌姫を産ませて、そして、歌の力によって二つのウィションを同時に壊そうとしたんです。だけど、あと少しでアンディス・ウィションが割れる、というところで女神が力尽き、割れたところで一人を除いて歌姫たちが力尽きてしまったんです。残された一人の歌姫は、死んでしまった歌姫と女神を見て恐ろしくなり、破壊のために歌うのをやめました。そのお陰でルアディスは滅びずに済み、女神と歌姫も、今の代まで引き継がれているのです」
破壊のために歌うこと。
そのために歌姫として生まれて。
歌って。
どれだけ恐ろしかったんだろう。
きっと、やめることも、勇気が必要だったはずで。
そこから私たちの代まで続いているということは、少なくともその歌姫さんが、次の歌姫が育つまで、女神として生きていてくれたからで。
破壊のための歌をやめても、歌うことを強要される。
歌いたくなかったとしても。
苦しかったんだろうか。
「……誰一人として、アンディス・ウィションを元に戻そうとはしなかったんですか……?」
なにかを抑えるような声で、シスが問う。
「欠片が、集まらなかったのよ」
「そんなはず――」
「ウィションがなければ、アンディスとルアディスを行き来することは不可能なの。当時は、ルアディスのウィションは無事だったから、ルアディスからアンディスへ行くことは出来た。でも、アンディスからルアディスへ戻るには、アンディスの欠片が必要だったの」
「でも、今、一部の神官は持っているわけですよね?」
「アンディスで拾った分を彼らが持っているだけよ。唯一歌姫と女神は例外だけども、当時のアンディスはルアディスの民を片っ端から殺しているような状態だった。そんなところへ、女神や歌姫を行かせるわけには行かないし、神官も誰も行きたがらなかった。欠片を落としてくるか、おどされて誰かに渡してしまうかもしれない、ということから、民にも行かせなかった」
「アンディスにある欠片を使って、アンディスの民が襲ってくるかもしれないのに?」
「それを言った人もいる見たいだけど、欠片の個数分しかアンディスからルアディスには来れないのだから、大丈夫だろうって話になったそうよ」
納得出来ない。
そんな表情をしつつも、シスは大人しく下がる。
「でも、おかしいですよね。ウィションが割れると世界が滅ぶのなら、アンディスも滅んでるのでは?」
エラの問いかけに、たしかに、と私達は頷く。
「アンディスは滅びていますよ」
「え、でも、アンディスに送られる人がいるじゃないですか」
「アンディスの土地は残っています。だけど、アンディスの地で生まれた生命は、すべて失われました。今いるのは、生まれがルアディスで、アンディスの血がルアディスの血に薄く混じった民。そして、アンディスに送られたルアディスの民。生粋のアンディスの民は、全員死に絶えました」
表情を消した顔で、静かに女神様が言う。
寒くもないのに身体が震える。
女神様と目が合う。
「ホロ。世界を元に戻すには、どうすればいいと思いますか?」
いつの間にか素の口調になっていた女神様が、口調を改めて私に問いかける。
失ってしまった命は、二度と取り戻すことは出来ない。
だけど、それでも。
まだ、どうにかする方法が残っているのなら。
「女神様。少しだけ、お時間をください。アンディス・ウィションも、元に戻します」
女神様が、スゥッと目を細める。
「それは、ルアディス・ウィションと同時に、ということ?」
「はい」
「あなた達がアンディス・ウィションの欠片を探している間に、ルアディスの民は死んでしまうかもしれませんよ? もうない世界のために、ルアディスを危険に晒すんですか?」
ふ、と思い出したのは、その場にいた国民全員が死んでしまったアルフォを前にして絶望していたアイラさんで。
胸がズキン、と痛む。
「確かに、ルアディスを危険に晒してしまいますが……でも、アンディスに住んでいる人たちにとっては、もしかしたら、そこはとても大切な場所ですから。それに、ルアディスの民であったとしても、その場に住んでいるんです。滅んだ景色しか知らないなんて、切ないです」
ファルンやウォルテに旅に出ていた人たちは、生まれ育ったあの国の、アルフォの今の姿を見て、どう思うんだろう。今の私では、なにもできない。
だけど、先代の勝手で滅びてしまったアンディスは、どうにかすることが出来る。それなら。
「どうか、やらせて下さい」
頭を下げる。
「アンディスは、今や罪人の世界です。そんな世界の民が、この世界を歩くようになっていいのですか?」
「……なら、その罪人さんたちをちゃんと裁いてあげてください。ただ見知らぬ世界に落とす。それだけじゃ、裁かれたことにならないです。……殺すのも、違います」
どの口が言う、とは思うけども。
「ちゃんと裁いて、罪相応の償いをさせて下さい」
「……アンディスは、絶対に安全とは言えない場所ですよ?」
小さく、息を吸う。
「私は、ここに来るまでに、沢山のアーニストを……アンディスに関わる人を殺しました。償いにはならないかもしれませんが、でも、なにもしないままルアディスだけ救って終わりにはしたくないです」
長い沈黙。
そして。息を吐く音が聞こえる。
「姉さん、私、疲れたわ」
「あらあら」
唐突な言葉に、私は思わず勢いよく顔を上げる。
女神様は静かに微笑む。
「私はもう休みます。あとは、あなたたちの好きなようになさい」
「責任を丸投げしましたね」
「だってあの子、言い出せば絶対に聞かないもの。あの子だけじゃないわね、あの子たちね」
ゆっくりと女神様はベッドに寝かされていく。
「まったく。現歌姫は頑固ね。誰に似たのかしら?」
「ふふ、間違いなくあなたしかいないでしょうね」
「……ということは、歴代の歌姫全員頑固なのかしら」
二人の声はどこか柔らかい。その柔らかさに、少しだけホッとする。
「よかった……」
「じゃあ、早めにここを出てアンディス・ウィションの欠片を持っている神官のもとへ行くぞ」
「はい」
ヴィルさんの言葉に頷いて、私は女神様のお姉様に、欠片を持っている神官の居場所を聞こうと足を踏み出す。
「ねえ」
そのときだった。
リターナさんが、私の袖をグイッと引っ張る。なんだろう、と振り向けば、大きな猫目がじっと私を見ている。
なんでかわからないけど、その目はとても怖くて。
二の腕に鳥肌が立つ。
「な……なんですか?」
「アンディスへは、この六人で行くの?」
「そう、ですけど……」
どうしてそんなことを言われるのかわからなかった。
だって、トレイさんはまだファルンにいるはずだし、他に一緒に行ってくれそうな人は浮かばないし、なにより、誰かを置いていくことも想像できない。
それなのに。
「リターニャ、知ってるよ? ……裏切り者が、エリャだってこと」




