あなたのための歌姫に。
宿に戻ると、ヌドクさんが私たちの部屋の前に立っていた。
中の二人はまだ寝ているようで、ヌドクさんが残って見張りをしていてくれたみたい。
ヴィルさんがトレイさんを部屋の中に運ぶ。そのまま部屋に戻って寝るように言われたけれど、私は残ることにした。
私のわがままのせいですから。
なんて言ったけど、罪滅ぼし、なんだと思う。……最低だな、私。
前にヴィルさんが射られたときと同じ矢だったら怖いので、念のために歌を歌う。
苦しげだった呼吸が少しだけマシになったから、やっぱり毒は塗られていたようだった。
リターナさんがしてくれた応急処置に追加するような形で、ヌドクさんが処置をする。
明日は起きたらすぐにトナイ村へ行くことを決めると、ヌドクさんはそのまま部屋を出ていった。
リターナさんと話したいことがあるらしい。
結果として、今、私はトレイさんもいるけれど、実質的にはヴィルさんと二人きりになった。
また、黙ってアーニストの命を奪いに行ったところを見られてしまったわけだから、気まずい。
ペアを解消されたのだから、余計に。
沈黙が重くて。
なにか話題はないか、なんてことを考えて、そういえば、と思い出す。
「あの……」
見上げてこれをかけると、トレイさんを見ていた灰色の三白眼が私に向く。
「なんだ?」
「どうして、あの場所にいたんですか……?」
疑問だった。
今日の夕飯にもトレイさんが薬を盛っていたはず。だから、いるはずがないのに。
すると、ヴィルさんがため息を吐く。
「俺は今日、夕飯を食べてない」
「あ……」
そうか、と小声で呟けば、更に上からため息が落ちてくる。
「やっぱり夕飯に薬を混ぜていたんだな」
「……」
反応してしまった数秒前の自分の口を塞ぎたくなる。
「この間のあの、黒いマントに言われたあと考えてたんだ。今までに変なことはなかったかって。夜に同室のトレイが抜け出して起きないはずがないからな。そういえばお前が歌で人の命を奪って以来、嫌によく眠れたな、と思い出した。夜寝て、起きればもう朝だ。トレイとヌドクは俺たち騎士の中で、一、二を争う頭の良い奴らだ。特にトレイは、薬関係に詳しい。そのトレイがお前と組んでいたのなら、もしかしたら睡眠薬を盛られているのかも、と思って、今晩の夕飯は食わなかった」
そして、フン、と鼻を鳴らす。
「そこまではよかったんだが、うっかり寝ちまって。起きたときにはトレイがいなくて。女子の部屋を見てみたらお前もいなくて。ヌドクとリターナを起こしたんだ。で、ヌドクにここを任せてリターナと一緒に後を追った」
「よく場所がわかりましたね」
「リターナは追跡するのが得意だからな。ただ、それでも到着が遅くなった。……すまない」
申し訳なさそうに頭を下げるヴィルさんに、私は慌てて首を振る。
違う、頭を下げるべきはあなたじゃない。
「頭を上げてください! ヴィルさんは悪くないです! むしろ、私のせいでこんなことになってしまって……謝って許されることではないけれど、本当に、本当にごめんなさい」
私は頭を下げる。
「……あと。来ていただいて、助けていただいて、ありがとうございました」
「やめろ。過去形で言うな」
「……ありがとうございます」
言い直せば、視界の端でヴィルさんの足が組まれる。
「お前、あのとき、諦めただろ」
「え……?」
苛立たしげに、左足の上に組まれた右足が揺れる。
「お前を殺そうとした奴が、ナイフでお前を刺そうとしたとき。力抜いただろ、お前」
どうしてこんなに怒りのこもった声なのか。
「……私は、彼らに殺されるだけのことはしていますから。死んで当然です」
頭上で、息を吐き出す音が聞こえる。
「それなら。俺が、今、ここで、お前を、殺そうか」
一語一語はっきりと、低い声で吐き出される。
静かなのに、その声には迫力があって。
「……ヴィルさんは駄目です」
「どうしてだ」
首に、かさついた温かな両手が触れる。
それは私の首を覆う。怖くないのは、きっと、その手が私を殺すことはないとわかっているからだ。
命がけで私たち歌姫を守ると言ってくれた。
そんな人が、自分が守るべき存在を自分の手で殺してしまえば、きっと後悔してしまう。苦しんでしまう。
それは嫌だった。
「俺の目の届かないところで勝手に死なれるくらいなら、それも、抵抗せずに死なれるくらいなら、俺の手で死んでくれた方が何万倍もマシだ」
手が離れる。
その手は、肩を伝って背中に回り、そっと抱きしめられていた。
「ヴィ――」
「死なんて受け入れるな。死んでいい人間は……いるのかもしれないけれど。もしかしたら本当に、お前は死んで当然の奴なのかもしれないけれど。俺にとってはお前含めて今ここにいる奴ら全員、死んでいい奴じゃない。裏切者が本当にいても、いなくてもな」
「……」
「前に、妹が殺されたって話をしただろ?」
「……はい」
ずっと前の夜。
きっと、私たちが初めて近づいたときの話。
「俺のせいなんだ」
「え?」
「八年前。両親が留守にしていた日。兄妹喧嘩をしたんだ。それで腹が立って、死んじまえって怒鳴って、鍵も持たずに家から出てったんだ。しばらくして、頭が冷えてから家に戻ったら、家が荒らされてて。妹が死んでた。強盗が、入ったんだ。鍵が壊されたあとがないから、たぶん施錠してなかったんだろうって。あいつ、しっかり者だから普段ちゃんと鍵かけてるんだ。だけど、俺が鍵忘れると、いつも開けておいてくれる。危ないだろって言っても、じゃなきゃもしも私が寝ちゃってたらお兄ちゃん入れないでしょって」
「……」
「ずっと後悔してた。自分を責めてたし、何度も死のうとして、トレイやタウファさんに見つかって止められて、説教されて。でもやっぱり、俺は死んで当然の奴だと思ってた。だけど、八年前のあの日。誰かさんの歌を聴いて、救われたんだ。その歌は……すべてを許してくれるようで、包み込んでくれるようで、温かくて、優しかった。改めて言葉にするとすごくアレだけど。太陽みたいに、照らしてくれて。生きててもいいんだって思えた。そいつはウォルテから来た歌姫で。絶対に守りたくて、俺は騎士になるために学校に入った。……いざ騎士になってそいつに会ってみたら、こそこそと臆病に歌ってるし、噂の死の歌姫になっていたわけだけどな」
なにも言えない。
八年前。
私たちがアルフォをファルンを訪れた日。
まだ私が、歌を歌うことを楽しいと思っていた頃。
そんな風に私の歌を聴いてくれていた人がいるなんて、思わなかった。
だけど、だからこそ、今の自分が恥ずかしくて、申し訳なくて、胸が痛い。
「否定したかった。俺がずっと守りたいと思っていた人が、こんな風になっているはずないって。同時に、今度は俺が手を引こうと思った。……誰がなんと言おうと、女神にふさわしいのはその人だと思っていたから。だけど、歌姫であることが、どこか負担になっているようにも見えたんだ」
確かに、歌姫であることは負担だった。
自分に歌姫だと名乗る資格なんてないと思っていたから。……その力を使って人を殺している今の私にも、そんな資格はないけれど。
「負担になってるくらいなら、諦めてしまえばいいと思った。そのほうがきっと、もっと、楽に、幸せになれると思ったから。だけど誰かさんは諦めなくて。やっと歌えたときも、欠片を見つけたときも、本当に嬉しそうで、見てるこっちまで嬉しくなった。……だから、あんな歌を歌ってほしくなかった。ずっと人を殺したくないって言ってたのに、殺すために歌を歌うなんて、やめてほしかった。誰かさんの――お前の歌は、奪うためにあるわけじゃないだろ。なにより、俺がそんな歌を歌うお前と、歌わせている自分を許せない。俺は」
腕の力が強くなる。少しだけ、苦しい。
「お前の歌が好きだ。八年前からずっと。俺の誕生日に歌ってくれた歌みたいに、ああいう風に歌っていてほしかった。歌が好きなんだって、聴いていてすぐにわかるような歌を。今のお前の歌は、すごく苦しい。そういう風になるくらいなら、臆病者の歌のままでよかった。自分で、自分を全否定するみたいな歌を歌うなよ」
「……ごめんなさい」
かすれた声は、苦しそうで。
そんな声でこんなことを言わせている自分が嫌だった。
泣きそうになっている自分も、嫌だった。
ちゃんと私を見てくれている人がいる。
大切な人。
失いたくない。
でも、そのためにはどうすればいいのかわからなくて。
私の歌でなら他人の命を奪うことで、この人たちを守ることができる。
だけどそれじゃあ、ヴィルさんの言葉を裏切ることになる。
ここまで言ってもらったのに、もう一度手を汚すのは、違う気がして。
「死んでほしくないんです。誰にも。失いたくないんです」
クレハさんとアイラさんがいなくなってから、この旅は前と比べてだいぶにぎやかではなくなった。リターナさんやトレイさんが明るく話してくれているけれど、でも二人がいたときほどではなくて。
色々なことがあって、泣けなかった。特に騎士の四人と、年長者のエラは、きっと責任とか、そういうので泣きたくても泣けなかったんだと思う。
そんな状態だったから、シスだって、堪えていた。
ずっと傍にいてくれたエラとシスがいなくなるのが嫌だった。しっかり者のヌドクさんやにぎやかなリターナさんがいなくなるのが嫌だった。周りを見ていないようで実はかなり見ているトレイさんがいなくなるのが嫌だった。
なにより、なんだかんだ言いつつもいつもすぐに傍に来て、大変なときには助けてくれるヴィルさんがいなくなることが、嫌だった。
皆の手が汚れていくことが嫌だった。皆が傷つくことが嫌だった。
それと比べれば、自分が消えたほうが、汚れたほうが、傷ついたほうが、何倍もマシだと思ってた。
だけど、もしかしたら。
他の人たちにとっても私がそういう存在だったのなら。
すごく、傷つけていたのかもしれない。
「でも……今の私は、私の歌は、人の命を奪うことしかできないです……。あなたが八年間思い続けていてくれた歌姫は、この世にはいないんです」
「……確かに、あの頃の歌姫はいないな。失うことの怖さも、奪うことの恐さも、あのときはまだ知らなかったわけだから。今は、わかるだろ?」
「……はい」
「アーニストは、大切な人を失った人たちだ。中には無実の罪で人を奪われた人たちだっている。そして、誰かの大切な人を奪った人も、奪いたいと思っている人もいる。お前の歌が、届かないはずがないんだ」
「……」
「歌え。好きなように。守るから。お前のためなら、お前以外の歌姫も、騎士も、俺自身のことも守るから。……矛盾するかもしれないけれど。俺のために、歌を歌ってください」
好きなように歌うこと。
誰か一人のために歌うこと。
それは、女神や歌姫としては褒められたことではなくて。
でも、そんなことを言えば、人殺しのために歌を使うことだって、褒められたことじゃないわけで。
ならもう、今更だった。
ここまで来たのなら、もう、いいと思った。
私は綺麗な歌姫じゃない。
血にまみれた歌姫だ。
きっと歴代の歌姫の中で、一番汚い。
でも、いいんだ。よくないけれど。それも私なんだ。
殺しのために歌う私も、殺したくないからと一人でこっそり歌っていた私も、歌が好きで好きでたまらなかった私も。
どこにも、歌姫らしい素質なんてなかった。
ただ力が強いだけ。
死の歌姫。
世界中のほとんどの人が、私をそう呼んでいるけれど。私だってそう思うけれど。むしろ、歌姫ですらないと思うし、思われているだろうけれど。
それでも、この人の歌姫でいられるのなら。
この人にとって恥じない、歌姫になれるのなら。
ヴィルさんが、ヴィルさんのために好きなように歌えと言うのなら。
それが、ヴィルさんの描く歌姫の私なら。
そうあろうと思った。
「私は、女神にはなりません」
ビクッと身体がヴィルさんの震えたのがわかる。なにか言われるよりも先に続ける。
「だけど、その時が来るまでは、私はあなたの歌姫であり続けます」
ヴィルさんの背中に腕を回す。私よりも全然広いその背中は、とても温かかった。




