臆病者の歌。
――私たちが歌うのは、この世界に生きる人々を幸せにするため。
ウィションと、それを支える歌姫と女神の歌。どちらか一つが無くなってしまえば、それに引っ張られるようにもう片方も力を失ってしまうの。
絶対に、この世界を想う歌以外は歌ってはダメなのよ。
私たちの歌は、一人のためではなく、大勢のためにあるのだから。
泣きじゃくる幼い私に、女神様は言った。
その言葉は、私が初めて神殿にやってきたときに、女神様に言われたことと同じだった。
女神様の言葉、そして歌姫としての大事なことを裏切ってしまった自分。
私はあの日から、誰かの前で歌うことが怖くなった。
*
私は今、広い広い草原にいる。
神殿からそれなりに歩いて、林を抜けるせいか、あまり人は来ない。
つまり、一人で歌うにはうってつけの場所。
いつもの朝の歌のあと。
歌いたいと思ったときは、いつもここに来る。
ここなら、私を除いて誰の耳にも歌は届かないから。
少しだけ高くなっているその場所に立って、そっと耳を澄ませる。リィンと、綺麗な音色が鼓膜を揺らす。
歌姫と女神にしか聞こえない、ウィションの特別な音。
私たちの歌は、その音色に合わせて歌う。
すうっと息を吸って……透明な息に、声で音を縫い付けていく。
他の誰にも聞こえないくらい、小さな音を意識して。
でも、その音は風と一緒に私の心をくすぐる。
――ねえ? もっと歌えるでしょ?
そう、問われているような気がして。
でも今の私では、ただ音を出すことしかできない。
それ以上は、怖いから。
想いを込めた瞬間に、きっとこの歌は私の手からするりと漏れてしまうから。そしたら、またあのときのようなことが起きてしまうかもしれないから。
ガサッと音がして、素早く振り返る。
「誰……っ!?」
「あ……みつかっちゃった」
私の真後ろにある、茂み。
そこから大きな瞳の女の子が、ぴょこんと顔を覗かせている。
さあっと血の気が引く。
どうしよう。
身体が強張る。
脳に焼き付いたままのあの光景が、一瞬にして頭の中を駆け巡る。
異常なほど真っ白な肌をして横たわる人。
虚ろな目。
力なく開かれた口。
動かない胸。
何年も前の、あの光景。
耳に入ってくる自分の呼吸の音が、早くなっていくのがわかる。
震えが止まらない。どうしよう、どうしたらいいんだろう……。
「マアサッ!!」
絶叫にも似た女性の声。同時に、女の子とそっくりな女性が現われる。女性は私を見ると、顔を引きつらせる。一度頭を下げると、すぐに女の子を抱き上げて走り出す。
「ママ、わたしまだおうたきいてたい!」
「駄目よっ!」
「どうして? とってもきれいだよ?」
「駄目なものは駄目なのよっ!」
遠ざかっていく会話に、一気に身体中から力が抜けて、私は座り込んでしまう。
きっと、あの女性は女の子のお母さんだ。
よかった、来てくれて。あの子は死なずに済んだのだから。
そう思ったときだった。
なにかを叩くような、軽やかで乾いた音。
振り返れば、拍手をしている男性が一人。その後ろを呆れたような表情をした男性がもう一人。
「君、歌巧いんだね。名前は?」
「誰、ですか……?」
どうしてここにいるの?
その言葉を飲み込む。
震える身体を必死に抑えながら問いかければ、拍手をしたほうの男がヘラッと笑う。
「あら、質問に質問で返されちゃったよ……。どうしよっか、ヴィル?」
「……いきなり見ず知らずの男に声かけられたら、普通そうなるだろ」
ツンツンとした黒髪の男が、呆れ気味に返す。
長い白銀の髪を一つに束ねた、見るからに軽そうな男が、小さく肩をすくめる。
さらりと流れる白銀に、シス以外でこの色の髪の毛を見たのは初めてだな、なんて関係のないことを考える。
「これでも俺、モテるんだけどなあ」
同じ髪の色でも、この人はシスの様にはならなかったようだ。
どうしてだろう。
「今この場では関係ないだろ」
「ま、それもそうだね」
白銀の髪の男が私の前に跪く。
「初めまして。あなたに出会うためにファルンの国からやって参りました、トレイ・ブラウズと申します。以後、お見知りおきを」
そして、訳がわからず固まっている私の手を取ると、唇をつける。
柔らかなその感触に、私は思わず悲鳴を上げてその手を振り払う。
私の反応が不思議だったのか、白銀の男、トレイさんは、ふむ、と首を傾げる。
「女性に拒否されたんだけど、どうしてだと思う?」
「長い、わざとらしい、キモイ」
「うん、ヴィルは遠慮って言葉を知ったほうがいいと思うよ?」
ヴィルと呼ばれた黒髪の男は、不機嫌そうにフン、と鼻を鳴らす。いつものことなのか、トレイさんはその反応に肩をすくめるだけ。
「失礼いたしますが、お嬢さん。あなたのお名前は?」
トレイさんの問いに、私は震える唇を開く。
「異国の方ならご存じないのかもしれませんが、私は女神候補です」
「女神候補? ってことは歌姫さん?」
「そうです。だから――」
「ラッキー! ヴィル、歌姫さんだよ、歌姫さん! いやあ、どうりで可愛らしいわけだ!」
「落ち着け」
だから、私のことは気にせず、どうぞ先へ行ってください。
そう言おうとしたのに、なんと言うか、マイペースな人だ。
どうしたらそっとしておいてくれるんだろう。
普段こんなに異性と話すことも、神殿関係以外の人と一緒にいることもないから、困ってしまう。
「ちなみに、君はどの歌姫さんなの?」
その質問に、私は安心する。
きっと答えを聞けば、この人たちもあの女の子のお母さんのようにここを立ち去るはずだから。
「……死、です」
歌姫は本名ではなく、通り名のようなものをつけられて呼ばれることが多い。
別に本名がばれたらまずいから、なんてわけではなく、そちらのほうが覚えやすいから。
二人の顔が一瞬強張った気がする。
あたりまえだ。
歌で誰かを殺めてしまった歌姫なんて、前代未聞なのだから。
これでやっと、二人はどこかに行ってくれる。
そう思ったのに。
「そんな通り名を付けた奴は、相当センスがないんだな」
「……え?」
言われた言葉の意味がわからずに首を傾げる。
灰色の冷たい三白眼が私をじっと見下ろす。
「お前の歌は臆病者の歌だ。他人の顔色を伺うような歌で人なんか殺せるはずがないだろ」
「臆病者……」
確かに、そうかもしれない。
だけど、他人の顔色を伺って歌っているわけじゃない。だってそもそも、歌うべき場所で私は歌えていないのだから。……歌姫としての義務を果たせていないのだから。
「お前の歌を聞いたが、俺たちは死ななかった」
「それは、だって、なにも込めてないんですから……」
「言い訳かよ」
「ちが――」
「なるほど、だからからっぽな歌なんだな。歌姫の割には、なにも心に響かなかったわけだ」
「……」
散々な言われよう。でも言い返せない。だって、なにも込めてないんだもの。からっぽなのは当然なんだ。
「歌ごときで人が死ぬのなら、今この場でやってみろよ」
だけど、この言葉には頷けるはずがない。もう二度と、あんなことはしたくないから。私は首を横に振る。
「したくありません、そんなこと――」
「歌いたくないだけだろ」
私の返事を遮るような言葉に、心臓を刺された気がした。
歌いたいんだろうか。歌いたく、ないんだろうか……。
歌いたい。できることならこんなこそこそとじゃなくて、エラやシスのように、堂々と。
だけど、それでまた、同じことが起きてしまったら?
「……」
「肯定も否定もしないのか」
「……人前では歌えないんです。人が死ぬかもしれないから」
「歌姫のくせに役目放棄かよ。歌ってるだけ、でも楽な仕事なのにそれすらもせずに飯を食うとか、最低なクズだな」
「――っ」
なにも言い返せない。
「ちょっとヴィル」
「なんだよ」
「言いすぎ。歌姫さん、泣いてるじゃないか」
「……チッ」
ヴィルさんは舌打ちすると、ガシガシと黒髪を掻く。
泣きたくて、泣いたわけじゃない。
ただ、悔しかった。
自分がクズって言われたからじゃなくて。
歌うことを楽な仕事だと言われたことが、遠まわしにエラやシス、女神様や歴代の歌姫と女神様たちを馬鹿にされたようで。
「……女神様や、歌姫は、文字通り、命を削って歌を歌っています」
ルアディスの平均寿命は八十五歳。対する女神や歌姫の平均寿命は三十八歳。一度だけ五十歳まで生きた人もいるけれど、それが最高記録で。一度の歌でどのくらい削られるかは知られていないけれど、女神と歌姫の寿命が極端に短いのは、歌のせいじゃないかと言われている。
それくらい、私たちの歌は特別なのだ。
私たちの歌には、力が宿っている。
素質とその人の力の強い弱いが関係してしまうけれど、人によっては、他人を傀儡にできるくらい。……人の命を、奪うくらいの力がある。
「他の人から見れば、楽な仕事なのかもしれない。だけど、命と引き換えにやっている役目です」
「じゃあますますお前はクズじゃねえか」
「……返す言葉もありません」
そうだ、私はクズなんだ。
俯いて、小さく笑う。諦め。それが、今の私の感情の大半。
いつからなんだろう。歌えるようになろうと頑張っても、イメージを持った瞬間、怖くなって。気づけば頑張ることをやめていた。
「命と引き換えだとしても、俺にとっては関係ない。歌姫が歌わなくなって、それで世界が崩れたとしても、ああ、終わるのかってその程度だ」
顔を上げると、そこにはやっぱり冷たい灰色の三白眼があって。
「歌姫に産まれただけで職も飯も寝る場所もあるんだから、やっぱりお前らは楽なんだよ」
「……」
そうなのかな。
そうなのかもしれない。
でも、私はともかく、やっぱり二人をコケにされるのは嫌で嫌でたまらなくて。
「どうして、そんなこと言われなくちゃいけないんですか」
私はヴィルさんのことを睨んでいた。
「確かに私はクズです。だけど他の二人は、先代の方々や今の女神様は、そうじゃない。世界のために歌っている。命を削っている。楽に見えるかもしれないけれど、でも――」
「歌ってない奴に歌わせることもせず、世界のために歌う? 意味わかんねえな」
ヴィルさんの眼光が鋭くなる。
「命削って歌ってんだろ? 一人歌わないだけで、その負担って大きくなるんじゃねえのか。クズが一人サボっても無視して世界のため、か。んでお前は? 自分以外の献身的な歌姫が先に死んで、自分は次の女神様にでもなるつもりか?」
「ちが――」
「少なくとも、今までの言葉を聞いて、俺はそう思った」
「そんなつもりないです!」
そもそもそこまで考えが至っていなかった。自分がどれほど勝手なのかを思い知らされる。
身体の中全てを冷たい手でつかまれたような感覚。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
私が歌わないせいで二人が死んでしまったら?
そんなの、耐えられない。
でも、歌ったせいで誰かが死んでしまったら?
もうあんなの、耐えられない。絶対に嫌だ。
でも。
私たちの歌は、世界のためにある。
歌姫がいないとルアディス・ウィションが壊れてしまう。
なら、私は二人のために歌うべき? ……歌うべき、なのかもしれない。
「……失礼します」
私は小さく礼をすると、振り返らずに、その場を去った。




