ルーサン村にて、異常事態。
ルーサン村に到着。
この村の向こう側には森が広がっていて、その森を抜ければアルフォとファルンがある。そして、どこまでも続いている聞く蒼い蒼い海も。
一度、この村に来たことがある。エラもシスも私ももっと幼かったころ。
あのときは初めての馬車にすごく感動したのを覚えている。
今回は、馬がウィションを踏んで割ってしまうかもしれないからという理由で馬車はなにしになったけど、たぶんそれが理由じゃない。
初めて馬車に乗ったとき、エラが酔って散々な目にあっていたので、きっとそれが理由なんだろうなあ、と思いつつも、エラのためになにも言わないでおく。
なにかがおかしい。
村に入って一番に感じたのは、そんな違和感。なにがおかしいのかわからずキョロッキョロとしていると、アイラさんが呟く。
「数日前に通過したときより人が、少ないですわね……」
言われて気が付く。
そう、出歩いている人が少ないのだ。この村は宿が多い村で、いろんな肌の色、目の色、髪の色、格好をした人たちが行き来していた記憶がある。だけど、その数が記憶の中よりも遙かに少ない。わっとどこを見ても人がいたのに、今はパラパラと人がいる程度。
幼い頃の記憶だから誇張されているのかもと思っていたけれど、アイラさんの言葉に、そうではない、ということがわかる。
「クレハ。数日でこんなに変わるものなんですか」
「いや。なにか理由があると思う。トレイ。ここで宿をとるのだろう?」
「うん、ちょっとそこで訊いてみようか」
トレイさんが、深刻な顔で頷く。
前を見ればそんな話など聞こえていないかのようにリターナさんがシスの手を握ってピョンピョン飛び跳ねている。それをヌドクさんが注意しているのが漏れ聞こえてくる。
「あいつは……」
隣から呆れ声。
見上げれば、眉間にしわを寄せたヴィルさん。
「まあ、少しにぎやかですよね」
「少しなものか。あいつには、歌姫の命が自分にかかっている自覚はないのか……?」
「……」
思わず静かにじっと見つめると、どうした、と目を細めて見降ろされる。
「……いえ、なにも」
私のことをボロクソに言ったあなたがそれを言いますか。
なんて、言えるはずもなく、私は目をそらす。
「……言っておくが、騎士としての自覚はあるぞ。ただ、どう考えても不自然な人数いる歌姫と、歌姫らしからぬ通称を与えられている誰かのことは疑うに決まってんだろ」
「そう、ですか……」
疑うに決まってる。
過去形じゃない言葉が、今もまだ彼が私を疑っていることを示している。
それが、悲しい。
少しして、私たちは一つの宿の前に辿り着く。
ここまですれ違った人数は、やっぱり少ない。
だけど。
「……満室?」
予想もしなかった言葉に、トレイさんの眉間にしわが寄る。
受付の女性は、申し訳なさそうに頷く。
「いつもは一泊だけのお客様が、昨日からちょっと、諸事情で延長して泊まられておりまして」
「どういうことかな」
あ、と思えば、トレイさんの顔からしわが消えて、甘いものに変わる。だけど、受付の名簿を見たままの女性はそれに気付かない。
「それは……お客様の情報ですので、お伝えするわけには――」
「大丈夫。二人だけの秘密にしよう。ほら、俺の耳にささやいてみて?」
低くかすれた声で囁くトレイさんに、女性の顔が林檎みたいに真っ赤になる。
一方こちらでは、顔をしかめている人と肩を震わせつつも必死で堪えている人がいる。
女性が、チラリと私たち以外に誰もいないかを見ると、秘密ですよ、と言ってからトレイさんの耳に口と手を寄せる。
そしてなにかを言われると、トレイさんは少し考えるような表情をして頷いてから、こっそりと女性に耳打ちする。すると女性は名簿を指差しながら、再びトレイさんの耳元へ。やがてトレイさんは一つ頷くと、ありがとう、とその女性の頭をポンポンと撫でた。瞬間、林檎を遙かに超えた赤い色に女性の顔が染まる。
私たちは頭を下げると、そのまま出ていったトレイさんのあとを追う。
「なんて言ってたんですか?」
少し離れた路地裏にまで来てから、エラが抑えた声でトレイさんに訊く。
「昨日から急に謎の高熱にうなされる人が急増したそうだ。もうすでに命を落とした人もいるみたい」
「そんな村に誰でも入れるような状態のままって……大丈夫ですの?」
アイラさんが青ざめつつも訊ねる。もっともだ。
「感染病ではないことだけ医者は分かっているみたい。だから入村を規制することはないけれど、死人が出ている以上、高熱が出ている人を、今、無料で引き続き泊めている状態なんだって」
心臓が鳴る。このタイミングでの高熱。そして、死人。もしかして……。胸が苦しくなってくる。
「それは……」
「もしかして、昨日からってことは、ウィションが割れたことと関係が……?」
シスの言葉に、トレイさんが、おそらく、と頷く。
「興味深いことに、高熱を出している人はみんな遠方……アルフォやファルンから来た人ばかりで、ウォルテの人はまだ一人も熱を出していないみたい」
「どういうことだ……?」
「リターニャ、難しいことわからなーい!」
クレハさんとリターナさんが首を傾げる。トレイさんが私たち歌姫を見る。
「君達なら、わかるよね?」
私たちは顔を見合わせて、頷く。
「私たちの歌が、微量にしか届かない人たち、ですよね」
代表してエラが言えば、トレイさんが頷く。隣でアイラさんが首を傾げる。
「届かない……? どういうこと?」
「歌姫の歌はルアディス・ウィションによってルアディス中に響いているのは知っていますよね?」
子供でも知っている話だ。……改めて言われると、どうしようもなく恥ずかしくなるけれど。
アイラさんがムッとしたように頬を膨らめる。
「それは知っていますわ。歌姫の歌は幸せを運ぶ風のようなものでもあるから、ルアディス中に響くのですよね」
「そうです。だけどやっぱり、歌姫が歌っており、濃度が高い歌を聞いているウォルテと、拡散されて濃度が薄まった歌を聞いているファルンとアルフォじゃ、力の加減が変わってくるんじゃないのか、という話が数年前から言われています」
「……つまり、この病気は普段濃度の高い歌を聞けない人たちが熱を出しているということですの?」
「そうだと思います」
「……でもそれがどうしてウィションが割れた瞬間に熱を出すんですの……?」
するとヌドクさんは呆れたような瞳でアイラさんを見る。
「アルフォの姫はルアディスの民の成り立ちも知らないのですか?」
「し、知ってますわよ! 神様から渡された橙色の石、ルアディス・ウィションに女神様が口づけをして、そこから生まれてきたのがルアディスの民、なのですよね?」
そしてクレハさんに視線を向ける。クレハさんは苦笑を浮かべつつ首を横に振る。
「惜しい」
「え」
「ルアディス・ウィションに女神様が口づけたときに生まれたのは歌姫様だ。神様から渡されたときのルアディス・ウィションは薄い膜の張った水のつまった球の中に浮かぶ石だった。そこから歌姫が生まれ、そしてその反動で出た水しぶきから魂ができ、女神様がその魂に入れ物を与えたものが、今のルアディスの民だ。魂は母の身体の中で心臓になり、そして生まれる。私たちの心臓は、ルアディス・ウィションと繋がっている」
「……つまり?」
いまいち理解していないアイラさんにもわかりやすいように、とクレハさんが懐から紙を取り出して、カリカリと鉛筆で大きな丸を書き、そこから外側に矢印を何本も引いて、その先にも小さな丸を書く。
「この大きな丸がルアディス・ウィションだ。そしてこの小さな丸が私たち、ルアディスの民。こういう風にしてルアディス・ウィションから私たちへ、生きるために必要な、簡単に言えば生命力をもらっている。ただ、そのままだと民には強すぎるので、この矢印の間に歌姫様や女神様が入り、歌によって加減を調整してくれている。また、ルアディス・ウィションと女神様の子と言っても過言ではない歌姫は、その魂を削って歌によりルアディス・ウィションを支えている」
「……駄目ですわ、頭がこんがらがってきましたわ」
アイラさんが頭を押さえると、クレハさんだけじゃなくて、トレイさんまで苦笑する。
「アイラ、座学苦手で爆睡してたもんね……」
「と、トレイ! それは言わないでくださいまし!」
「まあ、体力勝負だと男と同格か、人によってはそれ以上だもんな」
「ヴィルッ!」
顔を真っ赤にするアイラさんに、私たちは吹き出す。
「つまり、ルアディス・ウィションが割れてしまえば、生命力を分け与えている源が消えてしまうわけですから、身体が弱ってしまうんです」
エラが、まだ小さく笑いながら口を開く。
「さきほどアイラさんは、私たちの歌を幸せを運ぶ歌だと言ってくださいましたが、私たちの歌は言ってしまえば、生きるための力を運ぶことができる歌なんです。どうしてもウォルテの国民に合わせて調整してしまうので、ファルンやアルフォに届くのは比べて弱い歌になってしまうんです。比較的濃度の強い歌を聞いていた人のほうが、いざ供給を絶たれたとしても、蓄えがあるので、生きやすいのだと思います」
「どうしてウォルテの国民に合わせて調整してしまうんですの?」
「リターニャ、それわかるよ! どんなにいいお薬でも飲みすぎれば毒に変わっちゃうのと一緒! よーほーよーりょーを、お守りくださいっ! ってゆーんでしょ?」
リターナさんの言葉に、エラが頷く。
「そうなんです。強すぎれば、ウォルテの国民が死んでしまいますから」
「そうなんですのね……難しい、ですね、それは」
エラが静かに微笑む。
「で、歌姫さん。話を戻すけど、今、俺たちの故郷からこのルーサン村に来た人々が高熱を出してる。死んだ人もいる。君たちは、この問題をどうやって解決する?」
トレイさんがじっと静かに私たちを見つめる。エラの顔から微笑みが消える。
「歌います。この場所で」
私たちの身体は、ルアディスの民のそれとは違う。ルアディスの民から生まれてはいるけれども、その身体から民へ、ルアディス・ウィションほどではないにせよ、生命力を分けることができる。
「いいわよね」
エラが私たちを見る。
これは、私の責任だ。歌わないと。
脳裏を、異常なほど白い肌の人が駆け抜ける。
真っ赤な血。
なにも移さない瞳。
歌わないと。
悲鳴。
冷たい声。
私が、殺した。私のせいで死んだ。
歌わないと。
また、私のせいで人が死んでしまう。もう、数人は死んでしまった。
歌わないと。歌わないと。
――また、人が死んだら?
ゾッと悪寒が駆け上がる。
「ホロ?」
エラの声。
「大丈夫……?」
シスの声。
聞こえてる。だけど。
「……ぃ」
私は、もう歌えない。
数年前に人を直接殺めて。
昨日、ルアディス・ウィションを割った。
そのせいで、また人を殺めた。
どちらも、歌で。
「お前は歌うな」
「……え?」
低い声。顔を上げれば、灰色の三白眼。
「今のお前の歌は、いらない」
「――っ」
「ホロ!」
思わず走り出していた。
すぐに頷けなかった自分が情けなくて、恥ずかしくて。
もう、消えてしまいたかった。歌姫でなんて、いたくなかった。




