魔法使いの一番の弟子の思い出
青年は疲れきっていた。大賢者の森は普通の人間が来る所ではなかったのだ。深くまで来てしまった事に後悔を隠せない。だけれども、青年はどうしてもこの森の大賢者の家に行きたかったのだ。
「───大丈夫ですか?」
「、え」
青年の目の前にいつの間にか水色がかった銀髪の男が立っていた。二十代そこらだろうか、明らかにこの森には居なさそうな人間だった。
ボロボロになっていた青年に男は苦笑した。この森は魔法を一定以上使えないと通過は難しいのによく剣ひとつで此処まで来れましたね、と。
「シュハ様の創ったゴーレムは倒せなかったでしょう?」
「、あのゴーレムは大賢者様のでしたか!通りで攻撃が全く通らなかったのですか」
「この世にオドとマナが有る限り攻撃は通らないでしょうね。万が一通るとしたら、数万単位の魔法使いが攻撃を一斉に当てる事位でしょうね」
なんともなさそうに言った男に青年は愕然とする。それと同時に''そんなもの''が徘徊していたのかと顔を青くした。一種の兵器ではないか、利用されたらどうするのだと。
「利用はされないでしょうね。彼等の指命は森を護ること。シュハ様の知識が悪の元に使われることを阻止することですから」
「は?」
「彼等は心を持っていて尚且つ固定技能''読破''という特殊なモノを持っています」
くすくすと笑う男は青年を誘導する。貴方も受けに来たのでしょう?と言いながら。男の言う通りであった青年は不安げに男に着いていく。森は静かだった。男に出逢うまでには試練の様に襲いかかった魔物も、大賢者のゴーレムにも逢わない。
歩くこと数十分、小さな家が見えてきた。あれが文献に残っていた大賢者の家だろうかと青年は心を踊らせた。本物を見たという話を出来る人は今は青年のまわりには居なかった。数年前まで生きていた青年の祖父からの話と文献。祖父に至っては試験の一つを突破して魔法の知識を得ていた。誰にもその魔法は伝えずに亡くなったが。
「大賢者は、何故後世に魔法を残さなかったのですか?」
家に入れてもらった青年はポツリと一人言を溢したかの様に男に問うた。男はそれに対して一瞬だけ嘲笑したが、青年が気付く前に穏やかな笑みを顔にのせた。力とはなにかを理解出来ないのかと男は考えたが、大賢者の価値観と力はこの世界の一般にはあまり受け入れられない事も理解していた。価値観は優しすぎて、力は強大過ぎて。
「───君は僕が生きている間に来た最後の客です。試練を受ける前に僕の話を聞きませんか?」
「?」
「僕はこの様な見た目ですが、貴方の何倍も生きている。老人の思い出話です」
青年が年を聞けば、男はあと二日で千歳になると答えた。嘘だと青年が言えば、男は自分が半精霊だと答えた。精霊の寿命は一万年、人間とのハーフ故に十分の一の寿命なのだと言った。
「───え、ではもしかして貴方が」
「大賢者の初めの弟子にして直接魔法の知識を得た最後の生き残りです」
「水の、ラウト様」
「はい。僕の名はラウト。敬愛するシュハ様の初めの弟子にして奴隷であった水の属性特化の弟子です」
───思い出話、聞いて頂けますか?
私の生い立ちは置いておいて、シュハ様との出逢いをお話ししましょうか。
始まりは五十年毎のスタンビースト。ラウトは北の発生地点付近の村で奴隷商に売られ、その奴隷商は国の中心部である王都へ向かっていた。急いでいた奴隷商であるが、タイミング悪く発生地点からあまり離れていない所でスタンビーストが発生した。
整備されていない道。奴隷商は馬を酷使し馬車をひたすら走らせた。ラウトはその馬車に乗っている頃から魔法は使えていた。勿論一般レベルより少し悪いもの。生きるために必死に水の盾を発現させた。馬にゴブリンの放つ矢が届かない様に。時には地面をびしょ濡れにしてオーガを滑らせて。
「なんだぁ!?あの壁!」
「わからん!だが迂回出来る時間もねぇ!」
森を抜けると大きな土壁があった。要塞の壁と言ってもよいほど大きな壁。村から見たらV字であろう形をしていた。まるでスタンビーストに備えていたかの様に。
「オイ、地図じゃあはじめにぶち当たるであろうのは村だろ!?道間違えたのか!?」
「知るわけねぇだろ!」
ラウトは不安だった。護衛として雇われていた冒険者は双方口が悪い。奴隷商と奴隷商の付き人は全く喋りもしない。ラウトの乗った馬車の両脇の視界が土色に染まったとき、壁の上から声がした。
「そのまま真っ直ぐだ!死にたくないならね!」
護衛が目を凝らすと壁の上に数人の人。後に村の英雄となる筈だろう人間達だ(スタンビーストの際村の人間は全員避難出来る訳ではなく、数人残される。その人間が死んだときに英雄と言われる)。ラウトはその声の主を確認出来なかった。何故なら、一人で後方のゴブリンから放たれる矢を一人で捌いていたからだ。
じりじりと距離が詰められる。馬も限界が近い様でいうことを聞かないのか時折冒険者の舌打ちが聞こえる。
「───え?」
ラウトは背中を押された。バランスを崩し馬車から転げ落ちる。痛みに呻きながらも死への恐怖故に残り少ない自分の魔力を絞り出して水の盾をゴブリン達に向けるも矢を数撃受けて消えた。死んでしまうとラウトは絶望して背中を押したであろう奴隷商を呪った。
「''アイスランス''」
女の子の声がしたと思えばラウトの体は浮いていた。否、正しくは女の子の小脇に抱えられていた。目を白黒させたラウトは驚愕する。女の子が箒に立って浮かんでいる。まるでとあるお伽噺の魔女だった。自由自在に箒で空を飛ぶなんて普通は有り得ないのだから。
ひんやりとした空気を感じてラウトはつい先程まで自分が転がっていた場所を見て自分がまだ生きている事を実感した。───氷の槍に突き刺されて絶命している大量のゴブリンとオーガ。ラウトはあと少しで、ゴブリンがあと一歩踏み込んで剣を降り下ろしていればラウトは死んでいたのだから。
「クロさん外傷は頼みます」
「了解しました。君、歩けそうかい?」
黒髪に白い肌。直ぐにラウトの側を離れていった女の子の顔をラウトは見れなかった。その事にガッカリしていたがラウトはクロさんと呼ばれていた男の質問に対して首を横に振った。痛みで動けないのもあるが腰が抜けていた。
「ではここで治療させていただきますね」
爽やかな笑みを浮かべながら丁寧な治療をしていく。特に痛みもなく終わったことにラウトはホッとしつつ意識を北へ向ける、が奴隷商の声で体を縮こませた。結果的に死ななかったものの殺されかけたという恐怖は消えないのだ。
「私はクロムウェルといいます」
「、?」
「先程君を助けた彼女はシュハといいます」
微かに震えるラウトに気付いたクロムウェルはラウトの意識を逸らすことに決めた様でラウトをひょいと抱え上げ、移動する。ある程度見晴らしのよい所まで行くとシュハがいる方を指差した。
「君の不安は彼女が取り払ってくれますよ」
微笑んでそう言ったクロムウェルの言葉はその通りになった。村の村長が不憫に思ったのかラウトを引き取る───シュハがだか───といい。奴隷商は一度は捨てたからと了承。命を救われていたからかラウトはシュハの奴隷になってからシュハから離れようとしなかった。
「え?名前ないの?」
きょとんとするシュハにラウトは頷いた。ラウトはシュハに出逢うまで自らの名はなかった。奴隷商に売られている時点で望まれぬ子だったのだからお察しである。なんともいえぬ顔をした後、シュハはじゃあ、と言ってからこう言った。
「''ラウト''、君の名前はラウトだよ。とある国の言葉で意味は海。君の瞳の色は綺麗な蒼だし魔法の属性で一番適性あるのは水みたいだしねー」
「ラウト、」
「海は大きく深いもの。名に恥じぬよう大きな男になってくれたまえ、なんてね」
この世界のスタンビーストには言うなればボス格のモンスターが出現する。今回の北のスタンビーストではシュハが一人で残滅した。その為に監視、懐柔の意味も込められ王都の魔法学校に強制的に入学をシュハはさせられた。何故かラウトも一緒に(ラウトが聞けば王に謁見した時にラウトも一緒ならと答えたらしい)。
魔力の総量が多いのは王族や貴族が多い傾向にあった。だからか平民と呼ばれた少数の生徒は肩身の狭い思いをしていたがシュハの一言により気にしない生徒が多くなった。
「何処か一部の生徒がなんというか、肩身が狭そうですね」
「んー?まぁまわりが貴族ばっかで神経使うんだろうけどそういうのは気にするだけ無駄だと思うよ?平民の上に立ってる貴族が馬鹿やれば親からもしくは上からなんかしら粛清喰らうだろうし。墜ちるときは一瞬な訳だし」
「そう、なんですか?」
「腐った食べ物は料理に使わず棄てるでしょ」
「ああ、成る程」
「うわぁ、言うッスねぇ」
楽しげな声に二人は視線を向けた。立っていたのは紫の髪を持つ外見は物語に出てきそうな王子の様なのに何処か軽薄そうな男。公爵家のしがない三男坊ッスとカラカラと笑っていた。
───不愉快な事だが後に雷のロゥと呼ばれる男との出会いであった。
シュハ様からはアローと呼ばれ、(フルネームがアー・ロゥ・シーズイットであったため)正式な弟子としては三人目と記録されている。ロゥは出会い当初は公爵家の人間としての接触であり、自ら弟子にと言い出すのは風の男より後の事。
「はじめまして、俺はライガットという。急な申し出なのだが、弟子にしてはもらえないだろうか」
「うん?えーと、構わないけど君隣国の王族だよね?其処ら辺平気な訳?」
「妾子、無能、能面と悪評しがない。人の真価を見極められぬ奴等の為に生きる事はしたくない。なにより───」
風のライガットは言う。俺は貴方に仕えるために生まれてきたのだと。呆れた様なシュハ様はまぁそれも一興かと弟子にすることを了承した。
その後も歴史書に残されている通りに何人かを弟子とした。ラウトも人の事は言えないが、弟子達は個性的であった。
炎のギルギリー、土のモノク、氷のレシュカ、木のトワラース、光のリリー、闇のフェルメル、聖のシズカ、無のルーハール、理のウィーロック、時のプレモラ、ウラノラ。各属性の彼等は難はありこそすれ、シュハの言うことをきちんと聞いていた。
旅をしたり、生まれ故郷に降りかかる火の粉を払ったりダンジョンへと潜ったりと騒がしく楽しい時を過ごした。生まれ育った国の王子から求婚される、なんてこともあったが。
「まぁ、人であった彼等は私を置いていったのですが」
「それは」
人というのは、儚いものですね。そう言って微笑んだラウトに、青年は何とも言えない顔をする。人も物も有限なのだ。精霊があまり人と関わろうとしないのも頷ける、殆んどの確率で置いていかれる側なのだ。
「シュハ様は優しい方でした」
「優しい?」
「皆が寿命のまま死んで行く中、自らは私の為に寿命をのばすだけのばして下さったんです。己の体の負担を気にせずに」
「それって」
「大賢者とはいえ、全能ではありません。体の時を無理矢理のばすというのは、本来なら死んでいる筈の体を強制的に動かすということ」
シュハはそれをやって見せた。だからこそ、シュハの最期は──
「私の話を聞いて、どう思いましたか?」
「大賢者は」
青年は頭を降り大賢者ではなくシュハ様と言い直す。大賢者と他の偉人と一纏めにするのはなんとなく憚られたのだ。
「先々を見据えられる、素晴らしい方ですね。曾祖伯父様が、シュハ様を愛した理由が解りました」
「やはりあの男の血縁でしたか」
舌打ちをしたラウトに青年は顔を青ざめさせたが、あの男は見る目だけはありましたねと言ってから、青年に一冊の本を差し出した。
「貴方が認められるかどうかは貴方の心次第です」
ラウトは青年にそう伝えてから、椅子に座って目を閉じた。まるで、眠るかの様に。青年が声を掛けようとした瞬間、ラウトは光となって消えた。
「っ!?」
後二日ではなかったのかと外を見れば、何時の間にか朝になっていた。休憩を挟んでいたとはいえ、気付かないほど集中して話を聞いていたのかと青年は苦笑する。
────水のラウト様。私が最期の話し相手で満足していただけましたか?