ガソリンの要らないライダーたち
高校二年になった俺は、やっとちょい遅めの高校デビューってやつをすることに決めた。
夏休みに髪をアッシュに染め、セレクトブランドのベルトを締め、小綺麗なローファーで通学する新学期。
校則違反のスクーターで華麗に通勤ラッシュの車を抜き去り、そのスクーターを学校近くの神社に隠す。夏休みにバイトして買ったピカピカの新車である。
もう九月だというのに、うっかり季節の変わり目を間違えた蝉たちの声は、今日もうざったいくらいに夏を主張している。
校門で生活指導の教師に軽く挨拶。渡り廊下を歩き教室に向かう。
「あれ? 雰囲気変わったよね」
なんて、スカートの短い女子に声を掛けられて嬉し恥ずかし気分は上々である。夏休み前までの俺は確かにダサかった。超ダサかった。
俺は生まれ変わったんだ。ガラガラと教室の戸を開け放ち、清々しいくも初々しい気持ちで、挨拶をする。
「おいっす」
皆の衆おはよう。と言いたかったが、なんだか気恥ずかしかった。ちょっと髪をアッシュに染めて、制服をオシャレに着こなすだけで、その日俺の机の周りには、休み時間のたびに人が集まった。
男子からは一目置かれ、女子からは「あれ? あの人ちょっと良くない?」的な目で見られた。
これで今日から俺も人気者の仲間入りだ。そう思っていた。そう思っていたさ。そう思っていたが、人生とはそんなに甘いものではなかった。
「おい、テメェら。邪魔だ。道を開けろ雑魚ども」
着々と休憩時間のたびに人口を増やす俺の机の周囲半径数メートル、ピークを迎えた昼休みの真っ只中、我らが理系特進クラスの教室に入ってきたのは、別校舎に生息する一般クラスのヤンキーたち。
先頭の男は昭和の香りがプンプンする鬼剃りのリーゼント。どこぞの軍艦を頭に乗っけているみたいな男だ。
そいつらが俺に近づくと、海が割れる映画のワンシーンみたく、人だかりは四散していく。
「おい。ツラ貸せよ」
この先頭の軍艦頭は悪い意味での学校の有名人で、とてつもなく柄の悪い男である。
「やだね。どっかいけよ。俺は生まれ変わったんだい」
「くそっ。あんたはいつからそんなに日和っちまったんだ。なあ! それでも俺たちの頭かよ」
煩い煩い。俺は平穏に高校ライフをエンジョイするんだ。もう俺は負けたんだ。
そう。それは少し前の話。どこをどう間違えたのか、俺は以前ここ泡沫市新須賀町を拠点とする族の総長だったことがある。もともとはただ初代総長の遊び仲間の集まりであったチームだが、気がつけば泡沫市全域に七つの支部を持ち、構成員五〇〇人を超える巨大組織になっていた。
中京泡沫連合、三代目総長。それが少し前のまでの俺の肩書きだ。
「嫌だ。嫌だ。だっさいリーゼントなんかにするもんか。俺だってスカートの短い女子とカラオケとかしたいんだ」
「なあ、ヘッド。頼むよ。あんたがいなけりゃ、UCHCの魔沙斗に誰も勝てないんだ」
この泡沫市には三つの大きな勢力がある。
一つは族である我らが泡沫連合。元は走り好きのアウトローたちが集まってできたチームである。
二つ目は新須賀工業地区愚連隊。川向こうの工業地区に住む外国人たちが集まって組織された武闘派チームである。リーダー格の瀬流潮の身体能力は侮れない。学校の教師たちに、けっして川向こうには行ってはいけないと言われるほど、治安の悪い場所で生まれ育った武闘派の集まりである。
そして最後に三つ目にして、最大の勢力であるUCHC。泡沫シティハードコア。元はハードコアパンク好きたちで集まった集団であるが、ストリートと呼ばれるありとあらゆる物を取り入れ、ストリートダンサー。スケーター。BMXの命知らずな曲乗りたちを勢力にいれ、あれよあれよと膨れ上がったギャングチーム。まさにここ泡沫市の覇者である。
俺はUCHCの頭である魔沙斗と一対一で負けたのだ。
現実と軍艦頭から逃げるように俺は学校を飛び出し、新車のスクーターに跨り、セルモーターでエンジンを掛ける。実に上品な排気音である。アクセルを深く開け急発進を決め込む。アスファルトとタイヤの摩擦熱が煙をあげ景色は流れ出す。
停車する交差点。俺はもう不良じゃないから、きちんと信号を守る。危険の赤。ぞわぞわと背中が危険を察知する。
信号待ちでミラーを使って後ろを見れば、そこにはなんともタチの悪そうなフルスモークの黒いキャデラックが一台。パッパッと短く鳴らされるクラクションが二回。
「おい。三代目じゃねーか。どうしたどうした。そんなにチャラチャラした乗り物に乗って」
フルスモの窓を開け顔を出したのは、顔中傷だらけで、眉毛のない、物凄くイカついおっさんだった。
「初代。お久しぶりです」
なんとキャデラックを運転していたのは、俺の先輩に当たると同時に、泡沫連合の初代総長でもある人だった。
「おおっ、久しぶりだな。立ち話もなんだ。ちょっと茶でもしばいていこーや」
俺たちは近くのお洒落なカフェに入る。女子と入れば立派なデートであるが、この絶対に人を殺してそうな凶悪ヅラのおっさんと入るのだから、せめて店はもう少しチョイスを考えるべきであったであろう。
「するってーと、三代目。お前はUCHCの魔沙斗に負けておめおめと引退したってのか?」
「はい。あいつは強いです。正直次元が違いすぎる」
初代はセブンスターを灰皿でもみ消して、しばし考え込み、ため息を一つ吐く。
「確かに魔沙斗は強い。お前さんらの世代じゃ最強かもしれない。しかし俺は三代目。お前さんのこともそれ以上に買っているんだぜ」
俺は飲んでいるメロンソーダをぶくぶくと泡立てる。
「なあ三代目。プロの世界にこないか? お前さんなら、一流になれる。俺のところで面倒みてやるぞ」
やっべー。高校卒業後の進路が思わぬ方向で決まってしまう。嫌だ。嫌すぎる。
「ははは、俺まだ高校二年なんで来年また考えますよ」
初代はやや残念そうに伝票をもち、会計を済ませ、小指のない手を振り「ちゃんと考えておけよ」と店を出て行く。危ないところであった。
初代を見送ったあと俺も店を出る。すると俺の可愛い可愛いピカピカの新車に一目で解るほどの異変が起きていた。
シートをカッターナイフのような物で切りつけられて、ズタボロにされていたのだ。そしてボディにはUCHCと雑な文字が彫り込まれている。
あいつら……いや、いかんいかん。もう俺は不良と関わらないんだ。こんな所で負けてたまるか。
俺は無残な姿にされた愛車を引き、家路を辿る。チクショウ。チクショウ。あいつら好き勝手しやがって。
次の日も学校であった。愛車と俺の心はズタボロなので、バスで通学する。昨日の騒ぎから、誰も俺には近づきやしない。人気者になれると思ったのに。
くそっ、軍艦頭の所為だ。あの腐れリーゼントに文句の一つでも言ってやろうと俺は昼休み一般生徒の教室がある校舎に乗り込む。
柄の悪い奴らが集まる校舎であるが、俺の顔を知っている奴は大概挨拶をしてくる。腐っても鯛ってやつで、仮にも俺はこの街の三大勢力の一つの頂点に君臨していたのだ。
乱暴に教室の扉を開ける俺。そこで目にしたのは思ってもみない光景であった。
軍艦頭は顔中に包帯を巻き、松葉杖でヒョコヒョコと歩いているではないか。
「おい。軍艦頭。どうした。その傷」
「三代目。いや、あんたには関係ない」
昂ぶって激情した俺は、軍艦頭の胸ぐらを乱暴に掴む。
「UCHCの奴らにやられたんだな? そうなんだな?」
「……ああ。昨日の帰り道でやられた。そう言えば、その時たまたま聞いたんだ。今夜夜八時、UCHCの魔沙斗と工業地区愚連隊の瀬流潮が新須賀峠で一騎打ちするらしい」
俺は授業そっちのけで走り出した。大急ぎで学校を出て、バスに飛び乗り、家に帰る。
そして自室に戻りクローゼットを開けた。そこには初代から二代目、二代目からこの俺へ、代々引き継がれてきた伝説の特攻服が、出番を待っていたかのように俺を出迎えた。
背中には猫魅魅露理冥土の文字。
サラシを巻き、特攻服を羽織り、ありったけのジェルを使って俺は髪の毛を逆立てクールなリーゼントにする。明るいのにサングラスを掛ける。
そしてキッチンに行く。そこでは俺の母親が夕食の支度をしていた。
「母ちゃん。預けておいた伝説のマッシーンのキーを返してくれよ」
「あんた。なんだいその格好。それにあんな物どうするんだい」
俺はそこでサングラスを外しクールに言った。
「誇りを……取り戻しにいくのさ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その時俺は久しぶりの風を感じていた。夜の峠には凄い数のギャラリーが集まっている。無理もない。泡沫市の頂上対決である。
戦況を見ると、既に瀬流潮は魔沙斗にだいぶ差を付けられていた。
俺はその瀬流潮の背後から電光石火のスピードで軽く抜き去る。夜の峠を俺のマッシーンのライトが横切る。その刹那、歓声が上がりギャラリーが湧く。
「おい。あれはまさか伝説の後ろ籠付きママチャリ『魂狩死神』じゃないか! ってことはそれに乗ってるのは泡沫連合伝説の三代目」
「あの猫魅魅露理冥土の特攻服。もしかして本物⁉︎」
瀬流潮のマッシーンは競技用ロードレーサーである。確かにロードレーサーは速い。自転車としては最高にホットなトップスピードを誇る。
しかしだ。俺たちは不良の集まり。ホットではなくクールでなくては、何も始まらない。
そんな精神も忘れちまった瀬流潮如きが、俺や魔沙斗に敵うはずもない。
ヒルクライムのヘアピンカーブで差を広げる。その差はおよそ二十ヤード。瀬流潮、残念だが次のカーブでお別れだ。
そしてようやく魔沙斗の背中が観えてきた。あの野郎。俺を待っていやがった。思わず笑みが漏れる。俺は血湧き肉躍る闘いをしたかったのだ。ぞくぞくと全身の肌が粟立ち、アドレナリンが止まらなくなる。
「魔沙斗。待たせたな。踊ろうぜ。ダンスをよう」
彼がこのコースにチョイスしたマッシーンは、マウンテンバイクである。
マウンテンバイクは兎に角、ヒルクライムと荒れた道にめっぽう強い。そしてダウンヒルにおいては、現在ダウンロードサイトなどで、数々の命知らず達が、ダウンヒル用のマウンテンバイクにて、とんでもなくデンジャラスな道を走る動画が何百とアップされている。
ストリート出身の彼は、元来の曲乗り師なのである。異名は魔術師、魔法のようなテクニックは凶器を超え、狂気と化している。俺が持っている武器はたった一つの勇気のみ。
「ハッハー、今夜は最高にゴキゲンな夜だぜぇ」
そしてこの夜、俺はスピードの向こう側を見ることになる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
日曜日。俺は軍艦頭を叩き起こし、駅の改札をくぐり抜け、電車に乗る。
「なんだよ、三代目。こんな朝っぱらから」
「やっぱりさ、俺もプロの世界ってやつを目指してみたくなってな。初代に会いにいくんだ」
「えー。嫌だぜ。俺、日曜の朝はアニメ観るって決めてるんだ」
「そんなことよりさ、俺のスクーターをズタボロにしたのオメーだろ。魔沙斗の後輩が見たっていってたぞ。怪我も自作自演ってことか」
「ああ、初代元気ですかねー? 早く会いたいなー」
「調子のいいやつ」
おっと、次の駅だ。揺れる電車内にアナウンスが響き渡る。
『次は〜〜泡沫競輪場前〜〜。泡沫競輪場前〜〜』
おしまい