どうやら、悪役令嬢ではなかったようです
「ついに来たアァ!!!!」
苦節、一週間。
ようやく確保した大人気ゲームの続編『ドラゴンルージュ 2』を手に、私は感涙していた。
ゲーム屋の手違いで、予約がまさかのダブルブッキング。
相手がまだ中学生の女の子だったので、泣く泣く譲ってからというもの、普段は連絡を取らない親戚の伯父さんまで頼って手に入れた代物である。
「さあ、やるぞ!」
プ○ステ4の電源を入れて、早速ソフトを投入しようとする。
だがここで、私の手に竹刀が突きつけられた。
振り向けば、いつの間にか姉が部屋の中に入って来ていた。
彼女は肩で息をしながら、額の汗を剣道着の袖で拭う。
「間に合った……!」
「姉ちゃん? 何でこんなことするわけ?」
「そのゲームをプレイしてはならん! 絶対に後悔するぞ!」
「はあ? なんでよ」
「それは言えん。重大なネタバレになる」
そういうと、姉は有無を言わさずに私の手からパッケージをひったくろうとした。
細く白い手が、恐ろしい速さで動く。
剣道で鍛え上げた、驚異的な反射神経の賜物だ。
しかし、私だって負けちゃいない。
これには、前作から足掛け二年分の思いが詰まっているんだッ!!
「姉さん、これだけは渡せないよッ!」
「待て、本当にダメなんだ!」
「とっりゃァ!!」
プレ○テ4はお父さんの部屋にもある。
私は姉の体をすり抜けると、素早く自室からの脱出を図った。
けれどその時――
「あたァッ!?」
廊下のフローリングに、エナメルの靴下が滑った。
私はなすすべもなく壁にダイブして、そのまま意識を手放した――。
「我ながら、おっぱいデカー……。これで十五歳って、マジですか?」
鏡の前で、胸をわしづかみにしてたっぷんたっぷんと揺らす私。
白い乳肉が、そこだけ独立しているかのように大波を打った。
華奢な体から砲弾よろしくズドーンっと突き出した膨らみは、服にボールかスイカでも詰めているようにしか見えない。
でも、全部自前だ。
寄せて集めても、パッドも、補正ブラも、もちろん豊胸もなしでこの質量である。
すげえとしか言いようがない。
「さすが、魔乳エレクシア。シャノルを鼻で笑ってただけのことはあるわ」
胸を揉み揉みしながら、ふうっとため息を漏らす。
魔乳エレクシアこと、エレクシア・ル・フランティーネ。
それが『現在』の私の名前だ。
自分でも良くわからないのだが――転生したらしい。
大人気ゲーム『ドラゴンルージュ』の世界に。
「いやさ、生まれ変わったら巨乳になりたいとか思ってたよ? グラビアアイドルって何食べてるのとか、いい加減に乳をデカくしろこの野郎とか、さんざん愚痴ってきたりもした。でも、何でよりにもよって、エレクシア? ねえ神様、もっと他にチョイスはなかったわけ!?」
エレクシア・ル・フランティーネという人物は、紛れもなく敵役である。
公爵令嬢という非常に高い身分と、持って生まれた素晴らしい美貌。
さらには国中でも稀な『聖光』の才能を笠に着て、主人公のシャノルをさんざんにいびり倒すのだ。
ある時は事故に見せかけて植木鉢を落し、ある時は大魔法をぶつけ、ある時は「悍ましい者め!」と言葉の限り罵り。
その苛烈ぷりと言ったら、いじめという次元を飛び越えてガチで殺人事件が発生するんじゃないかと思うほどだった。
しかし、それも長くは続かない。
シャノルは激しい嫌がらせを健気に乗り越え、エレクシアの婚約者であったはずの第二王子と真実の愛で結ばれる。
他にも隣国の皇太子や宰相の息子と言った心強い味方を得た彼女は、最終的に彼らの力も借りてエレクシアを叩き潰すのだ。
学園の卒業パーティーの日。
本来ならばエレクシアと第二王子の結婚が発表されるはずの席で、王子はエレクシアとの婚約を破棄。
代わりにシャノルと結ばれ、エレクシアは今までの報いを受けて追放される。
「その娘だけはなりません、なりませんッ!!」と情けなく叫びながら部屋から追い出される彼女の姿に、それはもうすっきりしたものだ。
でも、自分がなるとしたら話は別だ。
嫌だ、絶対にあんなのは嫌だ!
1の段階でエレクシアがそれからどうなったのかは判明していないが、それはもうろくでもない人生を歩んだに違いない。
あの結末だけは絶対に、ぜーったいに避けなきゃ!!
「あんまり、時間はないなあ」
厄介なことに、ドラゴンルージュの物語はもう始まっている。
さらに主人公のシャノルは物語通りに入学式でポカをやらかし、既に王子とも知り合ってしまっていた。
手を打つのならば、一刻も早くしなければならない。
しかし――
「どうやって、シャノルが私から王子を奪えるんだろ……?」
ふと思う。
プレイヤーとしては信じがたいことだが、エレクシアは王子と仲が良かった。
物語の中では冷え切ったビジネスライクな関係のように描かれていたが、そのようなことは全くない。
普通にお食事もするし、二人きりのデートとかも結構楽しんでいたのだ。
幼い頃にはいくつかロマンスっぽいイベントもあったし、普通にヒロインしてる。
関係が破たんしそうな気配はほとんどなかった。
第二王子の権力基盤は盤石とはいいがたい。
母親は側室で、男爵家の出身。
兄の第一王子は優秀な上に、王妃の産んだ第三王子も居る。
才能に恵まれていなければ、王族としての身分すら危うかったぐらいだ。
そこをフランティーネ公爵家と結びつくことにより、どうにか王弟として大公になる道が開けてきたのである。
純粋な力関係で言えば、王国随一の名門フランティーネ家の一人娘であるエレクシアの方が、王子よりも上なぐらいだ。
彼にとってエレクシアとの関係は、政治的に考えても絶対に死守したいはずなのである。
さらに言うと――王子は大のおっぱい星人だ。
必死に隠していたが、胸が大きくなるにつれて視線がそこへ向くようになってきたから分かる。
シャノルはぺったんこのお子様体型なので、その意味でも靡くとは考えにくい。
「考えれば考えるほど……うーん」
ふうっとため息を漏らすと、ベッドに横たわる。
いろいろ考えすぎて、私はすっかり疲れてしまっていた。
もともと、前世の記憶がよみがえって丸一日熱を出していた身である。
そろそろいい時間だし、寝た方がいいかもしれない。
「今日は休むとしますか――」
「失礼します! エレクシアさま、おられますか?」
扉を叩き、女子生徒が声を響かせる。
この声は確か、クラスメイトのリリスだったか。
物語ではエレクシアの取り巻きを務める少女である。
「どうしたの?」
「殿下が……その……シャノル・リークスローと裏庭で……」
声を詰まらせるリリス。
そういえば、今日は夜の散歩イベントの日だったか。
流星雨が降り注ぐ夜。
こっそり星空を見に来ていたシャノルと、寝込んだエレクシアの見舞いから帰る途中だった王子が偶然出会い、共に裏庭を散策するという何ともロマンチックなイベントだ。
ストーカーのようであまりやりたくはないけど……ひとまず様子を見てみるか。
やれやれと肩をすくめると、首を回しながら起き上がる。
「ありがとう。少し、見に行ってみますわ」
「ああ、はい」
「あなたは部屋に戻りなさい。この時間は本来、外出禁止でしてよ」
リリスを下がらせると、そのまま裏庭へと向かう。
すると案の定、王子とシャノルが寄り添うようにして歩いていた。
まだまだ距離感がぎこちないが、雰囲気は完璧に恋人同士のそれである。
いったい何をどうしたら、こうなるのか。
ついさっきまで「大丈夫かい、エレクシア」とか言っていたのに。
私は半ばあきれつつも、草陰から二人を見守る。
「では、僕はそろそろ失礼しよう。あんまり外に出ていると、寮母さんに怪しまれちゃうからね」
「そうですか。名残惜しいですけど、仕方ないですね。じゃあ、また明日!」
「ああ! 今度はもっと一緒に過ごせるといいね!」
手を振りながら、颯爽と去っていく王子。
その背中を、シャノルはうっとりとした顔で見送った。
軽く背伸びをしたその姿は、まさに恋する乙女そのものだ。
さすが正統派ヒロイン。
ヒロイン力が半端ではない。
「さて、と」
王子が居なくなったところで、シャノルは軽く首を回した。
彼女はふうっと息をつくと、周囲を見渡して言う。
「王子のせいですっかり遅れちゃった。早くしないと、お腹ペコペコだわ」
もしかして、夕食をまだ食べていないのだろうか?
私がそう思っていると、シャノルは何故か食堂や女子寮とは反対方向へと歩いて行った。
学園の裏に広がる森に向かって、ずんずんと突き進んでいく。
まさか、森の野草とかを食べちゃうの? お腹空いてるから?
シャノルの家は貴族とは思えないほど貧乏だが、流石にちょっとワイルドすぎる気がした。
「ぬッ!?」
思わず、声が漏れてしまった。
森に入ったシャノルは、木陰から女子生徒の身体を引っ張り出したのだ。
女子生徒は全身をロープでがんじがらめにされていて、口には声を出せないように猿ぐつわがはめられている。
あれは、リーフ・ヴィノースだろうか。
身動きが取れずもがく女子生徒の顔に、私は見覚えがあった。
物語では、エレクトラに虐められて学園から逃げ出したとされる生徒である。
まさか――何とはなしに、嫌な予感がした。
「んッ! んんッ!!」
「安心しなさい。痛くはない」
そういうや否や、手をスウッと持ち上げるシャノル。
その指先から、たちまち紅い光が放たれた。
光は空中で綾を為し、瞬く間に複雑怪奇な魔法陣を描き出していく。
二重、三重、四重……最終的に、五つの魔法陣が重なり合った。
五重魔法陣。
宮廷魔導師でも不可能とされる、超高等技術だ。
「あぐァッ!!」
魔法陣から放たれた光が、リーフの体を捉えた。
彼女の体は光り輝き、粘土細工のように姿を変えていく。
その質量は次第に小さくなり、一点に収束していった。
そして数十秒後。
リーフの立っていた場所には、親指ほどの大きさの結晶体だけが残される。
「この程度か。所詮、弱き魂よね」
シャノルは赤い結晶を摘まむと、あろうことか――食べた。
口の中に含み、飴玉のように舌の上で転がしている。
その表情は恍惚としていて、幸福感に満ち溢れていた。
やがて結晶がすっかりなくなったところで、シャノルは腹をさすりながら言う。
「ふう。まったく、不便なものね。早くこの国を手に入れて、完全な肉体を完成させなきゃ」
「いッ……!」
化け物だ。
この子、完全に人間じゃない……!
恐怖で身がすくみ、足が動かない。
全身が金属にでもなってしまったかのようだ。
私はその場で、情けない声を小さく漏らすことしかできなかった。
考えてみれば、ドラゴンルージュは不思議なゲームだった。
プレイヤーのキャラであるヒロインの情報が、徹底的に隠されていたのだ。
『けなげで頑張り屋の没落貴族』というのも、すべて他者からの評価。
ヒロイン自身が己の身の上を語ったことは一度としてない。
「でもこれって……!?」
「あら、エレクトラ様もいらしてたんだ」
「ひィッ!?」
気づかれた!
シャノルはゆっくりとこちらに近づいてくると、立ち上がれない私を見下ろした。
虚ろで、光のない眼。
人間のものにしてはあまりにも寒々としたそれに、背筋が凍る。
私は、ここで死ぬんだろうか。
死神が私の手を掴んだような気さえした。
「情けないですね。そんなに私が怖いですか?」
「あ、当り前よ……!」
「ふふふ、良いお顔です。私、人間が恐怖におびえる顔が好きなんですよね。特にあなたみたいな、身分が高くて何でもできると思っているゴミが泣き叫ぶところなんて、最高です」
侮蔑。
彼女は私のことを、同じ生物としてすら見ていないようだった。
身分の高低という問題ではない。
完全に別種のものとして認識してしまっている。
「な、何者……!!」
「ただの平凡な没落貴族ですよ。平凡な、ね」
「わ、私をどうするつもり? こ、殺すの……!」
「そうですねえ……」
シャノルは顎に手を押し当てると、愉しげに眼を細めた。
――今日のお夕飯は何にしようか。
そんな、他愛もないことでも考えているかのようである。
やがて彼女は軽く息を吐くと、告げる。
「第二王子って、あなたの婚約者でしたよね?」
「え、ええ……」
「だったら、あなたは生きてくださいな。私が王子を奪って、今よりももっと絶望させてあげますから。まあ、何にもしないで居られてもつまらないので、せいぜい抵抗してください。権力でも何でも総動員して、ね?」
そういうと、カラカラと嗤うシャノル。
今ここに、私とシャノルの壮絶な戦いが始まった。
『正義』の令嬢と、悪のヒロインの戦いが――。
――ドラゴンルージュ2
それは一言で言うならば「プレイしたら後悔するゲーム」である。
前作主人公の完全悪役化。
それに伴う悪役令嬢の正ヒロイン化は、俗にルージュ事変と呼ばれる大炎上事件を起こしたのだった――。
頭の中のカオス度が高まりすぎてました、ちょっと反省してます。
こっちも細々と更新してます、もしよろしければどうぞ
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