6、小さな王の帰還
6、小さな王の帰還
ドラゴンは3つ並んだドアの内の、一番左の金属製のものを手で指し示した。
「帰り道はあっちだよ。中に入ったら梯子があるから」
「なぁ。」
ドラゴンの言葉を遮り、ディーパスは気になっていた事を尋ねた。
「最後の壁の、合言葉、とは、何のことだ?」
「あぁ、あれ?」
ドラゴンは、遠く想いを馳せるように、目を細めた。
「あれはねぇ、ラキアリータの言葉だよ。彼が最初に僕のところに来た時にさ、僕、言ったんだ。」
―――ここは地獄だ。人間よ、恐れ戦け!
「ってね。そしたら彼、何て言ったと思う?」
尋ねておきながら答えは期待していなかったらしい。ドラゴンは親指を胸に突き立てて、声色を熱血漢風に変えた。
「ヂィアーズ ノド ボヂェンディア エルジュアド ズヌ ヂィアージズ!」
「それは・・・!」
「『恐れるものなど何もない。何故ならここが楽園だから!』ってさぁ! 僕を目の前に胸を張って、そう言ったんだよ! 僕さぁ、もうびっくりしちゃって! あっはははははっ!」
あ、ごめん。そう言ってドラゴンは自分を落ち着かせた。
ラキアリータ・ハーのその言葉を、食前の挨拶にしたのは、第48代目の国王であったらしい。彼もまた伝統のためにここへ来て、ドラゴンと契約を結び、この“3つの試練”のシステムを作り出した。後の王が伝統に苦しめられた時のために、と。最後の合言葉を食前の挨拶にしたのは、風化を防ぐためだったのだ。
そこまで聞いて、ディーパスはやっと得心がいった。
(なるほどな。それで、あの2行目か。)
――兵糧無き軍隊に勝利無し――
もう少し親切なヒントをくれても良いだろうに、とディーパスは肩を竦めた。
「さ、もう他に質問は無い?」
ドラゴンの確認に、ディーパスは少しだけ、
(彼の名前を聞きたいな)
と思ったのだが、迷って黙ってしまった数瞬の内にタイミングを失い、ドラゴンに話を進められてしまった。
「それじゃ、長居は無用だよ。あの扉の中の梯子を登って、行き着くところまで行くんだ。で、思いっきり天井を押し開ける。そしたら、すぐそこが王城だ。―――で、まぁ、お約束なんだけど、扉をくぐってから城に着くまでの間は、絶対に振り返っちゃいけないよ。振り返ったら、二度と戻れなくなるからね。いいかい?」
ディーパスは深く首肯した。
「さぁそれじゃあ、行こう。」
ドラゴンは何故か焦っているようで、自ら扉を引き開けた。ディーパスもつられて早足になり、ドラゴンに近寄った。
「3つの試練は継続でいい?」
「あぁ、これからも頼む。」
「了解。じゃあ、頑張ってね。」
扉をくぐる直前、ディーパスはドラゴンに向き直り、銀の瞳を真っ直ぐに見据えた。太陽と言えば金色であるはずなのに、やはり太陽を連想した。
「色々ありがとうな。また何かあったら、よろしく頼む。もしもこの先 私の子孫が来ることがあったら、よろしく伝えておいてくれ。」
「うん、分かった。」
「本当にありがとう。」
「どういたしまして。さ、もういいから、お行きよ。」
柔らかく微笑むドラゴンに背中を押され、ディーパスはそこはかとない名残惜しさを振り払い、扉をくぐった。
入るとすぐに、背後で扉が閉まった。その音に驚いたディーパスは咄嗟に振り返りそうになり、慌てて押し止める。
かなり狭い。
入ったことはないが、煙突の中とはきっとこんな感じなのだろう、と思った。
梯子に手をかけ―――そこで気が付き、また振り返りそうになった。
(腕が治ってる?!)
痛みや傷痕など何もない。破れた服と固まった血だけが、そこには確かに怪我があったことを証明している。
そういえば、今更だが、ドラゴンと話している最中は何の痛みも無かった。
(一体、いつからだ・・・?)
パンを食べ終わった時には、もう痛くなかったような気がする。
(彼がやってくれたのだろうか。あぁ、きっとそうなのだろう。)
ディーパスは怪我の箇所を押さえ、目を瞑り、感謝が彼へ伝わるようにと念じてから、梯子を登り始めた。
ただひたすらに登りながら、ディーパスは考えていた。いや、本当は何も考えていなかったのかもしれない。それほどとりとめなく、あらゆる事を入れ替わり立ち替わり反芻していた。
結論が出ない内に違うことを考え始めるから、余計にわけが分からなくなり、なのに違うことを考えている内に、元のことの結論が見つかったりして、彼はいよいよ混乱するのであった。
しばらくすると、天井に行き着いた。
言われた通り、そこに手を当てて思いきり押し上げる。
(くっ、そっ、重、たい、な・・・っ!)
「よ・・・い、しょおっ!」
気合いを入れて押し、どうにかしてそれが持ち上がって、目映い光が射し込んできた―――――瞬間、重力が反転した。
「うえっ? ・・・あああああああっ?!」
頭上に開いた穴に落ちていく。
逆さまになり、くるくると回転する視界の中に、空の青が見えて、城が見えて、次の瞬間に緑と黒に塗り潰された。
ガサササササッ、ガサッ!
葉擦れの音が身体中を切りつけ、次いで衝撃に襲われた。
「いっ・・・だぁあ~・・・・・・。」
腰を強かに打ち付けて、ディーパスは芝生の上でのたうち回った。最後の最後までこんなトラップじみたことに苦しめられるとは。まったく、油断ならないことである。
ディーパスは溜め息をついて、芝生に寝転がった。
ここは裏庭だろう。緩やかに吹く風に運ばれ、盛りを迎える金木犀の花が芳しい。
金色の太陽が真上で強く輝いている。洞窟の薄闇に慣れたディーパスの目には、それはあまりにも眩しくて、右手を翳した。
刺青。
ラキアリータ・ハーと同じ刺青。
国章をその身に刻まれて、ディーパスは生まれ変わったような感覚に浸っていた。
「―――陛下っ?!」
ひどく憔悴した声がディーパスを呼んだ。
自分がいない間に何か重大なことが起きたのだろうか。ディーパスは素早く起き上がり、駆け寄ってくる侍従を迎えた。
「どうした、何か―――」
「ご無事でしたか陛下! 一体、3日間も、あなた様は一体どちらへ?!」
「は?」
ディーパスは耳を疑った。
「・・・3日間?」
「ええ、そうですよ!」
侍従は安堵のあまり、心配を怒りに変えて、勢い言い募った。
「3日前に寝室から忽然と姿を消された時は心臓が止まるかと思いましたよ! そのあと東の洞窟へ行ったことが分かり馬を保護しましたが、洞窟はどれだけ調べてもただの空洞でしたし、陛下はどこにもいらっしゃいませんでしたし、一体どこへ行ってしまったのだろうかと、よもや拐われてしまったのではないかと、本当に本当に本当に、肝を冷やしたのですから!」
情けなく顔を歪めた侍従に泣きそうな声で責め立てられ、ディーパスはよく分からないながらに申し訳なくなり、素直に頭を下げた。
「すまない、心配かけたな。この通り私は無事だ。だから安心してくれ。」
「陛下・・・―――――って、ちょっ、陛下?! 腕に血が!」
「あぁこれは」
「何が無事ですか! お怪我をなさってるじゃありませんか!」
「もう治って」
「あぁもう、早くこちらへいらしてください! あ、君、医者を呼んでくれ! それから騎士団に伝達を頼む! 君は陛下のお着替えを用意して―――」
矢継ぎ早の指示に、王宮が慌ただしく動き出す。
あっと言う間もなくディーパスは、医者の診察を受けさせられ、風呂に入らされ、食事を断ったら即座に寝室へと放り込まれてしまった。
(まだ日は高いと言うのに・・・参ったな。)
すっかり洗われた髪を掻く。
ベッド脇の小さなテーブル上に、王家の歴史書が乗せられていた。あの朝に見ていたものだ。
「3日前、か・・・信じられんな。」
あの洞窟の中は時間の流れが違うのかもしれない。そう思うと、やけに急いていたドラゴンの態度にも説明がつく。あの場所での1時間が、こちらでの1日になるのなら、確かに長居は無用だ。
ディーパスは右手を書の上に置き、2つの国章を重ね合わせた。
「―――ヂィアーズ ノド ボヂェンディア エルジュアド ズヌ ヂィアージズ・・・・・・恐れるものなど何もない。何故ならここが、楽園だから―――」
まさに、その通りだ。
自然と微笑が浮かんでくる。
ベッドに寝転ぶと、想いほど身体は強くなく、彼は雲に埋もれて楽園をたゆたう天使のように、眠りへと落ちていったのだった。
その後―――
宰相ホーネットには、遂に弟子がついた。
ディーパスが何日も何週も何ヶ月もかけて、説得に成功したからである。(もちろん、勝手に罷免しない、という条件付きで。)
宰相が承諾したのを見計らったように、王国に1人の若者が現れた。
長くあちこちを旅してきたらしい。そのため頭のキレが良く、知識が豊富で、国家の仕組みにも詳しかった。
そして何より、不遜なほど堂々とした物言いと、慎重かつ綿密な考え方、目的のためには手段を選ばない精神が、ホーネットに気に入られたのである。
彼はホーネットの死後を見事に後継し、王国のために全霊を尽くしたのだった。
ディーパスの身長は、この事件を境にぴたりと伸びなくなった。
彼を毎晩 悩ませていた成長痛も、きれいさっぱり消えてなくなった。
以来、何度 測ろうと、どれだけ寝ようと、157センチちょうどを保って1ミリたりとも上下しないのである。
当然、人々は怪しみ不思議がり、失踪した3日間に何かがあったに違いないと疑った。
しかしディーパスは決して、この3日間のことを話そうとしなかった。誰がどれだけ問い詰めようとも、
「今はまだ話せない。」
「時期が来たら話す。」
とだけ繰り返し、そうこうしている内に、失踪事件は下火になっていった。
残ったのは、ディーパスの右手に刻まれた刺青だけ。
国章の由来を知る者たちは、密かにディーパスを『建国の英雄の再来』と呼び、空白の3日間を勝手に想像していた。
曰く、ラキアリータ・ハーに封印されたドラゴンが復讐のために復活し、国を守るため死闘を制してきたのだ、と。
そうしてここに、新たな伝説が誕生したのであった。