4、犠牲の二者択一
4、犠牲の二者択一
――――――はっ、と目を開けると、ディーパスは、明るく広い空間に立っていた。
松明が無いのにどうして明るいのだろう。
真っ先に思ったディーパスの疑問は、しかし解けることはなかった。
それより前に、底抜けに明るい声が耳朶を打ったからである。
「「よ~うこそ~、第3の試練へ~!」」
イェーイ、パチパチパチパチ・・・
隙間だらけの少ない拍手が虚しく鳴って、空回りにも程がある調子で歓声が上がった。
振り返る。
2匹の小鬼―――或いは、2人の小人―――そんなような者たちが、顔中に笑みを貼り付け、谷を背に立っている。赤鬼と青鬼。かなり小さい。ディーパスよりも更に半分ほどの背丈しか無いようだ。
地面は鬼の背後で途切れて、その先はもちろん、彼らの頭上までもが暗く沈んでいる。地面に照明があるような、それか、地面が直接光っているような、不思議な光加減だ。
「はっは~。いや~、第2の試練はー、ギ~リギリだったね~。」
「良くできました~、良くできました~! あっはは~。」
馬鹿にされているような口調に、ディーパスは眉をひそめる。―――何なのだコイツらは?
2人はディーパスなど歯牙にも掛けず、
「それでは~、」
「第3の試練に~、」
「「れっつ、ちゃーれ~んじっ!」」
と、同時に短い指先を弾いた。
ぱぁっ、とライトアップされたように急激に天井が明るくなって、ディーパスは目を瞑る。
人の目は突然の暗さより突然の明るさに慣れる方が早い。ディーパスの眩んだ視界も例に漏れず、すぐ元通りになった。
瞬きをしながら、ゆっくりと目を開いたディーパス。
次の瞬間。
あまりの驚きに顎が落ちた。
ナンダコレハ。
信じられない。
どうして――――――どうして、妹と宰相が、それぞれ縄で縛られて宙に浮かんでいる?
「はっはは~! 第3の試練は~、」
「名付けてー、“犠牲の二者択一”~!」
「君はどーっちを選ぶのかなぁ~? たーのしみだぁ~!」
2匹の小鬼が、はしゃぎながら剣を振り回す。その背後、地面に刺さった杭に縄がくくりつけてあり、それを目で追うと、一旦闇の中に途切れたが、どうやらディーパスの妹と宰相に繋がっているらしい。
つまり・・・あの縄を切れば、2人は落ちてしまうと言うことか。
下はっ? 下はどうなっている? ディーパスは淵に駆け寄った。
「っ・・・!」
崩れた小石が転々と崖を行き、底に着いた音は聞こえなかった。それどころか、数メートルのところで光が敗北しているとは、何事だ?!
淵に爪先を掛けたまま、及び腰になるディーパス。
―――こんなところに落ちたら、ひとたまりもないじゃないか・・・!
宙で揺れる2人の人間。遠いので表情はよく見えないが、意識を失っているらしく、この状況にも呻き声ひとつ上げない。ミシリ、と縄が軋む音が聞こえるのは気の所為か・・・いや、やはり聞こえる。ホーネットの方だ。そういえば、最近肥満ぎみなようだと侍従たちが言っていたな―――と、そんなことを考えている場合ではない!
「早く助けないと―――」
「助けられるのはぁ~、1人だけ~だよっ!」
「―――・・・え?」
「だ~か~らぁ~、言ったでしょ~、“犠牲の二者択一”だぁって!」
気が付くと、まるでディーパスが逃げ出すのを防ぐかのように、小鬼が両脇を固めている。
不意に、脇の下から顎先へと、ヌラリと光る刃が突き付けられた。
息を飲むディーパスを、小鬼たちの言葉が突き落とした。いや、いっそ本当に突き落としてくれれば楽だったのだろうに。
「さぁ、選びなよ~!」
「選びなよ~!」
「「君はぁ、どっちを殺す~?」」
「殺っ―――」
―――す?
一言をも言い切れず、絶句する。
ディーパスの頭の中は真っ白になっていた。真っ黒かもしれない。とにかく何かに塗り潰されて、正常な思考回路が機能しなくなる。
それに追い討ちを掛けるように―――いや、実際、追い討ちなのだろう。
「宰相さんにしちゃえば~?」と、赤の小鬼。「正直さぁ、彼のこと嫌いでしょ~? 殺しちゃえばいーいじゃ~ん。君のお父様、殺したの彼なんじゃなーいのぉ~? ねぇ~。君の献立に手ぇ加えてるのも彼なんだし~、裏で色々と悪いこともやってるし~、あんな奴いない方がいいよ~。」
知ってるよね~? と、赤の小鬼が小首を傾げる。
「彼さぁ、助手つけてないじゃーん。あれね~、わざと後進を育ててないんだよ~。優秀な次官が出てきたら~、自分が切られるーって、怖がってるの~。自分が死んだ後のことなんかなぁーんにも、これっぽっちも考えてなぁいんだよ~? 酷ーいね~。・・・殺しちゃった方が、今後のためじゃなーい?」
いやいや、と青の小鬼。
「妹さんにしちゃいなよ~。あの子がいなくなれば~、宰相さんが生きていても~、君は政治に口出しできるよ~。実ー質、空位になるわけだし~。国のためにはそっちの方が、利益があるんじゃなーい? それにー、あの子に疑惑があるの、知ってるよね~?」
―――君とはお父様が違うんじゃないか~って―――
「君のお父様が死んだのが~、782日前~。あの子が生まれたのが~、332日前~。妊娠期間はぁ、普通はだいたい280日前後なんだけど~・・・あれれー、ちょぉっと、おかしくなぁい~? ね、あの子って本当に、君の妹さんなのかなぁ~。」
下卑た笑いが両側からディーパスを攻め立てる。
―――宰相が、後進を育てていないことには気付いていた。引き継ぎはどうするつもりだろう、万一の時にはどうすればいいのだろう、と思ってはいたが。
『貴方が死んだ時のために代わりを用意しておいてください。』
とは、さすがに言えなかった。
まぁ、言ったところで聞き入れてはもらえなかっただろうが・・・。それに、言ったら言ったでおそらく、あの慎重かつ悪賢い宰相のこと、ディーパスのことを疑いに疑って、ありもしない言葉の裏を勝手に読み取り(『というか代わり用意してさっさと死んでください。あ、いや、やっぱ死ななくてもいいです。どちらにせよ切るんで。』)、意固地になってしまうだろう。
だから何も出来ず、何もせず、見ない振りをしてきた。
しかし、そうだ。
早い内にどうにかしなければいけない。手を打たなければ。これ以上、彼に依存して、彼に全権を明け渡し、国が腐ってしまう前に。
守らなければ。そう、例え、どんな手を使ってでも―――
―――妹に掛けられている嫌疑については、とっくに知っていた。
侍従たちがまことしやかに噂し合っているのを、偶然耳にしたのだ。
もちろん、最初は信じてなどいなかった。噂は噂。根も葉もない下らないことだと、気にもしていなかった。
しかし、ディーパスはある時ふと思い立って、調べてみたのである。妊娠期間、母の交遊関係、妹の容姿―――――すると、初めて知るあらゆる事が、すべて裏目に出てしまったのだ。すべてが、ディーパスと妹との繋がりを半分否定した。
絶望した。
腹が立った。
何より、母の不貞に失望した。
父が亡くなった時のあの涙は演技だったのだろうか。私に向けるあの笑顔は嘘のものなのだろうか。
途端に、母が信じられなくなった。
種違いの妹に恨みはない。噂は噂。確たる証拠はない。
が、彼女が成長すれば、自分との違いはより明白になるだろう。そしてその存在が、母の裏切りを証明してしまうであれば―――
「さぁー、どうする~?」
思索に耽っていたディーパスの意識を、小鬼が引きずり起こした。
「殺しちゃいなよ~。」
「どっちにする~?」
「いなくなっちゃえば楽だよ~!」
「一息に選んじゃいなよ~!」
答えを急かされる。どうやら、あまり猶予はくれないらしい。
黙して答えずにいるディーパスに、痺れを切らしたのだろうか、小鬼たちはふと剣先を引いて、手の中でそれをくるりと回した。
「なんなら~、」
「自分で切り落とす~?」
「・・・・・・。」
ディーパスは唾を飲んだ。目の前に差し出された剣柄を見つめ、ゆっくりと、手を伸ばす。
柄は冷たく、掌に吸い付いてきた。
刃はディーパスの葛藤などには無関心に、鋭く光っている。そこに、やけに色を失った幼い顔が映り込んだ。
齢15歳の子供の顔。
父親譲りの黒い髪と緑の瞳。
―――そういえば、母上とはまったく違うんだな・・・。
今の今まで気が付かなかった。何も見ていなかったと、そういうことか。
思えば、自分は家族のことをどれだけ知っていると言うのだろう。国は家だ、国民は家族だと嘯きながら、本当に血を分けた人物数名のことすら、ろくに知らないでいるなんて。
「迷ってる~?」
「迷ってる~?」
「・・・あぁ、迷っている。」
「ちなみにぃ、りょーほー殺す、ってのもアリだよ~!」
「迷うなら、そうしちゃえば~?」
「・・・・・・そうか。そうだな。」
低く低く呟いて。
そこでディーパスは、掲げられたままにあったもう1本の剣も手中に収めた。視界の端に命綱を確認。あれくらいなら簡単に切り落とせるだろう。そして、2人は確実に命を落とすのだ。証拠も、目撃者も、何も残らないこの場所で。
ディーパスは、両手に握った2本の凶刃を頭上に振り上げて、
躊躇わず、
容赦なく、
無慈悲に、
――――――2本ともを谷底に投げ捨てた。
「えっ・・・。」
「えぇ~・・・。」
2匹の小鬼が度肝を抜かれたように吐息を漏らす。
突然の暴挙を為したディーパスは、剣が闇に飲まれたのを見届けると、振り返り、小鬼たちを見下ろした。
「叱る時は、相手のためを思わなくてはいけない。自分の不快を取り除くために怒るのは、筋違いの行為だから。」
「「・・・え?」」
「褒める時は、自分の本心を告げなくてはいけない。薄っぺらな称賛は、相手を傷つけるだけだから。―――助ける時は、常に自分のためだけに動かなくてはいけない。結果がどうなろうと、責任は自分にあると言うためだ。そして―――」
「―――見捨てる時は、相手を理由にしてはいけない。見捨てなければならなくなった自分の弱さを自覚し、二度と繰り返さないためだ。」
ディーパスは言った。
すべて父親の受け売りだったが、紛うことなき本心であった。
「私は、妹のことも、宰相のことも、ある程度までは理解している。それでも、何の手も打ってこなかったのは、確かに私の怠慢だ。だけど・・・いや、だからこそ、」
小鬼たちを真正面に見据え、顎を引き、ディーパスははっきりと言い放った。
「殺すことなんて出来ない。今、彼らのどちらかでも殺してしまったら、それは、彼らに理由を押し付け、彼らを見捨てたことになる。」
小鬼たちはしばし、ぽかんと口を開けてディーパスを見上げていた。それから、互いの顔を見合わせ、再びぽかんとする。
そうしてから、不意に、
「「あっはっはっはっはっはっはぁ~っ!」」
「あ~、面白い!」
「おもしろい~!」
「そうかぁ~、君はそう言うんだ~あははっ!」
「あはははっ、まだまだ、子供だねぇ~!」
「「あはははははははは~っ!」」
馬鹿にされている。どう見ても、馬鹿にされているとしか思えない。そんなに面白いこと言っただろうかと、ディーパスは不服ぎみである。
爆笑をようやく収めた小鬼たちは涙を拭い、言った。
「あ~、面白いっ!」
「でもね~、甘いっ!」
「「二兎を追う者は一兎も得ず~、だよ!」」
瞬間、地面が無くなった。
―――え、は? 地面が・・・消えた?
滞空時間は一瞬。体内で臓器が持ち上がり、叫び声を上げろと肺が収縮する。両手両足が空を切り、体勢が崩れる。
「ひうっ、わあ、あぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!」
谷底へと吸い込まれ、意識までもが遠退いていく中で、ディーパスは確かに聞いた。
―――二者択一、どうしてもしなきゃいけない時は、必ずやってくるよ。
―――二者択一、しなきゃ全滅することになる時って、必ずあるよ。
―――ちゃ~んと、考えておきなよ、国王さま。