2、吊り橋と決断力
2、吊り橋と決断力
「ここだ・・・。」
山の中腹に、洞窟は黒々と口を開いていた。
馬の手綱を適当な木立にくくりつける。一応、何が起きても大丈夫なように、動ける範囲を大きめに取ってやった。
(“何が”起きては困るのだが、な。)
苦笑。
それから、ディーパスは表情を引き締め、入り口に向き直った。
肩から斜めに小さな背嚢を背負い、左の腰には剣。パンと松明、マッチ、ウイスキーの小瓶、縄、短剣―――――所持品はその程度のものである。残念ながら、盾は大きすぎて持ち出せなかった。
もう一度、深呼吸。
「よしっ!」
もちろん恐怖はあるが、それ以上にやる気がある。ドラゴンと戦うことになるかも知れないが、もしそうなったら逃げ出そう、などと甘く考えていた。
洞窟へと歩を進める。
怪物の胃の中へ飛び込む。
1歩踏み込み、2歩目を踏んだ時にはもう、背後から射し込んでいた光が遠退いて、暗闇がディーパスを包んだ。
肌にひたりと冷たい空気が寄り添う。冬場に濡れた服を纏ったかのようだ。震えながら鳥肌を立たせる。
ディーパスは背嚢を前に持ってきて、中から松明とウイスキーの小瓶を探り出した。
栓を抜き、松明の先にウイスキーをかける。
持ち手の部分を喰わえながら、小瓶とマッチとを入れ替え、慣れない手付きでマッチを擦る。
カシッ
カシッ
湿気ているのか、ただ擦れる音が響くだけで、上手く点かない。
(速・く・点・けっ!)
ガジッ
「むぅっ!」
苛立ちのままにマッチを振り下ろすと、角度が悪かったのだろう、中程から2つに折れて闇に飲まれた。
「ぬぁ~~~・・・。」
歯の隙間から唸り声を上げる。
(待て待て、落ち着け。マッチごときに手こずってどうする。)
別に時間制限があるわけではないのだから、ゆっくりやればいいのだ。
(せーのっ)
カシュッ
シュボゥ・・・
無事に点いた途端、安堵が身体中に広がった。自分で意識しているより緊張しているのかも知れない。
指先が燃え出す前に松明に火を移す。
口から外して掲げると、光が四方に勢力を伸ばしたが、数メートル先で暗闇に負けて途切れた。
(かなり広いな・・・。)
とりあえず進む。
前後左右はもちろん、反響音からして天井も高いらしい。
しばらく歩くと、壁に行き着いた。
その冷たい岩肌の、ちょうど目線が当たる辺りに、文字が彫られていた。少し古い字形と文体だが、どうにか読める。おそらく200年前くらいの物だろう。
「・・・ええと・・・【我らが末裔が再び力を求めんとする時、その意志が誠のものであるなら、道はその前に開かれるであろう。―――」
文字を象る細い溝を、なぞりながら読む。
「―――道を行き、3つの試練に挑むのならば、言葉に示せ。汝の意志を、己の覚悟を、国王としての立場のために、命すら顧みぬ愚かさを。】・・・―――・・・・・・命?」
ディーパスは思いっ切り眉をひそめた。
“3つの試練”というのも気になる。一体、何が待ち受けていると言うのだろう?
(しっかし、命、か・・・。)
逡巡は不可抗力。
事前にこうして警告してくれるだけ、ありがたいのかも知れないが・・・ディーパスは嘆息した。
『それでも行かなければならない』と主張するのは、あくまで立場上の義務感であり、本心はというと、そこまでの理由は無いように思う。
しかし、自分の立場に則した行いは、自分の生き様であり信念であり、『国王としての行動』に徹することが即ち、自分を確立させることでもあるような気もする。
ディーパスは、氷のような岩壁に手を付き、額を押し当てた。冷気がダイレクトに脳へと浸透し、考えを研ぎ澄まさせる。
生まれた時から王家の者なのだから。王は私、私は王。
「私は・・・」
自然に、言葉が流れ出た。
「私は、命が惜しい。だから此処へ来た。無駄に散るつもりは無い。絶対に死なずに帰り、私は、私の、国を守る。」
――――――ズンッ
壁が強く震え、ディーパスは慌てて飛び退いた。
腹の底に響く轟音を立てて洞窟が鳴き喚き―――道が開く。
砂ぼこりが濛濛と立ち上る。
それが収まった時、ディーパスの目の前には、人1人がようやく通れるほどの通路が開いていた。
「おぉ・・・。」
凄い仕掛けだ、とディーパスは暢気にも感心した。
先に松明で中を覗き見る。
下りの階段。底は見えない。
(これは、認められた、ってことか。)
唾を飲み込んで、一段目に足を掛ける。
500を超えたところで、段を数えるのを止めた。意味が見えないし、気が滅入る。
(上りじゃなくて良かった・・・。)
と、だるくなり始めた太ももを摩りながら思った。
それからもさらに無心に下り続けて、どれほど経っただろうか。
ようやく段差が消えた。底に辿り着いたようだ。大きな吐息が漏れる。微かに出た声が大袈裟に反響した。
かなり開けた場所のようだ。
(水の音がするな・・・。)
地下水でも通っているのだろうか。小さいながらも、激流であることを思わせる音が聞こえている。
ふと横を見ると、壁に溝が掘られていて、松明の光を照り返していた。左右両側に同じようにある。
近づいてみると、鼻につく匂いに気付いた。
(―――油か。)
ディーパスは、松明の炎をその両方に流し込んだ。
ゴウッ
音を立てて炎が疾走する。壁に沿って湾曲して進み――――――どこまで行くんだ?
炎は対岸まで行き、空間全体を仄かに照らした。
そこで知る。
「吊り橋・・・?」
ドーム状の空間。
吊り橋で繋がれた広い谷。
向こう側に続きの道と思しき黒い穴が見える。
ディーパスが今 立っているのは、半径5メートルほどの半円を描く岩場で、その先は断崖絶壁になっていた。
及び腰になりつつ下を覗く。
水の音の正体は、谷底を流れる川だった。糸の束のように見えるのは高さの所為だろう。白いのは水しぶきか。
(落ちたらひとたまりもないな・・・。)
足がすくむのでこれ以上は見ない。
「さて、と。」
困ったなぁ―――ディーパスは頭を掻いた。
向こう側へ行くには吊り橋を渡るしかない。他に道は見当たらない。
しかし、この吊り橋――――――如何せん、古すぎる。
木の板はボロボロで、腐っている物もあれば割れている物もあり、とても人間1人を支えられるほどの強度があるようには見えない。足を乗せた瞬間、崩れてしまいそうだ。
板を繋ぐ縄もまた然り。細くなっていたり、変色していたり、千切れていたりと、まったく信用ならない。
(命を顧みぬ、とは、こういうことか。)
確かに、この吊り橋を渡る者など、命知らず以外の何者でもない。
「どうしようか。」
選択肢は2つ。
1、勇気を出して渡る(勇気でどうにかなるようなものでは無い気もするが・・・。)
2、来た道を戻って帰る(下るのもキツかったほど長い階段を、今度は上るのか・・・。)
「・・・何か、どっちも嫌だな。」
ディーパスは思わず本音を呟いた。
――――――瞬間、足元が揺れた。
「うわっ、と。」
よろけながらもどうにか体勢を整える。
地面は小さく揺れ続けている。
そして、ボチャンッ、バチャンッ、と、何かが水に落ちる音がしている。
「一体、何が落ちて・・・――――――っ!!」
音の正体に気付いた瞬間、ディーパスの心臓は3分の1くらいに縮まった。
(足場が崩れている?!)
それはまるで、ディーパスを追い込むように。
半円状の岩場が外側から崩れ落ちていっている。
このまま立ち往生していたら、確実に足場と一緒に谷底行きだ。それを避けるには―――前か後ろに、進むしかない。
(どうする? どうする?! 前か後ろか、どちらに進めば・・・・・・)
迷えば迷うほど足場が消えていく。決断しなければならない。国王としての命(前に進む)か、自分の生命(後ろに進む)か、どちらを取るのか。
―――その時、ふ、と、ディーパスは父の言葉を思い出した。
『前へ行くのが“進む”、後ろへ退くのが“逃げる”だ。逃げるべき時は潔く後ろへ退け。だが、進まねばならぬと思ったら―――』
そして、走り出す。
「うおおおおおあああああああっ!!」
(―――迷わず、前へ行け!)
やはり古すぎた板は、ディーパスの足が触れるごとに割れて落ちていく。
割れるより速く
落ちるより速く!
崩れるより速く!!
ディーパスは一瞬たりとも迷わず、怯えず、走り抜ける。
(あと少し・・・行けるっ!)
何だ行けるじゃないか、と安堵に目を輝かせたその時。
「―――っ?!」
ガクンッ
と、吊り橋全体が傾いた。さっきまでディーパスがいた足場が完全に崩れたのだ。それに引っ張られて、吊り橋も斜めに落ちていく。
(あ・・・やばい?)
バランスを崩す。足が板を踏み抜く。
「っ、死んで・・・たまるかぁああああああああああ~っ!」
ディーパスは吠えた。喉も裂けよとばかりに。声で飛ばんとするように。・・・最後の方は、ただの悲鳴にしか聞こえなかったが。
――――――ドボン
水柱が立った。無慈悲な激流が何もかもを飲み込む。