1、小さな王の悩み
1、小さな王の悩み
ところ狭しと並べられた豪奢な夕飯を前に、第92代目国王ディーパス・エルシャードは尋ねた。
「・・・宰相か?」
尋ねられた侍従は目をそらし、yesともnoともつかない調子で唸った。
その態度に、ディーパスは確信する。今日の献立にも、宰相が手を入れたのか、と――――――まぁ、聞かずとも分かっていたが。
野菜のミルク煮、小魚の丸揚げ、胡麻入りのパン、海草のスープ、etc,etc...
『カルシウム満点』と銘打たれる食材ばかりで形作られた夕食に、ディーパスは堪えきれず溜め息を溢した。
機嫌を損ねた、と思ったのだろう。侍従が慌て出した。
「あっ、あのっ、申し訳ありません陛下っ、すぐに、すぐに作り直させましょう!」
「いや、いい。すまんな、気にするな。」
ディーパスは嘆息してしまった自分を恥じるように微笑し、自ら席に着いた。
「皆がせっかく作ってくれたのだ。それを食べないなど、勿体無くてバチが当たる。」
「はぁ、そうですか・・・。」
別に不味い物を食わされるわけではないのだから、と自分を納得させる。少々 栄養過多なだけだ。そう、ただそれだけのこと。
ディーパスは胸の前で十字を切り、両手を合わせて唱える。
「―――ヂィアーズ ノド ボヂェンディア エルジュアド ズヌ ヂィアージズ―――」
王家に伝わる食前の挨拶。古代の祈りであるらしいが、意味は知らない。くぐもっていて発しにくい音も、15年間1日3回、欠かさず唱え続けていれば、嫌でも慣れる。
いつもの習慣を行うと、ささくれた心が少しだけ落ち着くのを感じた。
エルシャード王国の10代の平均身長は、男子で168センチ、女子で159センチ。
そして、御年15歳を数える国王ディーパス・エルシャードの身長は現在、156.3センチだった。
小さいことについて悩んだりはしない。むしろ王様にとっては有り難かった。
(あと、0.7センチ・・・。)
それ以上伸びてしまえば、即座に退位させられてしまう。ディーパスは寝台の上で、成長痛に軋む身体を縮めた。
『国王は157センチ以下の者に限る』―――これが、エルシャード王国の伝統だ。
先代の王、即ちディーパスの父は、終身156センチしかなく、2年前に原因不明の突然死を遂げるまで、玉座に着いていた。
(父上・・・貴方は、宰相ホーネットに殺されたのではありませんか?)
心の中で暗闇に問う。
返ってきたのは沈黙のみ。
ディーパスは寝返りを打って、掛け布団の下に潜り込んだ。
長く宰相を勤めている彼、ホーネットは、ディーパスが王位を退いてくれることを望んでいる。だから、ことあるごとに、カルシウムやビタミンの豊富な物を食べさせたりしてくるのだ。
しかし、今、自分が退位してはならない――――――ディーパスは布団の中で奥歯を噛み締めた。
(王権などどうでも良い。けれど、いま私が退位したら、妹が即位させられてしまう・・・・・・1年前に生まれたばかりの妹が。)
そうしたら、王とは名ばかり、宰相がすべての権限を握り、好き勝手やり出すことだろう。あぁ、きっとそうに違いない。
―――そうなったら、王国は終わりだ―――
ホーネットという男、頭は切れるし気は利くし、宰相としては頗る優秀だ。(だからこそ、完全犯罪を余裕でこなされ、たとえ気付けど処罰も罷免も出来ずにいるのだが・・・。)
しかし如何せん、民衆を下に見、蔑ろにする傾向があった。
ディーパスは幼いが、自分の意志はハッキリ主張し、決して譲らない。その所為で、幾度となく衝突してきた。煙たがられているのは承知の上。それでも、
(彼に国のすべてを任せてはならない・・・アレは、宰相としては良くとも、王としては駄目だ・・・・・・。)
彼を罷免してしまえば楽なのだ――――――しかし、それは出来ない。彼がいなくなったら、困ることが多々ある。何だかんだ言っても、彼は必要なのだ。
ならば、自分が王位を退かなければ良い――――――けれど、どうやって成長を止めるのだ? 157センチを越えてしまえば、問答無用で退位だ。157センチ以上の者が玉座に座ると、飢饉に天災、事件に事故、ありとあらゆる災いが生じる。これは迷信ではなく、事実だ。
(あぁ、寝たくない・・・寝たら、また背が伸びてしまう・・・どうしよう・・・・・・どうすれば良い? ・・・私は・・・・・・この、国を・・・・・・・・・)
布団という柔らかな腕に抱かれたディーパスは、自分の中身が泥沼に沈んでいくのを感じる。
ゆっくり、ゆっくり―――
やがて意識は思いに反し、ディーパスから思考を奪い去って、黒い海に消えていった。
◇
―――
―――――
――――――――・・・あれは、一体誰だろう?
父上・・・?
いや、違う。よく似ているけれど、あれは父上じゃない。
背の高い――180センチはあろうか――青年が、剣を片手に、盾を構え、数倍はありそうな全長のドラゴンと相対している。
火を盾で受け、じりじりと前進していく。
剣を振り、一枚一枚ウロコを剥がしていく。
そして―――
両者が咆哮し―――
―――――― 一塊になる
剣を胸に突き立てられたドラゴンは、火の代わりに血を吐き、輪郭を空気に溶かした。
瞬きの間に、ドラゴンの姿が、ひざまずく人間の姿に変わった。
青年が何かを言う。
言ったのは分かったが、意味はおろか、発音すら理解できない。
くぐもった音は、聞き慣れない異国の言葉として処理された。
ドラゴンが何かを言う。
何故かこちらは理解できた。
―――いいだろう。お前に力を与えてやる。代わりに、お前の身長を寄越せ。
青年が頷いた。
―――右手を出せ。
素直に差し出された青年の手を取り、ドラゴンはキスをするように口を近付ける。
次の瞬間、強い光が2人を包み、ディーパスの視界も塗り潰された。
黒い点が飛び交う目の前が、どうにか元通りになった時。
そこには、1人の小さな少年しかいなかった。
少年は驚いたように辺りを見回して、それから自分の手の甲を見下ろした。
刺青のように、不思議な紋様が走っている。
まじまじとそれを見詰めた少年は、その手を握り締め、振り返った。
心臓が跳び跳ねた。
もしや、彼は・・・―――――――――
―――――
―――
◇
パツンッ
と、伸びきった輪ゴムが弾け飛ぶように、ディーパスは目を覚ました。勢い上半身を起こす。
夜はまだ明けていないようで、辺りは暗く沈んでいる。
ディーパスは、心臓が飛び出てくるのを阻止するように、胸元を押さえて息を吸った。
(夢・・・? なんだ、今の夢は?)
汗が全身に纏わりついていて、気持ちが悪い。
いま見たばかりの夢を反芻する。どうしてだろうか、ほんの少しも欠くことなく、一部始終をまざまざと思い返せた。
父を思い出す顔立ちの、背の高い青年。
洞窟の中のドラゴン。
ドラゴンの言葉。
突然 小さくなった青年。
右手の刺青――――――
「あっ!」
ディーパスは声を上げてしまってから、口を押さえた。
それから、半ば転がり落ちるように寝台から下り、本棚に駆け寄る。
手探りでも求めている本の場所は簡単に分かった。なにせ、一番 分厚く、一番 豪華な装丁をなされている本、王家の歴史書なのだから。
重たいそれを苦労して引っ張り出し、寝台の上へ運ぶ。枕元のランプを点けると、表紙の、浮かび上がるように刻まれた紋様が、丸く照らし出された。
見た瞬間、ぼやけていた記憶の中の刺青の形が定まる。
(やはり・・・やはりあれは、国章だったか。)
エルシャード王家の紋章。ドラゴンと小人が向かい合い、真ん中に盾と剣とを挟んでいる。違いと言えば、上に王冠が有るか無しかという程度。
そして右手に刺青と来れば―――ディーパスは絨毯に膝を埋め、歴史書を夢中でめくった。
「――――――・・・やっぱり・・・!」
王国の始まり。初代国王ラキアリータ・ハー・エルシャード。周りの人々より頭1つ以上小さい、身長157センチ。王冠を被り、マントを羽織り、右手を高く掲げている。その手には黒い刺青が。
解説にもきちんと、『ラキアリータ・ハーの手の紋様を、そのまま国の紋章とした。』と明記されている。
(つまり、彼は、ラキアリータ・ハーだったということか?)
確かに、身一つでドラゴンと戦って勝ち、その実力で国を建てたという伝承はある。
(けれど、伝承では、身長は最初から小さかったと・・・)
『代わりに、お前の身長を寄越せ。』
ドラゴンの言葉が蘇り、ディーパスはハッと目を見開いた。
(そうか! 『ドラゴンから身長と引き換えに力を得た』など、歴史書には書けないのだ! 『最初から小さかった、だからこそ国王になれた』でないと、伝統として認められない―――宰相や大臣が、好き勝手できない!)
だから伝承と夢とで食い違っているのか。そう考えると辻褄が合う。
夢が事実という確証は何処にも無いが、伝承だって真偽は定かでない。そしてディーパスは、宰相たちによって簡単に操作できてしまう伝承より、たとえ夢でも己が目で見た光景のほうが信用できた。
(・・・確かあの洞窟は、東の山の中にあったな。)
乾いた唇を丹念に嘗める。
ディーパスは、唐突に現れた打開策に、正直 興奮していた。
(もう一度、あのドラゴンに頼んで身長を取ってもらえれば―――)
―――退位せずに、済むかもしれない―――
ディーパスは目を閉じて深く深く息を吸い、細く吐ききってから目を開けた。
ランプの橙の光が、ラキアリータの勇姿を照らしている。
こちらを一瞥もしない凛とした横顔は、気高く、誇りに満ちていて、ディーパスの心を撃ち抜く。
国王たる者、方法があるなら決して諦めてはならないと教わってきた。どんなに小さな可能性でも、どんなに不確かな情報でも、信じて足掻けば何かが変わるかもしれない。
「・・・行こう。」
真っ赤に燃え滾る血潮に身を任せ、ディーパスは立ち上がった。
―――さぁ、冒険を始めよう―――
人知れず城を出て行く国王を導くように、東の山際から白い朝日が顔を出した。