31.頑なに固まったエンド③
車に乗り込もうとしていた僕の背後にいたのは、哲学 楓だった。
顔が見えた時、心臓が高鳴った。
「え…どうか…したのですか?」
相手は息を切らしているようだった。走ってここまで来たのだろう。
「ハアハア、あの月日頑固くん。さっき、まあくんが全部話してくれたんだ。ハアハア…それで…、
「…消えたのでしょう?」
「ハア、うん。消えちゃった。煙につつまれてあっと言う間に…」
十年前に見てもらえなかった掲示物。つまり「楓のお気に入りであるスナフキンの絵」を見てもらうために、スナフキンに似せたまあくんを作りだし、この世に具現化させた。
そして今日、僕は喫茶店の席から楓がまあくんを見つめていたのを視認した。
これが、重要だったということだろう。役目を果たした彼は静かに消えていったのだ。
「まあくんは、楓く…さんの弟ではないのですね」と僕は小声でつぶやいた。それを、聞いた相手が、
「え? 俺に弟はいないよ?」
「やっぱり、そうなのですね…」と床を見つめながら口に出す。それから、伏せ目がちの視線から顔を上げて、彼女を真正面で見た。先ほどのミディアムなヘアースタイルの髪は、後ろで束ねられてポニーテールになっていた。輪郭が露出していたおかげで確信した。十年前の記憶と合致したのだ。これは僕の妄想じゃあない。
本当の哲学 楓なのだ。
車を背に向けたまま、
「やる気は無いけれど、僕は今、嬉しい気持ちでいっぱいなんです。まさか、こんなところで出会えると思っていなかったんですから…」
言う。正直に、言う。それだけだった。
「やる気が…無くなっちゃった…の?」
一瞬、彼女の口が歯を食いしばるような形になっていた。なんだか苦虫を噛み潰したような表情をしてる気がする(やる気は無いが)。
「そうなんです。これは周りの環境が悪いのがいけないのです。そのせいで、僕はこんな「やる気」になってしまったんだと思います」
正直に話す。ただ、淡々と。
「…それは違うよ」
彼女は力強い眼差しで、吐き捨てるように、言葉を投げかけてきた。
「頑固くんは、なんにもわかってない大馬鹿野郎だよ。環境が悪いのは、頑固くんがいままで環境に対してなんにも手を打ってこなかった結果なんだよ。まるで、自分のやる気が「無」になったのは環境の責任だと言っているみたいに聞こえるね。格好悪いなあ。頑固くんは「やる気が無い」んじゃないと思う。やる気が無いのに、これまでどうやって人間として生活してきたんだよ。ご飯を食べるのにも、やる気が必要なのに、どうやって栄養補給するんだよ。きっと、頑固くんは無意識に嘘をついていると思う。だから、きっと頑固くんは「心が無い」んだと思う。いや、絶対にそうだ。プふプププププププあははははははははははははははははははははははあはあははあははははははは」
僕は笑われているらしかった。
「やる気か無いって、なにかをやるための「気」が無いってことなんだよ。だから、頑固くんは「心」が無いんだよ。プふふあはは」
僕はまだ笑われているらしかった。
「心が無い、と言われて、たしかに僕は、これまでの人生で心が有る行為をしてこなかったような気がします。それに、現在やる「気」を損失していますから」
「私が嫌いな人間を知っている?」
「はい。知っていますよ。楓く…さんは相変わらずみたいですね」
「答えてよ」
懐かしい。そう、思った。こんなことが以前にもあったような気がする(やる気は無いが)。思い込みの激しい彼女を怒らせる前兆。敵に詰め寄る。
僕はゴクリと唾を飲み込み、こう言った。
「心が無い人間が嫌いなんですよね」
はたして、僕は人間なのだろうか?
まだ、判然としないけれど。
次の彼女の行動によって理解した。
僕は。
右頬に鈍い痛みを生じた。人肌が接触した感覚より先に痛覚に刺激がはしった。たぶん、哲学楓がアッパーカットを繰り出したのだろう(顎ではなく頬に直撃した)。心が無い人間に容赦しないのは相変わらずで、頬に受けたダメージは深刻なものだった。
バン!
これは身体が宙に浮き、車にぶつかった音だ。痛覚があるということは僕は人間なのかもしれない。そう断定してもいいかもしれない。ただしその場合、楓が言った「心が無い」人間になるけれど。
「ふざけんな。頑固くんがやる「気」ないんじゃあ、俺は問答無用で、暴力をふるうしかないじゃん!だって何に対してもやる気が無いてことは、心が無いということなんだから‼ふざけんな‼ふざけんな‼ふざけんな‼あーもう‼」
僕の顔は赤い痣があちこちにできていることだろう。腹部にも鈍い痛みがある。いろんな箇所を殴られた。僕はやる気が無いので、無抵抗だった。車体のドアに背中を引っ付け、連続で攻撃を受けた。新車だったので傷がついていないか心配だ。もし、傷がついていたら楓を器物損壊罪で訴えないといけなくなる。
「プふあはははは。頑固くんの顔がゾンビみたいに酷いありさまになってる♪そんなに腫らして痛かったでしょー?あ。そうか!心が無いから痛みは感じないんだね!それならもっと殴っちゃえ♪頑固ゾンビくんプあはは」
僕は震える指を動かす。
握り拳が僕の顔面にヒットした。
いたい。
僕は震える指を動かす。
相手の顔を指差した。
まるで、犯人を当てた名探偵さながらに。
眉間にシワを寄せて、顔面血だらけで、歯が一本抜けていた僕は、声を振り絞り、格好よく、決め台詞を叫んだ。
「この僕が哲学楓の哲学を変えてやんよ!」
意識が朦朧とする中。
最後は駄洒落で締めくくった。
楓は笑い狂っていた。相変わらずだなあ。