3.「。
ある朝、彼女こと済崩葵が右手に両口スパナを握り待ち伏せていた。スパナとはナットを締め付ける工具だ。誰を待ち伏せていたかといえば、月日頑固ことこの僕である。
場所はタイムカードを押す事務所の入り口。これでは逃げることができない。僕は緊張しながら事務所の入り口に向かった。
彼女は腕組みをしながら僕の方をみている。なんだか顔をしかめているように見える。なにか僕が機嫌を損なうことをしたのだろうか。考えても答えは出なかった。もしかすると彼女は本当に幽霊なのかもしれない。僕に霊感があるせいで、存在しないものが見えてしまっているのかもしれない。この憶測が正しいということをまだ看破していないので、どうしようもない。やる気の無い僕はただ、なすがままに流されるだけである。
真横を通り過ぎるついでに、彼女の顔を凝視した。
すると、目と目が合った。恥ずかしすぎる。
そしてこれが始めての会話になる。
会話というか、ただ一方的な一斉射撃みたいな迫力の一方通行の一言だけで終わった。つまり圧倒されて何も言い返せなかった、というだけである。
一言。
「なんで目をあわせんだよ、この幽霊が」
••••••(1分後)
呼吸が停止するところだった。びっくりした。何?何?幽霊がこの僕?ふざけているのだろうか。別に今日は嘘をついていい日ではないし、え?ってなったよ。そして1分間視界がぼやけた感じのまま放心状態。昇天するかと思った。
一息付いて一つ質問。
「…僕のこと幽霊っていいましたよね。冗談やめてください。いや、冗談ですよね?」
ふふん、と鼻を鳴らす音がした。察するに機嫌は持ち直したようだ。なんだかイタズラっぽい笑みをしているし。
「まだ気付いてなかったんだ。そういうのを鈍感っていうんだよ。知らなかった?」
辛辣っぽい言葉使いだった。こういう問いには。
「はい。知りません」
こう答えるしかあるまい。もちろんこれで会話が終わってほしくはないので、
「いや、どういう理屈で僕が幽霊だって言うんですか。証拠を出してくださいよ。証拠を」
体制を立ち直し、挑みかかるような仕草で相手の顔を見る。僕にしては珍しい姿勢だ。さあて、どう答える?
失笑するのをこらえるかのように、左手を口元におさえた済崩さん。やっと口を開いた。
「だってあなた、幽霊になって始めて人と会話をしたの私なんだよ。この三年間、頑固くんが人と話しているのみたことがない」
あ。僕、幽霊かもしれない。
他人の発言に、矛盾を考察し、反論するメンタルを持ち合わせていないので、そう思った。