29.頑なに固まったエンド①
「コーラはこちらでよろしいでしょうか?」
「はい。どうもー!」
僕の背後にいたのは、先ほどの店員さんだったようだ。カウンターから持ってきたコーラをまあくんは受け取り、前方のテーブルに置いた。
やる気は無いけれど、頑張って声をかけてみることにした。
「あの…楓…ですよね?」
相手は、一回〜二回まばたきをした後、
「はい?」
疑問形で返してきた。どうしよう。疑問を疑問で返してきた場合の対処法を考えていなかった。
「えっと、名札を見て…わかったんですけど…哲学楓ですよね?」
また、疑問形で質問することにした。
沈黙。
本当なら感涙したいくらい、嬉しかった。
偽者ではない、確認作業をしたかった。
過去を思い出すのは、辛いけれど、能動的に試みよう。
「僕は、月日頑固ですよ。中学三年の春から、十年もたってしまいましたね。覚えていますか?」
疑い、問いただす。
相手は少し考える仕草をした。
「俺は哲学楓で合ってますけれど…。月日頑固…ですか?そんな名前の人がいたような気はしますが…。十年も前のことなんて、おぼろげにしか覚えていませんよ」
…。
僕のことは、名前ぐらいしか覚えていないのか…。人間の記憶力なんて、そんなものなのかもしれない。
彼女は軽くお辞儀をして、カウンターの方へ身体を向けた。
「ちょっと、待ってください!もう一つ質問させて下さい。僕があの時…中学三年の春にした「行為」は知らないんですよね?」
知らなくて当然なのだけど、確認してみたかった。
「知りませんよ。なにが言いたいのかよくわかりませんが…」
「そうですか…」
これ以上、質問をして不審がられては困る。「仕事中にすみません。…ありがとうございました」と言った後、会釈をした。
やっぱり、哲学楓だった。顔も似ていた気がする(やる気はないが)。
「中学三年の時…。そういえば、スナフキンに似た幽霊が私の前に現れたけど…」
楓は、独り言をつぶやきながら、カウンターに戻っていった。
スナフキンという単語を聞いて、僕の心臓は脈動を速めた。ドクン。ドクンと血液の流動を感じている。
「まあくん」
僕は隣の席へ、顔を向けた。
「きみは昔、楓く…さんの前に現れたのですか?」
「まあ、十年前にな」
「十年前…僕があの「行為」をした後に、現れたのです?」
「そうだよ。ちゃんと、自覚してるじゃねーか」
ふっふ、と鼻で笑うまあくん。この言動から推測するに、僕が自覚していないと、思われていたのだろうか?というか、いったい何に対しての自覚なのかがわからないので「自覚してるじゃねーか」の意味は理解しかねた。たぶん自覚していない。
「やっぱり十年前の夏…。あれはまあくんと、楓く…さんがやったことなのかな」
僕は思考とは裏腹に、言語は全く違うことをつぶやいていた。心と体で分裂してしまったかのような感じ。こういう人間を「心が無い」というのかもしれない(僕が人間なのかどうかは、まだ判然としない)。
「ああ、そうだぜ。頑固ちゃんを喜ばせようと思ってな。あの時はまだ、楓は正常だった」
「ちゃん付けはやめて下さい」
正常とはなんだ?どういう状態が正常なんだ?そもそも、まあくんの存在自体が異常で「わけがわからない」のだけれど(何者なんだこいつは)。まあ、それについてはどうにでもなれ、と済し崩さない方針で進めていこう(やる気が無いから)。
「なんでだ?頑固ちゃんは女の子じゃねーか。ちゃん付けでいいだろ?」
「女の子じゃあないですよ。だって僕は…」
口ごもる。別に女子と言われても良いじゃないか。反論する僕も僕だ。
僕には、そもそも、やる気が無いのに…。
あれから十年も経過して…。
「僕は、もう子どもじゃあ無いんですから」
「は!まさか、自分の性別を自覚したのか⁉やる気を取り戻したのか⁉」
「事実を言っただけです。僕は今年で二十五歳になるんですから、子供ではない。そこが間違えていると、指摘したのですよ」
僕は、相変わらず、やる気が無い。性別を気にしない(気にするやる気はないが)。
••••••
ガラス窓から、外の様子をうかがった。
「すっかり、空が暗くなりましたね」
「ああ。そうだな」とまあくんは言った。話してみて気づいたのだけど(やる気は無いが)、彼と会話をしている時は、ほとんど自然体でいられている。口が饒舌になったような、錯覚に陥りそうだ。
「最後に質問がある」
最後?
「…なんですか。いきなり」
「頑固ちゃんにとっての価値はなんだい?」
「価値?」
「人生観でいう、生きる「価値」みたいなことが聞きたいんだが」
僕は少し考える素振りをした。
「僕にとっての価値は勝たないことですよ。負け続けることが、僕にとっての「勝ち」なんです」
僕が負けることで、勝つ人間がいる。これが、僕にとっての価値だ。この思想は、従僕気質だろう(やる気は無いが)。
「それじゃあ、楓と真逆だな。心が無い人間に「勝ち続ける」ことがあいつにとっての価値だからな」
「相変わらずですね」
「だな」
「もう閉店みたいですよ」
店内は客が僕達しかおらず、閑散としていた。
「じゃあ、もう潮時だな。ボクはもうおさらばするぜ」
「あの…」
「ん?なんだ?」
「まあくんは、本当に幽霊なんですか?もしかして、妖精とか化身とかいう類いなんじゃないんですか?」
「なんで、そう思った?」
「だって、まあくん、両手とも指が四本しか無いから…」
「ふっふっふ。本当に無自覚だぜ、頑固ちゃんは」
「ちゃん付けはやめて下さい。そして、無自覚の意味がわかりませんよ。なんで、僕が無自覚になるんですか?」
幽霊ではないのかもしれない。
楓の死んだ弟ではないのかもしれない。
彼は、「僕が作った妖精」かもしれない。
「ボクは頑固ちゃんが作り出した、スナフキンだぜ。誰にでも見える幽霊だけどな。中学三年のトラウマによって、てめーは、スナフキンに似た幽霊を実体化させたんだ。なぜ、そんな者を作り出したか判るか?頑固ちゃんはボクを楓に見せて喜ばせたかったんだよ」
「…」
「ボクを具現化。つまり、楓に見える、触れられる、聞こえる幽霊を作り出した。幽霊ではないかもしれなし、人間かもしれないし、妖精かもしれない。馬鹿げた嘘だと思うだろ?でも、違うんだ。だってボクは僕であり、十年前の頑固くんの「願い」なのだからな」
「急に饒舌になりましたね。言いたいことはそれだけですか?」
「ああ。これで、ボクはあとくされ無く消えることができるぜ。そして、今から頑固くんの十年前の「願い」を叶えてやんよ。ちゃんと見てなっ!」
彼はすくっと、椅子から立ち上がり辺りを見渡した。誰かを探しているようだ。