28.頑固的な何か②
チョコレートパフェは僕が食べた。
視覚は山盛りのデザートを映している。
向かい側の方から何かを言っているのが聞こえる。
たぶん、幻聴だろう。
左手に、人間の皮膚らしき体温を感じた。
たぶん、錯覚だろう。
この柔らかなぬくもりは、嘘だ。
「まあくん。君が異様な人外だということはわかりました。全身付随の金縛りのような状態にするなんて、常人にできる技ではありませんからね。いったい…何がしたいのですか?目的はいったいなんなんですか?」
敬語で相手に探りを入れる。まあくんは、
「あっさりと、受け入れたな。楓が妄想だって聞いて、なにも反論しないなんてな。意外だぜ」
質問の返答を避けた。
「妄想の可能性が、高いからですよ」
「可能性?」
「そうです。楓が幽霊になって、きっかり十年後に、会いにくるのは不自然な気がしたのです。会いにこようと思えば、いくらでも早くできたはずでしょう?それに…」
過去を振り返る。霧に隠れた断片を、思い出し、答え合わせをする。
「それに、僕は結構、前から幽霊のような存在が見えていたんですよ」
「結構、前ってどのくらい前なんだ?」
「中学校を卒業してからすぐ、ですね。今みたいにはっきり見えていたわけではないので、その時は幽霊だと思っていたんですよ。楓の…ね」
楓に類似していて、唐突に姿を消したり、現れたりを繰り返す。それを幽霊だと識別するのは、いたって自然だろう。
うっすらとしか見えていなかった幽霊は、僕がやる気を無くして間も無く、鮮明に輪郭が見えるようになった。そして幻聴も聞こえるようになった。
月日と共に姿が鮮明になっていく楓を見て、それを幽霊だと認識しづらくなった。おかげでやっと今、答えに近づけたんだ。
「でも、さっき思い出したんです。楓は僕のあの「行為」を知らないはずなんですよ。掲示板に貼ったそれは、卒業後に処分されたんです。卒業まで楓は学校に登校しませんでした。だから、あの「行為」を楓が知っているはずがないんですよ」
だから、あの「行為」を知っている都合の良い楓を、妄想で作りだしたのだろう。なぜ、そんな妄想をしたのかはわからない。自分のため…かもしれない。
目の前にいる「偽物の楓」が、嘘をついていることに見抜いた。その理由は楓が、十年前の掲示板について知っているのはおかしいという点にある。
だからこそ、これは僕の「妄想が作り出した偽物の楓」なのだと、結論づけた。
まあくんは「そうか。頑固ちゃんの努力は報われなかったんだな…」と誰に言っているのかわからない小さな声量でつぶやいていた。
彼は急にあたりをキョロキョロと見渡した。
なにを探しているのだろう?
「あ。いたいた。あのー、追加でコーラ注文したいんだが」
肩まである髪の毛を揺らして、こちらのテーブルに店員さんが駆けよってきた。前髪からのぞく、整ったパーツが表情豊かに様変わりした。口角が自然な仕草で動かせる笑顔が素敵な人だ。
僕は心臓が高鳴るのを感じた。
やめてほしい。やる気が無いくせに。
「かしこまりました。他にご注文はございませんか?」
顔がこちらを向いた。やめてほしい。
「い…いえ。あ…ありませんよ」
緊張して、滑舌がぎこちなくなってしまった。
ミディアムなヘアースタイルの彼女は、ニッコリと優しい笑みを浮かべている。その目の瞳孔に僕のみすぼらしい顔が写っていると思うと、恥かしい気持ちになった。
横に着席しているまあくんが、肘で僕の脇腹をつついた。
「う…。なにするんですか?」
死んだまあくんは、シニカルな横顔を見せていた。嘲笑いだ。たぶん憫笑ではないと思う。横顔なのに、目玉の黒い部分が僕をとらえていた。
彼女の胸元には名札があった。ラミネートフィルムに入れられている。綺麗で程良く大きい字体だ。哲…
「へ…」
目の瞳孔がカッと開いた。
「哲学」
店員さんの彼女は首を傾げた。急に驚いた声をだしたから不信人物に思われたかもしれない。注文を受け終えたのでカウンターへ歩いていった。たったコーラ一品のために、働かせてしまったことがうしろめたい。
うう。うしろめたいし思わぬ事態に気が動転している。
ハハ…。やる気が無いくせに気が動転してるなんてね…。
••••••
「まあくん。今の名札…」
「気づくよな。そりゃあそうだ。ボクは楓の近辺にしか生息しないんだからな」
「「生息」は間違いですよ。だって、まあくんは死んだ幽霊なんですから」
「まあ、そういえばそうだったな」
トイレから戻ってきたときに、教えてくれれば良かったのに…。楓が「店員」として働いているなんて、わかるはずがないじゃないか。
あの名札に書かれてあったのが本当なのだとしたら…
だとしたら…
向かい側に座っている青いつなぎを着た彼女は…
浅く椅子に腰掛け、前のめりになる。目の前の「空想」を凝視した。左手の平は温かいけれど、これは僕の錯覚だ。この手の圧縮は虚実だ。僕の頭がおかしいだけだ。
だって、僕にはやる気が無いのだから。
「あなたは、ただの妄想なんですね」
悲しみと、驚きと、楓が生きている喜びが、いっぺんに重複して頭がへんになりそうだ。カラカラに口が乾いていたので、向かい側にある「妄想」ために置かれたコップを掴みとり、水を口にふくんだ。
まあくんは「やれやれ、これでボクの仕事は終わりさ」とつぶやいてから、
「ボクの目的は「生きた楓」を頑固ちゃんに合わせることだったんだぜ。これが達成できた今、もう心残りはねえ。あとは安らかに成仏するだけだな」
「生きた楓…さっきの店員さんが…まさか、本当に楓だったなんて⁉」
「まあ、これは真実だ。受け入れて楽になれ。「哲学楓」ってちゃんと名札に書いてあっただろ?」
真実…。でも、不自然なところがあるんだよな…。
「なんだか、さっきの店員さんは僕とまあくんのこと、気づいてなかったみたいですけど…」
「ボク達がだいぶ成長したからわからなかったんだろう」
「え。死んだ幽霊のまあくんも生きた人間みたいに、成長するんですか?」
「そうだぜ。死んだ幽霊もちゃんと身体的な成長はする。段階的に年を取るんだよ」
「嘘っぽい幽霊ですね…」
そうだと言われれば、そうなのですか、と頷き肯定する他ない気もする(やる気は無いが)。ここで僕の従僕性質が発揮された。
相手の「正しさ」を疑いながらも、受け入れてしまう性質が。
「じゃあ、仕方ないですね。すべて受け入れましょう」
なんだか気が楽になった。
やる気が無いくせに、気が楽になるだなんて、
とんだ世迷い言だ。
わからないことは、わからないまま。
なんにも残る話しにはなったからいいや。
なんにも残らない話しよりかは、価値がある。
目の前の「妄想」の彼女は、悲しそうな目をして僕を見つめた後、白い煙に包まれた。
霊気を帯びた白煙は、ゆっくりと天井に向かって流れていき、静かに消えていった。
十年間の妄想が作り出した幽霊が消え去った。
感慨はない。ただ虚無感を味わっていた。
やる気が無い僕は、一息つこうと、水の入ったコップに手を伸ばした。
ゴクリ。
一気飲みをした。
「ハハ。一気飲みとか笑えますよね」
抑揚の無い、やる気の無い、「ハハ」だった。
後ろから、誰かに見つめられている気配がした。まあくん以外の誰かだ。
「僕には「やる気が無い」のにね」