23.ガン四度み
赤いユリを拾って自室の隅に生け花として飾ったあの時の恐怖を思い出した。敷布団に横になっている時、突然、金縛りにあったんだ。暗闇の中「何か」に見つめられている感覚は畏怖をうえつけた。
「じゃあ、楓は何をしていたんですか?夜な夜な僕を金縛りにして、お漏らしをさせたのはいったい誰の仕業なんですか?」
「それは、てめーの思い込みだ。ボク達は関与していない。勝手にビビって勝手に漏らしただけだろ」
う…嘘だ!
「冗談は…やめてください。まるで、僕が臆病者みたいじゃないですか。マヌケみたいじゃないですか。嘘はついてはいけませんよ。また、からかってるんじゃないですか?」
「みっともないよ。素直に認めよう。何も見えていないのに、「何かがいる」と思い込んだだけなんだって。ユリを置いたり、メッセージを部屋に置いたのは、まあくんだよ。私は家の近くで指示を出していただけなんだ。頑固くんを金縛りにさせるなんて、そんなとんでもない力は使えないよ」
「…」
僕は黙った。そもそも、まあくんは幽霊で消えることができるというのなら、反論しようがない。あの時いたのか、いなかったのかなんて議論しても、主張したもの勝ちの、水掛け論になってしまう。
••••••
「黒六暗六中学校の校門前くるように促したメッセージは、なんの意味があったのです?」
「意味はある。ただのイタズラだよ」
楓は、はにかんだ。
「…」
僕は黙った。
「お父さんも、いい演技してたでしょ?」
「え。楓の父親もグルだったんですか。ひどいなあ」
まさか、あの方も共犯者ですか。
やる気の無い僕はため息をついた。はあ。嘘っぽいけど、確認しようが無いじゃないか。いい加減、おふざけはやめてほしい。楓は嘘ばっかりつくんだから。
そもそも、まあくんが幽霊であるという証拠が不足している。まだ、実際に姿を消すという能力を看破していないではないか。こうなると、いったい何が「思い込み」なのかわからなくなってくる。僕は女の子かもしれないし、僕は幽霊では無いかもしれないし、まあくんも幽霊では無いかもしれないし、楓だって…。
思い込み…か。
ん。
今なにか、思い出した気がする…。僕が中学生の頃の回想がよみがえってくる。
…なんだろう。
おでこに右手のひらをピタッと引っ付けて悩む仕草をした。
思い出せ。思い出せ。思い出せ。
昔、楓にした「行為」がそこにあるはず。もう十年も前のことだから、忘却してしまっていてもおかしくないけど、でも、それはとても大切な僕にとっての過去だったはずなのだ。
「頑固くん。どうしたの急に?悩む仕草なんかしちゃって」
「今、心の奥底にある記憶をたどっているんです。なんだか、とても辛い記憶だった気がするのですが、まだ、詳細には思い出せません…。すみません。楓が覚えていて、僕が忘れているなんて…、ひどいにも程がありますよね」
青いつなぎの方は首を横にふった。
「そんなことない!十年も前のことなんだから、忘れていて当然だよ!私が覚えていることが異常なんだ。それくらい、私にとって大切な過去だったから。だから、頑固くんがしてくれた「行為」が本当に嬉しくて、ありがとう!って十年も経った今でも思っているし、感謝しているんだよ」
「ごめんなさい。そんな重要なことを、思い出せないなんて…」
青い光がまぶしくて、みていられなくなる。なにか僕に伝えようとしているようだ。…ごめん。やる気がないからきっと楓が期待しているような返事ができそうにない。
「てめーは覚える気がない、という事実を忘れているだけなんだぜ。そこは自覚しろよな」
頭にかぶったハット帽を触りながら、まあくんはつぶやいた。
「覚える気がない…ですか…」
つまり、僕は過去を忘れているのではなく、当時から覚える気がなかった。…やる気が低かったということか。
やる気がないから思い出せないのではなくて、思い出したくない過去だったから、やる気をなくして、わざと忘れたふりをしているのかもしれない。
こめかみをグイグイ指で押してみた。ニスが塗装された木目がある床を見つめながら、考察する。
大事な記憶を意識したくないこの感覚。
本当は記憶の核となる部分に堂々と存在しているのに、わざと忘れたふりをしていたのだろうか?もしそうなら、とても都合の良い脳味噌をしているのかもしれない。
やはり、ここまできたら否が応でも、再現しないといけない。
辛い辛い苦しい記憶を再び。
目を閉じる。
あの時と同じ暗闇。
思考がガーっと膨らんでは停止して、呆然とただ見ていることしかできなくて、小さな「行為」も結局は無意味で、無力で、悔しくて、情けなくて…。僕はなんて…、まるでダメな生き物なんだ。結局人は変われない。あの時の感情が溢れ出す…ふ、ふざけやガって。お前らは全員!無自覚なクソ野郎だ!てめーらの倫理観はどうなってンだ!受動的に日々を生きやがって。イジメられてる人がこの学校内にいンだぞ!曖昧のまま済し崩しにことを進めた気でいやガって。てめーら全員、無自覚に人を傷つけていることに気づかない傍観者だ‼なんで孤立してるあいつに手を差し伸べることができねーんだ。助け舟を出してあげることができねーんだ。どれだけあいつが苦しい思いで日々を過ごしているか気付かずに、のうのうと学生生活をおくりヤがって。ふ、ふざけンじゃねえ‼と叫び狂い天を仰いだ、空は暗かった。やる気の低い僕。もうどうにでもなれ、と投げやりになった僕。僕はいったいその時なにしたのだろう?
どんな無意味な「行為」をしたのでしょう?
うう…ダメダ…
これ以上は…
「思い出したくなィ‼」
思いっきり椅子から立った。奇声を発したせいで、店内の人間達が僕に注目していて、静まり返っていた。
「頑固くん…。だから、無理に思い出さなくていいんだよ。世の中には忘れた方がいいことがたくさんあるんだよ。頑固くんは繊細な人だから、うん、忘れてしまったほうがいいんだよ、きっと。だから、気にしないで」
たぶん、気遣ってくれたのだろう。
「すみません」
とりあえず椅子に座ろう。なんだか、周囲の人間達の方から「クスクス」と中傷するような薄笑いが聞こえる。まるで僕だけがのけ者にされた気分だ。こういうのを心細いというのかもしれない。
静かに椅子に座ると、まあくんがそっと耳打ちしてきた。
「頑固ちゃんを笑ったヤツ、ボクがイジメてきてやろうか?」
「やめましょうよ。良心が痛みます」
「両親は痛まねえよ。あいつらは自分のことしか考えてねえんだ。本心で子どものためになることなんか考えちゃいない」
「違います。心の方の良心です」
「え。わりぃ。両親だと思い込んでたぜ」
…今、まあくんの心の闇を垣間見た気持ちになったよ。親に恨みでもあるのだろうか。
「そういえば、楓…もう十年間も行方不明のままじゃないですか。両親は心配してないんですか?」
「心配…してくれてるといいけど」
「絶対してますよ。なんで、顔を合わさないんですか?なにか理由があるのですか?」
「理由はある。だけど、それは教えられない」
「なんで教えられないんです?」
「秘密」
青い光はイタズラっぽい、優しい笑みをして、僕を照らしてくれていた。
目の前に楓がいることが、正直、嬉しくて、これ以上、彼女を問い詰めるのはやめようと思った。だから、このままでいい。
今はこの幸福をゆったりとかみしめたい。
••••••
でも、本当は知っていた。細部まで余すところなく把握していた。怒りの感情も、思い出すまでもなく、心に宿していた。
[ありがとうございます]
[僕は嘘をついていました]
[僕は忘れてなんかいません]
[楓の嘘も見破りました]
僕は記憶を都合の良いように忘れた振りをしながら
見て見た振りをしていたようなのです。
あの学校全体にはびこる、いやらしさの元凶は
「知らんぷり」でした。
僕もきっとあいつらと同じで、知らんぷりで、見て見た振りをしていたのです。
見て見ぬ振りはしていなくても、
僕は最高なくらい、傍観者でした。
結局はなんにも、できやしないのだから。
些細なことでいいから、力になりたかった。
そして、あの痛々しい学生時代。
小さな「行為」をしたのでした。
でも、結局、僕一人の力ではどうすることもできませんでした。
忘れるわけがありませんよ。
僕の初恋はずっと前から頑なに凝固して、頭から離れないのですから。