三話 伝存証明 1-5
そんな感想を浮かべるから、私はダメなのだろうけど。
「そんなことより!」
私は振り払うように、何かを、考えか、それとも想いか、自分でも解らなかったけど振り払うように、来栖に向き直る。正面から、正面を向いて。
「お金! 返しなさいよ!」
「まだ言ってるのか、守銭奴かお前は」
グチグチと文句を垂れながら、来栖はスウェットのポケットに手を突っ込んだ。右のポケットに突っ込んで、左のポケットにも突っ込む。続いて足元をきょろきょろと見回し、散らかったデスクの上をひっくり返す。空き缶がカラカラと音を立て床に落ちた。
顎に手を当て、難しい顔をしている。険しい、といかないのが来栖の残念なところだろう。どう頑張って見ても、頭痛を我慢しているようにしか見えない。
続いて、来栖は先ほどいた部屋、映画が付けっぱなしの部屋に行くとテレビを消す。そのまま部屋を一周し、首を捻って戻ってきた。
「……何してんの?」
「いや……」
今度は虫歯を我慢しているような表情を浮かべる。苦虫を噛み潰した、という表現も当てはまるかもしれない。
私は腕を組み、奇怪な行動を始めた来栖にジト目を送る。じーっと、不審な視線を送る。
「そんな目で見るな、大丈夫だ」
何が大丈夫なのかさっぱり解らない。心なしか焦っているようにも見える。まるで、探し物が見つからないとでも、大事な物を失くしてしまったような……。
そこまで考え、嫌な予感がした。来栖はどの段階でこの奇怪な行動に出始めたのか。
私と話している最中だ。そして話とは、金を早く返せという話だ。
「あんた、まさか……」
まさか、まさかだ。そんなわけないと願いつつ尋ねると、来栖は若干焦った様子で答えた。
「黙れ、今思い出してるところだ。あの時か、いやあの時は持っていた。ならあそこで……」
「財布? 落としたんでしょ? ねぇ、財布落としたんでしょ?」
「うるさい、黙れ小娘。邪魔をするな」
「うわぁ……落としたんだぁ……」
くらりと、眩暈がしそうになった。こいつは、この野郎は、私に金を返すと電話で言っておきながら、それを落としたと言う。最悪だ、最低だ。
来栖はデスクの下に潜り込んだり、ソファーの下や床を這いつくばって財布を探しているが、見つかる様子はない。一通り室内を探したのか、来栖は肩を落としながら戻ってきた。椅子に勢いよく座り、また煙草を吸い出す。遠くを見る眼をしていた。
「ねぇ、どうすんのよ」
「問題ない。財布には千円しか入っていない。失くしたとしても惜しいだけだ」
「惜しいんじゃない」
来栖が睨んでくる。逆切れだ。
と、そこで。
今の発言に引っかかる。来栖は今、千円しか入っていなかったから構わらないと言った。
そう、千円だ。財布の中身は、千円だけ。
「……ちょっと」
「いい、慰めるな。感傷に浸っているだけで、三日もすれば立ち直れる」
「長いわよ。じゃなくて、千円しか入ってないって、どういうこと?」
自分の頬がひくついているのが解る。それでも私は笑顔を浮かべ、聞いてやる。
「千円しかないのに、どうやって返そうと思ったの? 教えて、来栖さん?」
「なに、問題ない」
来栖は煙を吐くと、煙草を灰皿で消した。
視線だけ私に向け、一言。
「お前の悩みを解決してやる」
「あ、ちょっと友達に電話するね」
「待て、落ち着け待て貴様」
私が携帯を取り出すと、来栖が腕を掴んできた。大声でもあげて誘拐犯にでもしてやろうか。
「離してよ。大声出すわよ」
「ふざけるな。友達なんていないだろ、お前は」
「いますー、凄い良い人ですー。あんたを連れてってくれる人達だし、いつもみんなを守ってくれるんだから」
「俺は守られたことなどない。むしろ不審で不躾な視線を送ってくる輩だ、信用するな」
「あんたが信用ならないのはよく解った」
よく街を歩いていると職務質問をされると言う人がいるけど、本当にいるようだ。
「税金も払っていない小娘が。税金の無駄遣いだから止めろ」
「うっさいわね。あんたが悪いんでしょ。財布も探してくれるわよ」
「国家の犬を友達とは、お前も可哀想な奴だな」
「………」
「待て、今のは俺が悪かった。押すな待て、いいから待て。そうだ、何か甘い物でも食うか? 羊羹ならある」
そう言って来栖は映画を見ていた、別室と言おうか、別室に行き冷蔵庫を開けると、百円で売っていそうな長方形の羊羹を持ってくる。
こいつも女子は甘い物が好きと勘違いしているバカなのだろうか。
「食っていいぞ」
「いらないわよ」
「なんだ、こしあんの方が良かったか? 俺もこしあんの方が好きだ」
「甘い物、あんまり好きじゃないの」
この時、珍しく来栖の表情が明確に動いた。先ほどから、出会った時から疲労の滲み出る顔をしていた来栖が、驚きの表情を浮かべているのだ。
「お前……」
「女の子はみんな甘い物が好き、って思うのはやめた方がいいわよ」
「ダイエットしてるのか? 確かに必要だとは思うが」
「死ねっ!」
来栖の向う脛に蹴りを一発。うめき声をあげながら蹲る来栖。
さて、どうすればいいだろう。いくらなんでも財布に千円しかなくとも、預金くらいはあるだろう。銀行のATMに今から向かってもらうのが一番だ。一万円もない大人は大人とは言えない、私はそう思う。
その時、笑い声が聞こえた。窓の向こうから、私と同じくらいの年齢の男女、学生が歩いているのが見える。恋人同士だろう二人は、仲睦まじく歩いていた。
ああ、羨ましいとは思わないけれど、妬ましいとは思えてくる。
恋人がいることに、ではなく、誰かを心から愛して信頼することに、だ。
同時に。
思いつく、借りを作らずに、私の悩みを解決する方法を。
「ねぇ、返済、少しなら待ってあげてもいいわよ」
「体重が乗った蹴り……これほどとは……」
私は蹲る来栖の頭を蹴り飛ばす。右手ですねを、左手で頭を抑え痛みに耐える来栖に、私は言った。
きっと、言ってはいけなかったことを。
「私の知り合いの悩み、解決するの手伝ってよ」




