三話 伝存証明
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結局、来栖の代金は私が払うことになった。
悩みを解決してもらうお礼でも聖人や善人の心を習得したわけでもなく、ただ単に来栖が金を払わず出て行ったからだ。
『悩みが解ったら言え。安くしといてやる』
片手をあげ気障に去って行き、やっと行ったか清々したと思ったらテーブルの上に伝票が二つ置かれていた。抜け目なく置いていったらしい。
彼氏でも友達でもない男の飯代を払う義理も義務もないのだが、来栖が去った後、店員がにこやかな笑顔で「払って貰えますよね?」と言ってきた。私からしたら険悪としか表現できない時間だったが、傍から見ると歓談していたように見えたらしく、「お知り合いのご精算、お願いします」と追加の伝票を置いて行った。どんだけ食ってるんだあの男は。
岬も払うと言ってくれたが、私一人の方が精算も楽だと言って辞退した。財布の中身が軽くなり、もう一度会うのは憂鬱だが、明日にでも電話してやろうと思う。
悩みが何かは……解らないが。
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次の日、学校に行くと……などと意味ありげに言っても何も変わらない毎日があるだけだった。
いつも通りのクラス。
私は窓から空を見上げたり、次の授業の準備をしたり、用事があるクラスメイトから二言三言の会話をしたりと、ほとんど誰とも関わらない生活。
ふと、もしかして私の悩みはこの事なのかと考える。
誰かと関わることを、心のどこかで望んでいるのかもしれない。あれだけ嫌だと考えていながら、淋しい気持ちがあるのも事実ではあるから、そんなことを考えてしまった。
例えば隣に座る、名前は忘れたがクラスメイトの女子が恋バナで騒いでるのを見て、私もあの輪の中に入りたいと望んでいるのか。一度考え、いやそれはないなと思う。
輪に入りたくないわけじゃない。
ただ、輪に入ってそれを維持するために愛想笑いに上辺だけの言葉を使うのが嫌だった。
何故みんなは、平気なのだろう。
ちょっとした事でお決まりのように笑い、まったく共感できないことをそうだよなと認めるような真似を。
疲れないのだろうかと、不思議に思う。
昼休みになり、私は人目を忍んで学食の裏手に向かった。
来栖に電話する為だ。
別に人前で電話しても問題ない内容だが、あいつが相手だといつもの自分ではなくなってしまう。声を荒げるのは確実で、その姿をみんなに見られたくなかった。
イメージを壊したくない、とでも思っているのだろうか。
そんなもの、誤解だと解っているのに。
渡された、というよりテーブルに残された名刺を取り出し、書かれている番号を打ち込む。
数コール後、相手が出た。
『今……何時だと思っている……』
「もうお昼よ」
開口一番、来栖の台詞は呆れてしまう寝起きの声だった。自堕落な生活が想像できる。
周囲に気を配りながら、小声で用件を切り出す。
「あんたのケーキ代、私が払ったんだからね。返しなさいよ」
『ケチくさい女だな、お前は。そんなんだからモテないんだ』
「なっ……! ……あら、私意外とモテるんだけど?」
『なんだ、自覚してるじゃないか。ああ意外だよ意外。お前がモテることは意外だ。言ってて悲しくないのか、お前』
「うるっさいわねっ!」
思わず大声を出してしまい、慌てて振り返る。良かった、誰もいない。
深呼吸して心を落ち着ける。相手のペースに呑まれてはダメだ。
「いいから、ちゃんと返しなさいよ。大人でしょ」
『大人と子供の境界なんざ曖昧だ。そんなもの、常識にでもくれてやれ』
「だから常識なんじゃない……」
払う気があまり感じられないが、それでは困るのだ。飯代くらいと思われるかもしれないが、見知らぬ他人に奢ってやる義理はないし、何より問題なのが、その金額が一万を超すことだ。学生の身分で一万は高額だ。学生でなくとも高額だ。というか、本当に一万もよく食べたなと呆れてしまう。ドリンクのお代わりもあったが、九割はケーキだった。
「あんた変な何でも屋みたいな仕事してるみたいだけど、事務所とかあるの? 行ってあげるから教えなさいよ」
『悩みが解ったのか?』
「あのね……お願いだから会話して?」
頭痛がしてこめかみを抑える。一方通行な会話に頭が痛くなってきた。
のらりくらりと逃げる来栖だったが、警察に言うなどあの手この手を使いなんとか住所を聞き出すことに成功した。どうやら昨日行った駅前のカフェの反対側、駅の反対側に事務所があるらしい。
学校が終わったら行くから逃げるなとだけ言い捨て、私は通話を切った。
「まったく、なんで私がこんなこと……」
ぶつぶつと文句を垂れながら携帯の時間を見ると、お昼を三十分も消化していた。貴重な昼休みを来栖なんかで浪費したことにまた苛立ちが募り、利子も取ってやろうと思いながら振り返ると、クラスメイトがいた。
「ふへっ!?」
驚きのあまり変な声が出てしまった。隣の席の女子で、隣だから朝の挨拶くらいはするがその程度の関わりしかない。いや、そんなことはどうでもいい。いつから居たのか解らないが、見られ、いや聞かれていた。聞かれて困るような会話ではなかったが、あまり聞かれていい会話でもなかった。お金を返してもらう為にそっちに行く、などと守銭奴のイメージを持たれかねない。いくらクールなイメージを壊したいと言っても、新たにそんなイメージが付くのはごめんだった。
「え、っと……」
私がなんと言い訳をしようとしどろもどろになっていると、名前を忘れた隣の席の女の子は、勢いよく私の手を握ってきた。
「叶宮さん!!」
「は、はいっ!」
両手で私の手を握り締め、彼女は言う。
「私の……私の悩みを聞いて下さいっ!」
「は……はあ?」
予想外すぎる台詞に、私は素っ頓狂な声を出してしまう。
きらきらと涙混じりの眼差しを向けられながら、驚きつつも私は、初めて挨拶以外の会話をしたなと、どこか場違いな感想を思い浮かべていた。
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