最終話 生存競争
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「さっき居たのって、杭田さん?」
ベンチの埃を落として、スカートに手を添え座る叶宮那珂。隣に座ってきたというのに、杭田といい叶宮といい、俺に顔を向けないのはどういう事だろうか。叶宮は空を見上げる事も地面に視線を落とす事もせず、前を見据えたまま聞いてきた。
「ああ、そうだ」
「事件のこと?」
「知らん。偶然、隣に座ってきただけだ」
叶宮は視線だけをちらりと俺に向けるが、すぐにまた前を向く。気にはなっているんだろうが、それを聞き出すのに躊躇を覚えている。叶宮自身に関わることであり、俺が世話をしたことでもあるからだ。
すべてが終わった、と言うには放置したままの案件が多すぎる。叶宮自身の悩みに関して、俺は一つの解決策を用いて悩みを消してやったが、結局のところ、本質の問題は解決していない。
叶宮那珂の抱えていた悩みは解決してやった。
だが、
叶宮那珂の抱えている問題は解決していない。
それだけだ。
それ以上のことはやっていない。
過去、杭田にしてしまった失敗を、俺はしないことにした。
助けるのはここまで、ここから先は、自身で解決してもらおうと。
「みゃ~ちゃ~ん」
背後から気の抜けた、間の抜ける声がした。首だけで振り返ってみると、危なっかしい足取りで駆けて来る布藤岬の姿見えた。あの、黒幕とも言えるべき今回のきっかけを作った女。
「探しちゃったよぅ~。あ、来栖さんこんにちは~」
「あんたが探してんのはトイレでしょ。早く行ってきなさいよ」
「それがすっごい混んでるんだよぅー漏れちゃうよぉ~」
「……ったく」
叶宮は面倒そうな、しかし口元に笑みを浮かばせながら立ち上がった。
不適ではなく、不審でもなく、
不気味ではなく、不躾ではない、
ただの、純粋な笑み。
「行くわ。今日はちょっと遅くなる」
「夜遊びは構わんが男遊びはするなよ」
「バカ」
呆れた様子で言った叶宮は、布藤岬を連れて、友のように二人並んで去って行った。
記憶の失った布藤岬と友のように。
記憶喪失、とは言っても高校に入学してからの記憶が欠如しているらしく、いつ戻るか、はたまた戻っているのかは布藤岬にしか解らない。そんな布藤岬に対し、叶宮那珂は友人として世話をしている。不自由があるだろうと学校でもよく付き添っているようだ。以前だったら、布藤岬が叶宮那珂に会いに行くことはあっても、逆はなかったというのに。これもまた、布藤岬の思惑通りと言えばそうなのかもしれない。
自分から動かず他者を待ち続ける叶宮那珂に、思い知らせたかった布藤岬。そしてそんな叶宮那珂を、独り占めして愛でることを望んだように。
ただ、自分から動くことを覚えた叶宮那珂が、果たして布藤岬程度が独占できるかどうかは解らない。良き友人の関係を結ぶならばいいが、以前のように、一か月前の事件のように、事を起こした場合、そこにいるのはもはや受け身だけの叶宮那珂ではなく、行動をし解決を促す思考を持った存在なのだ。
とは言っても。
まだまだ問題を解決するには、ほど遠いが。
「飯は食ってくるという事か」
先ほどの叶宮の発言を思い出し、どこか外で食べてくるから夕飯は作らないという意味だと解る。
そう、叶宮の悩みを解決するために、叶宮は今、俺の事務所で寝泊まりしている。面倒だったが、仕事だから仕方ない。
だが、事件の解決には手が出せない。手助けできない。
あの日、あの夜。
叶宮が血だらけで事務所に来て助けを求めた時、俺は悩みを解決してやった。
叶宮の悩みは事件の、殺人犯という問題ではなく、自身の、生き方についての悩みだった。
布藤岬が自覚させようとした、悩みだった。
「ラーメンでも、食うか」
ベンチから立ち上がり、背を伸ばす。おっさんみたいな声を上げてしまい、辺りを見回してしまった。油断すると声が出てしまう。まだ歳かなどとは思いたくない。
俺はゆっくりと歩き出し、少しだけまた、空を見上げた。
人生は小説のように解決して終わりということはない。
叶宮はこれから、警察の資料だと殺人か自殺か判断が難しいが、船波七海を殺していてもいなくとも、その罪を背負って生きていく。自身の弱さと甘さが真似たい結論を、一生かかってだ。悩みは解決できるかもしれないが、問題が消えるわけじゃない。
布藤岬のことにしても、ずっと今のままというわけにもいかない。
だが、今すぐに解決しなくてはならないというものでもない。
人生は長い。生きようと思えば、生きていられる。それでも突然の死が存在し、そんなときのためにも、生きることが大切なのだ。生きるという意思と、意地が。
人生にバットエンドはなく、ハッピーエンドも存在しない。
小説のように、白黒はっきりした終わり方などあり得ない。
例え犯人が捕まろうが、大切な者を失った人生を歩まなければならない。
例え犯人が捕まろうが、誰かを殺す事が出来た人生に満足するかもしれない。
個人ではなく、囲われたモノではなく、人は世界と繋がっている。
一人でいても、干渉してしまう。
連鎖で螺旋に、巻き込まれる。
それが人生だ。
見上げた空は眩しく、俺は視線を戻した。
地面ではなく、前に。
叶宮那珂がそれでも見据えたように、先を。
世界は今日も曇って晴れて雨が降る。
END




