十二話 殺人 1-2
φ φ
月が浮かぶ。丸い姿に灰色の雲を身に纏わせ、仄かな輝きを空から降り注がせている。人気のない道を照らし、ポツリ、ポツリと点在する街灯は道端に月を描き、闇と光の境目を生み出している。
風はなく、灯りは僅か、闇は多く、空気は重い。外を出歩くには遅く、不安と恐怖が付き纏う時刻に、私は行く当てもなく、行きたいところもなく、無造作に無意識に足を動かしていた。
頭の中では繰り返し同じ映像が流れている。焼き付いた記憶。船波さんが自殺して、彼が自殺したところで自殺して、取り乱して何度も何度も刺し貫いて。殺したわけじゃないけれど、それでも私の手に感触が残っている。
人を殺した感触が、残っている。
肉を貫き骨に当たり、肉が裂けて骨が削れる、そんな薄気味悪いなんて言葉じゃ足りない、吐き気がする感触がまだ手に残って、瞳の中に残っている。船波さんから奪ったナイフを何度も振り下ろし、その度に血が跳ねた。荒い息を整える余裕もなくて、それよりも裏切られたと、置いて行かれたと感じる方が大きくて。
女の子座りで乱れた息のまま、息絶えた船波さんを見下ろして、泣いてしまった。
どうして、なんで私を置いて行ったの……と。
何処に、何を、置いていったのか。
思わず呟いてしまった言葉で、自分自身でもこれといった明確な何かがあるわけじゃなかった。ただ、殺してくれると、私を覚えていてくれると思っていた相手が、同じように願望があって目的があって行動していた船波さんが、一足先に、それを叶えてしまったのが、たまらなく悔しくて、羨ましかった。
もう誰も、彼女を否定できない。解らないまま、それでも残ってしまう。残り続けてしまう。船波さんは恋人の後を追ったのだと、自殺でも殺人でも、例え今後どんな捜査になろうとも、恋人だと語った彼女の生前がある限り、それは揺るぎない事実として残り続ける。
勝てなかった……負けた、と思った。
だからきっと、感情的になって殺したのだ、私は。
自殺なんかにさせたくなかった。
後を追ったなんて見せたくなかった。
首に一線、刃の痕があるならば、自殺と考えることも出来る。でも、体に何度も刺し傷があれば、どうだろうか。自分で自分を何度も刺すなんて、出来るわけがない。それに、今の科学技術の進歩は凄まじく、生体反応を調べて生きている時に刺されたのか、死んだ後に刺されたのか判断が出来てしまう。
死んだ後に刺し傷があれば、財布なども盗まれてなく、しかも学校で死んだとなれば、怨恨の線が濃くなる。警察がどう判断するかは知らないが、それでも自殺なんて馬鹿げた結論を導き出さないのは確かだった。
これは復讐だ、私の、私を裏切った船波さんに対する、復讐。
お門違いな恨みだと理解していながらも、私は我慢が出来なかった。
無意識に浮かべた薄ら笑みは、きっと壮絶な凄惨なモノだっただろう。
それこそ私が、船波さんと岬に感じた、恐怖にも似たモノ。
月が笑う夜。
満月の癖にせせら笑うように雲で口元を隠す月に照らされながら、私は歩く。
行く当てもなく、行こうとも思わず。
そして辿り着いた先が、何の因果か、何の定めなのか、そこは―――
脇の階段を上る。
電灯が点いていないので段差に躓きそうになりながらも、足を上げる。
足音はゆっくりと響き、伝わり、顔を上げればその先に、光が漏れたドアが見えた。
誰かいる。
だから私は、ドアを開ける。
そこに誰かが、私が知っている人がいるから、もうここにしか、私が、私を見てくれる人がいないから。
その扉を、開けた。
「ちっ、今頃帰って来て、どこ行ってたんだ……お前……は……」
「あのね」
驚いた顔を向けてくる。陰気で不健康な顔を、驚愕に彩りながら煙草を咥えていた。そんな彼に対し、私はただ、事実を伝える。
「殺してきたの」
にっこりと、泣きそうな、泣き顔を晒しながら、私は来栖に助けを求めた。
「船波さんを、殺しちゃったの」
そういう私に、来栖は険しい、けれど嫌悪も侮蔑もない、ただただ険しい顔を向けて、たった一言、口にした。
「……お前の悩みを、言ってみろ」
「え……?」
罵倒か、それとも悲痛か。何らかの言葉をかけられるとは思っていた私だったけれど、来栖のその問いかけは予想外だった。予想外というより、想定外。思い違い。思っていたのと、違う言葉だったのだ。
「忘れたか」
来栖は煙草を吸い込み、大きく吐く。煙が大量に飛び出したそこに、来栖は白い煙に巻かれながら、眼光鋭く、何かを覚悟した瞳を向けてきた。
「俺は悩み解決屋だ。お前の悩みを言ってみろ。解決してやるよ」
そう、不遜に、険しく、厳しく言ったのだった。
φ φ




