十話 怪刀乱麻 1-3
「だって」
それはやはり、狂っていた。
笑顔なのに笑顔じゃなく、笑みなのに笑みじゃない。
狂気を孕んだ狂喜。
「そうなるように、あたしが仕向けたんだもん」
朗らかな笑顔で、岬は言った。
爆弾とも言える、衝撃的な発言を。
「……岬が、仕向けた?」
「そうだよ、全部、みゃーちゃんのためにやったんだから」
私に飛びつき抱きしめる岬。どうにも私は、褪めてしまう。先ほどからずっと黙っている来栖に視線を向けるが、目が合うと逸らされた。それを見て、ああ、やっぱり……と思った。裏切られた感情が芽生える。そりゃそうだ、落胆が大きいのだから。あれだけあった来栖への信頼も、今は砂上の楼閣よりも儚く脆いものとなってしまった。
「あのね、あのね」
岬は私の様子などお構いなく、自分の行いを喋り出す。罪の告白でもない、子供が褒めて褒めてと語るように、目をキラキラとさせて。
「最初にね、来栖さんと出会ったのもあたしが手引きしたんだよ?」
思えばあの時、岬もおかしかった。見知らぬ男が傍に来て、いくら人懐っこいからと言っても、知人でもない人間が近くに来ている時点で警戒をするべきなのに、岬は最初だけ警戒を見せておきながらも、拒絶はしなかったのだ。ケーキの取り合いなんていう、漫画みたいな描写までやらかした。あれはやりすぎだろう。現実問題、あんなことをやれば怒鳴っていい。失礼どころの話じゃなく、頭がおかしい人間だと怖がっていいはずだ。それなのに、岬はまったく変わらず、普通の人と同じように接していた。店員が警戒した目つきを向けてきているというのに、変な人だと見られているにも関わらず意にも介さない。
「それでね、実はね」
「……杭田もなんでしょ。岬が手引きしたの」
「凄い! なんでわかったのー?」
解るだろう。思えば、あの喫茶店なのだ。変人や奇人に出会ったのはあの喫茶店だけで、そしてそれは、すべて岬の誘いに乗った結果だ。行きたいと言ったのは岬で、そして行った結果出会ったのだ。
『たまたま』だ。来栖が言ったように、『たまたま』も重なれば必然となる。しかしそれは、もっと前からだったのだ。船波さんが発端じゃなくて、それよりずっと前。何もかもが始まる、最初の日常から始まっていたのだ。
「もしかして、船波さんもあんたが差し向けたの?」
「差し向けたって言うか、助言をあげただけだよ? 恋してるって噂を聞いたから、それならみゃーちゃんが大人の恋愛をしているから、頼りになるって」
「大人の恋愛ね。随分な皮肉じゃない、それ」
「えへへ、ごめんねー?」
悪びれなく、様子なく岬は笑う。困ったものだ。困り者だ。そんなことより。
「あんたが、殺したの?」
彼を、彼の存在を。
仕向けた、と言った。しかし、どう言おうとそれは殺人だ。例え自殺だったとしても、自殺教唆か補助に当たる。犯罪で、殺人だ。
今までの岬だったら、たちの悪い冗談だと一笑することができたのだけれど、今の、先ほどの岬を見てしまうと、信じ切ることができない。
あれほどまでの恐怖を味わったのは、久しぶりだ。そうそうお目にかかれるものじゃない。正直、岬が殺人者だと言われても信じてしまうだろう。それくらい恐怖を覚えてしまった今、私の問いかけは意味がないものかもしれない。
ここで違う、と言われても信じられるだろうか。
ここでそう、と言われても信じてしまうだろうか。
私はちゃんと、受け止められるだろうか。岬を、彼女を。ちゃんと、心から。
私の葛藤など露知らず、岬は普段の、あのいつもと同じ笑顔を張り付けながら答えた。
「殺してはいないよ」
その言葉に安堵と疑惑が顔を出したが、それでも私は、岬が否定してくれたことに安心した。殺意を持って殺したわけじゃない、そう思えたから。けれど、それはまだ、甘い認識だったのだ。
「殺してはいないけど、死んでもらったの」
「死んでもらったって……どういう意味よ」
「言葉通りだよぉー」
岬は私の髪を弄りながら、淫靡的な、蠱惑的とも言える、艶美のする仕草と声色を私の耳に差し込む。
甘いそれは、静かに染み込んで蝕む毒の様に。
「私が頼んだの。みゃーちゃんの為に死んでって」
簡単に、岬は言う。そんなこと、できるわけがないのに。
「バカ言わないで。死んでって言われて、死ぬ人間がいるわけ」
「いるんだよ」
私の言葉を遮り、岬は嗤う。
生きる人間がいるように、死ぬ人間もいると。
生きたい人間がいるように、死にたい人間もいるのだと。
「本当はね、言わないつもりだったの。だって、これを言ったらみゃーちゃんは彼のことを思い出しちゃうでしょう? あたしだけのみゃーちゃんが、違うことに気を取られちゃう。でもね、いいの。あたしは色んなことで苦しんで、独りぼっちのみゃーちゃんが好きだから」
独りでいる私が好き。
独りぼっちの私。
「は……ははっ……」
変な笑いが零れた。笑いたいわけじゃないのに、笑うしかないみたいな。
「何を、言って……」
「好きだったんだよ、彼も」
好きだと、告白された。
私を好きな人が、私を好きな人の言葉を伝えた。
「とっても好きだったの。知ってた? 合同でやる体育の時、彼、みゃーちゃんのこといつも見てたんだよ?」
「好きって……なんで……」
「なんでもないんだよ、みゃーちゃん。好きって気持ちに、なんでもどうしてもないんだよ、みゃーちゃん。好きだから好き。けれど、みゃーちゃんはそんなの全然、ダメじゃない? 解らないじゃない? 誰かに好きでもらうことを求める癖に、自分から好きになろうってしないじゃない?」
私は、覚えていて欲しかった。
記憶から消えるのを、恐れていた。
けれどもそれは、それならば。
私はいったい、誰を覚えていたのだろうか。
自分の都合だけを押し付ける。覚えていてと、相手にばかり求める。
「だからね、あたしは教えてあげたの。みゃーちゃんは人の記憶に残りたいんだって。だから、みゃーちゃんと同じ方法なら、みゃーちゃんの心に残れるかもねって教えてあげたの」
トラウマでもいい、どんな覚え方でもいいから、覚えていて欲しかった。
だから私は他人の死を利用して、自分の死を利用して、人の生死を利用しようとした。
「なんで……そんな……」
「うふふ、みゃーちゃんはカワイイなぁ。本当に人の心が解らなくて、とってもおバカでカワイイなぁ」
うっとりと、だらしない顔を私に向ける。私は岬お言葉に反論しても、というよりも反論するべきだったのだが、そんな気にならなかった。心のどこかで、もしかしたら私も思っていたのかもしれない。自分のバカさ、何も理解していない、愚かさを。
「自分勝手で我儘で、利己的で排他的。みゃーちゃんはみゃーちゃんだけのことを考えて、全然相手のことを見ないよね? よく本当の私を知らない、クールじゃないとか言ってるけど、みゃーちゃんは何様なのかな?」
「何様って、別に」
「みゃーちゃんなんか見ようともしてないじゃない。あたしを、みんなを、近くにいる人を。見向きもしないで、ちっちゃな子供みたいに喚くだけじゃない。あたしを見て、あたしを見て、あたしだけを見て……って」
違う、そんなことはない。私だって、ちゃんとみんなのことを見ている。クラスの人だって知ってるし、挨拶だってする。
「本当に? じゃあなんで船波さんの名前、解らなかったの? クラスメイトだよね? 隣の席の人だよね? 少しでも興味があれば、名前くらい確認するんじゃないかな? 挨拶するくらいの、仲だったら」
「違う……」
「みゃーちゃん、違うくないよ。みゃーちゃんは」
「違うっ!!」
岬を突き飛ばし、私は勢いよく立ち上がる。
「わた、私はそんなこと……っ!」
突き飛ばされた岬は、ソファーの腕部分に寄りかかり、下から私を見上げている。半眼の眼光が、私を貫く。
「違うくないよ、みゃーちゃん」
うっすらと、口元を三日月に割り、
「みゃーちゃんは」
のっそりと、立ち上がって、
「あたしが見てきた、叶宮那珂は」
ひっそりと、言った。
「そんな人間だよ」
「あああああああああああ!!」
思いっきり突き飛ばした。手加減なんていらな。目の前のこいつは嫌な奴だ。私を知らない、覚えていない人間だ。ちゃんと見てない、私はそんなんじゃない。違う、私はそんな人間じゃない。もっと可哀想で、みんなが私を見てくれなくて、どうしようもなくて、親だってどうでもよくて、だから、だから私は仕方なく、これしか出来なくて――――
「おいっ! しっかりしろっ!」
その声で、はっと思考の視界が開ける。来栖の声だ。私を守ってくれる、私を見てくれた来栖の声がする。頭を振り乱し、硬く目をつぶっていた瞼を開ける。
ああ、来栖だ、来栖が私にはいる。大丈夫、だって来栖は私を信じてくれたから、言葉足らずだけど、言い方が下手だけど、それでも来栖は私を見てくれていたんだ。
そう、最初から、今まで。
岬の手によって。
ぼやける視界、流れる頬。
ぐわんぐわんと脳が回っている状態でありながらも、私は引っ掛かりを思い出してしまう。そう、来栖は岬の手引きによって私と引き合った。つまりそれは、私の味方なのは、岬に言われたからで―――?
いけない、混乱している。私はとにかく、来栖に頼ろうと、目を覚まさしてくれた来栖に任せてしまおうと、顔を上げ――――
「―――え?」
視界の先には、岬を抱きかかえる来栖がいた。
どういう、どうして?
さっきしっかりしろって言ったのは、私じゃなくて岬に向かって?
どうして、なんで私じゃなくてそんな奴に……。
錯乱、が正しいのか。私ははっきりしない頭で来栖と岬を見る。気が付く。気が付いた。
岬が目を瞑り、頭から血を流し、ぐったりとしていることに。
「え? ……え?」
「しっかりしろっ! おい、救急車だ!」
来栖が岬の体を支え、頭部を抑えている。揺さぶらないように配慮しながらも、声をかけている。
どうして、岬が倒れているんだろう。頭から血なんか流して、そんな、怪我をして。さっきまであんなに元気で、元気だったのに。
解らない。解らない。わからない。わかりたくない。
私は両手を、震える手を見る。そこには気のせいかもしれないけど、温もりが感じられた。人間の、知っている人の、体温。
見てしまって、感じてしまって、理解した。
私が今、何をしたのか。
「ちが、わた、私、そんなつもりじゃ……」
「解ってる、大丈夫だ解っている。いいから早く、救急車を」
違う、解ってない。来栖は解ってない。なんで、どうして解ってるって言いながら、そんな、そんな目で私を見るの?
私が悪いって瞳で、私を見るの?
「いや……」
「ちっ、もういい、携帯を貸せ!」
「いやぁ……」
「おい! はやく――」
「いやあああああああああああああああああ!!」
来栖が責めている。私を、私が悪いと、私のせいだと言っている。
たまらず私は、逃げ出した。
「おい!? 待――」
背後から来栖の声が投げかけられ、私は聞きたくないから、聴こえないために、走る。
振り向かず、振り返らず。
私は逃げ出した。
φ φ




