八話 合縁奇援
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運命と言うにはやや滑稽な佇まいだったが、来栖は見計らったように現れた。
そして、同じく。同じくというか、同時に。
杭田の表情が、変わる。
苦虫を噛み潰した、侮蔑の色を含めた嫌悪の色をその笑顔に滲ませた。
「ああ、貴方ですか」
声色まで先ほどとは違う、私に向けていたモノとは違う、感情を含んだモノに変わる。隠しきれない嫌悪に、隠すつもりのない侮蔑。その二つが杭田から発せられていた。
「何ですか突然。今、彼女と大事な話をしているんです。関係ない貴方は引っ込んでいて下さいよ」
「黙れよ若造。お前の話ほどつまらんモノはない」
舌打ちする杭田。驚いたことに、杭田が言い負かされている気がした。余裕を持って本音を隠し、誰に対しても慇懃無礼な態度だった杭田が、来栖が相手だと、私と同じように大人と子供の関係に見えた。力関係が見える会話である。なんでこんな事を思ってしまったのか解らないが、来栖がちょっとかっこよく見えてしまった。子供に金をたかり一万円も返せないような大人なのに、だ。
杭田は私を横目で一瞬見る。何を考えているのか相変わらず読みにくい表情だったが、そこには先ほどにはない焦りに似た何かと、来栖に対する憎悪にも似た感情が読み取れた。
ある種の窮地に立たされているようにも見え、杭田が起死回生を狙って何か言葉を発しようとしたその時、来栖が動いた。
「行くぞ小娘」
「え? あ、ちょっと」
来栖は臆することなく、怯むことも考えることもなく、当然のように近づいてくると、私の手を取った。それは先ほどの杭田みたいに温かいようなそうでないような、判別がつかない感触。だけど、杭田とは違う大きくて無骨な手が、頼もしく思えてしまい、そんなことを考えた自分に赤面してしまう。
何を考えているんだ私は。なんだこの気恥ずかしさは。
でも、頭の片隅に残る昨日の言葉。
来栖は、私を裏切った。
それを忘れることは、出来ない。
しこりのように心に残る感情がありながらも、この場を離れるのに来栖の行動は助かったので、大人しく付いていくことにした。決して、心を許すなんてことはしないと、誓いながら。
「いいんですか叶宮さん!」
来栖に引っ張られる私に、杭田が声を張り上げる。思わず振り返ると、杭田が不敵な笑みを浮かべて、邪悪とも取れる、不遜な笑みを浮かべていた。
「そっちに行けば貴女は終わりですよ! 僕だけが貴女を助けてあげられる! 今、貴女の見方は僕だけな」
「黙れ、小僧」
杭田の声を遮り、歩みを止めず、振り向かず、来栖は言った。
「こいつはお前みたいなのに助けられるほど、落ちぶれてない」
どういう意味だろう。来栖はいったい、私の何を見て、そう思ったのだろう。
落ちぶれていない。
何を想い何を考え何を根拠に告げられた言葉か解らないが、それでも私は、愚かにも、幼くにも、嬉しいと思う感情が出て来てしまった。
来栖がそう言ってくれて、嬉しいと。
繋がる手の平から来栖の体温を感じながら。
歩みを止めず歩き去る私達。杭田はそれ以上引き留める真似はせず、肩を竦ませ苦笑を浮かべているのが見え、視界から姿を消す。角を曲がったせいで、私の視界から消えた。姿が見えなくなったことで安心した私は、身体から力が抜けるのを自覚する。どうやら思っていた以上に緊張していたようで、妙な気だるさを覚えていた。
お礼を、言うべきだろうか。
危機、と言うには言い過ぎかもしれないが、それでも杭田から私を助けてくれたのは事実だ。どんな意図があって、どんな思惑があって私を助けてくれたのか解らないが、それでもこういう場合、お礼くらいは言っておくべきかもしれない。
声をかけようと顔をあげたが、視界に入ってきたのは来栖の背中と、繋がった私の手。来栖と繋がった、私の手が見えた。
「へぅっ!?」
今更来栖と仲良く手を繋いでいる現実を受け止め、変な声が出た。友達もいなく、彼氏なんて夢でも見ることのない私が、だいぶ年上とはいえ、男の人と手を繋いでいるのだ。
やばい、変な汗が出る。待て、相手は来栖だぞ。まともな仕事もしていない社会不適合者だぞ。あ、やばいやばい、なんか顔が熱くなってきた。絶対赤くなってる。え、嘘、私って年上好きだったのか。しかもダメ男が好みとか、それって男運ないパターンじゃないか。
うぁーと呻いてしまい、来栖に声をかけようにも絶対赤くなっている顔を見られたくないので声をかけることも出来ず、私は来栖と手を繋いだまま、顔を伏せて歩くことしか出来なかった。周囲から見た場合、これって恋人同士と思われたらどうしようなんて事を考えてしまい、もはや耳まで真っ赤になっているかもしれない。
来栖は何も感じていないのか、無言のまま歩き続け、気が付けば来栖のあの、事務所の近くまで来ていた。このまま事務所に上がるのは、ちょっと色々な意味でまずいかもしれない。いや、大丈夫だ。私は大丈夫。何が大丈夫かも、大丈夫じゃないことってなんだと思いながら引っ張られる。頭は混乱したまま、顔を上げることも来栖を見ることもできない。
そんな、時。
またもや、声をかけられた。
「ちょっと、君」
杭田が相手では立ち止まらなかった来栖の歩みが止まり、背中に顔がぶつかる。「ふぎゅっ」とまたもや変な声が出てしまい、でも来栖の背中って大きいなとバカみたいなことを考え、私って今これ乙女みたいとどこか客観的な感想を思い浮かべて現実逃避をした。
空いている方の手で鼻頭を抑えて、呼び止めた人間、来栖の前方にいる人物に視線を向ける。
そこには、お巡りさんがいた。
どくん、と。心臓が鳴る。
杭田の言葉を、思い出す。私が犯人だと言った、警察関係者でもある杭田の台詞を。まさか本当に、私を捕まえに来たのか。私は疑われていて、連行……であっているか解らないが、取調室にでも連れて行かれるのか。不安が顔をもたげ、怯えた目になってしまう。お巡りさんはそんな私を見て、さらに来栖の背中にぶつかり涙目になっている私を見て、顔を険しくした。
そして、厳しい声色と表情で、言う。
「君、その子とどういう関係なのかな」
来栖は不審人物として職務質問されていた。
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