七話 失意低迷 1-2
岬と色々な店を回り、お喋りをして、夕方辺りで別れた。
昨日のことはまだ整理がつかないけれど、それでも気分転換にはなった。それに、もう私は諦めたのだ。誰かの記憶に残ることに、誰かの記憶に残ろうとすることに。だから、少しだけではあるけれど、気は楽だった。そんなものは逃避でしかない、問題から目を背けているだけに過ぎないことだけれど。
「やぁ、また会ったね」
家に帰る途中、突然声をかけられた。顔を上げると、そこには杭田がいた。
にこやかで爽やかな笑顔を浮かべ、馴れ馴れしく近寄ってくる。あまり会いたい人物ではなかった。表情に出して鬱陶しいと態度示してみたのだが、杭田はどこ吹く風と気にも止めずに言葉を綴る。
「出かけていたんだね。いや、別にそれを咎めるつもりはないよ。赤の他人が死んだからと言って、見知らぬ誰かのために涙を流さなきゃいけないなんてことはないからね」
嫌らしい言い方だった。人が死んだのに暢気に出かけていたのか、と言っているようなものだ。わざわざ他人を強調して言っている辺り、わざとだろう。
「……何か用?」
態度では解ってもらえなかったので声にも滲ませてみたが、杭田は飄々とした態度を崩さない。どれだけ鈍感な奴だろう。これが探偵というのだから、やはり小説のような洞察力があって推理力のある人物は、物語の中だけなのか。
私の問いに、杭田は「ちょっと聞きたい事があって」と両手を広げ、言った。
「君が殺したんだろう?」
「……は?」
何を、言われたか、解らなかった。
私が、何を?
今こいつは、殺したと、言ったのか?
訳が分からない。いったい何の話か混乱する私を畳み掛けるように、杭田の言葉は止まらない。
「初めて会った時から思っていたんだけどね。君は、少々知り過ぎている」
「な、何を……なにが、よ……」
「どうして学校に残っていたんだい?」
私の話など聞かず、杭田は詰問してくる。ダメだ、頭が回らない。学校ということは、彼のことを言っている。でも、なんで。なんで私が、殺したなんて言っているんだろう、この人は。一笑に付す内容なのに、動揺してしまう。昨日の来栖の言葉を思い出していた。
『お前が殺していれば、最も上手くコトが運ぶ結果になっただろうがな』
みんな、みんなが言う。
お前が殺したんだろと、お前がやっていれば万全だったと、言ってくる。
目頭が熱くなる。私は唇を噛んで、涙を堪える。ここで泣いちゃダメだ、負けた気になる。そんな拙いプライドを守るように、私は杭田を睨んだ。
「意味、わかんない」
「じゃあ説明してあげるよ」
擦れてしまう私の言葉を飲み込むように、杭田はあの、邪気のない笑顔で続けた。
「一応僕も調べたんだ。君達の話を聞いて、それが正しいかどうか」
腰に手を回し、歩きながら喋り出した。その様は、まるで事件解決編で自らの推理を披露する探偵そのもの。もったいぶった言い回しに、回りくどい解説付き。何も間違いなどないと自信満々な顔で、杭田は語り始める。
まるで、もう物語は終わりだとでも言うかのように。
ページはわずかで、登場人物たちの人生はここで終了と言いたげに。
嫌な汗が流れる。断崖絶壁に追い込まれた犯人の気分だ。どちらが後ろだったのか。前を向けば広がる海原が口を開き、自らの手で人生を終わらせろ言う処刑台の方か。それとも、他人の手によって自らの人生に幕を下ろせと語りかける、裁判官の方か。震える身体を抑え付け、私は胸元を握り締めながら、話を聞く。いったい何が起こっているのか、確かめるために。
「確かに、今回の事件はただの事故に見える。不幸で不運な事故にね。しかし、実際に現場を見たら、一つ気になるところがあった」
「気になるところ?」
「そう、あの傷痕だよ」
思い出す。そういえば、階段の踊り場付近の壁に、何かぶつけたような痕があった。そのことを言っているのだろう。だが、いつできたかもわからない痕だ。彼が転落する時についた傷だと言うには、少々苦しいし、それが事件に関係しているかと言えば、少々難しい。
そのことは杭田自身も解っているのか、「もちろん、これはただのきっかけだ」と言った。
「だが、怪しい所が出てきた。これは事実だね。そして、僕は他の関係者に話を聞いたんだ」
クラスメイトや、家族に。訪ね回ったと、杭田は言った。
「そしたらほら、怪しいところが出てきた」
笑う、ワラウ。
己の顔を掴み、口元を隠して。収まりきらない三日月が、手元が漏れていた。
舞台に上がった、犯人と探偵。
快刀乱麻の如く事件を解決し、拍手喝采の全てを浴びる日向者。
五里霧中をさ迷って人を殺し、非難中傷の全てを浴びる日影者。
図式が出来上がり、舞台は整い、あとは幕引きの名場面だけが用意された。
きっと、物語ならそうなるべきところなのだろう。岬に言わせればかっこいい青年が、探偵の視点で交わされる物語。
しかし、私には、そう見えない。
当事者だから、犯罪者だから、そういった濡れ衣だからといった理由だからではなく、もっと単純に、簡単に、私は杭田を見て思えなかった。
共演者。きっと、探偵という役割の彼は、職業の彼は舞台では共演者になるのだろう。
だが、私は。
私には、彼が共演者ではなく、狂演者にしか見えなかった。
犯人と同じく、狂った殺人を行った者と同じく、人を追い詰めることを何よりも最上としているような、そんな狂気を感じる。
「な……なに、が……」
無意識に一歩下がってしまう。杭田の笑みを見て、腕には鳥肌が立ち、髪の毛は逆立っているよう。背筋は冷たく、本能的に危機感を味あわせられている。
それまで無害、とは言えないまでも、理性的な人間だと思っていた相手が、獣に見えた。
獣、というよりも、人間、が正しいかもしれない。
人間の本性が、見えた。
杭田は私の問いに、空気を裂くように嗤う。
「君だ、君がいたんだ。現場に、話に、噂に、嘘に、全てに君が現れた」
細く伸びる眼が、獰猛な肉食獣を思わせる。
そして、そして。
ああ、もう、そして。
私はついに、思考を放棄せざる、を得ない状況へと追い込まれる。
いったい何が起こっているのか解らずに、いったいどうしてこうなったかも解らずに。
私は次の杭田の言葉に、絶望の淵へと、混乱の底へと、追いやられた。
「聞いたよ、君はどうやら、彼の事が好きだったみたいだね」
「……はい?」
聞いたって、誰から?
そんなこと、一言も言ってないのに……。
わけが解らないとはこの事だろう。人は本当に混乱の中に投げ込まれると、思考していると思っていても、頭が一切働いてくれないことを知った。ぐるぐると同じ言葉が復唱され、ただただ疑問だけが繰り返される。本当にまったく、何が起きているのか理解が追い付かない。
そんな私を可笑しそうに眺め、見つめながら、杭田は私が逃げるであろう道を塞いでいく。
懇切丁寧に、狩人が獲物を仕留めやすい位置にでも誘導するように。
「君はあまり交友関係が広くないようだ。クラスメイトに聞いても、家族構成から好きなモノ、普段どんなことをしているかなんて見ていれば多少は解る事柄さえ、誰一人、知らないと答えた」
一人ぼっちな奴、とでも言いたげな顔。反論したかったが、事実であるので黙るしかない。
「だが」
杭田は、それでも解ったことがあると続けた。
「だが、それでもおかしなことが出てきた。君達と会って、周囲の人間に話を聞いて、どうにも合致しない、齟齬があった」
「だから、それは何なのよ……」
私が問うと、杭田はやや驚いた、呆れた顔をする。昨日来栖にバカだバカだと言われた私は、ここでも杭田にバカだなぁ、という顔を向けられた。腹が立たないわけではないが、それでも何を言いたいのか解らない私は尋ねるしかない。
バカみたいに、バカなことを。
「解らないのかい?」
杭田は肩を竦め、鼻で笑う。
「彼に彼女がいた、そう言ったのは、君だけだったんだ」
先日、岬が言った言葉を思い出す。
『だって、教室で彼女欲しいーって言ってたよ?』
誰も知らない彼女の存在。
それを言っていたのは一人だけ。
私だけが、言っていた。
でも、違う。それは違う。私だって、本当なら知らないはずだったのだ。交友関係の広くない、友達なんていない私に、それを知る機会を与えた人物が一人いる。
「ま、待ってよ」
私は弁明する。少しでも自分が有利に、せめて不利にならぬよう、言い訳する。
「私だって、彼女がいるって聞いたのは人づてだから、船波さんに聞いて……」
「船波七海、だったかな?」
思わず船波さんの名前を出してしまったが、この際仕方ない。殺人犯に疑われているのだ。探偵や弁護士に守秘義務はあるかもしれないけれど、ここに至って私が隠し通す程の義理はない。
「そう、そうよ。だから、船波さんから聞いて」
「いや、彼女は知らないと言った」
私の言い訳は、否定される。
訳の分からぬままに、意味が解らないまま。
「船波君は、彼に彼女がいたなんて話、聞いたことがないと言っていた」
「う、嘘!」
違う、だって、それじゃあなんで、船波さんは恋愛相談なんてしてきたんだ。
「だって、船波さんが」
「そもそもおかしいじゃないか、君はクラスメイトにもどういう人間か解っていない存在なんだ。誰一人、君は友人関係を結んでいなかった。布藤岬君くらいしか学校で話せる人間はいなかったのに、どうして船波君だけに、そういった話ができたのかな」
「だからそれは、船波さんに恋愛相談を持ちかけられて……」
「それはおかしい」
視界が狭まる。世界が消失する。
なんだ、これは。
どういうことなんだ。
真っ暗な闇に包まれているように、目の前の杭田しか見えなくなる。
杭田はそして、そして――言った。
私を否定し、殺す言葉を。
「船波君は、彼の恋人だと言ったんだ」
「え……?」
「茶化されるのを嫌った船波君は黙っていた。そして黙っていたせいで、君が彼に恋慕を抱き、船波君が相談されたと言っていたよ」
「な、なに……それ……」
辻褄が合わない。滅茶苦茶だ。支離滅裂で、どうしてそうなる。
「船波君の友人にも話を聞いたが、彼氏がいるという話は聞いていたようだ。誰かまでは知らされていなかったが、その裏付けは済んでいる。だから船波君は、話してくれた」
彼女であり恋人であると、話してくれた――と。杭田は言った。
何もかもが信じられなくなりそうになるも、それでも、今度は私が齟齬を見つけた。
違う。言っていることが違うのだ。
船波さんもそうだけど、そもそも、そこに着地するための布石が、間違っていた。
「で、でも!」
光を見つけた私は、言い返す。間違いを指摘し、これは殺人なんかじゃないと訴えるために。
「でも、船波さんは言ったんでしょ? 彼女がいるなんて聞いたことがないって。だったら、だったら船波さんが彼女っていうのも変じゃ」
「そりゃそうだろう。恋人である船波君が、他に女がいるなんて言わないよ。それに、彼女の言葉を信じれば、君の行動も理解できる。君が彼に恋心を抱いていたのなら、あの日、生徒が帰る放課後に残り続け彼を発見することが出来たのは、後を付けていたからじゃないかな?」
ひどい後付けだ。これじゃあ何でもありじゃないか。不平不満を言いたくなるが、誰に言えばこれは解消される?
それでも、筋は通っている。通ってしまっている。
そんな風に言われてしまえば、私は何も言えない。黙るしかない。
しかも、私の行動の証明まで出来てしまった。どうして部活動にも参加していない私が、あの日に限って遅くまで学校に残り、都合良く彼の死体を発見できたのかまで、筋が通ってしまう。
今更それは船波さんに頼まれたことだと言っても、否定されるだけだ。私が船波さんから恋愛相談を受けたという事実さえなくなっている。ここで何を言っても本当に言い訳にしかならず、それこそまさに、犯人が自分の罪から逃れようとしている風にしか見えない。
「大丈夫、そんな悲観しなくても、大丈夫だよ」
優しく微笑む杭田。胸を掻き毟りたくなる現実を突き付けられた私に、杭田は優しく、包むように言葉をかけてくる。
「僕が助けてあげるよ」
「え……」
涙を流す私に、杭田は言った。助けてくれると、味方になってくれると。ぼやけた視界でも、杭田の顔がはっきり見えるくらいに近づいていた。杭田が顔を寄せ、傍から見れば恋人同士がキスでもするような距離感で、杭田は優しい声を出す。
こんな、誰も私を信じない状況で、私に手を差し伸べてくれると。
甘い甘い、誘惑。
優しい優しい、甘言。
正常な状態ならば信じることもない、胡散臭い台詞。
「味方のいない君を、僕だけが解ってあげられる」
「あ……」
私の手を取り、包み、杭田は言う。
暖かい手のひらが、私を包み込む。
もう誰もいない。裏切られてばっかりの私に、杭田はそれでも味方になると言った。
……もう、任せてしまおうか。
このままじゃ私が犯人にされてしまう。やってもいない罪を被ってしまう。
それならば、いっそのこと……。
杭田の瞳が私を見つめる。惹かれるように、引っ張られるように私は杭田の瞳へ引き寄せられる。温和な笑みで、甘い顔をした杭田。ぼろぼろに崩れた私の心に、杭田が入り込む。
裏切られ、傷つけられ、誰の記憶にも残らない私を、杭田が埋めてくれる。
そんな気が、した。
ゆっくりと抱き寄せられ、彼の胸に顔を埋めそうになる。
段々と近づく顔に、靄のかかった頭は考えることを放棄し始め、そして――。
「子供を誑かすな」
その声に、我に返る。
振り向けば、背後には、あいつが立っていた。
「お前も、顔だけで男を選ぶと痛い目を見るぞ、小娘」
「なっ!」
慌てて杭田から離れる。まるで恋人同士のように抱き合いそうになっていたのを知り、顔が熱くなる。そんな私に呆れた視線を向け、ため息を吐いたあいつは、それでも杭田とは違う、一見したところ優しいとは思えないのに、不審や怪しいが似合う顔の癖に、心が温かくなる苦笑を浮かべた。
「だから言っただろう」
トレンチコートのポケットに両手を突っ込み、片手に買い物帰りと思しきスーパーの袋を引っ提げて、現れた。
「厄介な奴だ、とな」
来栖水屑が、決まらない間抜けとも呼べるかっこつけた姿で、登場したのだった。
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