六話 生損狂想 1-4
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学校は半日で終わり、岬とお茶して変な男に出会い、よく解らない疲労を覚え岬と別れた後、私はもう一つの仕事が残っていたのを思い出す。
「ああ、来栖のとこにも行かなきゃ……」
面倒極まりなかったが、色々話したいこともあったので行くことにしよう。話したいことは、結局言う前にほぼ計画が瓦解している状況だけど、彼の死を利用した鮮烈で強烈な記憶の植え付け計画だったのだけど、一応使えるかどうか言ってみるだけ言ってみようと、私は来栖の事務所に足を向ける。
まだ陽は高く、本来なら授業中の時間なので制服姿は目立った。今更着替えに戻るのも面倒なので、多少好奇の目を向けられても構わないと私はそのままで行くことにする。
相変わらず騒がしい商店街とは正反対の、うら寂しい賑やかさから隔絶された空間を演出する道を進み、脇の階段を上って事務所のドアをノックする。返事はなかったが人の気配がしたので開けると、ズボンに手をかけ膝くらいまで穿いているのか脱いでいるのか判断の難しい気色悪い状態の来栖がいた。
「へ、変態!?」
「お前、いい加減に俺を変質者扱いするのをやめろ」
思わず叫ぶ私にそれだけ言うと、来栖はそのままズボンを脱いだ。どうやら脱いでいる途中だったみたいだが私が来たというのに何故脱ぐ。普通脱ごうと思っても穿くものじゃないの。まさか、よからぬ事を考えているのでは!
「ち、近づかないで! 大声出すわよ!」
「じゃあ出てけ」
パンツスタイルなのに来栖は堂々とした態度なのがムカついた。そりゃ確かにここは来栖の事務所だし、ノックしたけど返事もなしに入った私が悪いかもしれないが、人前で堂々とこんな格好になるのは如何なものだろうか。
……まぁ、ほとんど私が悪いのは解るんだけど、それでも女子高生の前でその恰好は警察を呼ばれても文句が言えないと思う。
来栖はそのままトイレまで行くと、ドアを開け、正面に洗濯機が置いてある、洗濯機の中にズボンを放り込んだ。ちらりと見た感じだが、どうやらそこはトイレ、洗濯機、風呂が一緒になっているらしい。ただ、入ってすぐ両隣にドアがあるので、別々の造りのようだ。
来栖はドアを閉め、私に視線を向けると、ため息を吐いて近づいてきた。
「なっ!?」
「黙れ、騒ぐな」
「こ、来ないで!」
「うるさい黙れ。俺は貧乳にぽっちゃりは好みじゃない」
「ふ、太ってないしっ! 普通だしっ!」
入口の脇に古臭い小さなタンスがあり、どうやらズボンを取るために近づいたようだ。間抜けな姿のまま来栖はしゃがんで引き出しを開け、黒のズボンを取り出し穿く。その間も憎まれ口は休むことを知らない。
「まぁダイエットをしろとまでは言わん。最初に胸から減るらしいからな、お前には酷だろう」
「へ、へー来栖は巨乳が好きなんだ。でもね、最近漫画とかで変に胸が大きい娘が多いけど、あれを基準に見ないでもらえる? 現実を見てよね」
「ふん、知ってるか? 胸というのは膨らみがあるモノを言う。お前のそれは平坦と言う」
「へ、へ、へいた……っ!」
絶句してしまう。今、来栖は言ってはならないことを言った。口に出すのもおぞましい、もはや禁句に近いことをずけずけと言っているのだ。私の名誉にかけて弁明させてもらうと、学校の健康診断で保険の先生に「大丈夫よ、今が育ちざかりなんだから」と言われているのだ。そう、私はこれから育つ可能性を秘めた女子高生。まだまだこれからなのだ。今の時点で胸が大きい娘など、一種の病気なんじゃないかと私はいつも心配になってしまう。クラス、いや学年一巨乳の天然風味な浅外さんはよく足元が見えない、などと意味の解らないこと言っているが、そんな日常生活に支障きたすくらいなら私は今のままでいいと胸を張って言えるだろう。だから何の問題もない。全然平気、むしろ私には夢や希望がある分だけ幸せ者というわけだ。
そのことを来栖に伝えると、「張るモノがないだろう」と言ってきた。
「………」
「お前こそ現実を見たらどうだ。俯いてみろ、何が見える」
「……地面」
「それがお前だ」
地面が私、何だが哲学の話になった。
私は涙を、何故か解らないけど瞳から液体が出て来たので拭いて、この話題を終わらせる。
「いいから、今日は話があってきたの」
「さすがに胸を大きくする方法など知らん」
「次言ったら殺すから! 本当に殺すから!」
しつこい来栖を脅して、私は今日あった事を、彼が死んだことを話す。ついでに変な探偵と名乗る男が現れ、今回のことについて調べているらしいことも。
一通り話を聞いた来栖は、難しい顔をしていた。
「その、探偵という奴だが……名前はなんて言っていた」
「名刺貰ったけど……」
私が来栖に名刺を渡すと、苦い顔をする。嫌いというより、苦手な相手に会った時に思わず出てしまった、という表情。この反応を見るに、知り合いだろうか。
試しに知っている人か聞いてみると、来栖はデスクに名刺をぞんざい放り投げ、そうだと頷いた。
「少々厄介な相手だ。世間一般で言うところの、それこそ正真正銘、探偵と思い浮かべて想像した通りの奴だ」
「じゃあ、本当に事件を解決したりしてるの?」
「ああ、解決かどうかは解らないがな」
意味深なことを言いながら、来栖は椅子に腰かける。私も立っているのが疲れてきたので、ソファーに腰を下ろす。
来栖はデスクの引き出しを漁り、丸いクッキーの缶を取り出した。本当に甘い物が好きなようだ。虫歯にならないんだろうか。私の視線に気が付き、口を開いたが何も言わず食べ始める。恐らく体型関係の減らず口を叩こうとしたのだろう。もし言葉を発していたら、ソファーの近くにあるテーブルの上に乗る、軽い鉄製の灰皿を投げつけるつもりだった。
「もう一つ聞きたいことがある」
来栖はクッキーを食べながら問う。
今度はどんな下らないことだと呆れた気持ちだったが、そんな悠長な感情は、消し飛んだ。
「お前は、何故その場にいた」
「その場に……って?」
「そいつが死んだ時、なんで発見者になった」
第一発見者。私は彼の死体、かどうかはまだ生きていたかもしれないので解らないが、とにかく何故、私がその場にいたのかを尋ねてくる。
それは、特別な理由があったわけじゃないが、それでも、理由はあった。
「なんでって……それは……」
「聞けばそいつが階段から落ちたのは放課後なんだろう。しかも、生徒の大半が帰宅した、遅い時間だ。お前は部活にも入っていない。特に何か委員の仕事をしていたわけでもない。ならば何故、お前はいた」
友達もおらず、部活にも入ってなく、委員の仕事もない。どうしてそんな時間に学校にいたか、当然の疑問だった。
ただ、理由はある。ちゃんとした、頼まれごとだった。
「船波さんに、言われたのよ」
私は背中をソファーに預け、言う。
「彼に告白とか、とにかくそういう印象に残ることをしたいから、手伝ってほしいって」
船波さんに頼まれた。それだけだ。
あの日、私のアドバイスを聞いてから色々作戦を考えた船波さんは手伝ってほしいと言ってきた。具体的な内容は聞けなかったが、とにかく彼がどこにいて、何をしているかなど、影から見ていてほしいと言われた。途中船波さんから電話が来て、見失ってしまったが、その後に彼が階段から転落して死亡してしまったのだが、単純な理由だ。
その話をすると、来栖は眼を細くして私を見据える。
あの、妙に居心地の悪くなる目つきで。
私はそんな来栖の視線を振り払うように、言葉を続けた。
「だから、私が第一発見者になったの」
「お前は、そいつが落ちたのを見なかったんだな?」
「そう言ってるでしょ。なんか音がして、その後すぐに階段から落ちたみたいな音が聞こえて行ったら……」
向かってみたら、頭から血を流して倒れている彼を見つけたのだ。来栖は考えるように黙る。なんだろう、もし私がちゃんと見張っていたら防げたかもしれないと言いたいのだろうか。いくらなんでもそれは無理だ。階段から落ちそうになったのを見たとしても、助けに向かうのは手遅れ。それに、音がしてから現場に着くまで多少時間はかかったが、すぐに駆けつけられたとしても誤差の範囲だ。時間にして二、三分ほどしかない。その時間で助かったとは思えない。
私が文句あるかと非難に近い眼差しを向けると、来栖は鬱陶しそうに手を振った。
「別にお前を非難しているわけじゃない」
「そういう風には見えないけど」
「被害妄想の激しい奴だな。例えお前がその場にいても、何も出来なかったことくらいは想像がつく」
いちいち癇に障る言い方だ。その通りなのだが、もう少し気を使った単語を選んでほしい。頬を膨らませそっぽ向いてみる。不満ですと態度で示してみたが、来栖はまったく気づいていなかった。悔しい。
私の思いなど蚊帳の外に、来栖は呟いた。
「そうか……つまり、船波とかいう奴に頼まれなければ、お前は発見者にならなかったんだな」
「? そうだけど」
クッキーの缶を仕舞い、来栖はお茶を一口飲んで、これまたいつのお茶なのだろうか、煙草を取り出し火を点けた。
深く吸い込み、煙を吐く。
そして、そして。
おもむろに、とんでもない事を言い出した。
「殺人、かもしれんな」




