幸せの追求者
考えたことがないわけではなかった。
幸せな家庭に、幸せな人生。
けれど、どれほどの“幸せ”を感じれば、それを“幸せ”だと思えるのだろうか。
時というのは残酷なもので、両親が死んでから既に数ヶ月が経つ。いわゆる天涯孤独となった俺は、両親が残してくれた遺産と、奨学金というもので食いつないでいた。
高校二年生。
何とも中途半端な時期に両親を亡くしたものだった。周囲から極度に心配されたが、金の遣り繰りが苦手なわけでも、家事全般が嫌いなわけでもない。もともと共働きだった両親の代わりに家事全般はこなしていたし、一ヶ月にどれほど節約出来るか、ということも両親が生前の時に経験していた。
旅行によく出かける二人だったから、実際親子というのも微妙な関係だった。一緒に過ごす間は甘やかしてくれたし、愛情を注がれなかったわけでもない。
俺の家族はそういう関係だった。
だから、両親を失って悲しい、というよりどんな生き方をするか、というほうが問題だった。言ってしまえば、もう親の比護がないのだ。
一人で生きる、ということはどういうことなのか。
高校二年生にして、親族など聞いたことのない俺、本原雪は正真正銘天涯孤独となったのだった。
世界が一変する、とはよく言ったもので、俺の周囲も何かしら状況が変わった。親を失った俺を哀れに思ったのであろう教師や友人たち、近所の人々は、まるで腫れ物に触るような扱いをされた。だからどうした、というわけでもなく甘えられる部分は大いに甘えさせてもらった。
別に相手は好意でやっているのだ。それをわざわざ突っ慳貪な態度で返す必要もないだろう。
「あ、雪~! 今日はあたしん家で夕飯食べない?」
容姿端麗というのは都合がよく、女子にも人気な俺は男女問わずお世話になることがあった。
「ごめん、俺今日はバイトでさ」
「そっか、残念……また誘うね♪」
「おう、サンキュー」
軽々しい挨拶は気が楽になる。何も変わらない。
たかが少年一人の両親が死んでも、世界は円満に運ぶ。止まることなどなく、ぐるぐると回り続ける。それに何の意味がなくとも、世界が停止することなどない。
「いらっしゃいませ!」
愛想を振り撒いて真面目に働く。それは誰の目からも印象良く残り、人とのコミュニケーションもスムーズに進められる。これから生きていくのに必要なことだ。遺産だってあるし、奨学金もある。だから無理に働く必要があるわけでもないが、金が無尽蔵にあるはずもなく、なるべく親の金には手を出さないようにしていた。
それを周囲は真面目で良い子と捉えていたが、別にそういうのではない。ただ、親といっても特に親密というわけでもなく、手をつけるにはあまりにも他人の金に思えたからだ。産みの親、育ての親といっても、実質的に感じるわけなどなく、ただ事実であるだけだということ。
「ありがとうございました」
接客という仕事柄、人間観察の場としては適していた。暇潰しに客を観察する。昔からの癖ではあったが、観察していて理解したことが二つあった。同じ人間はいないということと、人はどうしようもないぐらい貪欲であるということ。
幸せそうに微笑む家庭を幾度も見てきた。しかし、それを裏切るかのように悪態をつける家庭。一体人は、どんな理想を家族に抱いているのだろうか。
両親と自分。赤の他人とまでは言わないでも、特に期待も絶望もするような存在ではない。個としてみれば家族とて他人も同然。なのになぜ、期待しては絶望するのだろうか。
なぜ、そこまで家族に期待出来るのだろうか。
俺には理解出来ないことだった。
生前の両親に、特に期待した覚えはない。会えないのはどう足掻いても会えないし、別に会えないことで不自由はなかった。
例えば、父兄参加日とか学校の行事にことごとく来なかった両親。周囲に可哀想だなんだと言われたが、俺は特に気にしていなかった。
だってそうだろう。
両親には両親の役割を果たしていただけのこと。だから余計な行事に来なかったからといって落胆する必要はない。
落胆する意味さえない。
義務教育で行っている学校。親と子のコミュニケーションだといっては何かしらある行事。
そんなものに、一体どれほどの価値があるというのか。
家族の絆だとか言う者もいるが、別にその程度で崩れさるようなものなら、別に無くてもいいものだ。わざわざ大騒ぎしてまで深める必要はないだろう。
そういう感覚を、人はおかしいというのだろう。はたまた両親を亡くしたことの傷を隠すために虚勢を張っているように見えるのだろう。だから、こんなことを口に出したことはない。出そうとも思わない。
「本原くん、今日はお疲れ!」
「お疲れ様っす、瀬戸さん」
バイトが終わり店員用の服から私服へと着替えていると、同じくバイトである先輩へと声をかけられた。先輩といっても、ここのバイトの、という意味だが。
「君も頑張るね~。奨学生だろ? 勉強とバイトの両立は難しいだろうに」
「はい。大変ですけど、これは俺がやりたいだけっすから」
適度に交わす他愛もない会話。瀬戸さんは気の良い人だと思う。他人に気配りがきいて気さくな人だ。
このバイトを始めた頃、初心者だった俺に一から仕事を教えてくれたのもこの瀬戸さんだった。この人は周囲のように、腫れ物のような扱いはしてこない。俺のことを詳しく知らないからだろうが、それでも今までの人付き合いの中で一番気楽な接し方が出来る。
深く入り込まず、当たり障りのない人間関係。それが一番の理想型である、と俺は思う。実際、この瀬戸さんとの付き合いは今までの人間関係より、遥かに付き合い易い。ある程度の礼儀を持ち合わせ、何年関係を築いても変わることがない。何年経とうと、瀬戸さんはバイト先の先輩であることに変わりはない。だから、俺は礼儀を欠かさないし、瀬戸さんも馴れ馴れしさをあまり見せない。浅く、深くない人間関係。
「それじゃ、気をつけて帰れよ」
「はい。お疲れ様でした」
「おう、お疲れさん」
そんな短い会話を終え、俺は帰路へとついた。バイト先から自宅まではさほど距離はない。自宅から学校へと通う道の、ちょうど中間辺りに位置している。自転車で一時間ぐらいかかる通学路の約半分。だから、三十分ほどしか時間はかからない。
そんな帰り道を、自転車を押しながら歩いていた。普段なら自転車でさっさと帰ってしまうのだが、今日はゆっくりと帰りたい気分だった。歩いている最中に思考を巡らせる。
人の幸せ、というのはやはり十人十色なのだろう。そこは理解できる。しかし、それでは俺の幸せとはなんなのだろうか。
家族が揃っていること?
それとも、家族という柵から解き放たれ、一人となったこと?
可哀想な人間として、みんなから慈悲を受けていること?
いくら思考を巡らせても、その問いだけは答えが出なかった。だから、ずっと考えているんだ。自分の幸せとはなんなのか。否、そもそも“幸せ”とはなんなのか。
目の前で信号が青から赤へと変わり、俺は進んでいる歩を止めた。車の通りは少ない。急いでいる時ならば信号など無視をしているところだろう。
人の規則とはなんとも穴だらけなことか。
人はそれを守らなければならないと謳ってはいるものの、それを守るのは人の善意だ。決して、破られないことなどない。破ることは簡単だ。それなのに、人は守るべき規則として、それを大義のように振舞わす。
そんな奴らにとって、それが幸せということなのだろうか。大義を掲げていることが正しいことだと、自分という存在を正当化し、人間すべてを導いているのでだと錯覚している。しかし、その規則は結局人間が作った代物だ。絶対ということはない。その上、それを守るということに固執し、本来思考すべき部分に目を伏せてしまう。
そう考えると、俺は悪寒こそするが、それが幸せだとは考えられない。人間であるのだ。思考を止めることなど、あってはならないだろう。人間は生き続けるその間を、思考し続ける生き物だ。思考を止めた人間など、家畜として飼われている豚などと同等だ。
信号が赤から青へと変わり、俺は足を進めた。車が少ないとはいえ、夜の歩道は事故が起きやすい。それは夜中なら車があまり通らないであろうという歩行者の甘い考えと、夜中なら歩行者などいないであろうという運転手の甘い考えからくる愚かな認識。こんなにも群集している人間社会で、そんな甘い考えのままいるから、事故というものが絶えないのだ。事件も似たようなものだ。人間がどういうものであるか、という根底を無視して生きられるほど、人間は少なくはない。そんな考えのままいられるほど、人間という存在はバラバラだ。
「ハァ……」
思考をし続けると、息を止める癖があった俺は、耐え切れずに息を吸い吐き出した。そして、冷たい空気を肺の中にたくさん詰めたあと、俺は再び思考の波へと意識を落としていった。
静かな街中は、考えに耽るには十分すぎるぐらい静かだ。多くの人は家でのんびりと家族とともに過ごしている時間だろう。今、この空間に喧騒などの騒音は響いてこない。全てが静まりかえり、うるさい車のエンジン音すら心地いいと感じるほどの静かさだ。そんな静かな時間帯を、俺は何より好んだ。他人と関わることも好きだが、こうして思考に耽る時間が何より好きだった。心が安らぐ、というのか、こういったことが幸せなのか、とか。色々と考えると楽しいのだ。それは、ちょうど良い遊びだった。だから、思考し続けることに意味を見出している。生き続ける以上、考えるということは捨ててはならないものだろう。野生だろうと、こうして人という社会で暮らしている今でも、思考という存在はなくてはならないものだ。
考えなければ、考え続けなければ、この世界は堕落していく一方だ。
人間が楽をして暮らせる世界?
思考することをやめる?
そんなことをした人間に、いったい何の意味があるというんだろうか。考えるということは、思考するということは野生会でも人間社会でも必要不可欠な要素だ。それなのに、それをなくしてしまうことなどあってはならない。考えるということが人間の本質だろう。そうでなければ、今こうした時代など訪れてはいない。
人が石から槍を作り出したことも、人が人を蹴落とす社会を続けていることも、今こうして立っていることすら、考えていない暇などないはずだ。
自転車を押して数十分。俺は眼下に現れた自宅の前で立ち止まった。今までずっと住んでいた場所。両親という存在と、いつから一緒に生活しなくなったのかは覚えていない。けれど、一人で大丈夫よね、と言った母の顔だけは、なぜかずっと覚えている。寂しいときがなかったとは言わない。けれど、平気だったのは本当のことだ。
二人が帰ってくるかもしれない家を、守っている気分だったからか?
帰ってきたとき、再び会えたときはやっぱり嬉しいと感じていた。だから、おそらくその当時は、両親が帰ってくるだろう自宅を守っている気分だったのだ。今では分からない過去の俺。けれど、今も昔も、ずっと考えていた。考えていないと、思考していないと、自分の価値を見いだせなかったから。
「あぁ、そうか……」
どこか納得したような声を出しながら、俺は自宅の中へと入っていく。鍵を開け、屋内へと入っていっても、そこは誰もいない空間。両親が生前のときも、学校から帰ったときに声の掛け合いなどほとんどなかった。家にいない両親。しかし、家に帰ってからそれに寂しいと思ったことはない。生きていればまた会えると、幼いながらに感じていたから。
けれど、そう思っていた両親は、永遠に帰らない存在となってしまった。
そう思った瞬間、俺の目から何かが流れた。それは頬を伝い、冷たい床の上へと落ちる。
「あれ?」
手でぬぐってみると、透明な水が手についている。それが涙だと気づいたときにはすでに遅く、次から次へと溢れる涙を止めることができなくなった。
「なん、で、泣いて……?」
不思議だった。今まで泣くという経験をしたことは少ない。自分が覚えている中でも、一回か二回か。曖昧な記憶の中だ。
泣いた頃は、誰かに慰めてもらったっけ?
どうやって泣き止んだっけ?
疑問が溢れるけれど、思考がぐちゃぐちゃにかき回されていることがわかる。何一つ、考えがまとまらない。何一つ、解決策すら見つからない。
「父、さんっ……母、さんっ……!」
心が叫んでいた。
初めての感覚だった。こんなにも心が荒れたことはない。これほどまでに何かを渇望する感覚など、感じたことなどなかった。しかし、今は間違いなく心が渇望しているのだ。もう二度と会えないと理解したとたん、この家に両親が帰ってくることなど、もう二度とないのだと気づいた瞬間。俺は初めて両親の背中を追いかけていた。
人の幸せとは十人十色だ。一人一人に、その幸せは異なる。それは、俺にも幸せがあるということだ。俺だけの、俺だけにしか分からない幸せが。
けれど、それは他人から見たら幸せとは映らないのかもしれない。単なる虚勢にしか見えないのかもしれない。けれど、俺だけの幸せなら、俺だけにしか分からない幸せで良いんだ。自分の幸せは、誰かに認めてもらうためにあるものではない。自分が幸せだと思うからこそ、“幸”なんだ。
文芸部にて書いた小説を載せました。
今更読むと、こんな作品を出してしまってちょっと羞恥心が……('A`)
まぁ、結果は酷いって分かっていますけど、色々とこちらに掲載できていないので、次の更新までの繋ぎに、と。
こんな小説でも、ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
次は、ちゃんと更新できるよう頑張ります!