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3、ロック鳥を追う者

木製のテーブルを指で引っかく。朽ち木のような天板は、軽い抵抗とともにぼろぼろとほぐれた。

アルコールの匂いが染み込んだ店内で、アランは黙って小振りなジョッキを傾けていた。

短めに刈り込んだ黒髪が清潔な印象を与える少年だ。

子供らしさの抜け切らない顔付きといい、こういった酒場の似合う男だとはお世辞にも言えないだろう。それはアラン自身も認めている。

彼は筋金入りの下戸だった。右手に持ったジョッキの中で、輪切りのレモンを浮かべたコーラが静かに泡を吹いていた。


酒場『大きなランタン』亭に閑古鳥が居座ってからしばらく経つ。

もともとカウンター席を除けば腐りかけたテーブルが一つしかない小さな店とはいえ、

そろそろ夜も更けようという稼ぎ時にも、客の姿はアラン以外にない。

他の客が来ないからとアラン達がここを溜まり場にしていなければ、とっくに潰れているはずの店である。

酒の飲めないアランのためにコーラが用意されているというのがその証拠だ。


アランはちらりと壁掛け時計を見た。

待ち合わせの時間には数分の猶予があったが、それを待たずに店唯一の扉が軋む。

「よう、ちょっと遅れたか?」

「俺が早く来たんだ。時間通りだよ」

入ってきたのは浅黒い肌の大柄な男。アランの友人であり飛行士学校の同期であるジェームズだ。

カウンターに立ち寄り、突っ伏して寝ている店主を起こさずにビール瓶を失敬してきた。

アランと同じ十代後半の若者ではあったが、彼のほうはアルコールに耐性があるらしい。

向かいに座った仲間を一瞥し、アランはコーラを喉に流し込んでから訪ねる。

「で、どうだった?」

「駄目だ」

机よりはまだ頑丈な椅子の背もたれで王冠を弾き飛ばし、瓶に口をつけるジェームズ。

「オレンジ色のレピータが来たって話はちらほら聞けたけど、その操縦士についてはさっぱりだった」

「飛行士の集まりそうな場所は探したのか?」

「まあ、知ってるところはな。だが、いかんせん手持ちの情報が少なすぎる。

 何せはっきりしてるのは乗ってる機体とその色だけ。後はせいぜい口が悪いってことくらいだからな」

「そうか……。くそ、誰だ?簡単に探せば見つかるだなんて言った奴は」

「一応断っておくが、俺じゃないぞ」

「くそ」

悪態をついてアランはジョッキからレモンを摘み上げた。

二つ折りにしてかじり付き、味の薄さに顔をしかめつつ飲み込んだ。残った皮はコースターの上に置く。

「……腹は立つけど、凄い技術だった。あの操縦士が仲間になってくれたら。あの技術を指導してくれたら」

頬杖をついたアランの言葉。ジェームズもため息とともに頷いた。


飛行機乗りにとって、技術とは己が命も同然の宝だ。

陸においては糧となり、空においては剣となり盾となる、飛行機乗りが飛行機乗りとして生きていくためには欠かせないもの。

だからこそ、それを学ぶのは容易なことではない。

ロック鳥の討伐を専門とするなら尚更だ。アラン達のように飛行士学校に通わないのであれば、

熟練した操縦士に師事、長い下積みをこなした上でようやく教わるか、あるいは独学しかない。

それだけ苦労して習い覚えたものを軽々しく同業者に教える飛行士などいるはずもなく、

ましてやアラン達は努力や才能だけでは通過できない――先立つものが必要になる――狭き門、

国立の飛行士学校を卒業したエリートと称しても過言でない身の上である。

およそ飛行機が絡んでいればどんな職でも選び放題の、バレル王国において最も恵まれた飛行士。

そんな者達に技を伝授してくれる飛行機乗りなど、世界規模で探しても見つかるかどうかは怪しかった。


「……その常識をかなぐり捨ててまで、頭を下げる価値がある」

決定的に実戦経験に欠けるものの、単純に操縦技術だけを見るなら、アラン達の実力は決して低くない。

ベテランと呼ばれる操縦士に伍するだけの技量は備えており、それに伴って操縦士を見る目もある。

二十年弱の人生でも、アランは多くの飛行機乗りを見てきた。自分より格上の飛行機乗りとて何人も見てきた。しかし、

「あれだけの腕前の持ち主は見たことがない」

「そうだな。ロック鳥を一人で倒すなんて、冗談でも誰も言わないぞ。言えるもんかよ」

アランはうつむき、ジェームズは天井を見上げる。

自分達では足元にも及ばない高みにいる橙色の飛行機に、二人は何を重ねていたのだろうか。

店名にするだけはある年代物のランタンが、気まぐれに中の炎を揺らしていた。

「……出ようぜ。また明日、同じ時間でいいか?」

「ああ」

残り少ないコーラを一息に流し込むと、アランはポケットで小銭を弄りながら席を立つ。

ジェームズはビールを飲み干してはいなかったが、瓶ごと持って帰るつもりのようだった。

真面目に仕事をするつもりがないらしい店主の寝顔の前に勘定を置き、立ち止まらずに出口に向かう。

すると、古臭い扉が控えめな音とともに開いた。

「失礼します――」

この店に、自分達以外の客が入ってくることは滅多にない。

驚く二人の前に顔を覗かせたのは、彼ら以上に酒場が似つかわしくない少女だった。


平均を下回る小さな体をしている。年は十代の半ばか、それ以下。

さらさらとしたブロンドを短く整え、吊り上がった目が凛とした雰囲気をかもし出しているが、

視線は落ち付きなく店内をさまよっている。

不安で仕方がないといった様子だ。酒場に入るのは初めてなのだろう。

「……おい」

アランが立ち止まっていると、隣のジェームズが彼を肘で小突いた。

見れば少女と目を合わせてしまう。色の薄い瞳が、心細そうにアランを見ている。大柄なジェームズよりは話しやすいと思ったのかも知れない。

「くそっ――ええと、入っても大丈夫ですよ」

恨みがましくジェームズを睨んでから、アランはなるべく刺激を与えないよう言った。

いくらか態度を和らげた少女がようやく店に足を踏み入れる。一度店内を見渡してから、不思議そうにつぶやいた。

「……お客様は、お二人だけですか?」

「ん、ああ。あまり繁盛してない店なんだ」

「そうなのですか? ここに飛行機乗りが集まっているという噂を聞いて来たのですが」

ジェームズの言葉に小首を傾げた少女は、アランの自分達が飛行機乗りであるという名乗りに慌てて頭を下げた。

若い二人の飛行士が苦笑する。見た目で飛行士扱いしてもらえないことには慣れていた。


「大変失礼しました、レベッカ・ラモニカです。

 唐突ですが、少々お伺いしたいことがあります。

 お時間は取らせませんので、ご協力をお願いできませんか?」

「まあ、俺達に答えられる範囲なら……なあ」

アランの目配せにジェームズも頷く。やや緊張した面持ちで椅子を勧めると、レベッカと名乗った少女は丁重にそれを断った。

「本当に少しですので。――それでは早速ですが、

 このお店にはロック鳥討伐を専門とする飛行機乗りが集まっていると聞いてきました。

 お二人もそうなのですか?」

「ああ、一応」

「お二人は、ここを拠点に活動されているのですか? ウルディラに最近来たばかりと言うことは」

「とりあえず、ウルディラに来てから一年くらいになりますが」

「そうですか。それでは、この近辺で最も強いロック鳥の所在を教えてください」

二人が固まった。どこからか取り出した手帳にしきりにメモを取っていたレベッカが二人の様子に気付き、

わずかに動揺の兆しを見せる。そろりそろりと手帳の陰に自分の顔を隠した。

「……あ、あの。私、何か失礼を」

「あ……いや、大丈夫ですよ」

「確かに大丈夫だけど……この辺で一番強いロック鳥の居場所を教えて欲しい、ってことか?」

「はい」

力強く頷くレベッカ。アランとジェームズは互いに顔を見合わせ、困ったように顔を引きつらせる。

ロック鳥の強さに格付けをするほどの経験など、アラン達にはない。

「どうしました?」

「いや、何でもない。すまないが、俺達にはちょっとわからないな」

ジェームズが愛想笑いを浮かべ、レベッカは特にそれを問い質さなかった。

何ごとか革張りの手帳に書きつけた後、指先でペンをくるくる回しながら上目遣いに聞いてくる。

「それでは、それがわかりそうな飛行機乗りの方に心当たりはありませんか?」

少し考え込む仕草をしたジェームズがウルディラでは有名な飛行機乗りの名前を挙げ、

アランが彼はアクロバット飛行のベテランだからと却下する。

ならばとジェームズは近所に住んでいる老年の操縦士を提案するものの、

少し前に亡くなったとアランに聞かされ、思わず唸った。

「そうか、死んじまったのか。いい人だったのにな。

 で、お前も少しは考えろよ、アラン」

「考えるも何も、あの人でいいんじゃないのか? ほら、あの街外れの」

きょとんと黙り込んだジェームズは、次の瞬間には納得したように手を打ち合わせた。その横でアランが続ける。

「街外れに、間違いなく凄腕の女性がいます。

 本業は機械の修理屋ですが、実力は本物です。ロック鳥の力量もあるいはわかるんじゃないかな」

「修理屋……? その方の名前は?」

「確か、ステファニー・ランデルマンだったと」




朝起きると、そこにステファニーの姿はなかった。

「……ステフ?」

一人暮らしの女性の家にベッドが二つあるわけもなく、ユーリは床に敷かれた毛布の中で家主の名を呼ぶが、返事はない。

右隣のベッドの上では敷布団がかまくらのように盛り上がっていた。

人が寝ていた時の形をそのまま保っているのだろう。

「今、何時――」

薄桃色の枕のそばにステファニーの懐中時計を見つけ、ユーリは何気なく手を伸ばし、

ふいに鼻をくすぐった甘い香りにびくりと身を縮こまらせた。誰もいない部屋できょろきょろと人の姿を探し、息を吐く。


そこはとにかく雑然としていた。生活に必要なありとあらゆるものを、リビングに集中させたかのような印象がある。

部屋の片隅に置かれたシングルベッドの真向かいには洗面所兼用のキッチンが据えられ、

その隣にはあろうことか洗濯機が居座っている。

脱水用のローラー部分に引っかけられた少女趣味の下着がユーリを赤面させた。たまらず横の窓に目を逸らすと、東の空に太陽が見えた。

「ステフ……隣か?」

ユーリはところどころ擦り切れたスニーカーを突っかけて立ち上がった。

昨晩のささやかな酒宴に使われたカップが片付けられていないテーブルの脇を通り過ぎ、日めくりカレンダーの貼り付けられた玄関の前へ。

途中、洋服掛け――壁から壁に渡された荒縄から、自分のフライトジャケットを取って羽織るのも忘れない。

着ていたポロシャツとゆったりした布ズボンは、ステファニーが半ば強引に買い与えてくれたものだった。ドアノブを捻る。

「――んあ。おはよう、ユーリ」

食材でいっぱいにした買い物かごを携えたステファニーが、今まさに扉を開けようとした姿勢のままで言った。


「朝飯食いながら仕事か。忙しいんだな」

「いつもはこうじゃないわよ」

ユーリとステファニーの手には、熱いソーセージを割ったパンに挟んでケチャップをかけた簡素な朝食がある。

鍵束をじゃらじゃら鳴らして二人が向かったのは、自宅のすぐ隣に建つ彼女の工場だ。

板に乗せたカマボコのような形をした建物の巨大さを見れば、

風呂はもちろんトイレすらない彼女の家の狭さにも納得できよう。

決して裕福ではないステファニーがこれだけの施設を用意しようと思えば、何かを犠牲にする必要があるのは明白だ。

もっとも工場の脇には仮設トイレがあったし、中に入ればシャワールームも存在することをユーリは知っている。

先日この家に来たユーリが真っ先にしたことは、三日近く溜め込んだ垢を落とすことだった。

「養う家族もいないし、趣味と仕事が直結してるようなもんだし。

 そんなに真面目に働かなくても、充分楽しく生活できるのよね。本当に怠けてるわけじゃないけど。

 いつもなら朝市でご飯を食べ終わって、街をうろうろしてる時間かな」

「じゃあ、何で開けるんだよ」

「昨日の話の続きをしようと思って。酒の席で話すようなことじゃなかったから」

ステファニーの寂しげな笑顔。鍵を差したままの扉を押し開け、親指で中を指し示す。

「どうせ暇でしょ? 付き合ってよ」

「ああ」

頷いたユーリがステファニーに続いて扉をくぐった。


外観の大きさに相応しく、中も広い。

コンクリートの引かれた床にはレンチやドライバー等の工具、細かな部品の類は転がっているものの、

旋盤やプレス機のような、工場に付き物の工作機械がほとんど置かれていない。

壁一枚をまるまる占拠する大型シャッターといい、どこかの軍隊の格納庫に連れて来られたような感覚がある。

実際、そこには一機の飛行機――レピータが安置されていた。

夕焼け空を連想させるユーリ機とは異なり、晴天に溶け込むような青に塗られた対ロック鳥用軽戦闘機は

しかし翼端は白く塗って主翼にイラストを描く装飾といい、使い込まれた印象といい、色以外はユーリのレピータと酷似している。

トラックの荷台にも描かれていたステップを踏むダンスシューズは、彼女の名前――”Step”hanie――を絵に表した彼女の紋章だ。

空における自らの活躍を誇示するために、飛行機乗りは自らの機体を派手に着飾る。

「見た感じ、調子良さそうだな」

「私が毎日いじってる飛行機よ? 今すぐにだって大陸横断飛行ができるわ」

飛行機を見るや珍しく表情を明るくしたユーリの言葉に、ステファニーが偉そうに腕を組んで胸を張った。

「あの名操縦士トラヴィス・シルバーをして『神』と言わしめた私の整備、

 甘く見てもらっちゃ困るってもんよ」

「まあ、言うだろうな。隊長はお前に甘かった」

「あなたにもね」

「違いねえ。……しかし、いつでも飛べるように整備してる割には、最近は飛んでないみたいだが」

ユーリが飛行機に歩み寄りながら言った。むらなくペンキの塗られた機体を撫で、プロペラの向いている方向を軽く睨む。

ステファニーは自嘲気味に唇を吊り上げた。彼の視線の先――飛行機大の物体が唯一出入りできるシャッターの前には、

とても数分で片付けられる量ではない荷物が山と積まれていた。

「会った時、トラックで言ってたことは本当なのか」

「ええ、話ってのはそのこと。あなたに謝っておきたくてね」

ステファニーの顔と、客が来た時にでも使うのか工場の一角に置いてあるソファを交互に見比べ、

結局ユーリはその場に腰を下ろした。ステファニーも寄り添うようにしてそれに習う。


鉄骨を組んだ高い天井の下、飛行機の足元に二人が座り込んでいる。

「……あなたと別れてから、私もあっちこっち飛んだのよ。

 でも運が悪かったみたいでね、行く先々でお払い箱。他の皆と一緒に、放浪生活を送るはめになったわ」

「クローズラインか?」

「それもあるけど、一番は私達の悪評が思ったより早く近隣に伝わっちゃったのよ。

 燃料と整備のことも考えて、近場から仕事を探したのがまずかったみたい。――悪事千里を走る、ってね」

ステファニーは肩をすくめて嘆息した。


ロック鳥討伐専門の飛行機乗りが自らの機体を華美に塗装し、むやみに目立ちたがろうとするのは

自己顕示欲を満たすためでもあるが、多くの場合は次の仕事を得るためである。

一目で誰のものとわかる機体でロック鳥を倒せば、その機体を駆る操縦士の評判は各地に伝わる。あちこちに名が広まる。

有名になれば次の仕事も得やすくなるし、その報酬も上がる。

ただし、この方法には一つの弊害が付きまとう。評判と同じように――否、それ以上に悪評も伝わりやすくなってしまうのだ。

「……あの失敗のツケは、思ったより大きかったわけか」

「そういうこと。もともと私達は『大陸一の飛行機乗り』って有名だったからね。

 そんなチームが、ロック鳥一匹に全滅されられたとあっちゃ――」

「あいつは普通のロック鳥じゃねえ!」

埃っぽい床を叩いてユーリが身を乗り出すが、そんな彼を見るステファニーの目は冷め切っていた。

恐らく彼の脳裏には、自分達に引導を渡したロック鳥の姿が浮かんでいるのだろう。

言われるまでもなく、あれは普通のロック鳥ではない。ロック鳥なのかどうかさえ怪しく思えるほどの怪物だ。だが、

「そんなこと、お客さんには関係ないでしょ」

ステファニーは諦観の表情で、しかし決然と言い放った。

「私達にお金を出してくれる人は、私達がロック鳥を倒してくれることを期待してるの。

 相手がどんなロック鳥だろうと、ロック鳥である以上は倒さなきゃならない。

 それが出来なければ、何を言われても仕方ないわ」

「二十機集まっても、たった一羽のロック鳥すら倒せない役立たず――ってことか?」

「言わなきゃ駄目?」

諭すようなステファニーの視線を受け、ユーリは長く息を吐いた後、一言謝罪した。

「悪かった。……で、その後はどうなった」

「辞めてったわ。ある人はチームを辞め、ある人はロック鳥討伐を辞め、ある人は飛行機乗りも辞めちゃった。

 自分を見失ってチームを離れた人もいる。あなたみたいにね」

「そうだな、真っ先にチームを辞めたのは俺か……」

「気にしないで。あなたがいてもいなくても、チームの崩壊は避けられなかったと思う。

 私だって最後まで残ってたわけじゃないし」

沈痛な顔でうつむいていたユーリは、その言葉に小さく顔を上げた。

「……じゃあ今、チームはどうなってるのかは」

ステファニーは首を横に振り、そして自分が抜けた時点で残りは三人程度になったことを付け加えた。


「チームを辞め、ウルディラに放り出された私に残ったのは、いくらかのお金と一機のレピータ……って、ありがちな展開よ。

 最初は飛行機で稼ごうかと思ったんだけど、いつぞや泊まったホテルの冷蔵庫を直したのがきっかけで

 機械修理の仕事をするようになったの」

「そう言えば、機械に強かったな。飛行機以外にもいろいろ直してたっけ」

「うん。それでお金を貯めて、作ったコネを利用してここを安く買ったわけ。

 街から遠いし、元は古くてボロボロだったから捨値同然だったわ」

「なるほど」

ユーリは立ち上がった。ゆっくり首を回して肩の凝りをほぐし、ステファニーのレピータを見やってつぶやいた。

「それで上手くいったから、今は飛行機に乗らなくなってしまった――と。そういうわけか」

「……ごめんね」

ステファニーが気まずそうに指先を擦り合わせた。自分がユーリより先に

飛行機に乗ることをやめてしまったことが後ろめたいのだろう。彼女にしてみれば、戦友を見捨てて戦場を去ったようなものだ。

「お前が謝ることはねえよ」

しかし、ユーリにステファニーを責めたりする様子は見られなかった。

ただ先ほどしていたようにレピータの青い装甲に手を触れ、愛おしげに撫でるだけだった。

「多分、お前のほうが正しい」

「ユーリ……」

ばんっ。何か言おうとしたステファニーを遮るように、ユーリは手の平で飛行機を軽く叩く。

「やめようぜ。言いたいことはわかった、これ以上話しても気が滅入るだけだ」

力ない苦笑いを浮かべたユーリに、ステファニーもまた疲れ切った微笑みを返した。




簡素なカップが二つ、盆の上に乗っている。中身の紅茶がこぼれないよう注意しつつ、レベッカはゆっくり深呼吸した。

薄汚れたオリーブイエローの出で立ちは、イミナ陸軍指定の作業用つなぎ。軍人以外が着るはずもない衣服だ。

イミナ共和国軍兵器開発部所属の一等兵。それが軍におけるレベッカの肩書きだった。

表情を引き締めた彼女の前には、つなぎと同じ色の布を張ったテントがある。

サーカス団が会場として使うものに良く似ていたが、あそこまで大きくはない。物置が二つ収まるくらいはあるだろうか。

周囲には同じようなテントがいくつか設置されている。この近辺は、レベッカの所属する部隊がバレル王国に滞在する間の拠点だった。

「失礼します」

レベッカは入口の布を退け、緊張した足取りで中に進んだ。


テント内の様子はあっさりしたものだった。中にあったのは折り畳み式のベッドと飾り気のない角テーブル。

主の趣味か、その天板に置かれた戦車の置物を挟んで二人の男が向かい合っている。

「お茶をお持ちしました」

その声を聞いて、二人はようやくレベッカのほうを見た。

「おお、レベッカ」

まとめた書類を小脇に抱えて立ち上がったのは、色黒で太鼓腹の小柄な男。マイケルズだ。

気さくな笑顔を見せたこの中尉は、レベッカ達の所属する部隊の長でもある。部下からの信頼は厚く、レベッカもその例に漏れない。

「ちょいと遅かったな、話し合いは終わっちまったぞ?」

「え?――も、申し訳ありません」

「なあに、気にすることはないさ。俺の分はもらっていくぜ」

そう言ってマイケルズはひょいとカップの片方を取り上げた。

松のこぶのような手の動きを無意識に目で追っていたレベッカは、彼の視線を受けて我に返った。あたふたと姿勢を正し、カップをテーブルに置く。

「どうぞ……」

黙ってレベッカを見ていた細面の男は、不愉快そうに鼻を鳴らすとカップを取った。

座っていても背が高いとわかるが、その身長に釣り合うだけの肉がない。

渋滞中に運転手が指先でハンドルを叩くように、一定の調子でテーブルの天板を叩いていた。

「そんじゃ大佐、私らはこの辺で。レベッカ、行くぞ」

「は、はい。――失礼します、ゴーウェン大佐」

痩せた長身の男――ヴィンセント・ゴーウェン大佐が、早く出て行くようレベッカに命令する。

その声がひどく鬱陶しそうだったのを受け、レベッカは逃げるようにテントを後にした。


「なるほどな、カードに負けてお茶くみを押し付けられたか」

茶を運ばされたいきさつを本人から聞かされ、マイケルズは豪快に笑った。隣のレベッカが尖らせた唇を盆で隠す。

「私、あの人は苦手だな。気難しそう」

「生意気な口を叩くな。相手は上官だ、敬意を持って接しろ――と、一応は言っておこう」

実は俺も同感だがな、と頷いてみせるマイケルズ。彼よりはわずかに低い位置にあるレベッカの頭に手を置き、

「まあ、本人の前では言わないこった。それ以外なら許すけどな」

そう言って白い歯を見せた。きょとんしていたレベッカも、それに釣られてくすりと笑う。

軍人でありながら、マイケルズには上下関係を軽んじるところがあった。

部下の礼儀作法はまるで気にせず、自分に対しての敬語は使わないことを奨励している。間違いなく軍人としては最低の男だ。

しかし彼には人望がある。上も下もなく人と付き合うその姿勢が、部下の心を掴んでいるのだ。レベッカは一人結論した。


「んー? どした?」

「何でもないよ。それより、何の話し合いだったんだい?」

「この間のことについてだな」

マイケルズは脇に挟んでいた書類をレベッカに手渡した。

見て良いのかと聞かれ、当然のように首を縦に振る。左上にひもを通して束ねた紙をレベッカが数枚めくり、

「……ああ、この間みんなで調べてきたやつか」

「そう。強いロック鳥の居場所を知っていそうな、腕のいい飛行機乗りのリストだ」

そこには飛行機乗りの名前と簡単な情報が書き連ねられていた。

表の中から、レベッカは自分が調べた飛行機乗りの名前を探してみる。

ステファニー・ランデルマンという女性を調べてきた者は、自分の他にも何人かいるようだった。

「まとめてみると、どこで調べても挙がってくる名前はある程度同じだってことがわかった。

 同業者すら認める腕利きの飛行機乗りってことだ。俺達はそいつらと接触を取り」

「ロック鳥の居場所を聞き出すというわけだね。

 言いたいことはわかるけど……兵器開発部所属の軍人がする仕事ではないよね」

「それを言ったら、聞き込みだって技術屋の仕事じゃないさ。今更そんなことを言ってても始まらないだろ」

取っ手に通した人差し指を軸にカップをくるくる回していたマイケルズが、ふいに立ち止まって首を回した。

彼の見つめる先に、遠目にもそれとわかる大砲がある。

 

草原の地面に土台が固定されているものの、砲身は自由に旋回し、角度をつけることも可能なようだった。

砲塔が二門水平に並んだデザインといい、あちこちの展望台に設置されているような双眼鏡に良く似ている。

「慣れない仕事だが、頑張ろうじゃないか。

 あれを使ってロック鳥を倒すためにな」

双眼鏡の化け物を指差し、マイケルズが言う。



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