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2、ユーリとステフ

バレル王国ウルディラは、ギンラ大山脈を間近に見上げる高原に位置する。

街といっても小規模なもので、実際には大きな村と説明したほうが賛同を得られるだろう。

周囲を囲む平坦な草原を牧草地として利用、古くから牧畜が盛んであるが、

山脈越えの出発点にするには他の街のほうが便利だったこともあり、それ以上の発展には恵まれなかった。

都会の大渋滞に慣れてしまった者なら、この道路を走る自動車の少なさを見て、

「通行止めの道路に迷い込んでしまったのか」と不安になるに違いない。しかし、これがこの街の普通の姿だ。

道路も石畳やアスファルトではなく、単に草原を焼き払い、土を踏み固めて作ったもの。

そこに面しているのも、山から切り出してきた石を積んだだけの簡素な建物が大半だった。


「何とも、のどかな街ですなあ」

買い物客で賑わう商店街を見渡し、小柄な男が豪快に笑う。

短く刈り込んだ髪はすっかり白と黒のまだら模様になってしまっていたが、

身長の割にがっちりとした体と日焼けした肌は、老人と呼ぶにはまだ早いようにも思える。

油に黒く汚れたオリーブイエローのつなぎに、太鼓腹が窮屈そうに収まっていた。

「気に入りました。私も退職したら、こんな土地で余生を過ごしたいものですよ。いや、良い街です」

「そうは思っていない者もいるようだがな」

白い歯を覗かせた小柄な男にそう言ったのは、隣を歩いていた長身の男だった。

痩せた体で着こなしている軍服は小柄な男のつなぎと同じオリーブイエローで、その色もデザインもバレル王国軍の軍服とは違っている。

「そいつは何のことで?大佐」

「見ろ」

大佐と呼ばれた長身が視線で左方を示す。


白い建物の壁に寄りかかり、空の酒瓶を足元に転がして、赤毛の青年がうなだれていた。

二人の男の視線にもまるで気付かず、死体のようにぴくりとも動かない。眠っているようだった。

「浮浪者ですかね? まあ、この時期なら外でも眠れるでしょうが」

「飛行機乗りらしいな」

羽織っているのは赤茶色のフライトジャケット。薄汚れたズボンの尻に敷いているのは耳当て付きの飛行帽。

手にはゴーグルまで握っている。絵に描いたような飛行士の服装だ。小柄な男は納得したように頷いた。

「そのようですな。飲んだ帰りに眠ってしまったのか、もともと帰る家がないのか……

 近頃はギンラ大山脈のふもとですら、飛行機乗りの仕事は減っていると聞きますが――彼もその被害者ですかね?」

「復唱しろ、マイケルズ中尉」

「はい?」

小柄な男――ジャッキー・マイケルズ中尉が青年から顔を上げると

そこには薄い唇をぶるぶると震わせる長身の男がいた。

やれやれ、またか。呆れの表情をどうにか隠したマイケルズ。男は神経質そうな細面を苛立ちに歪めている。

「航空郵便業、旅客機の操縦士、サーカスでのアクロバット飛行――

 飛行士の仕事は多い。飛行機乗りはそういった仕事をしていれば良い。

 そういった仕事だけをしていれば良いのだ」

「はい」

「わかるか中尉。ロック鳥討伐を飛行機のみに任せるような時代は終わった。

 そんなこともわからず、理解できず、新たな仕事を探すこともせず、ただ過ぎ去った過去にすがり続ける愚か者――

 同情する余地もない。そんな者達が、どうして被害者と言える?」

「まったく、その通りであります」

どことなく棒読みに聞こえるマイケルズの同意に、それでも男は満足したようだ。

ヒステリックな雰囲気の、見た者が鳥肌を立てるような笑みを浮かべていた。

マイケルズが心中で舌打ちする横を、買い物の途中らしい太めの中年女性が通り過ぎ、

「……何だよ、お前ら」

その足音を聞き付けてか、青年が力なく顔を上げた。


青年は自分を見下ろしている二人の男に冷ややかな視線を投げかける。長身の男が応じた。

「大したことではない。屋根のある家で眠れないような貧乏人が珍しかっただけだ」

悪意を隠そうともしない上官の言葉にマイケルズが身を強張らせ、

「なるほど、家のない飛行士を見るのは初めてですか。

 さすがはイミナ陸軍の大佐様、世間知らずでいらっしゃる」

軍服をちらりと見ただけで国はおろか、所属する軍と階級まで言い当ててしまった青年に、長身の男も身を強張らせた。

青年は皮肉っぽく口元を吊り上げて笑う。

「そんなイミナの大佐様が、こんな田舎に何の用で?」

「貴様に話すことではない」

「ああ、これは気が利きませんで」

身長差のある二人を交互に見比べて、納得したように頷く青年。

「青空の下、軍服でよがり合うようなのがお好みでしたか。

 どおりで、海も遠いのに生臭いと思いましたよ」

臆面もない発言。マイケルズが絶句し、長身の男が肩を震わせながら上着の内側に手を突っ込む。

背後を走り抜けたトラックの音がやけに大きく感じられた。

「貴様……言わせておけば――な?」

軍服の中で拳銃を握り締めた男は、青年がぽかんと横を向いていることに気がついた。

「おい、貴様――」

男の問いには答えず立ち上がり、己が見ていた方向へ駆けていってしまう青年。

思わず手を止めてしまっていた男が我に返った頃には、その姿は二つ先の曲がり角の奥に消えていた。

「……ちっ」

長身の男は舌打ちし、胸の中の銃を取り出さずに手放した。不快感を隠そうともせず、足元の砂を蹴り荒らす。

「何だったんでしょうかね、あの飛行士。なかなか威勢のいい男でしたが」

「もういい……奴の話は金輪際するな。行くぞ」

「……はいはい、了解ですよ」

早足で歩き出す長身の男。

その背中に『くたばれ』のサインを突き付け、マイケルズが続く。



車同士がすれ違えるかどうかという狭い道を縫うように走り、

青い小さな三輪トラックは、何の変哲もない民家の前で停まった。

何も詰まれていない荷台に、華麗なステップを刻むダンスシューズのイラストが描かれている。

やがて排気管が煙を吐くのを止め、エンジンが停止し、運転席の扉が開き、

栗色の髪の女性が跳ねるように降りてきた。


よほどトラックの運転が退屈だったのだろうか、女性は自分の足で地面に立つや、大きく体を反らして伸びをする。

やや高めの位置でまとめたポニーテールが揺れ、さしたる起伏もない胸が作業服を押し上げた。

化粧っ気のない肌が、味気のないライトグレイの作業服が、香水の代わりに漂わせる機械油の匂いが、

自己の外面に興味がなさそうな出で立ちが、彼女を二十三歳という実年齢より幼く見せている。


女性は助手席に置いていた型遅れのラジオを小脇に抱えると、

作業服の襟元をぞんざいに直していた手で民家の玄関をノックした。少しして、腰の曲がった白髭の男が顔を出す。

「どちらさんだい……おお、ステファニー。どうしたのかね」

「決まってるじゃないですか。ラジオの修理が終わりましたよ、ほら」

ポニーテールの女性ステファニーが人懐っこい笑顔を浮かべ、老人の前にラジオを掲げてみせる。

老人は一瞬驚いたように目を見張り、すぐに頬を緩ませた。

「おお、早いな。もう直ったのかね」

「ばっちりですよ。ちなみに外側の掃除はサービスです」

「まるで新品のようだな。大したものだの」

自ら光を放っているかのように輝く――修理を依頼した時には傷だらけになっていたはずだった――メッキパーツを撫で、老人が目を細める。

懐かしいものを見る目だった。彼はラジオを見ていたのか、それとも別の何かを見ていたのか。彼以外の者には知る由もない。

老人はこのラジオが死んだ妻の形見であることを告げ、ステファニーは何も言わずに微笑む。


「何しろ古いものだから。どこの工場に頼んでも、部品が足らないの一点ばりでな。

 半ばあきらめておったんだよ。……モーゼスの言う通りだ、若いのにいい腕をしておる」

「ありがとうございます。そうですか、モーゼスさんの紹介でしたか」

「ああ。上機嫌だったよ、壊れたレコードを三日で直してもらったー、と」

「ま、私の腕なら当然ですよ」

ない胸を張るステファニー。半ば本気で自慢しているようだったが、それが嫌味に聞こえないのは彼女の魅力と言えるだろう。

老人は思わず苦笑いを浮かべた。話しながら取り出していた財布を開き、中から修理代を抜き取る。

「ほれ、お代はこれでいいのかな」

「はいはい、毎度」

ステファニーがポケットにねじ込んだ数枚の札は、この街での機械の修理費としては割安だった。

そのことを問えば、一人暮らしなのでお金はあまり必要ないという。

「おかげで簡単な仕事が多く来ますからね。ちょっと壊れたけど、高い金払って修理に出すのはもったいないー、ってのが」

そう言ってステファニーは笑った。老人は納得したように頷き、それならと人差し指を立てる。

「お昼はまだだろう、ステファニー。中で食べていくといい」

「ありゃ、いいんですか?」

「もちろんだとも。パスタを作ったんだが、一人で食べるには多すぎると思っていたところだよ」

「あ、それじゃあ遠慮なくご馳走にな――」

「ステフか?」

ぱちんと手の平を合わせて笑顔を見せていたステファニーが、靴底も焼けよとばかりに回れ右した。

地面を蹴り飛ばしてスタートを切り、老人のことなど忘れてしまったかのような勢いで道路を横断、

三輪トラックの陰から顔を出した車に追突されかけ、怒鳴る運転手にぺこぺこ頭を下げている。

呆然とする老人。走り去った乗用車を見送るステファニーの横に、赤茶のフライトジャケットを羽織った青年が並んだ。

「……ああ、やっぱりステフか」

「ユーリ!」

鼓膜に痒みを覚えるほどの奇声。ステファニーは満面の笑顔で赤毛の青年に飛び付くと、迷いなくその唇にむしゃぶりついた。

開いた口の塞がらない老人の前で、彼女の細い体があっさりと突き飛ばされる。

ふらふらと踊るように――むしろ踊りながら戻ってきたステファニーは、玄関前でびしっとポーズを決めると

「すいません、用事ができてしまいました!お昼ご飯、ご一緒できなくてすみません!残念です!」

これ以上ないほど嬉しそうに言った。

「あ――ああ、そうか。それじゃあ、また今度。いつでも来るといいよ」

「ありがとうございます!今後ともステファニー・ランデルマンをご贔屓に!」

ステファニーは右手の指を真っ直ぐ伸ばして敬礼した。

風を切る音が聞こえるほど機敏で、しかも美しい。

見れば当然のようにトラックの助手席に乗り込んでいた青年も――しきりに左手で口元をこすりながら――完璧な角度で右手を額に当てていた。

「それでは!失礼します!」

運転席に飛び込むステファニー。トラックは近所の住民が例外なく振り向くような爆音を奏で、土煙を巻き上げ走り去る。

玄関前にはタイヤが砂を掻き分けた痕と、立ち尽くす老人が残された。




「半年……いや、この街に来る前だから一年ぶりくらいになるのかしら?

 本当に驚いたわ。何、いつ来たの?」

「一昨日」

「二日も野宿してたの?」

「あれ、言ったっけか。宿取ってないの」

「ううん。でもちょっと汗臭かったから。少なくともシャワーは浴びてないなと」

「そんなに臭うか?」

「今は平気よ。キスする前に思ったの」

「……そう思ったなら離れろよ。舌まで入れやがって」

ユーリ・ソーンツェフは全開にした窓から腕を投げ出し、後方に流れていく街並みを眺めている。

ふてくされたような表情をしていたが、隣で流行り歌を口ずさむ運転手にそれを気にする様子はなかった。

彼が本当に不機嫌なわけではないことを知っているからだ。

人相が悪いと言うのだろうか、意外に整った彼の顔は、その実どうしても他人に良い印象を与えない。

もともと表情に乏しい男でもある。陰気な髪型も手伝ってか、ユーリは常に機嫌の悪い男だと誤解されがちだった。

そのことをステファニーは良く承知している。


「で、厄介になって大丈夫か? お前も金がないんだったら、別に構わなくても」

「あー、大丈夫よ。実は機械の修理屋始めてね。少しは余裕があるから」

「そうか……じゃあ、悪い。世話になる」

ユーリは窓外に出していた腕を引っ込めて小さく頭を下げた。水臭いわよ、と笑うステファニー。

「あなたと私の仲じゃない。……でも、どうしてそんなに金欠なのよ。

 私をあてにしてたってわけじゃないんでしょ?」

「ああ。ロック鳥が多いらしいから、もしかしたらいるんじゃないかとは思ってたけどな。

 本当に会えるとは思わなかったよ」

「じゃあ、どうして?」

「レピータの燃料代。あと、他に弾薬代がかさんでな」

「弾薬?」

「実はここに来る途中、ロックと鉢合わせした」

「……何ですって?」

ステファニーの表情が硬直した。自分を凝視する運転手に前を見るよう忠告し、ユーリは続ける。

「言った通りだ。ここに飛んでくる途中、ロック鳥に出くわした。というか、俺が一方的に見つけた。

 無視しようかとも思ったんだが、先にそいつと戦ってた連中がとんでもないヘタクソ揃いでな」

「それで助けに入ったわけ? よく無事だったわね」

「普通のロックだったら俺だって逃げ出したんだが、運のいいことにそのロックがまだ若かった。

 俺一人でもどうにか倒せたよ。で、止めと後始末はヘタクソに任せて、後はさっさと飛んできたわけだ」

「へええ……」

先ほどまでとは一転、ユーリは楽しそうに両腕を動かし、ロック鳥と自機の動きを説明する。

感心したように相づちを打っていたステファニーは、

「お前も一緒だったら良かったな。

 そしたら、あのヘタクソ連中に本物のロック鳥討伐ってのを見せてやれたのによ」 

その一言に大きく目を見開き、次いで気まずそうにユーリから視線を外す。つぶやいた。

「……それは、どうかしらね」

「何がだよ。まさか腕が落ちたのか? そんなはずないだろ、この辺りはロック鳥が多いって聞いたぞ。

 それに、エンペラーだって目撃されたって――」

「ごめん」

訝しげに質問を投げかけてくるユーリを一言で制し、目を泳がせたままステファニーは言う。

「ウルディラに来てからは、数えるくらいしか飛んでないの。

 ロック鳥討伐は、前にあなたと一緒だったのが最後よ」

「……何だって?」

今度はユーリが固まる番だった。信じられないという思いをありありと顔に出し、運転席の側に身を乗り出す。

小さく息をつき、ステファニーは女は現実を見ちゃうもんなのよと前置きした。

「何か、世の中に疲れちゃってね」

そして舌を出して笑う。ずっと元気だった彼女が、その一時だけはひどく憔悴して見えた。


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