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1、橙色の戦闘機

「スティーブ! 脱出しろ、スティーブ!」

アラン・アンサルドは悲痛な声をあげた。

風防の片隅に咲いた炎の花が、長い付き合いだった級友の最期を彩っていた。荒く通信機を操作する。

「……アランだ!スティーブは脱出できたのか? 確認した奴はいないか?」

いくら待っても返答はない。誰も何も言わなかったが、その沈黙は何よりスティーブの結末を雄弁に物語っている。

手の震えが伝わらないよう、操縦桿を握る力を少しだけ緩めたアラン。別の仲間の声が、イヤホンを介して彼の耳に届いた。

『アラン、悲しいのは俺達だって同じだ。今すべきことは』

「わかっている!くそっ!」

アランは感情に流されやすい男だった。

悪態をついて再び操縦桿を握り締めた彼の目には、スティーブ機をやすやすと握り潰した一羽の鳥が映っている。

畏怖の念を感じずにはいられない雄大な翼に似合わず、つぶらな黒い瞳が可愛らしいその鳥は、しかし鳥と呼ぶには巨大すぎた。

嘴の先から尾の先端までの距離がちょうど、飛行機のプロペラの先から尾翼の先端までの距離と一致する。


鳥は地に落ちた飛行機の残骸から立ち昇る黒煙を見物するように飛んでいたが、

やがて煙への興味を失ったのか大きく体を傾け、緩やかに左へ曲がり始めた。

「来るぞ!作戦変更、まずは俺が仕掛ける。後に続いてくれ」

『アラン、ロングボウはどうする? 乱戦に入るとネットが撃てない』

「一応、いつでも撃てる状態で待機しておいてくれ。ロックには近寄るなよ」

『了解だ』

指示を飛ばしているのがアランだとわかったわけでもないだろうが、鳥はアランの声に合わせて旋回を止めていた。

そして飛んでくる。翼で空気を叩き、みるみる加速するブラウンの巨躯。

エンジン音にも掻き消されない力強い羽音がアランの耳に届く。

秒刻みで強まっていく威圧感。

「仇は取ってやる……!」

アランは深く息を吸い込むと、気合いとともにスロットルレバーを押し込んで叫んだ。

「さあ、行くぞ!各機散開!」

喉に巻き付けたマイクがアランの声を拾い、それを聞いた仲間達がそれぞれに雄叫びを上げる。

V字の編隊を組んでいた飛行機は大がニ、小が六の八機。どれも例外なく派手好みに塗り飾られていたが、色使いや構図には統一性がない。

まるでそれぞれが自らの存在を誇示したがっているかのようだ。

八機の飛行機は、図ったように同じタイミングで空を滑る。


まず最前列を飛んでいた二機が左右に傾き、突っ込んでくる鳥を避けるように曲がった。

他の六機より一回り大きな機体の、どこか不格好で鈍重な急旋回。

次いで加速した五機の小型飛行機が軽やかに前方の二機を追い抜き、思い思いの位置に散らばっていく。

そしてアランは鳥の予想到達点に取り残された。

白地に赤で炎の絵が描かれた機体の操縦席から、すでに鳥の目線までも見て取ることができる。

鳥の目は間違いなく彼を、彼の乗る飛行機を捉えていた。

アランは微妙に機体の向きを調節する。アランと鳥との間に、照準機の十字が割り込んでくる。

「落ちろ、ロック!」

アランは操縦桿上部、機銃の発射レバーに指をかけるとためらいなく引いた。

主翼下部に取り付けられた機銃が火を吹く。離れた位置で交差して伸びる二本の火線は、しかし鳥を撃ち抜くことはない。

鳥が何かをしている様子はないのに、照準が微妙に狂い、弾が当たらないのだ。

機銃が何かトラブルを起こしたのかも知れない。アランは毒づきながらも狙いを定め直す。

「くそっ、今度こそ――」

『アランっ!』

アランの耳に飛び込む仲間の声。射線軸上に鳥を捉えることだけに集中していたアランは

目前に接近していた鳥に驚き、反射的に操縦桿を引き起こす。

唐突に上昇した紅白の飛行機の真下を、間髪いれずに鋭い嘴が駆け抜けた。

『アラン、無茶はするな!』

「すまない、助かった!」

通信に叫び返しながら、アランは乱暴な操縦で飛び去った鳥を追う。

速度を落としつつ、左に旋回。傾いた機体の中で首を捻ると、仲間の飛行機に集中砲火を浴びている鳥が見えた。

同時に、それが対した戦果を挙げていないということも確認してしまう。

飛び交う五機の飛行機から放たれる弾丸を、鳥はひらりひらりとかわしている。

アランは歯噛みした。自分達の腕ではとうていあの鳥を仕留めることなどできない、そんな弱気な思いが頭を過ぎる。

「くそっ……」

苛立ち紛れに機体を水平に戻すアラン。鳥は適当な一機に狙いを定め直したようだが、

それを囮に攻撃するには、アランと鳥に距離がある。アランはスロットルレバーに手を伸ばし、

『こちらジェームズ!大変だ、所属不明の飛行機が一機、そっちに向かってる!』

「何?」

前触れもなく知らされた緊急事態に目を丸くした。

戦闘には参加していない、大型の飛行機に乗っていた仲間からの通信だ。伸ばした手を引っ込めて通信機のスイッチを入れる。

「こちらアラン!どういうことだ!説明しろ!」

『言った通りだ、俺達以外の飛行機がいる!ロックに接近してるぞ!』

「何とかロックから遠ざけてくれ!」

『無茶言うな!通信が繋がらないんじゃどうしようもない』

「だったらそいつの横につけろ!操縦士に直接――」

アランが口を閉じるのを待たず、操縦席に射し込んでいた太陽光が一瞬だけ遮られた。

弾かれるようにアランは真上を見上げるが、日を陰らせた原因はすでにそこを通り過ぎ、アランの飛行を邪魔するように前へ降りてきた。

見慣れた飛行機の後ろ姿に、アランは思わずその名をつぶやく。

「レピータ……?」

見慣れていて当然である。アランも、スティーブも、鳥と戦っている五人の仲間も、皆同じ機体に乗っているのだ。

前に割り込んできた小型飛行機――レピータはずれるように左に曲がり、速度を落としてアランの横に並ぶ。

翼に翼をかすらせるような際どい飛行だったが、それを行った操縦士はアランのほうを見てもいない。

「凄い」

アランは感心を声に出した。同じことができないわけではないが、ここまで危なげなく滑らかに行う自信もない。

飛行技術は自分と伍するか、あるいはそれ以上。アランは隣の操縦士の実力をそう読んだ。

機体には橙色の塗装が施され、翼の先端だけが白い。華美な印象がないのは、全体がくすんで黒ずんでいるためだろう。

元は果実を思わせる鮮やかなオレンジに塗られていたに違いない。年季と風格が感じられる飛行機だ。

右の主翼に可愛らしくデフォルメされて描かれているのは、彫りの深い顔立ちをした男の絵。

塗装とは別に翼に絵を描くのは、古参の操縦士が好んで愛機に施す装飾だった。


ふと気付くと、操縦士はようやくこちらを見ていた。

ゴーグルが光を反射して表情が読み取れない。右手で操縦桿を握り、左手でしきりに通信機を指し示している。

同じ機体だから、通信機も同じところにある。向こう側の意思を汲み取り、アランは左手の指を何度か繰り返して立てた。

指で教えたのは通信機の周波数だ。橙の操縦士が左の手元をいじるような仕草を見せ、

アランのイヤホンにやや大きめのノイズが混じり、すぐに収まる。

『……そこの紅白まんじゅう。聞こえるか』

紅白まんじゅうというのはアラン機の塗装を見て言ったのだろうか、聞こえてきたのは若い男の声だった。

飛行士学校を卒業して間もない自分よりは年上だろうし、そもそも雑音混じりの通信機越しでは判断しにくいものの、

それでも彼の操るレピータの使い込み具合に、この少し高い声は似つかわしくないように思える。

口調は乱暴で、どこか皮肉っぽくもあった。アランはどうにか舌打ちをこらえて返答する。

「良好。見ればわかるだろうが、今我々はロックと交戦中だ。すぐに離れろ。危険だぞ」

『うるせえ、ヘタクソ』

忠告に返ってきたのは、火を見るより明らかな侮蔑だった。


「……今のは、俺の操縦について言ったのか?」

『おめでたいのは塗装だけかと思ったが、頭もか? 決まってんだろ』

長い沈黙の後、ようやく搾り出されたアランの発言を、しかし操縦士は鼻で笑う。神経を逆撫でするような『あー、やだやだ』に続けて

『ただ真正面から突っ込んでくる奴に当てられないようじゃ、お世辞にも上手だとは言えないねえ。

 ましてや照準の調整に気を取られて敵の接近も忘れるなんざ……マジで笑わせてもらったわ。腹痛え』

傍聴していた大型飛行機の操縦士が唖然とするほどの皮肉を早口に並べ立て、

「こっ……こいつ!今すぐ訂正しろ!」

『何を訂正する必要があるんだよ。ロックが体当たりしてきたら、鼻水垂らしたガキだって逃げ出すぜ?

 ガキにできることもできないようなボケナスが、偉そうに口答えすんじゃねえ』

アランの堪忍袋の尾を一刀のもと両断した。怒りに我を忘れ、アランは左ペダルを思いっきり蹴り込む。

赤と白のレピータが操縦されるままに体当たりを仕掛けたが、

その標的は急に右へ傾いたかと思えばアランの頭上に上昇、ひっくり返ったまま右隣に下降して元の高度に落ち付いた。

まるで面子が裏返るようである。何事もなかったかのように体当たりをかわした橙のレピータを呆然と見つめるアラン。

虚仮にされた怒り、そして自分には真似できないような高度な技術を見せつけた操縦士への劣等感に、ますます頬を赤くする。

『体当たりとは驚いたよ。ずいぶんと高度なテクニックを教わったんだな。お前、師匠の名前は?』

オレンジ色の飛行機がくるりと反転し、再び操縦席が上を向いた。ひゃはは、という操縦士の高笑いに、アランは何も言い返せない。

国立バレル飛行士学校を主席で卒業という肩書きを持つ彼だったが、そのことをここで言ったなら

操縦士はますます図に乗るだろう。自分だけでなく、同じ学校を卒業した仲間のことまで馬鹿にしかねないことは容易に想像できた。

アランは話をどうにか変えようという意図のもと、胸のむかつきを吐き出すように息を漏らす。

「……要求は何だ? 俺を馬鹿にするために飛んできたのか?」

『マヌケ。俺はレピータで飛んでる。すぐそこにロックがいる。することは一つだろが』

内容こそ相変わらずの悪口だったが、操縦士の声色は明らかに変わっていた。

作品に集中する職人のような、あるいは弓に矢をつがえた狩人のような緊張感。アランの首筋が粟立ち、彼自身がそれに気付かない。

『紅白まんじゅう。お前、積んでるのは通常弾だけか。薬品弾は』

「あ……いや、薬品弾はないが、焼夷弾なら」

『準備してこのまま飛んでろ。鳥さんの落とし方を教えてやる』

言うが早いか、橙のレピータはいきなり前に踊り出た。


「あっ……!」

アランが止める間もなく必要最小限の傾きで旋回、橙のレピータは標的めがけて滑空する。

鳥よりも低い位置から接近して、まるで速度を落とさずに上昇。逃げる飛行機と追う鳥の間をすり抜けた。

『な、おい、誰だありゃ!』

見慣れない色の同型機に気付いた仲間の通信が聞こえたが、その質問に答えられる唯一の男は何も言わない。

鳥は追っていた緑のレピータより、派手な橙のそれを気にしたようだった。唐突に頭と翼の向きを変え、オレンジの機影を追尾する。

果たして、その機体は鳥の真上にいた。

その光景を目撃した操縦士の全員が――恐らくは鳥すらも――驚愕する。

背面飛行で鳥とすれ違い、間髪いれずに急降下した橙のレピータは

あらかじめ引かれていたレールの上を滑ったかのように鳥の背後を取り、何の前触れもなく機銃を放った。

主翼から伸びた火線が鳥に吸い込まれ、抉れた肉片と羽毛が千切った雑草のように空を舞う。

たまらず鳥は翼を伸ばして急旋回したが、それで避けた弾丸は数発だった。

鳥が右に回ろうが左に回ろうが、橙のレピータはすぐさまそちらに回頭して追ってくる。両者が見えない糸で繋がれているかのようだ。

無数に穿たれた穴から溢れる鮮血を引きずり、鳥は悲痛な声を上げた。


『おい、紅白まんじゅう』

イヤホンにふいを突かれ、我に返るアラン。橙のレピータの戦いぶりにすっかり見惚れてしまっていた。

それを気取られるのを恥ずかしがってか、対応がぶっきらぼうになる。

「……その紅白まんじゅうというのはいい加減やめろ。アランだ」

『そうか。じゃあ紅白まんじゅう、お前、こいつを仕留めてみろ』

「はあっ?」

反論を頭から無視されて眉をひそめたアランは、次の瞬間には身もふたもなく声を裏返らせていた。

『俺がやってもいいんだがな。こんなとこで戦うとは思ってなかったから、弾数が怪しい。

 自分達がケンカを売ったロックだろ、とどめくらいは自分で刺しな』

「それは……無理だ。狙うまではできるが、撃つとどうしても照準がずれる。整備不良らしい」

『馬鹿か。そりゃお前の腕が悪いんだよ。機体のせいにしてんじゃねえ』

蔑むような操縦士の言葉に、アランは反論しようと思わなかった。実力差に謙虚になったのではない。

橙のレピータに追い回されていた鳥が、何を思ってか再び自分めがけて突進してきていたのだ。

『お前が誰に飛び方を教わったのかは知らないけどな、機銃の撃ち方くらいは教わったろ。

 引き金を引く時に力を入れると、操縦桿が動いて狙いが狂うんだ』

「そんなのは知ってる!さんざん練習した!」

『口答えすんじゃねえってさっき言ったろ。いいか、意識して力を抜け。わかったな』

何か言い返そうと思ったが、接近する鳥の迫力に負けた。

泣きそうになりながらもアランは照準機に鳥を補足し、焼夷弾の発射レバーに指をかけ、

そのまま引きそうになって初めて操縦士に言われたことを思い出す。

「くそっ!意識して、力を……」

リラックスするための努力というのは歯痒かった。

巨大な鳥が目前に迫っているという恐怖を必死に拭い去り、アランは少しずつ腕の力を抜いていく。

全身の筋肉が強張ってしまっていた。右腕だけが、不安になるほど脱力していた。鳥が射程距離に入った。小さく神に祈り、レバーを引いた。

細かな振動が伝わり、撃ち出した弾は一瞬で鳥の体に沈み、そして、

『やればできるじゃねえか、紅白まんじゅう』

断末魔の悲鳴を上げた鳥の体を、舐めるように炎が包んだ。


鳥の背後に張り付いていた橙のレピータが、上昇して流れ弾を避ける。

『やったぞ!やったぞ!仕留めた!落っこちてく!』

『アラン、聞こえるか?間違いなく死んでる!俺達の勝ちだ!』

ひどいノイズとともに、仲間達の歓声が耳朶を打った。数度の深呼吸の後、首を捻って下を確認してみる。

炎と黒煙をまとって落ちていく鳥が、今まさに緑の草原に叩き付けられる瞬間をアランは見た。

「勝った……」

無意識に口をついた言葉を、アランはかぶりを振って否定する。勝ったのは自分ではない。

アランは狭い操縦席の中でどうにか体をほぐしながら、機体を緩く旋回させて橙のレピータを探す。

くすんだオレンジの飛行機は、北の空で豆粒のように小さくなっていた。

「あーっ!お、おい、ちょっと!待ってくれ!おい!」

慌てて叫ぶアランだったが、これだけ距離が開いては電波が届かない。通信機が役立たずになる。

「こちらアラン、あのレピータはどうしたんだ?」

『どうしたって、飛んでったよ、北に……。見えてるだろ?』

小さな点はすでに輪郭がかすみ、ギンラ大山脈のシルエットに溶け込んでしまっている。

機体が同じである以上、今から追いかけたところで絶対に間に合わないのは目に見えていた。

『まあ、北に行ったなら、ウルディラに向かう気だろう。探せば見つかるはずさ。

 俺達も戻って後始末を済ませよう。スティーブのこともあるしな』

「……あ、ああ」

アランは呆けたように遠ざかる機体を見送っていたが、

もはや生存は絶望的な友人の名前に瞳を伏せ、編隊を組み始めた仲間達に続いた。

もう一度、鳥の亡骸を見下ろす。

鳥を焼く炎はだいぶその勢いを弱めていた。周囲の草は黒く焦げていたが、青草に燃え広がることはないだろう。


名をロック鳥。世界最大の鳥類にして、生態系の頂点に君臨する最強の生物。

過去には気まぐれで村を一つ潰したという、人類の天敵でもある。

大きな街の周辺には迎撃の準備が整えられ、飛行機が機銃を積んで飛び回るようになってからも、

その脅威が完全に消え去ったとは言えない。

高地に生息するロック鳥が真っ先に狙うような山岳地帯の小村に、

対ロック鳥用の高価かつ巨大な兵器を導入することは難しいからだ。

だからこそ、ロック鳥退治を専門とする操縦士が重宝がられる。

ある者は高額な報酬のために、ある者は人々の安息のために、ある者は同じ戦場を飛ぶ仲間のために、

操縦士達は派手に飾った愛機を駆り、命を賭けてロック鳥と戦ってきたのだ。


ほんの数年前までは。



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