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雨男ときどき晴れ  作者: いちみんればにら
五月のこと
7/22

(5)~雷雨は去ったものの、~

 飯盛いいもり 双玄そうげん。この名前なら、知っている。三年前、名前以外・秘匿ひとくで話題になった、天才書道家だ。もちろん、”双玄”というのも本名ではないのだろう。3年前というと、俺がまだ12、3歳の頃だ。

 あの人のおかげで、俺は今ここにいるんだ。


 結局、謎の生徒と、彼をからかっていた生徒3人は停学1週間ということで話はついた。校長室を出るとき、今度は、謎の生徒、教師2人、晴花、俺の順に出た。

 俺は部屋を出る直前、

「飯盛先生」

 と呼んだ。その時言った”先生”は教師という意味で言ったのではない。

「ありがとうございました」

 はっきりと言ったその声を聞いて、飯盛校長は全て知っているとも知らないとも見える表情で、

「どういたしまして、幹君」

 とだけ言った。

 久々に名字で呼ばれたのにも驚いたが、何よりも自分の名前を知っていたことに意表を突かれた。

 部屋を出て、戸を閉めると、晴花が俺の顔を覗き込んだ。

「校長先生と知り合いなの?」

「……いや、どうだろうか」

「どうだろう、ってどういうことよ」

「本気でどうなのか分からないからどうだろう、と言ったんだ。もう訳が分からなくなってしまったじゃないか」

「私も分かんないわよ!」

 晴花が俺を強く押す。正直痛かった。

「お前ら、いつも仲良しなことはいいが、そういうのは人前で見せるものじゃないぞ」

 杉田先生ではない方の教師が笑いながら言う。いつも? この人は俺たちを知っている?

「仲良くありません」

 ……そうだ、この先生は俺のクラスの担任、相良先生だった! 自分のクラス担任まで忘れるなんて、俺の記憶力はおかしくなっている。

 急に晴花が黙り込んだ。たまにあるけど、一体何なんだ?

 俺が何か悪い事でもしたか? ……まあいい、今日は一つ、良いことを知ったから。

 

 教室に帰る途中、俺は3年前のあの日のことを思い出していた。



~~

 ……雨が嫌いだった、あの頃(今も少々嫌いである)。家を出ることも嫌になり、しばらく中学校を休んだ時期もあった。ちょうど、梅雨の時期もあったのだろう。じめじめとした空気に、心まで湿っぽくなりそうだった。

 そんなとき、家族が”書道”を勧めてきた。家でもできる、という理由からであった。

 初めは字を書くぐらいで、何が書道だ、と思っていた。でも次第に、書を書くことには、精神力が要るということが感じられてきた。いい字が書けたときの喜びが、こんなに良いものだとは思わなかった。

 ある日、書道の雑誌を読んでいると、1人の書道家の作品が、見開き1ページ分折りたたまれて大きく載せられていた。

 書いてあった字は、”雨のちはれ”という、聞けば何でもない一句だった。

 しかし、書には”雨”という字と、”晴”という字が対照的に描かれていて、まるで絵画のような印象を受けた。”雨”なのに、踊るような字体。”晴”なのに、哀れみのある字体。

 それまで雨が嫌いだった自分が、これまでの”雨”、”晴”の概念をひっくり返されたような気分だった。その後じっくり読んでみれば、


 『雨で救われる人もいれば、晴で苦しめられる人もいる。日本人が持つプラスマイナスの原理を、書道という、一種の芸術で逆転させたかった』


 この文が下に添えられていた。

 これがきっかけで、俺は学校に行くことを決めた。遅れを取り戻しつつも、書道は続け、誰にも負けない精神力を身につけるため日々努力してきた。日々努力している。

 俺を救ってくれた書道家は、たった1年で書道界から姿を消したものの、あの言葉は今も胸に響いている。

 

 あの言葉が、今の俺を支えている。

 一瞬でも、晴れ間を見せてくれたその人を、俺は今でも尊敬している。


 その飯盛 双玄は、もしかしたらこの学校の校長のことかもしれない。校長先生の名前も思い出した。飯盛 荘一そういち。言われてみれば、似ている気がしなくもない。

 俺の勘違いでもいい。もし、あの人が双玄なら。もし、あの人も、俺に気づいていたら。


 サインが欲しい……


~~



「もう、せっかくいい話だと思ったのに。サイン欲しいって……ばか!」

「また見られた。すごく恥ずかしい事見られた」

 ……雨が嫌いだった、サインが欲しい……。日記に綴った最初と最後をつなげると、なんとも意味不明な文になるが、俺はすでに教室に戻っていて、日記にものすごい速さでこの思い出を書いていたらしい。

 晴花に「ばか!」と言われて頭を小突かれるまで、全くの無意識であった。

 時々、いや頻繁にこの現象は起こっている。そして、なぜかそれまでの会話も知らぬうちに覚えている。……こういうことで俺は記憶力を無駄に使っているに違いない。

「ばか、あほ、まぬけ!」

 晴花は涙を拭ってそう言った。そんなにいい話だったか。

「うん、お前はばかであほでまぬけだな!」

 1人増えた。さっきの謎の生徒だ。明日から1週間、会わなくなるから、顔と名前だけ、一致させておこう。

「聞きそびれてたんだけど、お前の名前は?」

「ああ、そうか、覚えてないか……。オレは、金剛寺こんごうじ ライタ。1週間後には覚えていてくれよ……」

 悲しげな、寂しげな表情で、そう言った。こいつがライタか。何で名前がカタカナなのかなあ、と思って自己紹介を聞いていた。

 そういえばそのとき、ノートに何か書いていて、顔は見ていなかった。

 金剛寺 ライタ。

 確か、日本人とオランダ人? のハーフとかなんとか。詳しいことは何だかんだで覚えていない。俺のばか、あほ、まぬけ!

 瞳の色は黄色に近く、染めていないのに明るい栗毛の短髪。最近知った言葉でいうと、「異邦人」という言葉がよく合う。

 第一印象は覚えても、名前を覚えなきゃいかんだろう、俺。


 やっぱりその後1週間、彼は学校にはいなかった。この一件により、俺は晴花が気になっていたことすら、忘れてしまったのだった。

 しかし、俺が以前より晴花を嫌悪することが無くなったのは、こうなっていなければ起こらなかった事態だ。まあ一応、あいつにはお礼を言っておこう。

 

 時は過ぎ、五月の最後の日を迎えた。

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