(10)~本気の気持ちは、言葉で伝えるものじゃない~
六月七日の話です。
随分間が開いてすみません。
「おはよう」
「おはようございます」
そんなあいさつが校門の前で交わされる。灰がかった黒髪の好青年は、にこやかに答えた。
そこに偶然、というべきか、
「おはよう、やくもくん」
長い黒髪を振り乱し、彼に駆け寄ってきた。
「おはよう。一人で登校? 佐久さん」
「え、よくあることだよ? 時雨は合わせてくれそうにないし……」
そこでようやく彼の言葉の意味に気づいた彼女は両手で顔を隠す。
「交際初日から冷たいね。それとも一種の愛情表現?」
きゃああ、と彼女らしくない動揺だ。
教室に着くと、俺の席の近くで人が集まっていた。「よかったな!」とか、「うまくいったね!」とか、祝いの声があがっている。
「ちょっと通らせてくれない?」
俺は自分の席に座りたいだけだったが、不思議なことに一瞬で衆は身を引いた。目の前には、晴花がもじもじしながら立っている。
「ど、どうしたんだ?」
全く状況がつかめない。こんなことなら、もう少し早く来ていれば……。
「し、時雨! おはよう!」
いつになく落ち着きがない。いつもは、違う意味で落ち着かないのだが、今回は顔を伏せたまま何かをためらっているような。
「う、うん、おはよう」
何だか俺もぎこちなくなってしまう。ひとりでに上がった手を抑える。
「時雨、あ、あの、さ。今日が、その……記念日だねっ!」
うん? 今日が何の記念日と言ったんだ? 祝日だった記憶はないけど……。
鴻上が俺のところに近寄ってそっと話しかけてくる。
「時雨くん、彼氏だったら察してあげなよ」
「かれ……!!」
ああ、忘れたかったのに、思い出してしまったよ。どのみち時間の問題だったけど。
そうか。昨日そんな約束したっけ。鴻上に対するショックで、心のクローゼットにしまっていたんだろう。つまり、今日はいわゆる「付き合い始めた記念日」的な何かなのか。顔には出さないが、俺の心臓は鼓動の高鳴りをだんだんと上げていく。
「二人とも、おめでとう!」
「リア充おめでとう! そして爆発!」
このとき、クラスの想いは一致していた。相良先生がもったクラスだから、こんなに団結力・協調性があるんだろう。こんなときにまでその協調性はいらないんだけど。
「いや~、いいクラスだね、ここは」
俺にささやいてきたのは、鴻上だ。
「鴻上……、頼むから何事も公言するのはやめてくれないか」
人聞き悪いな、とおどけた表情で言う。
「僕は何も言っていないよ。佐久さんが自分から言ったんだ」
時々、晴花の言動についていけないことがある。それが今回のような事柄では、もう何が起こるか分かったもんじゃない。
「あと、僕も君のこと名前で呼んでるんだから、時雨くんも僕のこと”八雲”って呼んでよ」
「そうすると、お前に対するすべての恨みが心からまるごとさらけ出されることになるんだけど、いいのか?」
「……うん、頼むね」
苦笑いするのも無理はない。とにかく、薄っぺらなお世辞はいらない、ということだ。彼もそれを分かってて承知したんだろう。分かってての苦笑いなんだろう。
「では改めて八雲。お前が言ったことは本当か?」
僕が言ったこと、と反復してから、こうが……いや八雲はぱちん、と指を鳴らす。
「佐久さんが自分から『付き合ってます』って言ったんだ」
「えっ!? 私言ったっけ!?」
晴花が話に割り込んできた。八雲と俺がこっそり話しているところに大声を上げるものだから、全員の注目を浴びることとなる。
「そっそんなっ、恥ずかしいよ~」
そう言って俺をべちべち叩く。なかなか痛い。
「お前……」
クラスの皆が飛ばしてくるオーラは、「暖かい」のと、「恨めしい」の二つに分かれて俺に降り注ぐ。
そういえば、八雲が久々に学校に来てちやほやされていたのは、どういうことだったのだろうか。有名人として知られていたならともかく、それは隠しているようだったし。初めて見る顔に、皆が興味本位で近づいたとか。あとは、最初に考え付いた「見た目の問題」なのか。
ともかく、八雲は何だかクラスをうまくまとめている。もう少し早く来ていたら、クラス委員にでもなっていただろうか。いやむしろ、これから生徒会長にでもなりそうだ。
いろいろ考えているうちに、八雲への怒りも鎮まってきた。そして、気づいた。
「あれ、ライタは?」
いつも元気なはずのライタがいない。絶妙なタイミングで茶々を入れてくるあの栗毛野郎が。
「オ、オハヨウショクン」
「どわあぁぁ!?」
持ち前の団結で、クラス全員がその有様に腰を抜かした。
ライタには、言葉が片言なこと以外、異常はない。彼よりも、彼を取り巻く”彼女”に驚いたのだ。
「だ、誰?」
不覚にも、その言葉は晴花に言われた。
ライタは明後日の方向を見て呆けている。代わりに彼女自身が前に出て一礼した。
「お早う御座います、皆さん。私、『くさかつくね』と申します。四組に所属しております故、なかなかお話しする機会は御座いませんが、この”殿”に仕える身として度々こちらに伺わせてもらう所存ですので、以後お見知りおきを」
雄弁、と言うべきか。皆たじろいでいる。八雲は違う意味で驚いているようだった。
「金剛寺くん、あの後どんなドラマチックな展開が?」
「無理。オレには許容範囲を超えてて後半わけ分からなくなってる」
ライタは自分の席につく。その後ろを彼女がぴったりついていって机の隣で控えている。
「今のライタくん、心に隙がありすぎてまるまる記憶が読めちゃったんだけど」
晴花の頭上に”?”が浮かぶ。そうか、心が読めるんだっけ。にしても、なぜ俺達よりも困惑顔なのだろう。
「見えた記憶をそのまま伝えるとね……」
何のことを言っているかさっぱりわからないクラスメイトは、とりあえず晴花の周りに集まる。八雲も知りたそうに耳を傾ける。
昨日、やくもが帰った後、教室で語り部のように独り言をして自虐している生徒にちょっと説教じみたことをしてしまったら、感動したらしい彼女になぜか”殿”と呼ばれ、そのまま家までついてくるというものだから、自宅に電話したら許可が下りて、居候として住むことになった。
他人の気がしない彼女に自分の素性を明かしたり、彼女の話を聞いたりして家に着いたところで、つくねさんが下宿にいろいろ忘れてきた、と泣き出してしまった。
今更自分も気づいたという負い目もあり、とりあえず家族の服で着替えは済ませ、今日の朝早く(午前四時くらい)に兄の車で下宿の荷物を取りに行って、そこの管理人さんが起きるのを待って、管理人さんに手続きを半ば強引にしてもらい、荷物は兄に持って行ってもらうということで、学校までありがたく送ってもらった。
「いろいろ詰め込みすぎて、無理やりまとめた感じだな」
俺の感想。
「仕方ないでしょ、ライタくんのそのまま声に出しただけなんだから、文章力だったらライタくんに言ってね」
晴花の言い分。
「早くもけんかしてるね」
八雲の余計なひと言。
「殿の兄様に感謝感激です」
日下、という少女も聞いていたらしい。……ということは、
「な、俺の恥ずかしい記憶が公に!?」
当然、主君であるライタも聞いていた。
その後しばらく、ライタは顔を下に向けたまま、沈んでいた。
始業の予鈴が鳴り、晴花と日下はそれぞれの教室に戻って行った。どちらも上機嫌な様子で。
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やはり、六月六日は恐ろしい日なのだ。いつもとは違う、何か大事件が起こる。
小学六年のときは俺が手作りでピザを焼こうとして、石窯が爆発。あわや大火事になるところであった。中学二年のときは、家のすべての照明が一気に消えた。ブレーカーが落ちたわけではない。原因は未だ謎のままである。
家族もその恐ろしさを知っている。だから、”六月六日が俺の誕生日”でも誰も祝わないのだ。今日は盛大にしてくれるらしいけど。
まあ、今年は……良かったほうだと……思う。俺はともかく、周りへの被害はないみたいだし。
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「だから、昨日あんなに卑屈だったんだ……。元気で良かった」
予鈴が鳴った後、一年二組の教室前の廊下。自分のクラスに戻るふりをして、隠れて彼の心を読んだ彼女は、そう呟いて満面の笑みでスキップしながら廊下を進んでいった。
年内最後ですね。
無理やりながらも、第一編「四月のこと~六月(上旬)のこと」終結です。
第二編は、六月下旬からです。