(5)~鼠色と灰色の違いを俺に教えてください~
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六月六日。俺はあのイベントを見事くぐり抜け、土曜のうちに散髪した。あの日は金曜日だったから、今日は週が変わって月曜日ってわけだ。
前髪どころか、後ろも切ったので、ライタまではいかなくとも、髪は短めにした。
……え、あ、うん。自分で切ったさ。普通じゃないって? いや、普通は自分で切るでしょ。
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「そっちじゃなくて、何か文章がいつもの時雨っぽくない」
顔を上げると、すぐ目の前に晴花の顔があり、
「う、うわぁっ」
声を上げてしまった。顔上げて声上げる。何か高等なしゃれ?
「やっぱり、時雨じゃないような」
「こ、高校から今までの俺が、梅雨のせいで陰気だっただけさ」
まだ動揺が治まらない。心臓は激しく脈打っている。
「う~ん……なんというか……」
晴花が珍しく考え込んでいる。俺、髪切っただけなのに……。そんなに変わったかな?
「まあ、いいんだけど」
まあ、いいんかい! ……という突っ込みはあえて心に伏せて、
「そんなことより、金曜日に言ってた、鴻上の国家秘密レベルの特殊能力って何なんだ?」
不思議なオーラを醸し出す鴻上のことを聞いてみた。前に、知っているような口ぶりだったから。
「言葉にずいぶんと補正がかかってる気がするんだけど。むしろ、もっとここでは言えないことになってるじゃん」
確かに。自分で言っておいて「あれ? おかしいな?」と思った。
「私からは言えないよ。やくもくんのこと覚えてたら、言う手間も省けるのに」
「そうか……」
あと、もう一つ。鴻上について気になることがある。それは、
「保健室で、俺が気絶した後に鴻上がどう説明したのか」
「う~ん、私あの時寝てたからな~」
「どうにも狸寝入りっぽかったんだが」
「どうかな~」
嘘か本当か、どっちともとれるそぶりをする。
「普通の説明だったと思うぞ。その説明によって皆が普通の解釈をしたんだと思う」
急にライタが話に混ざってきた。そういえば、ライタの席は俺の席の右斜め前だったっけ。
「というか、お前のすぐ隣にいるんだから、本人に聞けばいいじゃないか」
「のぅわぁっちょ!」
すぐ右に、鴻上が座っていて、話を黙々と聞いていた。(晴花が言った)今日俺が変だというのも、うなずけるほどの言葉が俺の口から出た。
晴花は、それによって必死に笑いをこらえている。
「面白い声を出すね、幹くん」
鴻上は、高めの声でそう言った。彼の声は時折変わっているのに、いつも鴻上のだと分かるのは、何故なのだろう。
「初めて聞いたな、そんな言葉。もゃ……何とか、と同じくらいおかしい」
ライタはまだ”もゃし”を覚えられないのか。今度きちんと教え込まなければ。
「俺でも、こんな言葉出るとは思わなかったよ」
少し話がそれた。……そうそう、鴻上の説明のことだったな。
「で、お前は金曜日、保健室でどんな説明をしたんだ?」
どっかの取り調べみたいだな、この状況。
「僕は、ただ状況を述べただけだよ。”幹くんは、僕の話を聞くことよりも、彼女のことの方が大事だった”って」
「おぉぉ……そ、そんな話をしてたの……」
「晴花、ほんとに寝てたのか」
「ま、まぁ、最初は起きてたんだけど、1分もしないうちに視界がだんだん暗くなって……」
急に晴花が縮こまる。さっきまで笑いを抑えていたのに、それはどこかに飛んだか?
「うんうん。まあ、これを聞いたら、誰もがそういう解釈をするだろう? 事実なんだから、鴻上の説明は何も誤解を生んではいないさ」
ライタはこういう時、頭良いのか悪いのか分からなくなるほど、もっともなことを言う。
彼の成績が分かるほど、まだそんなに仲良くなってはいないが。
「僕は、確かなことを言ったまでさ。僕だって、説明したくなかったんだけど……」
その言葉の後に”こう言った方が展開が面白くなると思って”なんてのが続いたら、俺は鴻上に全力の突っ込みをいれていただろう。が、現実はそう予想通りには行かない、行かないでいてくれるものだ。
「男女が2人きりで話しているところを見てしまったら、間違いなくそういう解釈に至ると思うんだ」
前言撤回。やはりどう言われてもこちらには不利な条件が揃いすぎている。
彼は、遠くを見据えて目を輝かせている。やはりこの言葉の裏には”面白そう”が隠れているのか。
「あの、さっきから言ってる、”そういう解釈”って何?」
晴花、自分で墓穴を掘るな!
それは聞いちゃいけないことだ!
触れたらこっちにも被害が及ぶ恐ろしい爆弾なんだ!
「そういう解釈って言ったら……なあ」
ライタが笑みを浮かべて鴻上を向く。
鴻上もやはり笑みを浮かべて、
「つまりは、君たちが付き合ってるってことさ!」
爆弾投下。地上に落ちるまで5秒間。地上に落ちて爆発。
「……カタクリット語で言って?」
晴花がおかしくなった。何語だ、それは。
「つまりは、君たちが付き合ってるってことさ!」
……日本語かい!
「ええぇぇぇ!?」
……通じたんかい!
「何で? 何で? 何でそうなるの?」
晴花がしどろもどろになっている。金曜日は同じようなことを聞いて教室を飛び出してたのに。
俺は、あえて何も言わないでおこう。言ったら、晴花同様、おかしなことを言いそうで怖い。
「いやぁ、毎日このクラスに遊びに来るし」
ライタが事実①を言う。
「それはっ! 昔からのことで……!!」
「それに、いつも幹くんに付いてるし」
鴻上が事実②を言う。
「……はっ!!」
晴花は顔を真っ赤にする。
「もしかして、自覚なかった?」
鴻上の厳しい一言。許してあげましょうよ、ヤマさん(!?)。自覚なしでは、罪も与えられませんよ。
……罪は元から無いんですけど。
「君は、黙ったままだね。幹くん、君から何か言いたいことは無いのかい?」
「鴻上、お前はそういうキャラだったのか」
「高校で君と会ってまだ2日もしていないんだ。キャラを確定するには、それなりの期間と、準備が必要だよ」
つまりは、まだキャラが不安定だということか。そういうことだな?
「さあ、君の弁解を言うんだ」
強要ですか。仕方ない。
「俺の弁解? 鴻上は何か勘違いしてるようだな。俺は一体何の弁解をするって言うんだ? ありもしない事実に弁解なんてできないじゃないか。そんなのに俺が言うことなんて、あるわけないだろう」
……何とかなったか?
鴻上は笑ったままだ。その不気味な笑みが、俺を不安にさせる。
「ふっ……君のその言葉自体が、弁解ととれるんだよ」
「しまっ……」
しまった。俺はやつの罠にまんまとはめられたわけだ。
「君の負けだよ、幹くん。おとなしく、事実を認めればいいじゃないか」
……負け?
「そうか、お前はこれを勝負だと。おもしろいことを言うな」
「面白さは君に負けるよ」
「勝ち負け、私情が入り込みやすい言葉だな。例えば俺に何か恨みがあるとか、な」
「……へぇ、なかなか良い線いってるね」
よし、ここまで話を持ち込めた。
俺は実際、弁解などはどうでもよかった(ただ、勘違いだけはされたくなかった)。俺はこの会話の中で、鴻上の秘密を聞き出そうとしている。
相手が勝負事と考えているなら、なおさら手の内を明かすわけにもいかない。俺が話を切り替えられたのも、その一言があったからだ。
もちろん、話す気がないなら、それで終わりだ。
「遠まわしに君は、僕の素性を知りたいと?」
「そういうことだ」
きっぱりと言う。こういう時は、はっきり言っていいんだよな?
「話してもいいけど、一つ条件がある」
意外と鴻上は落ち着いている。俺も、さっきよりは落ち着けた。
「条件……?」
しばらく沈黙が続く。
もはやこの戦い(?)の蚊帳の外にいる晴花とライタは、あっけにとられたままだ。
「条件の内容を聞かずに、”はい”とうなずけるかい?」
……強い。……いや、手強い。
条件を聞けない。相手は相当の話術を持っている。
どんな内容でもうなずける覚悟が、俺にあるのか。
逆に、彼はそれほどの秘密を持っているということか。
「内容のヒントだけでも……」
こんなことを言う俺は結構情けない。さっきまでの、真顔の俺はどこ行った!?
他の二人のしらっとした顔なんて見てない! 見てないから!
「僕のことを覚えていれば、その内容は覚えているはずなのに」
じゃあ、俺が鴻上を覚えていれば、こんなに俺が彼の秘密を知ろうとも、正体不明な条件にうなずくこともなかったんだ。つまり、俺の記憶が悪いんだ!
「……分かった。どんな条件でも受け入れる」
結局、これ俺の負けじゃないか? という疑問は心のたんすの奥底にしまっておく。
「うん、それでこそ幹くんだよ。……放課後、佐久さんと幹くんはあの公園で待っててくれないかな?」
『あの公園……』
声が晴花と重なる。
公園と言われて浮かぶのは、一つしかない。おそらく晴花も同じ公園のことを考えているだろう。
俺たちの家のすぐそばにある、川口東部公園。
市の南側にあるのに、東部公園。今はそんなことはどうでもいいのだが。
小さいころ、晴花と遊んでいた場所。鴻上も、近くに住んでいるということか?
「分かった。帰りに、そこに行けばいいんだな?」
「ああ。あと、金剛寺くんは来ないようにね」
「オレ、しぐれの家知らないから、道分からん。それに行くつもりもない」
ライタはそういった配慮はちゃんとしているようだ。
一見、何も考えていないように見えて、実は頭脳派なのか(投げ飛ばし事件はさておいて)。
礼儀正しい所も見えるし(投げ飛ばし事件はさておいて!!)。
金剛寺って名字も、どこかの名家のような気もする……。
「とりあえず、2人とも必ず来てね」
「俺は今日予定ないから、大丈夫だ」
「私も特に無いかも」
かも、が気になったが、何も言わないでおいた。
「おっと……もう休み時間終わるね」
鴻上が自分の腕時計を見て言った。俺は教室の時計を見る。午後一時一分。どうやら一分早く進んでいるらしい。
授業開始の鐘の音は、数秒遅れて校舎に流れた。
「じゃ、時雨、やくもくん、またあとでね」
「うん、また後で」
鴻上は笑顔で晴花に答える。
晴花には効いていないようだが、この笑顔は、他の女子には絶大な効果があるらしい。登校してきて早々に人だかりができたのもその容姿のせいだろう。
今日、朝から登校してきて、彼が背後からきらっとしたオーラを発動した途端、一人女子が気絶した。
俺はどす黒いオーラをくらった記憶があるんですけど。
……まあ、確かに。この3人を比べたら、鴻上が秀でるに違いない。
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晴花には、効いていないよな。そうだよな。
何か不安になる。これは好き嫌いの話じゃない、断じて。昔から仲良くしてる友人が簡単にそうなるわけない、というような。
抽象的すぎて、何も伝わらないかもしれないが。
ああ、こんなんじゃ、恋人と思われても仕方ないか……
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世界史の授業中、ノートの端に書いた、小さなつぶやき。この文章だけは、誰にも見られないようにしておこう。しかし、この落書きは残しておきたい。
この前、晴花がノートの中身を俺に見られたくなかったのと同じように。
俺だって晴花に見られたくないことが、少しだけある。心に留めておけば、見られてしまうかもしれないから、俺はいつもと違うノートに呟いたのであった。
5時限目が終わり、何事もなくノートを鞄にしまう。ライタには気づかれていまいな。
「幹くん、授業中に落書きはいけないよ」
……鴻上。お前に気づかれてたか、やっかいな相手だ。
「そう言い切るってことは、お前も授業中によそ見してたわけだ」
「いや? 僕は授業に集中していたよ。数か月の遅れを取り戻すためにもね。ただ何となく君が落書きしてるような気がして、気になって聞いてみただけなんだけど……。”お前も”ってことは、やっぱり落書きしてたんだね?」
「うっ……!!」
巧妙な手口に騙された。
俺の言葉の一つ一つに着目して、鴻上は見事に痛い所を突いてきた。
「お前はディベート部でもやったらどうだ?」
「う~ん、僕はもう既に違う部活に入っているから、できないよ」
「何部だ?」
「手芸部だよ。確か、佐久さんと同じだったと思うけど」
へぇ、と感想を漏らしたが、俺は晴花が手芸部に入っていたことに驚いた。
部活に入ってたのか、あいつ。
「幹くんは何部に?」
「俺か? 俺は……」
「僕の予想は、書道部だと思うんだけど」
……正解。だが言う気にはなれない。
実際、最初の顔合わせ以外、部室に踏み入っていないからだ。俺は俗に言う、”幽霊部員”といったところか。
「俺は帰宅部だ」
「そうなんだ。昔、習字やってたから、てっきり今も続けてるのかと」
「学校ではやってないけど、家では続けてる」
「そっか、続けてるんだね」
鴻上は、やはり俺のことを知っているようだ。今までずっと同じ学校に通ってきてたとか……?
鴻上について、何も思い出せないまま、いつの間にか下校時刻になっていた。
俺ははやる気持ちを抑えて、忘れ物がないか確認してから、鞄を下げて教室を出た。
四、五月より、六月はずいぶんと長くなりそうです。
このサイトに不慣れだった、ということもありますが。
おそらく「六月のこと」で、この作品は第一編を終えると思います。