幼き魔女と、血を要求された苦労人の騎士
「あなたの血をください!」
突然現れた魔女というには幼すぎる少女が必死にそう言った。
どうしたものか。
子どもの頃以来、帰ってきていなかった領地に来ていた。
大仕事が終わって、かなり長い期間の休暇をいただいたから、ゆっくり休むには田舎だと思ったからだ。
父の了承を得てやってきたカントリーハウスでは、温かく使用人に迎えられて、正直ホッとした。
あと1、2年もしないうちに兄が家を継ぐだろう。
そうなった時、次男の俺ではここに帰る資格がなくなるだろう。
兄とは不仲だから、ここに来られるのは最後かもしれない。
それにしても、ここに帰ってきてから全員に子ども扱いされている気がする。
…そりゃあ、最後にいた時は子どもだったが、俺はもう24だぞ。
森の方まで足をのばすと告げて、馬を走らせた。
子どもの頃はよく森の中で1人で休んでいたものだ。
勉強はそこそこできたし、剣は兄よりも振れた。
だから、兄から逃げるのには森がうってつけだった。
長男よりもできてはいけない。
それが、俺が子どもの頃に学んだことだった。
それにしても、こんなに鬱蒼としていたか…?
もう少し整備されていたというか、管理されていた気がするが。
この森は、『中立の森』なので父の領地ではない。
記憶を頼りにしても、こんなに無法地帯だったようには思えない。
森の住人は、何をしているんだか。
そう思いながら、奥の湖のそばで横になった。
風の音と、たまに聞こえる鳥の声だけが、心を穏やかにしていく。
子どもの頃、自分を慰めてくれたものがまだあることに自然とニヤけた。
しばらくそうしていて、うたた寝しかけた時。
近くで足音がして、起き上がりはしなかったが警戒した。
森の住人だろうか、それにしては足音が、…子ども?
だんだんと近づいてくるので、立ちあがろうとした時、幼い声が聞こえた。
「銀色、キラキラだ…」
銀色?
湖の水面のことか?
どうやら子どもは1人のようなので、知らないふりをしてやり過ごそうと思った。
のだが、その足音は俺より警戒しているくせに、なぜかじりじりと距離を詰めてくる。
狸寝入りで誤魔化せないかと思ったが、とうとう俺の顔を覗き込んできた。
「銀色、本物だ…」
その声に仕方なく目を開くと、俺が起きているとは思わなかったらしく、ひどく驚いて尻餅をついた。
兄の子より少し大きい、8か9くらいの少女だった。
「悪い、脅かすつもりはなかったのだが」
領地の子だろうか。
泣かせてしまったら困るなと思って、膝をついて目線を合わせようとしたら、少女は膝立ちして俺の正面に来た。
そして、緊張した面持ちで、懇願された。
「あ、あなたの血をください!」
「…は?」
思わず低い声で返してしまって、少女の方がびくりと跳ねた。
ああ、だめだ、今の威圧だ…。
何もしていないただの少女に対して、それは騎士としてあるまじき行為だ。
俺はすぐに声音を和らげて、聞き返した。
「ああ、すまない。どうして、その血が欲しいのか、説明してくれるかな?」
そうして、なるべく笑顔を見せた。
血が欲しいって『血液が欲しい』だよな…?
こんな無垢な少女が、王都の強かな令嬢のようにあなたの子が欲しいという意味で言ってないよな?
「お兄さんが、王子様だから!その血が欲しいんです!」
…えっと、何から説明させよう。
「俺は王子ではないよ」
「えっ、でも、おばば様が王子様は銀色の綺麗な髪の人だって」
少女はびっくりしたように言うので、今度はこちらからの説明が面倒くさくなった。
たしかに、俺は王族の血を引いている。
王妹である母の子どもであり、俺は母そっくりだ。
そして、母は現国王と瓜二つと言われてきたほど、端正な顔立ちがよく似ている。
どの王子よりも国王陛下に容姿が似ているのは、俺なのもまた事実だ。
「王子の血液が欲しかったのかい?」
「はい…。じゃないと、結界が弱まっちゃうので」
それははじめて聞くが、中立の森に王家が関わっているのだろうか。
実際に王族じゃないとわからないな。
とりあえず、血液だと言質はとった、よし。
「森の結界…、ということは、君は森の住人の家の子かな?」
「はい!森の家の当主、魔女のトーリと言います!」
「え、君がかい?」
「はいっ」
「大人はどうしたんだ」
「おばば様は、去年死んじゃいました。なので、わたしが森の守り人です」
いろんな情報を聞いたからだろうか、頭が痛い。
こんな幼き者に森の管理者をさせているのか…?
いや、でも、中立の森に何人たりとも口出しはできない。
それが周辺国との同意だし、魔女がどの国の人間でもない証拠だ。
魔女がどの国にも干渉しないから、魔法が使われず、世界は平和だというのに。
「その結界に、王子の血がいるとはどういうことか説明できるかい?」
「この国の昔の王様に頼まれて、国境には結界が張ってあるんだそうです」
「たしかにあるが、それは古代の遺跡の残りではなかったかい?」
「おばば様がそれは作り話だって言ってました。本当は魔女が作ったから、言っちゃいけないそうです」
今、言っているんだがな…。
干渉しない魔女が作った結界、ね。
各所にいる中立の森の魔女しか、魔法なんて使えないのだ。
それを適切に使うから、魔女は嫌悪されていない存在なのだ。
そうでなかったら、古い時代のように魔女狩りをされてもおかしくない。
「その結界、修復しないといけないのかい?」
「あと10年くらいで消えちゃいます」
「消えたらどうなるかわかるかな」
「気候が乱れるっておばば様が言っていました」
「気候だけ?」
「はい。夏はすっごく暑くなって、冬は信じられないほど寒くなるから、それはあかんって言ってました。おばば様、暑がりの寒がりだったので」
私利私欲か…?
いや、そんなことないな。
夏は程よく暑く、冬もそれなりに寒いが、これが極端になれば、国の大損害なのは間違いない。
それに、天気だけに干渉するあたりが、いかにも魔女らしい。
それなら魔女が関わっているのも、王家が関わっているのも、筋は通る。
周辺国もおそらく知っていて、咎められていないのだろう。
なんなら、周辺国も結界を作っているかもしれない。
時に、魔女を頼りにするのは、暗黙の了解だ。
「君は、それを直すことができるのかい?」
「やり方はわかります。でも、王子様の血がないので、ずっとできなくて…」
そう言ってしょんぼり俯いてしまった少女に、何もしていないというのに罪悪感が湧く。
うっ、なんだこの責められていないのに責められている感は。
「その、先代の魔女殿は、銀髪以外に何か言っていなかったかな?」
「うーん、王子が無理なら王様にしろって言ってました」
もっと無理があるだろう。
でも、それを聞く限り、王族の血を引いていればいいのかもしれないな。
「中立の森の魔女殿。王子でも王でもないが、俺も王家の血を引く人間です。試しに俺の血を提供するのでも構いませんか?」
これは、中立の森への正式依頼だ。
俺は少女の前で跪いて、今度はこちらからお願いした。
「お兄さん、やっぱり王子様なんですか…!?」
「従兄だから、王子ではないんだけど」
「いとこ?」
「あー、王子のお兄さんってところかな」
「それなら、血が使えるかもしれません!」
少女はキラキラした目で、グッと近づいてきた。
無防備なところが、とても子どもらしかった。
それが思いの外、心を穏やかにした。
やっぱり、俺は疲れていたのかもな。
「では、どうしたらいいのか教えていただけるかな?」
「ちょっと待ってください!杖、出しますから!」
少女は鞄の中から慌てて、丈夫な木の枝を削ったような杖を取り出した。
「一滴でいいので、血を出してもらうことってできますか?」
そう言われたので、寝転んだ時にそばに置いた剣を取って、指先を刺した。
少女は、うわ、痛そう!と全面に顔に出しながら、ぷっくり出てきた血を見つめた。
そのままおそるおそる杖を近づけて、何かの呪文を唱え始めた。
俺にはなんて言っているのかわからなかったが、不思議と少女が神々しく見えた。
杖がゆっくりと持ち上がっていくのと一緒に、俺の血も一滴分の球体を作って浮いていく。
血は呪文の言葉を纏い、キラキラと銀色に光って、遠く遠く、空高く飛んでいった。
俺はそれを目で追って、高揚感を包まれた。
魔女の魔法をこの目で見たのは、はじめてだった。
血が見えなくなった頃、パッと強く光ったかと思うと、何もなかったみたいに森に風が吹いた。
空に虹色の膜のようなものが、一瞬見えた気がした。
「できました!成功です!お兄さん、すごいです!」
興奮したように嬉しげに言う少女は、俺の手を取ってブンブン振った。
それが何より子どもらしかった。
あまりにも無邪気で、ただの素朴な町の娘にしか見えなくなる。
俺は腰が抜けるような気持ちだった。
すごいのは、君だというのに。
その少女の笑みに、先日まで仕えていた王女殿下の顔が浮かんだ。
大仕事は、3つ隣の国に輿入れされる王女殿下の護衛任務だった。
俺は国を出る王女殿下の護衛騎士だった。
王女殿下付きの者が国まで無事に送り届け、王女を残して帰ってくるのが、王女に対しての最後の仕事だった。
ふた月ほどかけて往復してきて、その任務についていた者たちは長い休暇が与えられた。
従妹は16歳で、気の強い人だった。
私的な場所では俺のことを兄さんと呼び、本当の兄のように慕っていてくれた。
実兄とうまくいっていなく、家督を継ぐわけでもない俺は、王家の血筋からも逃げるように騎士になった。
そんな俺のことを、最後まで心配させてしまった。
『兄さん、私幸せになるから心配しないでね。
というか、兄さんの方が心配なんだから。
いい加減、お嫁さんくらい貰いなさいよ。
え?王族の血はこれ以上いらない?
またそればっかり、頑固なんだから。
ねえ、兄さん。
お兄様に恨まれていると思っているあなただけど、それがあなたを騎士の道へと導いたのよ。
血縁だから、あなたは私付きだったわけじゃないからね。
ちゃんと評価は受け取りなさい。
あと、幸せになることを諦めないでね。
私と同じくらい幸せになってくれなきゃ、心配で私の生き霊が祖国まで飛んでいっちゃうから。
ねえ、わかった?』
それがお別れの言葉だった。
いい加減、妹に顔向けできる兄にならないとな。
少なくとも、今この瞬間は王族の血を引く者として役に立った。
それは、少しだけ救われる思いだった。
「魔女殿、ありがとうございました。おかげで国は守られます」
「お兄さんが王子様だからできたんですっ!こちらこそ、ありがとうございました!」
「いえ、魔女殿の魔法、感動しました。素敵なものを見せてくださり、ありがとうございます」
そう言うと、少女は照れたようにはにかんだ。
頭を掻いて、恥ずかしさを誤魔化しているのを見て、子どもらしさに笑ってしまう。
「ところで、魔女殿。お礼がしたいのですが」
「いいえ!魔女は中立です!するべきことをした時は、お礼などもらっちゃいけないっておばば様が言っていました」
「そう、ですか」
だがそう言われて、はいそうですかと立ち去るわけにもいかない。
どうしたものか。
日が高くまで昇っているのを見て、そろそろ昼時だと気づく。
きっと、料理人が坊ちゃんのためにと張り切って昼飯を作って待っているだろう。
それはもう、俺1人じゃ食べきれない程の量を。
「魔女殿、一つお聞きしたいのですが」
「はい、なんでしょう!」
「魔女殿は森の外に出ても、何も問題ありませんか?」
「はい、お外で買い物することもあります」
「森以外の食べ物を口にしても、問題ありませんか?」
「はい!市場の串焼きが好物です!」
元気よく返事をする少女に、従妹とは似てないなと笑いながら、立ち上がって手を差し伸べた。
「では、お昼ご飯を一緒に食べに行きませんか?」
「お昼ご飯…」
「はい、俺1人なので、一緒に食べてくれる人を探していたんです。どうですか?」
「わたしも、おばば様が死んでからはご飯、1人で寂しいです…。お兄さんも、寂しいですか?」
それに否とは答えられなくて、俺は優しく笑った。
「ええ、1人のご飯は寂しいですよね」
「じゃあ、じゃあっ!お兄さんが寂しくないように、トーリが一緒にご飯食べてもいいですか!」
「そうしてくれると、嬉しいです」
「じゃあ、行きます!」
やはり無防備な幼き魔女は、すんなり俺の手を取った。
あたたかくて、小さくて、でも確かにきちんと生きている者の手だった。
普段は、自分のことは名前で呼んでいるのかもしれないな。
それもそうか、他に名を呼ぶ者がいないんだから。
忘れないためかと深読みして、苦い気持ちがしてくる。
俺は少女を馬に乗せて、走った。
風がびゅうびゅうすると、少女ははしゃいでいた。
舌を噛むから、口は閉じていなさいと言うと、ぎゅっと口を結んだ。
そういえば、これは誘拐のつもりはないが、大丈夫かな。
だが、森で1人の少女の食生活はさすがに気になる。
中立の森そのものには口出ししていない。
ただ、一緒に昼食をとるだけだ。
案の定、出迎えた使用人に、「坊っちゃま、血迷ったのですか!?」と言われたが、ちゃんと紹介した。
「中立の森の家の当主のトーリ殿だ。先ほど助けていただいたので、昼食に誘った」
「お、お邪魔します…!」
「まあまあ、これはこれは森の家の当主様でしたか!ようこそおいでくださいました」
そう言って歓迎された魔女殿は、最初はおどおどしていたものの、テーブルの上にご馳走が並べば、ただの子どもに戻った。
俺が子どもの頃に好物だったミートパイやら、かぼちゃスープやらで、少女の口にも合ったようだった。
美味しそうに食べている様子は、心穏やかにするものだった。
ずっと面倒が見られるわけじゃない。
でも、休暇の間、食事の世話をすることくらいはいいだろう。
無責任にならないように、使用人に時々食事を運ばせるように手配しよう。
それくらいなら、私財でどうにでもなる。
父と、…兄には、話を通しておこう。
これが、俺の小さな幸せの一歩目かもしれない。
「トーリ殿、俺がここにいる間は好きなだけご飯を食べにおいで」
「いいんですか!?」
「ああ、もちろん」
俺の返事に幼き魔女は破顔して、お腹いっぱいになるまでご飯を食べたのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!! 毎日投稿131日目。




