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『制服を脱いだら、恋でした。』  作者: 水前寺鯉太郎


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第八話:深夜の追跡者、あるいは教師の課外授業

第八話:深夜の追跡者、あるいは教師の課外授業

1. 繰り返される予兆

五日後の午前三時。

数日前の刃物男の事件の余韻も冷めやらぬうちに、再び凛のスマートフォンが枕元で呻いた。

凛の覚醒は、前回の事件を経てさらに鋭敏になっていた。着替えにかかる時間は、もはやアスリートのそれだ。ベルトの金具を鳴らさないよう細心の注意を払い、彼女は闇に溶けるように寝室を出る。

しかし、その背中を見送る瞳があった。

健太郎は、あえて寝返りを打たず、まどろみの中にいるふりをして妻の気配を追っていた。

(また、出動だ……)

前回、無事に帰ってきた彼女を抱きしめた時の、あの「氷のような冷たさ」が忘れられない。どれほど過酷な現場で、どれほど恐ろしい思いをしてきたのか。凛は語らない。ただ、おにぎりを食べる彼女の手が、かすかに震えていたのを健太郎は見逃さなかった。

「……今日は、どうしても見ておきたいんだ。君が何と戦っているのか」

凛が玄関を閉め、愛車(または急行したパトカー)が走り去る音が聞こえた一分後。

健太郎は、普段学校へ行く時よりも素早い動作でジーンズを穿き、パーカーを羽織った。自分のセダンのキーを掴み、彼は音を立てずに夜の街へと滑り出した。

2. 探偵(教師)の尾行

凛の向かった先は、前回の繁華街とは真逆、住宅街の端にある古い資材置き場だった。

健太郎は、パトカーの赤色灯が漏れる路地の数百メートル手前に車を止め、そこからは影に潜むように歩いて近づいた。

(……不審者だと思われないようにしないと。警察官の妻に捕まったら、それこそシャレにならない)

皮肉な思考が頭をよぎるが、鼓動は激しい。

規制線のロープが張られた現場の奥。大型トラックや建材が積み上げられた不気味な迷路の中に、凛の背中を見つけた。

彼女は、他の署員たちに指示を出しながら、サーチライトが照らす暗闇を凝視している。

「——対象、奥の倉庫内に潜伏中。抵抗の構えあり。警棒展開、シールド用意!」

凛の声は、家庭での「サンマの向き」を気にしていた女性のものとは別人のように冷たく、重い。

健太郎は、物陰から息を殺してその様子を見守った。

そこには、僕の知らない「佐々木巡査部長」の、張り詰めた孤独があった。

3. 闇の中の「衝突」

事件は急展開を見せた。

倉庫の裏手から、怒号とともに一人の男が飛び出してきたのだ。

男の手には、金属製のパイプが握られている。

「どけ! 邪魔する奴はぶち殺してやる!」

男は、最も近くにいた若手警察官に向かってパイプを振り下ろそうとした。

「危ない!」

凛が叫ぶと同時に、彼女は迷いなく男と部下の間に割って入った。

『ガキン!』という、鈍く重い金属音が夜の空気に響く。

凛は防刃ベストと腕の防具でその一撃を受け止めたが、衝撃で体勢を崩した。

(凛さん!)

健太郎は思わず飛び出しそうになり、フェンスを掴む手に力がこもる。

しかし、凛は倒れなかった。

「……公務執行妨害、および傷害未遂。……あなたの『負け』よ」

彼女は体勢を立て直すと、男の懐に飛び込み、鮮やかな体捌きでパイプを叩き落とした。流れるような背負い投げ。男が地面に沈むと同時に、彼女は全体重を乗せて男を制圧した。

「確保! 手錠!」

手際よく処理を終えた凛は、荒い息を整えながら立ち上がった。

その額には、衝撃で切れたのか、一筋の血が流れている。

彼女はそれを無造作に袖で拭うと、すぐに次の指示を出し始めた。

「負傷者は!? 救急車を呼んで! ……他の逃走経路も封鎖!」

その姿に、健太郎は震えた。

怖いのではない。彼女が背負っているものの重さに、言葉を失ったのだ。

一人の人間が、他人の悪意や絶望を真っ向から受け止め、ねじ伏せる。そのために、彼女は毎日、自分の心を鋼に変えて現場に立っている。

4. 発覚

撤収作業が始まった。

健太郎は、彼女に見つかる前に車に戻ろうと、ゆっくりと後退した。

しかし、不運なことに、彼の足元には空のアルミ缶が落ちていた。

『カラン……』

その微かな音に、現場にいた警察官たちが一斉にライトを向けた。

「誰だ! 止まれ!」

「あ……」

健太郎は両手を上げた。光の中に、困惑した顔の自分が浮かび上がる。

そして、人だかりの間から、信じられないものを見るような目でこちらを見つめる凛と目が合った。

「……健太郎、さん?」

その声は、巡査部長のものではなく、一人の「妻」の声だった。

数分後。

署員たちが不思議そうな顔で遠巻きに見守る中、現場の隅で二人は向き合っていた。

凛の額には、絆創膏が貼られている。

「……どうして。どうして、ここにいるの?」

凛の声は、怒りよりも困惑、そして隠しきれない動揺に震えていた。

「……ごめん。……君が、どんな顔で仕事をしているのか、どうしても気になって。……寝ているふりが、できなかったんだ」

健太郎は、俯きながら正直に話した。

「……無茶だって分かってる。でも、凛さん。君が一人でこんな暗闇の中にいると思うと、僕も家でじっとしていられなかったんだ」

凛は長い沈黙の後、深く、深い溜息をついた。

「……警察官の尾行をするなんて、いい度胸ね。教師のすることじゃないわ」

「……すみません」

「……でも」

凛は一歩近づき、健太郎のパーカーの裾を、汚れた手でぎゅっと掴んだ。

「……あなたがそこにいるって分かった瞬間、私、怖かった。……もし巻き込まれたらって。……でも、同時に……少しだけ、勇気が出たのも本当よ」

凛の瞳に、うっすらと涙が浮かんでいた。

現場では決して見せない、脆くて柔らかな部分。

「……私の仕事は、綺麗じゃないわ。怒鳴られて、殴られかけて、泥にまみれて。……今の私、すごく、醜いでしょう?」

「そんなわけない」

健太郎は迷わず、彼女の泥のついた手を自分の両手で包み込んだ。

「……世界で一番、かっこよかった。……でも、世界で一番、僕が守らなきゃいけない人だって、改めて思ったよ」

5. 帰り道の「反省会」

夜明け前の国道。

今度は、健太郎のセダンの助手席に凛が座っている。

彼女は疲れ果てて、背もたれに深く身を沈めていた。

「……健太郎さん」

「ん?」

「……今回は、厳重注意で済ませます。でも、次は絶対にダメですよ」

「分かっています。……でも、凛さん」

健太郎は、ハンドルを握りながら穏やかに言った。

「君が守っているこの街には、僕も住んでいる。……君の隣にも、僕がいる。……だから、全部を一人で背負わないで。僕にできることは少ないけど、せめて、帰ってきた時の『重荷』を降ろす場所にはなりたいんだ」

凛は窓の外、白み始めた空を見つめた。

「……滑走路、でしたっけ」

「そう。どんなに泥まみれで帰ってきても、ちゃんと着陸できるように。……灯りは、いつもつけておくから」

凛はそっと目を閉じ、健太郎の腕に自分の頭を預けた。

「……了解。……今、着陸しました」

朝日が、二人の車を包み込む。

警察官と教師。

守り方は違っても、二人を繋ぐ絆は、深夜の現場よりも強く、朝焼けの光よりも温かく、未来を照らしていた。

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