第三話:確保宣言の波紋、あるいは職員室の緊急事態
第三話:確保宣言の波紋、あるいは職員室の緊急事態
1. 拡散された「確保」の瞬間
月曜日の朝。
高橋健太郎が校門をくぐった瞬間、空気の震えがいつもと違うことに気づいた。
すれ違う生徒たちが、クスクスと笑いながらスマホをいじっている。校舎の窓からは、女子生徒たちが鈴なりになってこちらを指さし、「マジだったんだ!」「確保だって、確保!」と騒いでいる。
(……嫌な予感がする)
高橋は胃のあたりを軽く押さえながら職員室へ向かった。
自分のデスクに辿り着く前に、学年主任のベテラン教師、大山が険しい顔で立ちはだかった。
「高橋先生。ちょっと、話があるんだが」
「……はい、何でしょうか」
「昨夜、駅前のイタリアンにいたかね?」
大山が差し出したスマホの画面には、SNSの投稿が表示されていた。
暗い夜道、街灯の下。ネイビーのスカートを穿いた凛とした女性が、高橋の腕を堂々と掴み、周囲の不良生徒たち(佐藤たちだ)を一喝している写真。
そして、投稿には太字でこう書かれていた。
【速報】タカケン、交通課の『氷の佐々木』に完全確保される!「私の大切な時間を邪魔するな」発言キターー!!
「……これ、佐藤か」
「佐藤だけじゃない。今や全校生徒のグループラインで回っているぞ。高橋先生、君は警察官と……その、どういう関係なんだ? 職務質問を受けていたわけじゃないよな?」
大山主任の追及に、高橋は冷や汗を流した。
「いえ、その……プライベートな、食事を……」
「食事! デートか! あの『氷の佐々木』と!」
職員室が、一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
2. 交通課の「尋問」
同じ頃、〇〇警察署の交通課。
佐々木凛は、いつになく真剣な表情で交通事故の統計資料を読み込んでいた。
……読んでいるふりをしていた、というのが正しい。
「佐々木さん」
隣のデスクの先輩、河野がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「昨日、駅前で『確保』したんだって?」
凛の肩が、見事なまでにビクンと跳ねた。
「……何のことでしょうか。昨日は非番でしたが」
「しらばっくれんなよ。ほら、これ」
河野が見せたのは、やはり佐藤たちが拡散したあの写真だった。
凛の顔は、昨夜のイタリアンのトマトソースよりも赤くなった。
「こ、これは……不審な若者がいたので、警告を……」
「警告中に腕を組むのか? 交通課の新ルールかそれは?」
「違います! あれは、その、高橋さんが絡まれていたので、助けるために……」
「へえ、助けるために『私の大切な時間』なんて言っちゃうんだ。熱いねぇ、佐々木巡査部長!」
課内の署員たちが一斉に冷やかしの声を上げる。
凛は、手元にあった道路交通法の分厚い六法全書に顔を埋めた。
(死にたい。今すぐ地面に穴を掘って、一生潜っていたい……!)
しかし、恥ずかしさに悶える彼女のスマホが、机の上で短く震えた。
【高橋さん:おはようございます。学校が大変なことになっています。佐藤くんたちが写真を撮っていたみたいで……。凛さんの方は大丈夫ですか?】
凛は、震える指で返信を打った。
【佐々木:こちらも、署内で徹底的に『取り調べ』を受けています。……でも、後悔はしていません。昨日の言葉は、本心ですから】
送信ボタンを押した後、凛は自分の大胆さに再び悶絶することになった。
3. 放課後の「直接対決」
その日の放課後。
高橋は佐藤を呼び出し、厳重に注意しようと試みていた。
しかし、佐藤は反省するどころか、勝ち誇ったような顔で教壇にふんぞり返っている。
「いやー、先生。お姉さん、マジで怖かったっすよ。でも、先生を守る姿はちょっと感動したっていうか、惚れましたね」
「佐藤、お前なぁ……。許可なく写真を撮って拡散するのは、プライバシーの侵害だぞ」
「いいじゃん、有名税っしょ。それより先生、今日もお姉さん来る? 『補導』しに来てくんないかなぁ」
「呼んだかしら?」
教室の入り口から、低く響く声。
振り返ると、そこにはフル装備の制服に身を包み、腕章を巻いた佐々木凛が立っていた。
その鋭い眼光に、佐藤の背筋が凍りつく。
「げっ、本物……!」
「佐々木さん!? どうしてここに」
高橋も驚いて立ち上がった。
「交通安全週間の打ち合わせで、校長先生に呼ばれたのです。……ついでに、昨夜の『不審者』の件も詳しくお聞きしようと思いまして。ねえ、佐藤くん?」
凛が一歩、また一歩と佐藤に近づく。
床を叩くブーツの音が、死刑宣告の秒読みのように教室に響く。
「昨夜、私を挑発し、公務外の時間を妨害したのは君ね? 詳しく署で……いや、ここでは高橋先生の指導のもと、じっくり話をしましょうか」
「ひ、ひええ……先生! 助けて!」
佐藤が情けなく高橋の背後に隠れる。
高橋は苦笑いしながら、凛の前に立った。
「凛さん、仕事中ですよ。……それくらいにしてあげてください。僕からも、しっかり言っておきますから」
凛は、高橋の穏やかな眼差しに見つめられ、フッと肩の力を抜いた。
「……高橋先生がそう言うなら、今回は見逃します。でも佐藤くん、次に先生を困らせたら、本当に『現行犯』で捕まえるからね」
佐藤は「はい、すみません!」と絶叫して教室を飛び出していった。
4. 誰にも見せない「特別」
誰もいなくなった教室。
窓から差し込む夕日が、オレンジ色に室内を染めている。
「……すみません。公私混同でしたね」
凛が、少し恥ずかしそうに帽子を脱いだ。
「いえ。凛さんが来てくれて、正直助かりました。……学校でも、みんなに冷やかされて大変だったんですから」
「私もです。署で、あんなに尋問されるとは思いませんでした」
二人は顔を見合わせ、思わず小さく笑い合った。
「でも、凛さん。さっきの……」
高橋が、少しだけ真面目な顔をして、彼女に歩み寄った。
「署内での『取り調べ』で、なんて答えたんですか?」
「……えっ?」
「僕への返信で、言ってたじゃないですか。『本心だ』って」
凛は、制服の裾をぎゅっと握りしめた。
夕日のせいか、それとも感情のせいか、彼女の横顔は真っ赤に染まっている。
「……言えません。恥ずかしすぎて」
「聞きたいな。僕の『確保』は、まだ続いてるんでしょう?」
高橋が、彼女のパーソナルスペースを少しだけ越えて近づく。
凛は逃げ場を失い、背中を黒板に預けた。
「……私は。……私は、あなたを守るのが、仕事だからじゃなくて、……ただ、あなたが大切だから……そう言ったんです」
消え入りそうな声。けれど、静かな教室にはっきりと響いた。
高橋は、彼女の頭をそっと撫でた。
「僕もです。……今度は、僕が凛さんを『確保』してもいいですか?」
「……許可、します」
二人の距離が、あと数センチまで近づいた時。
「あーっ!! またやってる!!」
廊下の隙間から、佐藤とクラスの女子生徒たちがスマホを片手に覗き込んでいた。
「「…………っ!!」」
二人は一瞬で飛び退いた。
「佐藤ーー!! 戻ってこい!!」
「君たち、肖像権の侵害で連行します!!」
警察官と教師。
二人の恋のパトロールは、どうやらまだまだ前途多難、赤信号の連続のようだった。




