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『制服を脱いだら、恋でした。』  作者: 水前寺鯉太郎


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第十二話:おかえり、僕たちの日常

第十二話:おかえり、僕たちの日常

1. 病院の匂いを脱ぎ捨てて

「……よし。忘れ物はありませんね。診察券、お薬手帳、それから……凛さんの心配性も一緒に持って帰りますよ」

病室の窓を開け、健太郎は深く息を吸い込んだ。消毒液と静寂が支配していた一週間。ようやく主治医から「もう大丈夫。無理をしなければ通常の生活に戻っていい」と、これ以上ない「合格通知」を受け取ったのだ。

「茶化さないでください。……本当に、気が気じゃなかったんですから」

隣で健太郎の荷物をまとめていた凛が、少しだけ頬を膨らませて振り返る。彼女の顔にはようやく血色が戻り、瞳の奥に宿っていた鋭い殺気も、今は温かな慈愛に溶けていた。あの事件の犯人は、凛と河野たちの完璧な連携捜査により、三日前に「法の手続き」に則って無事に確保された。凛は、自分の私情を挟むことなく、毅然とした警察官としてその任務を全うしたのだ。

「帰りましょう、僕たちの家に」

健太郎が手を差し出すと、凛は一瞬躊躇してから、その手をしっかりと握り返した。かつては「制圧」するために握っていた手が、今は世界で一番守りたい「温もり」としてそこにある。

2. 半径一メートルの幸福

一週間ぶりに帰宅した我が家は、驚くほど平和だった。

玄関を開けた瞬間に鼻をくすぐったのは、凛が焚いておいた、微かなリネンの香り。

「ああ……帰ってきたんだな」

健太郎はリビングのソファに体を預けた。まだ脇腹の傷が時折チクリと痛むが、それは自分が「生きている」という証左のようでもあった。

凛はすぐさまキッチンに立ち、甲斐甲斐しく動き始める。

「健太郎さん、座っていてください。まずは栄養のあるものを。……今日は、お粥じゃなくて、あなたが好きな柔らかめの炊き込みご飯にします。消化にいいように、具材は細かく切って……」

「凛さん、そんなに急がなくても。……ねえ、ちょっとこっちに来て」

健太郎の声に、凛は包丁を置いてリビングへ戻ってきた。

「何ですか? 何か痛みでも……」

「違うよ。……ただ、こうして君がそこにいて、料理の音が聞こえる。それがどれほど贅沢なことか、改めて噛み締めていたんだ」

健太郎は、凛を隣に座らせ、その肩に頭を乗せた。

「……ありがとう、凛さん。僕を、日常に連れ戻してくれて」

凛は静かに目を閉じ、健太郎の体温を感じた。

「……私の方こそ。……あなたが帰ってきてくれないと、この家はただの『箱』でした。……おかえりなさい、健太郎さん」

3. 教壇という名の戦場への復帰

さらに数日が経ち、健太郎はついに学校への復帰を果たした。

校門をくぐる時、少しだけ足がすくんだ。生死の境を見てきた自分にとって、騒がしい生徒たちの声がどう響くのか、不安だったのだ。

しかし、教室の扉を開けた瞬間、その不安は一瞬で霧散した。

「タカケンーーッ!!」

「先生! 生きてたんだね!」

「刺されたってマジ!? 傷口見せてよ!」

佐藤をはじめとする生徒たちが、怒涛の勢いで教壇に詰め寄る。

健太郎は苦笑いしながら、両手を広げて彼らを制した。

「静かに! ……心配かけて悪かったな。ご覧の通り、しぶとく生還したぞ」

佐藤が少し照れくさそうに、クラス全員の寄せ書きが入ったサッカーボールを差し出してきた。

「……先生。俺ら、マジでビビったんだからな。……あのお姉さん、じゃなくて佐々木さんが、夜中に一人で泣いてるんじゃないかって……」

「……そうか。佐々木さんのことも、心配してくれたんだな。ありがとう、佐藤」

健太郎は、黒板に大きく**『日常』**と書いた。

「今日は、教科書を開く前に一つだけ話をさせてくれ。……当たり前だと思っているこの『普通の日々』は、誰かの献身と、君たちの優しさの上に成り立っている。……それを忘れないでほしい」

教室は、かつてないほどの静寂に包まれた。

生徒たちの真っ直ぐな視線を受けながら、健太郎は自分の「居場所」を再確認していた。

4. 滞空時間の長い愛、再び

その日の夕方。

凛は少し早めに非番をもらい、夕食の準備をしていた。

犯人確保の功績で表彰されることになったが、彼女にとっての最大の報酬は、今、玄関の鍵が開く音だった。

「ただいま、凛さん。……今日は学校で、佐藤たちに揉みくちゃにされましたよ」

「おかえりなさい。……傷は? 痛んでいませんか?」

「大丈夫。……君からもらった元気の方が勝ってますから」

健太郎はリビングに入ると、窓を開けた。

初秋の涼やかな風が、カーテンをふわりと揺らし、キッチンまで届く。

「……あ、凛さん。風だ」

健太郎の言葉に、凛は手を止めた。

病院のベッドで彼が呟いた、あの言葉。「風が吹いたら思い出して」。

「……ええ。思い出しています。……あなたが私のそばにいてくれること」

凛は、キッチンのカウンターに置いてあった一枚の紙——それは、健太郎の退院祝いに彼女がこっそり書いた手紙だった——を手に取り、それを手際よく「紙飛行機」に折った。

「健太郎さん。……行きますよ。今回の目標は、あなたの胸元です」

「おっと、予告無しですか?」

凛が放った紙飛行機は、窓から入ってきた風に乗り、信じられないほど長く、優雅にリビングを舞った。それは重力に逆らうように滞空し、健太郎が広げた両手の中に、吸い込まれるように着陸した。

「……ナイス・ランディング」

健太郎が翼を広げると、そこには凛の文字で。

『一生、私の監視下にいてください。愛しています。』

「……執行猶予なし、でしたね」

「当然です」

二人は笑い合い、夕暮れ時のリビングで静かに抱き合った。

窓から吹き込む風は、二人の背中を優しく押し、明日という新しい滑走路へと導いていく。

警察官の凛と、教師の健太郎。

二人の恋のパトロールは、これからも続く。

時折、逆風が吹くこともあるだろう。けれど、二人で折ったこの愛の翼がある限り、どんなに遠い空へも、きっと飛んでいける。

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