うん、そうだよ…
夜明け前の森は、静寂に包まれていた。
霧が漂い、風が止み、世界が息を潜めている。
その中心に、一人の少女が立っていた。
天音セイレン――
かつて人であり、いまや神の力をその身に宿す存在。
しかし、神である前に、彼女は“人”だった。
失い、迷い、そして選んだ。
「……まだ、終わってない。」
その瞳に宿るのは、恐れでも後悔でもない。
ただ、前へ進むという意志。
この瞬間から、彼女の物語は“創造”の次元へと進化していく。
すべてのゴブリンは地面に倒れていた。
即死――皮膚は傷ひとつなく、まるで眠るように。
その静寂は神聖で、同時に恐ろしいほど不気味だった。
「うわっ……マジで怖っ。」
パニックと興奮が入り混じった声を上げながら、天音は額の汗をぬぐい、
「もう宿に戻ろう」と判断した。
「これで……完璧、かな。」
軽い足取りで街へ向かう途中――
> 「注意:あなたの目の外見が問題を引き起こす可能性があります。」
「は? 何の話?」と天音は眉をひそめた。
> [アイテム生成 ― 起動]
目の前に鏡がふわりと現れ、空中に浮いたまま彼女の手の中へと落ちた。
天音が覗き込んだ瞬間、冷たい戦慄が全身を走る。
映っていたのは――もう、彼女自身ではなかった。
金色の瞳の中で小さな銀河が渦を巻き、
そのひとつひとつが宇宙の断片を閉じ込めていた。
あまりの神秘に、息を呑む。
カラン――
鏡は指先から滑り落ち、乾いた音を立てて砕け散った。
「私の目に……無限が映ってる……
星も、闇も、光の糸までも……」
「まるで宇宙そのものが、私を覗き返しているみたい。」
周囲の光が、しぼむように消えていく。
影が伸び、木々も、大地も、空までも呑み込んでいった。
風が髪を揺らす――それでも空気は重く、息苦しい。
鳥の声も、木のざわめきも、世界の音がひとつずつ消えていった。
残ったのは、完全な静寂だけ。
天音はゆっくりと目を閉じ、首を振り、くすりと笑った。
「……はいはい、妄想はここまで。」
> [変化 ― 起動]
彼女の瞳は元の金色に戻る。
だが、その内に宿る“力”の感覚は、まだ残っていた。
街へ戻ろうとした瞬間――
霧の向こうから、三つの巨大な影が姿を現した。
赤いオーガたち。三メートルを超える巨体。
手には巨大な棍棒、瞳には原始的な怒りの炎。
「この森、ほんとモンスター多すぎ……」
天音はため息をつき、口の端に笑みを浮かべた。
「でもまあ、ちょうどいい。少し試してみようか――私の“力”を。」
> [アイテム生成 ― 起動]
黒い刀がゆっくりと空中に現れ、彼女の手へと落ちる。
天音は静かに抜刀した。
刃は漆黒。光を飲み込むように鈍く輝き、
銀の紋様が稲妻のように走る。
冷たく、そして生きているような感触。
「名前は……影羽。」
天音は微笑んだ。
「あなたたちを滅ぼす刃。」
> [剣聖 ― 起動]
[強化 ― 起動]
[敏捷上昇 ― 起動]
天音は右肩に刀を乗せ、わずかに刃先を傾けた姿勢で立つ。
金色の瞳が、静かに獲物を射抜く。
――一呼吸。
――一拍。
すべてが終わった。
三体のオーガは首を刎ねられ、同時に崩れ落ちる。
「ふぅ……ちょっとやりすぎたかな。
レベル9999って、伊達じゃないね。」
影羽を優雅に納め、天音は微笑んだまま歩き出した。
何事もなかったかのように。
---
二週間後
穏やかな日々が続いた。
天音は毎日、新しいスキルを創造し、簡単な依頼をこなしていた。
神のキーボードに文字を打つたび、
その想像は形となり、力となっていく。
一方その頃――遠く離れた王都エラリアでは、
二つの勇者グループが国王に召集されていた。
召喚以来、初めての正式な謁見。
玉座の間へと続く長い廊下は静まり返っていた。
石造りの柱の間に、若き勇者たちの足音だけが響く。
王家の紋章を描いた旗が垂れ、荘厳な空気が満ちていた。
扉の前に立つ二人の近衛騎士が、無言でハルバードを交差させる。
緊張と期待が、胸の鼓動を速める。
「うわぁ……本当に王様に会うんだ。」
「緊張して死にそう。」
「どんな人なんだろ……。」
ざわめきが広がる中――
「落ち着いてください、勇者の皆さん。」
柔らかな声が響いた。
白い衣をまとった巫女、アウレリアが前へ出る。
微笑みひとつで、空気が静まり返った。
「心配はいりません。陛下は恐ろしい方ではありませんよ。」
彼女の美しさに、誰もが息を呑んだ。
「お願いします、巫女アウレリアさん。」
人気者の勇者ヒロナが代表してそう答えた。
ユキはふと周囲を見回す。
「ねえ……最後のグループはどこに行ったの?」
「そういえば、誰も見てないよな。」
アウレリアの表情が一瞬だけ陰を帯びる。
「……この扉をくぐれば、分かります。」
静かにそう告げると、彼女の声に硬さが混じった。
「ただし、何を聞いても――冷静さを失わないでください。」
巨大な扉が、地鳴りのような轟音とともに開いた。
熱を帯びた風が廊下に流れ込み、
大理石と香と――そして「権力」の匂いを運んでくる。
玉座の間は、まるで大聖堂のように広大だった。
ステンドグラスの光が床を彩り、
赤、青、金――その輝きが、並ぶ騎士たちの鎧の上で揺れていた。
両脇に立つ貴族たちは、好奇と計算の入り混じった眼差しで勇者たちを見つめている。
そして最奥――
黄金の玉座に、王がいた。
その存在は、ただ座しているだけで「威厳」を放つ。
静かながらも鋭い瞳は、まるで魂の奥底を見透かすかのようだった。
彼が言葉を発する前から、空気そのものが重くなる。
「ここに呼ばれし者たちよ。」
王の声は低く、堂々と響いた。
「これは誰にでも与える栄誉ではない。
お前たちは、この国が見過ごせぬ“力”を持っている。」
一人の生徒が、恐る恐る一歩前に出た。
「陛下……私たちは、この国のために全力を尽くします。」
王はわずかに微笑んだ――だが、それは冷たい笑みだった。
「言葉は容易い。だが、行動こそが真実を語る。
お前たちには、想像もつかぬ試練が待っている。
そしてもし、敗北すれば――」
沈黙が落ちる。
刃のように鋭く、息すらできないほどの緊張。
「――その代償は、敗北に見合うものとなるだろう。」
生徒たちは一斉に声を揃えた。
「どんな困難でも、決して負けません!」
しかし王は、それだけでは満足しなかった。
ゆっくりと立ち上がり、マントが石段を滑るように落ちる。
「……見ての通り、欠けている者たちがいる。」
その瞳が一瞬、陰を帯びた。
「彼らは――全員、死亡した。」
衝撃が走る。
玉座の間が、一瞬で凍りついた。
誰も動けない。息すら止まる。
ユキの肩が震え、顔を伏せる。
頬を伝う涙が床に落ちた。
「アマ……ネ……」
かすれた声が、誰にも届かないほど弱く響いた。
王は冷然と続けた。
「彼らの一行は、森で三十名の盗賊に襲われた。
……生存者はいない。」
短い沈黙のあと、彼は淡々と告げた。
「彼らの葬儀は、あなたたちの世界の習慣に則って執り行う。
――せめてもの弔いだ。
我々は彼らのためにも、魔族を討つ。」
---
扉が閉じると同時に、感情が爆発した。
泣き崩れる者、言葉を失う者、
そして現実を受け入れられずに立ち尽くす者。
巫女アウレリアは一人ひとりの肩に手を置き、
優しい声で慰めの言葉をかけて回った。
ユキは沈黙のまま、その場を離れた。
足音が、大理石の床に淡く響く。
一歩ごとに、体が重くなる。
「どうして……どうして、あなただったの……。」
彼女はかすれた声で呟き、よろめきながら部屋へと戻っていった。
夜がエラリアの空を包む。
城の灯はひとつ、またひとつと消え、
残るのは揺らめく松明の炎だけだった。
アウレリアは泣き続ける生徒たちを部屋まで送り届け、
最後にユキの寝室の前で立ち止まった。
「しっかりしなさい。」
彼女はそっとユキの髪を撫でた。
「アマネなら、きっとあなたに戦い続けてほしいと思うわ。」
「……ありがとう。頑張ってみる。」
ユキは涙の跡を残したまま、静かに眠りについた。
アウレリアは無言で部屋を出て、扉を閉める。
穏やかだった顔が、すぐに険しさを帯びる。
彼女の足は、誰も近づかない古びた礼拝堂へと向かっていた。
---
そこには、白い石で作られた女神像があった。
アウレリアはその前に跪き、
静かに、誰にも聞こえない祈りを捧げる。
数分後、彼女は立ち上がり、木のベンチに腰を下ろした。
「……出てきなさい、エレノア。」
床に落ちた影がゆらりと動き、
やがて女性の姿を形作った。
優雅な立ち姿。
頭には小さな角。
魔族の眷属、エレノア。
「お邪魔をするつもりはありませんでした、アウレリア様。」
静かで礼儀正しい声。
「まったく……相変わらず堅苦しいのね。」
アウレリアはこめかみを押さえ、苛立ちを隠さなかった。
「遅かったじゃない。何があったの?」
「魔王の命令が……変わりました。」
「報告は後でいいわ。
で、計画は? うまくいったの?」
「……三つの遺体は焼け焦げていました。
ですが、残りの二人は――見つかりませんでした。」
「なっ……!? じゃあ、全部失敗じゃない!」
アウレリアの声が鋭く跳ねた。
「二度とない好機だったのに!」
「申し訳ありません……。」
「謝るな! 詳細を話して!」
エレノアは一瞬、目を伏せ――静かに言った。
「……私は、もうあなたの部下ではありません。」
アウレリアの心臓が、一拍止まった。
「……何を言っているの?
じゃあ、今は誰の命令で動いてるの?」
その答えは、別の声から告げられた。
「――それは、もちろん私よ。」
アウレリアが振り向く。
月光に照らされた扉の前に、ひとりの少女が立っていた。
その瞳は、宇宙を閉じ込めたような金の輝き。
アウレリアの息が止まる。
「あなたは……!」
少女は微笑み、軽く手を上げた。
懐かしい友に挨拶するように。
「――そう。」
「私は、天音セイレン。
“書く者”よ。」
月明かりが、静かな礼拝堂を照らしていた。
石の床に、三つの影が交わる。
沈黙――そして、再会。
その瞬間、運命の歯車が静かに回り始める。
> 「私は、天音セイレン。“書く者”よ。」
柔らかな声が、夜を切り裂くように響く。
神の名を告げたその少女の微笑みは、どこか哀しく、それでいて確信に満ちていた。
“創造”の神と、“信仰”の巫女。
かつて同じ祈りを捧げた二人が、いまや相反する立場で再び出会う。
――神々の戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。