友好的な出会い
光に満ちた丘の上から、彼女は初めてその街を見下ろした。
無数の塔と石畳の道、空を渡る鳥、そして異種族たちのざわめき。
かつて閉ざされた世界しか知らなかった天音にとって、それはまるで「新しい命の証」のように眩しかった。
だが――心の奥に残る痛みは、まだ完全には癒えていない。
それでも彼女は歩き出す。
この異世界で、自分という存在を「書き換える」ために。
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む光が、ゆっくりと天音を眠りから呼び覚ました。
部屋は柔らかな金色の光に包まれ、風に揺れる影が静かに踊っていた。
外では、すでに街の喧騒が始まっている。
商人たちが商品を売り込む声、石畳を叩く馬の蹄の音、遠くから聞こえる鍛冶場の金属音――。
すでに起きていたエレノアは、静かにその光景を見つめていた。
「女神様、もしお許しいただけるなら、再びあなたの影に戻ります。」
まだ眠気の残る天音は、ゆっくりと身を起こし、あくびをしてから小さく頷いた。
「うん……いいよ。」
その瞬間、エレノアの影は彼女の影の中に溶け込み、風に吹き消された炎のように消えていった。
小さな共同浴場で軽くぬるめの湯に浸かったあと、天音は一階の食堂へ降りた。
宿屋の中は、磨き上げられた木の香りと、焼きたてのパンの匂いで満ちていた。
すでに忙しそうに働く宿の主人が、彼女に簡素だが美味しそうな朝食を差し出した。
温かいパンに、赤い木の実のジャム、そしてミントと蜂蜜の香り漂う湯気立つお茶。
窓際の席に腰を下ろした天音は、通りが活気づいていく様子を眺めながら、一口一口を丁寧に味わった。
胸の奥に、じんわりとした温かさが広がっていく――ようやく、平和で生き生きとした世界にいるのだと実感しながら。
食事を終えた天音は立ち上がり、丁寧に礼を言って支払いを済ませた。
「それでは、行ってきます。少し用事があるので。」
宿の主人は優しい声で手を振った。
「行ってらっしゃい、お嬢ちゃん。また会えるといいね。」
天音はくすりと笑って答えた。
「そんなこと言わないで。また今夜も泊まるかもしれませんし、これからもお世話になると思います。」
宿を後にした彼女の顔は穏やかだったが、ほんの少しだけ寂しげでもあった。
(この世界の料理も悪くないけど……やっぱり日本の味には敵わないな。)
そう思いながら、ふといたずらっぽい笑みを浮かべる。
(そうだ、エレノアにも私の好きな料理を食べさせてみようかな。寿司とか、温かいご飯と一緒に。あの子、きっと驚くよね。)
――――
空は澄み渡り、陽光が色とりどりのステンドグラスに反射して、石畳の上に金と青の光を散らしていた。
天音がギルドの扉を押し開けると、いつもの賑やかな喧騒が迎えた。
靴音、笑い声、鎧の金属音、そして皮と鉄と酒が混ざった匂い――。
昨日の受付嬢がカウンターの奥に座っており、天音を見るや否や、ぱっと笑顔を浮かべた。
「おはようございます、天音さん! ギルドカードを取りにいらしたんですね? 少々お待ちください。」
手際よく引き出しを探ると、細やかな刻印が彫られた小さな金属のプレートを取り出した。
「はい、こちらがあなたの冒険者カードです!」と、嬉しそうに差し出す。
天音はそれを両手で受け取り、光にかざして美しい彫刻を眺めたあと、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。」
受付嬢は眼鏡を直しながら、穏やかな声で言葉を続けた。
「それでは簡単に、ギルドの仕組みとカードの使い方を説明いたしますね。」
長い説明のあと、受付嬢は天音にいくつかの簡単な依頼を提案した。
「今のところ、まだ受けるつもりはありませんが……ありがとうございます。」
天音は少し申し訳なさそうに答えた。
「問題ありません。ただし、ランクB未満の冒険者は、月に少なくとも二つの依頼をこなす必要があります。さもないと、カードが無効になりますのでお気をつけください。」
「了解です。それと……図書館への行き方を教えていただけますか?」
受付嬢はすぐに微笑みながら近くの道を指し示した。
「この道をまっすぐ進めば、すぐに見えてきますよ。」
「ありがとうございます。また来ますね。」
「良い一日を、天音さん!」
天音は手を振りながらギルドを後にし、教えられた通りの道を歩き出した。
――――
「すごい……図書館、めちゃくちゃ大きい!」
思わず立ち止まり、感嘆の声を漏らす。
通りすがりの人々がちらちらと振り返るほどだった。
「やば……目立ちすぎたかも。もう少し静かにしないと。」
頬を赤らめながら、天音は小声で呟いた。
建物は荘厳で、街の中央広場からほど近い場所にそびえ立っていた。
彫刻が施された木製の扉を押し開けると、目の前に広がったのは本と巻物、そして奇妙な球体が並ぶ壮大な空間。
古びた紙の香りが、心を落ち着かせるように漂っていた。
「えっと……最強のスキルについて書かれた本を探さなきゃ。」
彼女の視線が棚を滑り、気になる装丁の本を一冊手に取る。
しかし――開いた瞬間、天音は眉をひそめた。
「うそ……全然読めない! この文字、何語なの?」
焦ったものの、すぐに何かを思いついたように微笑む。
「ふふっ、心配いらないかも。いいアイデアがある。」
→【日本語翻訳 追加】
→【日本語翻訳 発動】
「よしっ! これで全部日本語に見える! これなら調べ物も楽になるね!」
嬉しそうに声を上げ、再びノートパソコンを開いた。
→【ヒール Lv999】
効果:傷や病気を完全に治す。
→【マジックウォール Lv999】
効果:物理・魔法攻撃を遮断する見えない壁を展開する。
→【聖なる盾 Lv999】
効果:呪いや邪悪な攻撃から身を守る。
→【石の皮膚 Lv999】
効果:肉体の防御力を大幅に強化する。
→【フォースフィールド Lv999】
効果:目に見えない力場を発生させ、攻撃を弾く。
→【魔力吸収 Lv999】
効果:敵の魔法を無効化し、その力を吸収する。
「でも、なんで“日本料理”とかのスキルにはレベルがないんだろう……?
もしかして、成長しないタイプのスキルなのかな。」
天音はキーボードを叩きながら首を傾げた。
そのとき――。
後ろから声がかかった。
「すまない……君、その手で何をしているんだ?」
それは二十代前半ほどの男だった。
土色のロングコートを身にまとい、肩には使い古された革の鞄を掛けている。
少し乱れた栗色の髪が、細い傷の残る顔を縁取っていた。
深い緑の瞳は、静かな好奇心の光を宿している。
「ふふっ、彼には私のステータスボードが見えないみたいね……特権ってやつか。レベルを下げても意味なかったか。」
天音は小声で呟いた。
「ん? 今、何か言ったか?」
「いえ、なんでもありません。それで……お名前は?」
「エリンド・ケイル。黒狼団所属、ランクAの冒険者だ。君は?」
天音は少し背筋を伸ばし、にっこりと微笑んだ。
「私は唯一無二の天音セイレン、ランクFです。」
「立派な自己紹介だが……聞いたことないな。」
率直に言いながら、彼は向かいの席に腰を下ろした。
「当然ですよ、Fランクですから。」
天音は真面目とも皮肉とも取れる口調で返した。
「それで、さっきその手で何をしていたんだ?」
「えっと……読書に集中するための、私なりの方法っていうか。ちょっと変ですよね?」
エリンドは驚いたように微笑んだ。
「いや、集中するためにそこまで努力できるのは、むしろ感心するよ。」
その瞬間、天音の脳裏に閃光が走った。
――夕焼けの下、傷を負った少年が、同じ言葉を口にしていた。
顔はぼやけて見えない。だが、その声の温もりだけが、心を強く揺さぶった。
「……天音? 俺たちのパーティーに入らないか? おい、天音、聞いてる?」
「……え? あ、うん。もちろん。」
現実に引き戻され、天音は曖昧に答えた。
どこか懐かしさを帯びた声音だった。
やがて表情を引き締め、静かに言う。
「今はまだ……目立たずにいたいの。」
「そうか。」
エリンドはそれ以上追及せず、ただ頷いた。
天音は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「ねぇ、教えて。あなたが知ってる中で、一番強いスキルって何? ただし、時間と空間系は除外で。」
「うーん……そうだな。『星剣・灼滅のカタクリズム』とか、『雷冠』あたりだろうな。
でも、時間と空間系のスキルについては、実際に見たことはない。」
「どうしてそんなことを聞くんだ? まさか習得しようとしてるわけじゃないだろうな?」
少し心配そうに尋ねるエリンド。
「まさか! ただ、知りたかっただけよ。」
「そうか。」
エリンドは緑の装丁の本を取り出し、イラスト付きのページを開いて読み始めた。
「……すごい、こんなスキルが本当に存在するんだ。」
天音は胸を高鳴らせながら思った。
机の下で、彼女はキーボードを呼び出し、エリンドが口にしたスキル名を打ち込む。
だが――画面上の文字はすべて赤く染まった。
「な、なにこれ……? どうして赤いの? 意味がわからない!」
心の中で焦燥が広がる。
「天音? どうした? なんか様子が……」
「だ、大丈夫。ちょっとした問題が起きただけ。それより、あなたって読書家なのね?」
慌てて話題をそらす。
「まぁな。冒険者のくせに“本ばかり読んでる”ってよく言われるけど……
気にしない。俺はいつだって、自分のやりたいことをやる主義なんだ。」
その言葉が、天音の中で強く響いた。
――「やりたいことをやる」……そうか……そういうことだったのね!
天音は勢いよく立ち上がった。
「ありがと、エリンド! 本当に助かった!」
勢いのまま走り出す天音を、エリンドは呆然と見送るしかなかった。
「……役に立てたなら、まあいいか。」
苦笑しながら呟く。
その頃、天音は街中を駆け抜けながら笑っていた。
「やっとわかった……私の能力の本質が!
まさかスマホの充電スキルなんて、本気で信じてたなんて……私、ほんとバカね!」
胸の奥から湧き上がる高揚感とともに、彼女の金色の瞳が力強く輝いた。
夜の帳が街を包み、灯火がひとつ、またひとつと点る。
窓辺で風を感じながら、天音は静かにペンを取った。
白いページの上、彼女の指先が淡く光る。
――「書く」という行為が、こんなにも温かいものだったとは。
それは呪いではなく、祝福。
彼女は微笑み、ゆっくりと筆を走らせる。
新しい物語の始まりを告げるように。