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世界の息吹

暗黒の迷宮を生き延びた天音は、ついに外の世界へと踏み出した。

閉ざされた闇を抜け、初めて吸い込む風、広がる青空、鮮烈な光――それは失われていた「生」の感覚を取り戻す一瞬だった。

しかし彼女を待ち受けていたのは、ただの安息ではない。未知の大地、新たな力、そして運命を告げる邂逅であった。

空気――空気が違っていた。


窒息しそうなほどの暗闇に閉ざされたダンジョンを抜けた後、この新鮮な風を吸い込むだけで、めまいを覚えるほどだった。まるで世界を再発見するかのように。限りなく広がる空は、現実離れしたほど鮮烈な青。無邪気に響く鳥のさえずりは自由そのもの。肌を包み込む太陽の温もり――かつては当たり前だったものが、今は奇跡の味を持っていた。


瞳が焼けるように痛み、瞳孔が縮む。長い暗闇に慣れた目には、この光は強すぎた。


「やっと……この苦痛も終わったか。新しいスキルのおかげでな。」

ため息と共に呟き、肩を大きく落とす。まるで百キロの重みを一気に取り払われたかのように。


目の前には、まだメッセージが浮かんでいた。


→【虚無 ― レベル10】

効果:周囲のすべてを吸い込むブラックホールを発生させる。


天音はごくりと喉を鳴らした。

「これ……怖すぎる。最大レベルまで上げなくてよかった……。もしそうしていたら、きっと私自身もあの穴に飲み込まれていた。あんな狭いダンジョンの中じゃ……終わってた。」


背筋に冷たい震えが走る。

彼女は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


そして目を開いた瞬間――世界が広がっていた。


黄金の光に満たされた広大な草原。しなやかで濃い草は風に揺れ、緑の海のように波打っている。その間に、野生の花々が鮮烈な色を放っていた。燃えるような赤。澄みきった青。太陽のような黄。

闇に押し潰されていた後に見るその色彩は、まるで命そのものが叫んでいるかのようだった。


周囲を取り囲むように、巨大な樹々が王冠のような城壁を築いていた。枝葉は風に揺れ、その隙間から降り注ぐ光の筋はまるで煌めく雨のように大地を照らしていた。

美しい――あまりにも美しくて、胸の奥が詰まる。


彼女の指先がわずかに震えながら草を撫でた。まるで、これが幻ではないと確かめるように。


「……空気が、こんなにも優しいものだったなんて……」

小さく呟く声は、風にかき消されそうに儚かった。


ふと視線を落とせば、彼女の衣服はボロボロに裂け、戦いの痕跡を示す黒い汚れに覆われている。苦笑が漏れた。


「まずは……着替えが必要ね。」


彼女が手をかざすと、宙に慣れ親しんだ――それでいてどこか異質な――光のキーボードが現れる。


→【即時装備切替】


指を鳴らした瞬間、衣服が変わった。


即席のボロ布と化した防具は消え、冒険者の装いが姿を現す。しなやかに体へと馴染み、戦いと生存のために練られた実用の美。丈夫な革と布が重なり合い、自由な動きを損なわず、それでいて確かな守りを与える。背には軽やかなマントが揺れ、一歩ごとに柔らかく脚を撫でていく。


それは決して豪華ではなかった。飾りでもなかった。

旅路に身を置く者の証、独立の象徴――そして、決して折れぬ心を静かに示す衣。


黒革のジャケットは柔らかくも肩と胸に補強が施され、彼女の身体を守る。袖口は細く絞られ、その下からは鍛えられた腕の筋肉がさりげなく浮かび上がる。中には淡い色合いの麻布のシャツ。首元は少し開かれ、長き旅に使い込まれた快適さを語っていた。

新しいものは何一つない。だが、その全ては丁寧に整えられていた。


「……待ってて、ユキ。必ず行くから。」


彼女が自分の服装を眺めていたその時、森の中から黒いフードを被った人物が近づいてきた。


「へ、誰よあんた? 近づかないで! 言っとくけど、私、戦えるんだから!」と彼女は叫んだ。


その人物はひざまずき、まるで忠誠を誓う従者のように頭を下げて言った。

「やっと…お会いできました、愛しき女神様。」


現れたのは、冷たい表情を浮かべた蒼白な顔の女。赤い瞳は鋭く、強い内なる力を放っている。

明るい栗色のセミロングの髪はわずかに波打ち、頬を縁取るように垂れた数本の髪が彼女の角ばった顔を引き立てていた。

額からは光沢を放つ漆黒の角が湾曲して突き出ており、それはまるで黒曜石で彫り出されたかのように美しかった。


天音はその謎めいた魔族の女から目を離せなかった。

空気は依然として重く、ちょっとした言葉で崩れそうな緊張が張り詰めていた。


やがて、その女の低くもよく通る声が響いた。

「私はエレノア。魔王直属の五人の司令官の一人です。」


沈黙が続いた。だが彼女は、意外なほど厳かに小さく咳払いをすると、やや無理をした自信を込めて言葉を継いだ。

「分かっていました…あなたこそ、魔王様が私に会わせようとされた方だと。」


しかし、その揺るぎないはずの声音にはかすかな揺らぎがあった。

強い眼差しも、一瞬だけ迷いを帯びる。まるで自分自身すら信じ切れていないように。


天音は硬直し、目を大きく見開いた。

(え…信じてるの!?)と、口を半開きにして呆然とした。


極めつけは、追い詰められたようにエレノアがさらに言い募った時だった。

「女神様なら…当然のことです。」


天音は瞬きを繰り返し、頭の中が真っ白になった。

(まじで!? 本気で信じてるじゃん!)と、心の中で笑いと動揺が入り混じる。

胸の鼓動が早すぎて、笑い出す余裕すらなかった。


必死に平静を装いながら、彼女は口を開いた。

「でも…どうやってこんなに早くここに? それに…今は人間の領域にいるんでしょ?」と、疑いながらも興味を隠せない様子で尋ねた。


エレノアは顎をわずかに上げ、その赤い瞳を光らせた。

「それが私の能力です。影を渡り歩くことができるのです。」


天音は凍りついた。

(なるほど…だから突然現れたのか…。でも待って…そのスキル、めちゃくちゃカッコいいんだけど!?)と、心の中で興奮が弾けた。

(私も一度使ってみたいな…!)


彼女の笑みはすぐに消え、代わりに思案の皺が額に刻まれた。

(でも…まだ転生していない魔王が、どうやって私の状況をこの魔族に伝えられたの?)


エレノアの冷たい声がその思考を断ち切った。

「……近づいてくる気配を感じます。」 彼女の瞳が細められる。


天音はその視線を追った。

ダンジョンの入口の方に、六つの人影が見え始めていた。

冒険者たち――分厚い体格をした男たち。粗末な毛皮を身にまとい、全身武装し、堂々とした足取りで進んでくる。まるで古い戦記物語から抜け出してきた野蛮人のようだった。


天音の胸がぎゅっと締め付けられる。

(やばい……こんなところで彼女と一緒にいたら、絶対怪しまれる。めちゃくちゃ怪しい!)


「私の影に隠れて。」 彼女は小声で命じた。


「承知しました。」 エレノアは即答した。


音もなく、魔族の女は影の中に溶け込み、闇に呑み込まれるように姿を消した。


一方の天音は、焦った様子でキーボードを呼び出した。指が高速で打ち込む。


→ 【隠身インビジビリティ- レベル2】


次の瞬間、彼女の体は空気に溶け込むように消えた。


冒険者たちは彼女のすぐそばを通り過ぎ、大声で笑い合いながら、これから狩る魔物の話をしていた。

誰一人として天音に気づくことなく、彼らはダンジョンの奥へと姿を消した。


天音は息を詰めたまま数秒待ち、ようやくスキルを解除した。


すると、すぐに影からエレノアが姿を現した。赤い瞳は、どこか愉快そうに輝いていた。

「見事です。もしレベル3にしていたら、あなたの影は完全に消え、私は閉じ込められていたでしょう。それを理解したうえで、あえてレベル2にしたのですね。」


天音はぎこちなく手を上げ、無理やり笑みを作った。

「もちろん…そんな危険は冒さないわ。」と、気まずそうに乾いた笑いを漏らした。


(ふぅ…危なかった。焦ってレベル200なんて書き込むところだった。間に合わなくてよかった…)

胸の鼓動がまだ早鐘を打つ中、彼女は心の中で安堵した。


気をそらすため、再びキーボードを呼び出し、素早く打ち込む。


→ 【Googleマップ】


すると、二つ目の浮遊スクリーンが現れ、世界地図が展開された。

それは広大で緻密――だが、地球とはまるで異なるもの。

にもかかわらず、大陸の輪郭は不思議なほど彼女の元の世界に酷似していた。


天音は息を呑んだ。

「嘘…これが本当にこの世界の地図…? 都市も、道も、山も…ダンジョンまで表示されてる。ズームもできるし、マーカーも置ける…これ、GPSより便利じゃない!」


瞳が興奮に輝く。

「どう? 進む道をリアルタイムで追えるんだよ。」と、子供のようにはしゃぎながら言った。


だが、エレノアは微動だにせず、その様子をただ無表情で見守っていた。


二人はそうして並んで言葉を交わしながら、陽光に照らされた森を抜ける小径を進んでいった。

太陽はすでに高く昇り、木々を眩しく照らしていた。


やがて天音は指を鳴らす。

→ 【時刻感知】


目を閉じると、脳裏に数字が鮮明に浮かび上がる。――12時34分。

彼女はすぐに目を開き、勝ち誇ったように叫んだ。

「やった、ちゃんと使える!」


エレノアがわずかに眉をひそめる。

「……何をなさったのですか、女神様?」


天音は気まずそうに肩をすくめた。

「……ただ、時間を確認しただけ。」


魔族の女は怪訝そうに見つめたが、それ以上は何も言わなかった。


「さて。」天音が口を開く。

「次は町を探さなきゃね。」


エレノアはうなずいた。

「でしたら、ターニスへ向かうことをお勧めします。ここから最も近い町であり…先ほどの冒険者たちもそこから来たのでしょう。」


「完璧。」天音は息を吐くように言った。

そして周囲を気にするように視線を走らせる。

「でも…人間の街に、角の生えた魔族がそのまま現れたら目立ちすぎる。私の影に隠れて。」


「御意。」エレノアは冷ややかに応じる。


次の瞬間、彼女は闇に溶けるように天音の影へと滑り込み、跡形もなく姿を消した。

天音は再び歩みを進める。その視線はまっすぐ地平線を見据え、足取りは軽やかだった。

だが、その胸の内は嵐のように思考が渦を巻いていた。


浮遊するキーボードが再び現れる。

指先は迷いなく走り、次々と文字を刻む。


→ 【風刃 — 追加】

→ 【地震 — 追加】

→ 【雷刃 — 追加】


耳の奥に、いつものようでありながら毎回新鮮な「チリン」という音が響いた。


――能力【神筆の書き手】がレベル3に到達。新たなスキルが解放されました。

→ 【神眼 — 第二段階】


ユニークスキル: 【神筆の書き手 — レベル3】

効果:あらゆるスキルをステータス表に書き込み、改変可能。レベル操作も可能。

ボーナス:【神眼 — 第二段階】を解放。相手と視線を交わすだけで、その者の過去と未来を視ることができる。ステータス表と連動し、自動的に画面が表示される。(※レベル上昇不可)


天音の目が細められ、唇が固く結ばれる。

(……少しレベルを下げておかないと。あまりにも強大な力を見せたら目立ちすぎる。街に着く前から厄介事はごめんだ。)


苦笑が漏れる。

(それにしても……エレノアは最初、ずっと跪いていたのに、全然威圧感を感じなかったな。……まあ、立ったままだったら、むしろもっと緊張してたかもしれないけど。)


天音の足取りは再び進み出し、曲がりくねった道を踏みしめながら、遥かなる地平へと歩を進めた。



---


その頃、遠く離れたエラリア王城の訓練場では、空気が掛け声と剣戟、魔法の詠唱で震えていた。


「優等生グループ」の生徒たちは、日に日に真剣さを増して鍛錬に励んでいた。


「……前より速く動ける気がする。」剣を握る少年が心中で呟く。

「魔法の基礎が、数分で理解できるなんて…!」少女は喜びに目を輝かせる。


召喚の儀で授かった加護は、決して象徴だけではなかったのだ。


訓練場を見下ろす高台には二人の大人の姿があった。

「吸収が早いな。そう遠くないうちに、彼らは偉大な勇者となるだろう。」と語るのは、王国騎士団長。

隣の神官は両手を胸の前で合わせ、静かにうなずいた。

「ええ、団長様。あなたのお名前もまた、彼らと共に歴史に刻まれるでしょう。」


訓練は熱気を帯びていた。怠け者たちでさえ苦労しながらもなんとか食らいついている。

「最後に訓練場へ着いた者には罰ゲームな!」と誰かが叫べば、他は子供のように新しい力を試し合い、歓声や驚きの声を上げる。

その瞳に映るのは畏怖よりもむしろ、純粋な好奇心――そして時に、危うい自信だった。


少し離れた場所に、ユキは静かに腰を下ろしていた。両手を膝に置き、虚空を見つめるその表情には影が差している。


「ユキ? 大丈夫?」心配そうに声をかけたのは、そばに寄ったクラスメイトだった。


ユキは顔を上げ、その瞳にかすかな陰りを宿したまま答える。

「……心配しないで。ただ、天音のことが気がかりで。彼女はまだ……あまりにも無防備だから。」


少女はそっとユキの肩に手を置いた。

「大丈夫よ。きっと自分で道を切り開けるわ。」


しばしの沈黙。やがてユキの唇に、壊れそうな微笑が浮かぶ。

差し伸べられた友の手が、彼女の前に差し出された。

「さあ、行こう。一緒に訓練を続けよう。」


ユキは深く息を吸い、その手を握った。

「……うん。行こう。」



---


一方その頃、天音は歩調を少し速めていた。景色は変わり、まばらな森は次第に広々とした草原へと姿を変えていく。


そして――それは現れた。


遠い霧の中に浮かび上がる影。

高くそびえる城壁、天を突く尖塔、雲を突き抜ける塔の群れ。

その周囲を包む霧は自然のものではなく、紫がかった光を帯び、まるで古の魔法が街全体を護っているかのようだった。


天音は足を止め、風に髪をなびかせながら、その光景を見つめた。

瞳が新たな輝きを宿す。


「……やっと。街だ。」


口元に決意の笑みが刻まれる。

「さあ――行こう。そこで何が待ち受けているのか、確かめなくちゃ。」

こうして天音は、迷宮を越えて最初の街へと歩みを進める。

彼女の影に潜む魔族の従者と共に――。

その瞳に宿るのは、恐れか、希望か。

答えはまだ霧の向こうにある。

けれど確かなことはひとつ。

これは、彼女自身の物語が本格的に動き出す始まりにすぎない、ということだ。

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