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我と魔王

沈黙が重く部屋を支配していた。

冷たい空気が肌を刺し、息は白く小さな雲となって漂う。

天音の視線は、まだ信じられない現実と、首にかけた古びたペンダントへと交互に揺れた。

そこには、言葉を持たぬ魂の残滓が潜んでいる――声なき存在が、彼女の運命を見据えていた。


「……これは、始まりにすぎない。」

天音は自分自身に言い聞かせ、震える手を握りしめた。

この先に待つのは、絶望か、それとも――生き残るための覚醒か。

沈黙が、鉛の布のように部屋に落ちた。


アマネの吐息は白く、小さな雲となって冷たい空気に散り、途切れ途切れで痛いほど不規則だった。

彼女の指は無意識に握ったり開いたりを繰り返す。まだ自分の身体がここにあることを確かめるかのように。

周囲には三体の怪物の死骸がそのまま転がっていた。

歪んだ肉塊、黒い液体の水たまりに沈む姿。死んでなお、空ろな眼窩が彼女を見ているようで、金属のような、鼻を刺す焦げた匂いが喉を焼いた。


彼女の視線は目の前のインターフェースを滑った。数字、アイコン、スキル……すべてがそこにあり、明瞭で整然としていた。だが、冷たい戦慄が首筋を走る。何かがおかしい。頭蓋の奥で鈍い圧迫感が広がり、まるで誰かが指で思考そのものを押さえつけているようだった。――監視されている。そんな、じわじわとした感覚。


そして、声。

「……お前がその鍵盤を打ち込んだ瞬間から、ずっと見ていたぞ。」


天音は激しく身を震わせた。足が死体の黒い水溜まりを蹴り、飛沫がブーツに散った。息を詰まらせ、一歩後ずさりしながら、彼女の瞳は周囲の影を探る。誰もいない。何もない。あるのは、死体と、沈黙――だがそれは沈黙ではなかった。


無意識に、彼女の視線は首にかけている首飾りへと落ちた。古びたペンダント。何の気なしに宝箱の底から拾い上げたもの。その中心に嵌め込まれた暗赤色の石は、まるで小さな心臓のように脈動していた。


「……お前が、喋ってるの?」 かすれた声。かろうじて喉から絞り出す。


「フン、察しが早いな。悪くない。私は――おそらくお前が耳にしたこともない存在の残滓。魔王ヴェル=クラースだ。」


その名が告げられた瞬間、石は自らの伝説を悦ぶように震えた。天音の指は反射的にペンダントを掴み、爪で冷たい金属を引っ掻いた。喉がひくりと鳴る。


「実は……お前のこと、ここに来る前に聞かされていた……けど……」 震える息を吸い込みながら、彼女は赤い石から視線を逸らした。まるで、じっと見返してくる眼差しを避けるように。

「まさか……私を殺すつもり? それなら……どうして今になって話しかけてくるの?」


声は途切れ、か細く砕ける。部屋全体が彼女に傾き、影が伸びていく。まるでヴェル=クラースが耳元で息をしているかのようだった。


「私はほんの断片に過ぎぬ。痕跡。魂の欠片をこの宝珠に封じられた存在だ。今の私には誰一人、殺すことなどできん。」


その声は天音の頭蓋に響き渡り、深く、震え、ほとんど痛みに近かった。


「じゃあ……私に何をしようとしたのよ!」 思わず怒鳴り返す。込み上げた怒りに喉が締め付けられ、拳が震える。見えない壁に向かって叫んでいるような感覚。


「私の力は、私を身に着けた者を操る程度に限られている。首にかけさせ、受け入れさせる。それから……宿主は自分の最も強い願望に取り憑かれ、それが叶うまで止まらない。だが……」


声が一瞬ためらいを見せ、さらに低く沈んだ。


「お前の新しい力の出現によって、私はお前の魂を掴めなくなった。この世界が死を与えようとしたその瞬間、お前は自らの生存を書き記した。そんな芸当ができる者は少ない。他の者たちはただ従い、流されるのみ。だが……お前は押し通す。私は己の魂を代価に、蘇生を果たした。」


ゆっくりと視線を自分の手に落とす。

震えていた。だが恐怖ではない。

筋肉はアドレナリンに震え、極限でしか得られない剥き出しの覚醒が彼女を満たしていた。


天音は眉をひそめ、視線を首にかかる首飾りに固定した。

信じるべきか、それとも壁に叩きつけて粉々に砕くべきか、彼女には判断できなかった。

手が無意識に宝飾を握りしめる。視線をそらし、大きく息を吸い込むと、何も言わずに〈ストレージ〉のインターフェースを呼び出した。

床に散らばっていた財宝や宝石、魔道具は次々に淡い蒼光に包まれ、空間に吸い込まれるように消えていく。

そして天音は重々しい足取りで出口へと向かい始めた。大理石の床に響く靴音がやけに重く感じられる。


「どうして私を助ける?」

彼女は半身だけ振り返り、冷たい声で問いかけた。

「お前は…悪魔のはずだろう?」


乾いた短い笑いが返る。

「そしてお前は本来なら死んでいるはずだった。どうやら俺たちは、どちらも定められた規則を守るつもりがないらしいな。」


「ふざけるな。」

彼女の声は鋭く響き、空気を裂いた。


だが声は、急に荘厳さを帯びて続いた。


「万物を変える力を持つ女神よ。余はその命尽きるまで、あなたに仕える。魔族の軍勢はすべて、あなたの指揮下にある。」


天音は足を止め、目を大きく見開いた。

「……ちょ、ちょっと待て! 仕えるってどういうことよ!?」

ほとんど跳ね上がるように叫ぶ。


「あなたはまだ自覚していないが、その力はすでにこの世界に存在するいかなる存在をも凌駕している…たとえこの私ですら。」


天音の手のひらは汗ばみ、心臓は胸を破ろうとするほどに打ちつけていた。全身が硬直し、思考が絡み合い、押し潰されそうになる。


――ふざけんな、私が世界最強だって? ただ死のうとしただけなのに……。

彼女は奥歯を噛みしめ、喉の奥が痛むほど唾を飲み込んだ。


「……じゃあ、教えなさいよ。この力の正体を。」

震えを押し隠すように、必死に声を張り上げる。


「それは、余の魔力と、お前が振るったあの剣の力――二つの力が融合し、生まれた。神々が扱う“神性の力”を宿した存在へと変じたのだ。」


天音の耳の奥で鳴り響いていた血潮の音が止んだ。

彼女は長く息を吸い、少しずつ心拍を落ち着ける。

そして暗い天井を仰ぎながら問いかけた。


「……どうして人間や他の種族に戦争を仕掛けたの?」


間があった。そして、世界の始まりから響いているかのようなため息が落ちた。


「やはりな。お前はこの世界の者ではない。しかし他種族の存在を知っているのは確かだ。この戦争……それを始めたのは余ではない。発端は“神”だ。この世界には勝者となれる種族が一つしか存在できぬ。だがもし、どの種族も勝てぬまま平和が訪れれば、神々は《黙示録》を発動させ、この世界を滅ぼすだろう。」


天音は勢いよく振り返り、影の中に視線を走らせた。

「何それ? だって、私たちは“神々に選ばれて”召喚されたって聞いたのよ!」

声が震え、本当の驚きと不安が入り交じる。


「それこそが、奴らの娯楽なのだ。この世界の神々は、お前の元の世界や他の世界の神とは違う。」


その瞬間、首飾りの赤い宝石が激しく脈打ち始めた。光は弱まり、声は遠くなっていく。


「……時が来た。この首飾りはまもなく砕ける。余の魂も消え去る。だが転生の刻は近い。だから余は一体の僕をお前の元へ送り、お前を助けるだろう。――忘れるな。力を使いすぎれば、他の神々に感づかれるぞ。」


天音は口を開いたが、声が出なかった。

指先で握りしめた首飾りは震え、そして赤黒い閃光とともに砕け散った。

石は粉々になり、淡い光の粒子となって冷え切った空気に溶け消えていく。


彼女は一人残された。


「……やっと、いなくなった。危うく気を失うところだった……首にぶら下がってたなんて……。」

ひび割れた柱に背を預け、胸に手を当て、天音は大きな息を吐いた。

その吐息は震え、体全体が魔王の声の余韻にまだ痺れていた。


――ぐぅぅ。

返事をしたのは胃袋だった。空っぽの。

米粒ひとつもない。餅も、おにぎりすらも。


「やば……お腹すいてきた……。」

思わず情けない声が漏れ、腹をさすった。

ダンジョンの重苦しい静寂が、その空腹感をさらに増幅させる。


だが次の瞬間、瞳に光が宿った。

「……でも待って……。」

口元が悪戯っぽく歪む。


彼女は手をかざし、“システム”のウィンドウを呼び出す。

半透明の板に刻まれたルーンが宙に浮かび、かすかに音を立てながら揺れる。

彼女の指先が震えながらも書き記す。


→ 【和食料理の創造】


息を詰める。

馬鹿げてる……こんなの通じるはずない。魔法の世界で、レストランじゃあるまいし……。


しかし、柔らかな湯気がふわりと鼻をかすめた。

そこに現れたのは、丁寧に布に包まれた弁当箱。湯気を立てるおにぎり、艶やかな卵焼き、そして香ばしく焼けた鮭。


天音は瞬きをした。

「……夢みたい。本当に……できちゃった……。いやいや、さすがにこれはやばいでしょ……この世界の制限を超えてる……。」

震える手で弁当を掴む。


思わずスマホを取り出す。――バッテリー残量3%。


→ 【自動充電】


ピッ。バッテリー100%。

画面が生き返り、彼女は微笑んだ。胸の奥に温かな息が吹き込まれる。

一口、二口……食べるごとに、何百年も忘れていたような幸福が身体を満たしていく。

その瞳に、かすかながら確かな“生”の輝きが灯った。


食事を終えると、制服の裾で指を拭き、再び歩みを進めた。


進むごとに通路は変貌した。

滑らかな石壁には古代の渦巻き模様が刻まれ、赤い光が脈打つ。

空気は重く、歩を進めるたびに見えない海に沈んでいくかのようだった。

影が壁を走り、骨が砕ける音が時折響く。


彼女はさらなる怪物たちと遭遇した。


――漆黒の甲殻を持つ巨大なサソリ。刃のように鋭い鋏。

――蝙蝠と蜥蜴を掛け合わせた異形。咆哮一つで地を走るルーンが震える。

――錆びついた鎖をまとった亡霊。柱を這う蛇のように鎖を伸ばす。


それぞれが先ほどの狼の十倍は危険だった。

戦いは本能と策略のせめぎ合い。


→ 【身体強化 ― 発動】

→ 【危険感知 ― 発動】

→ 【解析読解 ― 発動】


淡いウィンドウが次々と目の前に表示される。

彼女の指は空に走り、修正を書き込み、戦闘ごとに能力を調整していく。

息は荒くなり、汗は滴り落ちる。

だが、その眼差しは決して揺るがない。


――私は今、生き残る術を学んでいる。

この世界に殺されないために。

もう、遊びじゃない。


ダンジョンの壁が突然広がり、巨大な円形の広間が姿を現した。

床は黒曜石のように黒く、幾何学模様の亀裂が走り、淡く光を放っている。

空気は重く、鉄と灰の匂いで満ちていた。


中央に、三つの人影。ぼろ布をまとい、背を向けて立っている。

動かない。


天音の鼓動が速くなる。

「……今度は何?」

彼女は小さく呟いた。


一歩踏み出す。

その瞬間、人影がぎくりと動き、ゆっくりと首を回した。


――リジ。

――シン。

――ヒナ。


仲間たち。

食われて死んだと思っていた、あの三人。


天音の喉が詰まり、呼吸が止まった。

目が大きく見開かれ、涙があふれる。

震える声で、一歩ずつ近づく。


「みんな……まだ、生きてるの……?」


最初の一人が絶叫した。

人間とは思えぬ、獣じみた咆哮。

そして牙を剥き、彼女に飛びかかった。


その瞳はすでに人のものではなく、

皮膚は干からび、

指はねじれた鉤爪へと変わり果てていた。


天音の喉から叫びが漏れる。反射のように。


→【ファイアボール】


両手から炎が迸り、三人を包んだ。

炎はぼろ布を、腐敗した肉体を喰らい尽くす。

焦げ臭さが充満し、絶叫はすぐに途絶えた。


やがて、黒煙を上げながら彼らの体は崩れ落ち、動かなくなった。


――静寂。


天音は立ち尽くしたまま、まだ震える手を見下ろす。

指先は鉤のように固まり、涙が煤で汚れた頬を伝い落ちた。

目を閉じ、歯を食いしばる。


「……安らかに眠って。」

その声は、ほとんど聞き取れないほど小さかった。


彼女は仲間たちの亡骸を通り抜け、ゆっくりと歩みを進める。

肩は重く、目にはもう涙はなかったが、胸の奥に深い亀裂が走っていた。


――タッ…タッ…タッ…

無機質な足音が、果てしなく続く廊下に響く。

孤独を刻みつけるように、反響が返る。


彼女の指先がときおり冷たい壁をなぞる。

黒い粉が指に付着し、ざらついた感触を残した。


唇は絶え間なく動き、祈りとも独り言ともつかない声をこぼす。


「なぜ私が……なぜこの力が……」

「これは夢? それとも、私はもう死んでいるの?」

「ユキ……待っていてくれるよね……?」


答えはない。

遠くで石が崩れる音にびくりと肩をすくめ、

怪物の咆哮に駆け足になることはあっても、何も現れはしない。

ただ歩き続ける。終わりのない道を。


やがて、ダンジョンは姿を変えた。

赤いルーンで覆われていた壁は崩れ、深い亀裂が走る。

黒い根が石を突き破り、血管のように天井へと伸びていた。

空気は徐々に澄み、冷たく湿った気配に変わっていく。


――そして、彼女は見た。


長い廊下の果て。

巨大な石扉がわずかに開き、その隙間から淡い光が漏れていた。

やわらかな、まるで夢のような光。


重い脚が勝手に走り出す。

震える手がその光へと伸びる。

そこには確かに――本物の風が吹いていた。

土と草の匂いを運ぶ、懐かしい空気。


扉の前で立ち止まり、喉が詰まる。

涙が込み上げ、抑えきれない。

嗚咽まじりに、笑い声がこぼれた。


「……で、出られたんだ……」


両手で石扉を撫でる。

ざらついた感触が、現実を確かに刻む。

彼女は一歩、外へ踏み出した。


――世界が、彼女を迎え入れた。


広がる空。

白い雲がのんびりと流れ、風が髪を撫で、

ダンジョンの煤の匂いを洗い流す。

果てしなく広がる森。

葉のざわめきが心を包み、

まぶしい太陽の光が、長い闇を突き破った。


天音の脚が力尽き、草の上に崩れ落ちる。

一握りの緑を胸に抱きしめ、震える声で呟く。

涙は止まらず、頬を濡らした。


その指先は無意識に、もう存在しない首飾りを探す。

彼女の声は風に溶け、遠くへ消えていった。


「……待ってて、ユキ……」


草の上に膝をついたまま、天音はしばらく動かなかった。

胸の鼓動は徐々に落ち着き、呼吸は穏やかになっていく。


彼女の視線は遠い地平を見つめ続けていた。

新しい世界が待っている。

だが、彼女が望むのはただ一つ――あの約束を果たすこと。

まだ生きているはずだ。安堵していいはずだ。

――なのに、心はそうならなかった。


目の前に浮かぶインターフェースに視線を滑らせる。

数字、アイコン、スキル……すべては整然としている。

それでも首筋を冷たいものが走った。

おかしい。頭の奥に鈍い圧力があり、誰かが指先で思考そのものを押し込んでいるような、

――覗かれている。そんな、じわじわとした感覚。


そのとき、声がした。


「そのキーボードを打ち始めた時から、私はお前を見ていた……」


アマネは激しく身を震わせた。

足が死骸の黒い水たまりを蹴り、飛び散った滴がブーツにかかる。

息を詰め、一歩退く。目は闇の奥を探した。

誰もいない。何もない。

あるのは、部屋、死体、そして沈黙――だがそれは本当の沈黙ではなかった。


視線が本能的に首元のペンダントへ落ちる。

彼女が何気なく宝箱の底から拾った古びた首飾り。

その中央に埋め込まれた暗赤色の石が、心臓のように小さく脈打っていた。


「あなたが……喋っているの?」

声は弱く、かすれて、喉に絡まっていた。


「フン。飲み込みが早いな。良い兆候だ。

私は……お前が聞いたこともないであろう存在の残滓。

魔王ヴェル=クラースと呼ばれた者だ。」


その名を告げると同時に、石が震え、自らの伝説を味わうように脈動した。

アマネの指は無意識にペンダントを強く握りしめる。爪が冷たい金属をひっかく。喉が鳴った。


「実は……ここに来る前に、あなたの話は聞いたことがある……でも……」

彼女はゆっくり息を吸い、震えながら視線を逸らす。赤い石を、あまりに近すぎる視線のように避ける。

「待って……私を殺すつもり? それに、なぜ今になって話しかけてくるの……?」


声は最後で途切れた。

部屋全体が彼女に傾き、影が伸びる。まるでヴェル=クラースが彼女の耳元で息をしているかのようだった。


「私はただの断片だ。

この宝玉に封じられた魂の残滓にすぎない。

今の私は、誰かを殺すことなどできぬ。」


その声はアマネの頭蓋に響いた。深く、振動し、痛みさえ伴うほどに。


「じゃあ、私に何をしようとしてたのよ!?」

思わず叫ぶ。自分でも気づかなかった怒りが喉を絞める。拳が震える。

見えない壁に向かって吠えているような感覚だった。


「私の力は、私を持つ者を操ることに限られている。

首に掛けさせ、願いを増幅させる。

やがて彼らは最も強く望む願いに取り憑かれ、実現するまで動く……だが、お前は……」


声が一瞬ためらい、より低く、重く響いた。


「お前が新たな力を得たことで、私はお前の魂を掴めなくなった。

お前は、この世界が殺そうとした中で自らの生存を書き換えた。

それができる者は稀だ。

他の者は従うだけ、耐えるだけ。

だが、お前は――強制する。

私は自らの魂を代価に“蘇生”を使ったのだ。」

深く息を吸い込み、天音は床に散らばった残骸を見下ろした。

死体の黒い水たまりは消え、重苦しい空気はわずかに和らいでいた。

しかし、胸の奥にはまだ冷たい余韻が残る。

あの声――魔王ヴェル=クラースの残滓――の言葉が、心の奥に深く刻まれていた。


視線を上げると、遠くに淡い光が差し込む出口が見えた。

石扉の隙間からこぼれる光は、まるで長い闇の先に待つ希望のようだった。

足取りは重いが、心は少しずつ確かな覚悟で満たされていく。


草の匂い、風の冷たさ、太陽の光――

世界は静かに、しかし確かに、天音を迎え入れた。

膝をつき、震える手で一握りの緑を抱きしめる。

涙が頬を伝い、長い戦いと孤独を静かに洗い流す。


「……待ってて、ユキ……」

小さくつぶやくその声は、過去の誓いと未来への決意をひとつにした。

新しい世界の鼓動が、天音の胸に響く。

だが、彼女の戦いは、まだ終わったわけではない。

これは、ほんの始まりに過ぎなかった――。


天音は立ち上がり、深く息を吐いた。

目の前に広がる森と空。無限の可能性。

その先に何が待とうとも、彼女は進むしかない。

生き残るために、守るために、そして――約束を果たすために。


淡い光に包まれながら、天音の瞳に新たな決意が宿った。

静かに、しかし確かに、彼女の物語は次の章へと動き出す。

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