神再生
世界は静寂に包まれていた――だが、それは単なる沈黙ではなかった。
洞窟の奥、崩れた壁の向こうに、少女は一人立ち尽くしていた。
胸に突き刺さった剣の痛みは消え、代わりに全身を駆け抜ける異様な力が残っている。
天音セイレン――半神としての自覚もまだ曖昧な少女は、目の前に浮かぶ不思議な光景に息を呑んだ。
空中に漂う文字、宙に現れるキーボード。
それはまるで、世界そのものが彼女に語りかけるかのようだった。
「……これは……私の力?」
恐怖と好奇心が入り混じる中、指先が初めて宙のキーに触れる。
そして――新たな物語が、今、幕を開ける。
剣がゆっくりと彼女の胸に突き立った。
天音は叫ばなかった。
声をあげることも、涙を流すこともなかった。
ただ深い吐息が唇から漏れる。まるで解放の溜息のように。
刃は肉と骨を貫き、不思議な熱が体中に広がる。
だが、それはすぐに冷たさへと変わった。終わりを告げるような、凍える冷たさへと。
――けれど、終わりは訪れなかった。
最初はかすかな震え。やがて首筋を這い、全身を侵す感覚。
心臓はもう動いていない――彼女自身がそれを理解していた。
なのに、別の鼓動が響いていた。遠く、壁の向こう側から伝わってくるような、鈍く重い拍動が。
彼女の周囲に、黒い光の渦が巻き起こる。濃く、重く、容赦なく。
胸に突き刺さった剣が震え、奇妙な光に包まれて金属が歪んでいく。
それは光ではなく、焼き尽くす炎。白い炎が刃を侵食し、渦巻く闇とぶつかり合う。
神性と魔性、二つの力が互いを引き裂き、そしてその中心に――彼女がいた。
一瞬、天音は自分の肉体が四散する錯覚に囚われた。
だが――次の瞬間、全てが反転する。
闇は彼女の肉体と融合し、光は魂へと絡みつく。
音もなく爆ぜた衝撃は、全身の細胞ひとつひとつにまで刻み込まれる。
膝が石床に叩きつけられ、息が詰まる。
それでも、彼女は倒れなかった。
ぱちり、と目が見開かれる。
紅い光。
金の輝きがその中を走る。
辺りは異様な静寂に包まれていた。
ただ、胸から滑り落ちた剣が石に当たり、金属音を響かせただけ。
まだ熱を帯びた刃が転がり、沈黙の中に残響を刻む。
そして――目の前の空気が裂けるようにして、現れた。
インターフェース。
光の粒子が揺れながら文字を描き出し、淡く震える。
それはまるで、自分の存在を疑っているかのように頼りなかった。
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【ステータス】
名前:天音セイレン
種族:半神
クラス:未設定
レベル:??
HP:100/100
MP:5/5
力:6
敏捷:7
耐久:4
魔力:0
幸運:1
固有スキル:【神の書き手 Lv1】
効果:ステータス盤上の任意のスキルを「書き換え」可能。レベルの改変も可。
状態:異常
潜在値:∞
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息が止まる。
「……インターフェース? まるでゲームみたい……」
だが、それだけでは終わらなかった。
画面の下に、浮かび上がる。
空中に浮いたままのキーボード。
現代のアルファベットではなく、日本語の文字配列――古い携帯電話のテンキーを思わせる配置。
一つ一つの記号が星明かりのように震えていた。
次の瞬間、音が頭の中で鳴り響いた。耳ではなく、脳に直接刻まれるように。
《手動入力モード、起動》
《神核へのアクセス、制限中》
《スキル未登録――ユーザー入力を要求》
天音の目が瞬き、震えが指先に伝わる。
胸に手を当てると、そこにはもはや穴はなく、焼け跡のような痕が残っているだけだった。
「……どうして、まだ生きてるの? ここは……どこ?」
虚空に問いかける声。
「……覚えてる……転移して……そのあと……」
目の前のインターフェースを凝視する。
「私が……自分でスキルを書ける? レベルまで……?」
彼女は長く迷った。
手が震え、浮かぶキーに近づく。
指先に触れた瞬間、熱が走る。文字ひとつひとつが、自分の存在を認めるかのように脈打っていた。
恐怖と興奮が入り混じり、胃を締めつける。
「……何を書けばいいの……? もし、ゲームみたいにできるなら――」
脳裏に蘇る、漫画やアニメの記憶。
主人公たちが放つ派手な魔法、最強の必殺技。
天音は深く息を吸い込み、そして指を動かした。
→【ファイアボール ― 追加】
澄んだ電子音が空気を震わせ、文字が緑色に変わる。
ステータスに定着したのを見届け、心臓が爆発しそうなほど脈打った。
決意を固め、数字モードに切り替える。
彼女はゆっくりと入力した。
→【レベル100】
通知が即座に現れる。
→【ファイアボール ― レベル100】
背筋に電流が走った。
「……本当に……できるの?」
腕が無意識に持ち上がる。彼女は呟いた。
→【ファイアボール ― 発動】
真紅の魔法陣が手のひらに浮かび、灼熱の球が形成される。
あまりに巨大で、目の前の光景が信じられなかった。
次の瞬間、爆風に吹き飛ばされる。
火球は流星のように空気を切り裂き、轟音と共に壁へと直撃する。
石床が揺れ、洞窟全体が悲鳴をあげる。
爆発で岩壁が砕け散り、煙と炎が広がった。
粉塵が収まった時、そこには漆黒に焼け焦げた巨大な穴が穿たれていた。
空気がまだ熱を帯びている。
天音は自分の手を見つめ、瞳を大きく見開く。
呼吸は荒く、身体は震えていた――恐怖と恍惚が入り混じった震えだった。
「……すごい……これ、完全にチートじゃない……」
無意識に口元が歪む。
頭の中では思考が嵐のように駆け巡っていた。
「でも……どうしてレベルが『??』のまま? あんな魔法を撃っても、ステータスは増えない……?」
紅い瞳を細め、真剣な光が宿る。
「……関係ない。これは、私に与えられた力。なら使いこなすだけ。限界があるなら探し出す。壊してでも超えてみせる。」
再び指が宙のキーボードを叩く。
記憶にあるアニメや漫画のスキルを次々に試す。
緑に光るものもあれば、赤のまま拒絶されるものもあった――強すぎるもの、矛盾するものは登録されない。
「スキル名を変えたり、レベルを上げたりはできる……けど、桁は三つまで……」
小さく呟く。
「時間を巻き戻す、とか……そういうものは拒否される……」
目に決意の光が宿る。
「……なら、方法を探すまで。必ず抜け道はある。」
崩れた壁の粉塵が光を反射し、宙を漂う。
荒い呼吸も、やがて整っていった。
彼女は再び手を持ち上げる。
まだ熱の残る指先を見つめながら――。
「……半神、か。」
その声は誓いのように響いた。
「なら、この世界に……半神の意味を見せてやる。」
浮遊するキーボードに再び触れる。
炎のように燃える文字が、次々とステータスへ刻まれていく。
→【身体強化 ― 追加】
→【身体強化 ― レベル999】
効果:力・敏捷・耐久の全能力を強化。
筋肉の奥に熱が走り、身体が羽のように軽くなる。
→【危険感知 ― レベル999】
効果:見えない波動が空間を走り、全ての影に潜む殺意を拾い上げる。
→【生存意思 ― レベル999】
効果:心臓が氷のように冷たく固まり、痛みを拒絶する意志が宿る。
→【毒耐性 ― レベル999】
効果:舌に苦味が走るが、すぐに消える。体が毒を拒み、完全な免疫を獲得する。
→【解析読解 ― レベル999】
効果:視界にある全てのものが情報を纏い、目がその裏を読み取る。
→【ストレージ ― レベル999】
効果:光の裂け目が開き、石片を吸い込み、音もなく閉じる。
連続する通知が響く。
《固有スキル【神の書き手】がLv2に上昇しました》
《新スキル【神眼】を獲得しました》
天音の瞳が瞬く。直後、解説文が浮かんだ。
【神眼】――相手の瞳を覗くことで、その過去を読み取る。情報はステータス画面に表示される。(進化可能)
彼女は動きを止めた。
「……スキルを書けば書くほど、固有能力そのものが進化する……」
唇が吊り上がる。
「なら……進化を、私の手で強制できる。」
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【ステータス更新】
名前:天音セイレン
種族:半神
クラス:未設定
レベル:??
HP:100/100
MP:200/200
力:6
敏捷:7
耐久:4
魔力:0
幸運:1
固有スキル:【神の書き手 Lv2】
効果:任意のスキルを書き換え可能。レベル改変も可能。
ボーナス:【神眼】――他者の過去を視認。
状態:異常
潜在値:∞
習得スキル:
・ファイアボール Lv100
・アイスランス Lv200
・テレポート Lv999
・身体強化 Lv999
・危険感知 Lv999
・生存意思 Lv999
・毒耐性 Lv999
・解析読解 Lv999
・ストレージ Lv999
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拳を握る。
震える指先には、もはや力が満ちていた。
紅い瞳が、新たな光を宿して燃える。
その「神眼」……危険すぎる。
もし誰かに知られたら、間違いなく追われる。だが……視線を交わすだけで秘密を暴けるということでもある。
体を駆け抜ける熱い興奮に、思わず息を呑んだ。深く呼吸し、冷静さを取り戻す。
――冷静でいなければ。攻撃魔法を999に設定すれば、すべてを吹き飛ばしてしまう。今の私には、この力を制御する術がない。
手をだらりと下ろし、静かに息を整える。脳裏には、無数の可能性が浮かんでは消えていった。
「“不死”と書き込めば……システムは受け入れるのか? “蘇生”は? あるいは“創造”……いや、それなら私はもう完全な女神になっているはず。」
下唇を噛む。
「スキルには、きっと対価がある。けれど何を支払っている? ステータスは変化しない。レベルも“??”。ならば……何だ?」
喉が詰まり、声が震えた。
「……このシステムは、別の何かを喰らっている?」
頭を振り、思考を振り払う。握りしめた拳に力を込める。
「どうでもいい……使える限り、使う。」
瞳に、柔らかくも哀しい影が宿る。
「ユキヒラ……私たちの約束、必ず守る。幼馴染として、愛してくれたこと……ありがとう。普通の女の子の私を、選んでくれて……ありがとう。」
声が微かに震える。
「――あなたは、ずっと私の心にいる。」
静寂が満ちる。
だが――カリッ。
石を引っかくような音が響いた。
呼吸が止まる。ゆっくりと振り返る。
闇の中に三つの影。
黒く滲む皮膚はタールのように滴り、捻じ曲がった四肢は壊れた操り人形を思わせる。
黄色く濁った瞳が、飢え狂う獣のようにアマネを見据えていた。
背筋に寒気が走る。だが心は不思議なほど静かだ。呼吸は一定。
――現実での初めての試験、というわけか。
指先が光のキーボードを素早く叩く。
「“聖剣”? “光の壁”? ……いや、まだだ。まずは素手で、普通の武器で戦う。自分の限界を知るために。」
視線が室内を走る。金属の光が目を捉えた。壊れた宝箱から転がり落ちた短剣――。
アマネはそれを躊躇なく拾い上げた。刃は震えている。だが、心は揺らがない。
「生き残れるなら……私は何度でも書き換えてみせる。」
瞳が、冷徹な光を宿した。
静寂は重くのしかかる。
遠くで水が滴る音だけが、洞窟の息苦しい空気にリズムを与える。先ほどの火球で崩れた壁の粉塵が、戦の灰のように細く舞い落ちていた。
彼女の前に、三体の怪物がゆっくりと近づいてくる。爪が石を擦る音が甲高く響き、顔は崩れ落ちた仮面のように歪み、ただあの光る空洞にだけ――盲目的な飢えが宿っていた。
> 【危険感知:発動】
>【脅威確認:敵対度100%(危険等級F)】
背筋に震えが走る。だが心臓は慌てない。彼女の固有スキル【生存意思】が、パニックを押しつぶし、冷徹な覚醒だけを残していた。
(弱い、等級Fか……だが侮るべきではない)
短剣の握りを強める。腕はわずかに震えているが、それは怯えではなく、高校生だった自分の記憶がまだ体に残っているからだ。
――さあ、何を書こうか。
視線は、いまだ宙に浮く光のキーボードへ向けられる。
「速度強化? 暗視? いや……慎重に。力を盛りすぎれば自分を壊す。」
深く息を吸い、入力する。
→【身体強化:発動】
筋肉が弓のように張る。呼吸は静かに、正確になり、手に握った刃が急に軽く感じられた。
一体目が跳んだ。
アマネは一歩で躱す。それは自分でも驚くほど速い動きだった。身体が意思に追いつく感覚――新たな流麗さが動作を貫く。短剣を振り下ろすと、黒ずんだ腕が切り裂かれ、暗い体液が床に飛び散って音を立てた。
「……当てた」
余韻を噛み締める暇はない。左右から二体が襲いかかる。
>【解析読解:後肢構造 ― 弱点検出】
アマネは体をひねり、石床の上を滑るように回避しながら短剣を突き入れる。ねじれた脚に刃が食い込み、怪物は嗚咽混じりの断末魔を上げて崩れ落ちた。
だが、もう一体が飛びかかり、爪が腕を掠める。焼け付くような痛みが走る。
咄嗟に一歩後退し、呼吸は速まる。
「このままでは持たない……もっと書く必要がある」
浮遊するキーボードを必死に叩く。
→【斬撃 ― Lv50】(追加)
→【斬撃 ― 発動】
短剣が淡い光を帯びる。一振りで刃が唸り、見えない力に押されるように振るわれる。敵の胴が一刀で割け、黒い灰が舞った。
荒い息が洞窟に反響する。腕は震えているが、それは純粋なアドレナリンの震えだ。
「……効く」声は震えているが、昂奮が混じる。「書ける、私、本当に何でも書けるんだ」
最後の一体が逃げようとする。アマネは手を上げ、ためらう。大技を試すべきか――否、ここで999を使えば自分が持たないかもしれない。
素早く打ち込む。
→【アイスランス ― Lv20】(発動)
空間に冷たい槍が生成され、最後の怪物を貫いた。衝撃で壁に叩きつけられ、悲鳴の後に粉となって消滅する。
再び静寂が戻る。
アマネはその場に立ち尽くし、荒い呼吸を整える。残骸が消えてゆくのを見つめ、手は震えているが、心はこれまでと違って確信に満ちていた。
膝をつき、短剣を床に置いて囁く。
「……私だ。勝ったのは、私だ」
苦い笑みが唇に浮かぶ。
「前の私なら逃げ出していた。叫んでいた。だけど、今は違う」
淡く光るインターフェースを見上げる。次に何を付けようか――「回復」か「盾」か、それとも「時間制御」か?
一瞬、視線が鋭く光る。
「――いや、時間操作はもう試した。システムが拒否した。なら私は別の道を探す。抜け穴を見つける。ゲームなら、必ず抜け穴はある」
指が緊張で白くなる。
「……見つけたら、誰にも止められない」
床がかすかに振動する。まるでダンジョンそのものが彼女の宣言を聞き届けたかのように。
洞窟に再び静寂が訪れた。
黒く歪んだ怪物の残骸だけが、戦いの痕跡を物語る。
天音は膝をつき、息を整えながらも、心の奥底には確かな確信が宿っていた。
「……私だ。勝ったのは、私だ」
苦い笑みが唇に浮かぶ。
かつて逃げ出していた少女はもういない。
今、ここにいるのは――自分の力で世界を書き換えることを決意した天音セイレン。
淡く光るインターフェースを見上げ、次に何を付け加えるかを考える。
未来はまだ未定――だが、確かなことが一つある。
この手に、世界を変える力が宿ったこと。
そして――どんな試練も、私は書き換えてみせる。