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恋の怖さ

作者: koyo

週末の夜、妻が寝室で穏やかな寝息を立てる中、俺はリビングのソファに身を沈めていた。手の中のスマホには、彼女からのメッセージが表示されている。「会いたい」。その一言が、乾ききった俺の日常に、一筋の光を差し込むように感じられた。


彼女、美咲との関係は、社内のプロジェクトがきっかけだった。真面目で仕事熱心な美咲は、いつの間にか俺の目に留まる存在になっていた。残業で二人きりになるオフィス、ちょっとした雑談から始まった個人的な会話。結婚して十年、すっかり形骸化した夫婦生活の中で、美咲の存在はあまりにも眩しかった。


妻への不満がないわけではない。いや、不満ばかりだったと言っても過言ではないかもしれない。結婚当初の情熱はどこへやら、会話は事務連絡ばかり。すれ違いは日常となり、気づけば俺たちは、ただ同じ屋根の下に暮らすだけの他人になっていた。そんな中で、美咲が俺に与えてくれたのは、忘れかけていた「男」としての自信と、満たされない心を埋める甘い言葉だった。


俺たちは秘密の逢瀬を重ねた。休日の昼下がり、会社帰りのカフェ、時には地方出張と偽ってまで。美咲はいつも、俺の言葉に耳を傾け、俺の悩みに寄り添ってくれた。彼女の瞳は、俺を心から必要としていると語っていた。その視線が、俺の心を温かく満たした。俺は美咲を愛している。このままずっと、彼女と幸せな日々を送りたい。そう強く願っていた。


しかし、同時に、言いようのない不安も募っていた。不倫という行為の、常に付きまとう影。妻に知られるかもしれないという恐怖。そして、美咲を本当に幸せにできるのかという疑問。二つの感情が、常に俺の心の中で綱引きをしていた。


ある日、美咲とのデート中、不意に視線を感じた。振り向くと、見知らぬ男がじっとこちらを見つめている。気のせいかと思ったが、その男の目は、まるで俺たちの関係を見透かしているかのような冷たさだった。それ以来、妙な視線を感じることが増えた。会社のエレベーター、駅のホーム、近所のコンビニ。気のせいだと思いたかったが、胸騒ぎが止まらなかった。


そして、ある日のこと。美咲から「大事な話がある」と連絡が入った。いつものカフェで待っていると、美咲は明らかに憔悴しきった表情で現れた。彼女の手には、白い封筒が握られている。


「健太さん、これ…」


美咲が差し出した封筒の中には、俺と美咲が密会している写真が何枚も入っていた。カフェで寄り添う姿、ホテルの前で抱き合う姿。どの写真も鮮明で、言い逃れのできないものばかりだった。そして、一枚の写真の裏には、手書きでこう書かれていた。「ご主人の不倫を奥様にご報告させていただきます」。


俺の心臓が、恐怖で凍り付くのを感じた。これは一体誰が?そして、なぜ…?


「私、もう無理だよ。こんなの、怖くて耐えられない…」


美咲の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。彼女の震える声が、俺の耳に突き刺さる。美咲の顔には、俺がこれまで見たことのない、怯えと絶望が混じった表情が浮かんでいた。俺は、自分勝手な欲望のために、彼女をこんなにも追い詰めていたのだと、その時初めて気づかされた。


俺の背筋を冷たいものが這い上がった。これは、誰かの仕業なのか、それとも、今まで目を背けてきた不倫の代償なのか。


数日後、自宅のポストに、あの写真と同じものが投函されていた。妻の顔から血の気が引いていくのが見えた。次の瞬間、妻の怒鳴り声がリビングに響き渡った。俺の秘密は、あっけなく暴かれたのだ。


俺は、全てを失った。愛する美咲は、恐怖に怯え、俺の前から姿を消した。家庭は崩壊し、妻からの罵声が日常となった。会社では、肩身の狭い思いで日々を過ごしている。


これが、恋の怖さ。甘い幻想に酔いしれ、理性を失った先には、地獄が待っていた。俺は、自分自身の浅はかな欲望と、都合の良い言い訳によって、大切なものを全て壊してしまったのだ。そして、あの謎の脅迫者の影が、未だに俺を怯えさせ続けている。この恐怖は、一生俺につきまとうのだろう。

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