武術大会の開幕
「エルフリート・エデンバーグ」
騎士団本部の建物同士を繋ぐ渡り廊下を歩いている途中、エルフリートは後ろから名前を呼ばれた。
聞き慣れない声に振り向くと、魔導砲術部隊の騎士らしい背の高い男が立っていた。
色白でとても綺麗な顔をしている。
エルフリートは誰かに似ていると考えて、それが誰なのかすぐに思い当たった。
「君は」
「ええそうです。アレクサ・ワイトドール。貴方の婚約者の弟です」
「ああ」
何の用だろうとかしこまって頷くと、アレクサはずいずいと大股でエルフリートとの距離を詰めてきた。
思わず後ずさっても、容赦なく近づいてくる。
どうしたのだろう。
見知らぬ人とのコミュニケーションは特に苦手なのだが、何の用だろう。
用件に心当たりは全くないが、何となくアレクサは眉間にしわを寄せている気がする。
「俺、貴方の事一片の塵も残さず粉微塵にしてやりますので」
「え?」
アレクサはエルフリートを睨みつけ、前置きもなしに言い放った。
「貴方も武闘大会出ますよね。俺も出ます。俺は優勝して両親に姉上の婚約破棄を認めさせるつもりでいますから、ご承知おきください」
「……え?」
「俺はね、貴方が姉上に相応しくないって思ってるんです」
「相応しくない……」
「そうです。覚悟しといてください。……あ、対魔導砲の防具はちゃんとつけといてくださいね。貴方を爆殺しちゃっても俺はいいんですけど、上が五月蠅いんで」
背中に背負った飛び切り大きな魔導砲をよいしょと背負い直して、アレクサは言うだけ言って去っていった。
しかしその場に立ち尽くしたエルフリートは、しばらくアレクサの言葉の意味を考えていた。
……俺が弱いと、彼女の両親に反対されて婚約者ではいられなくなると言う事だろうか。
武術大会に限っていえば、折角代表に選んでもらえたのだから全力を尽くそうとは思っていたが、正直優勝にそこまで固執しなくていいかと思っていた。
冷やかされるのが苦手だし、授与式なんかに出ようものなら物凄く緊張してしまうと思うから、そこそこにとどめておこうと思っていたのが理由だ。
だけどその甘えは間違いだった。
アレクサの親切な忠告を聞いて、敗けられなくなった。
……たしかに婚約者が大会で優勝も出来ない程弱かったら、彼女も心配だろうな。
いつもニコニコと話しかけてくれるエレーユの顔が思い浮かぶ。
いつも明るい彼女を心配させることはしたくない。
「遅刻ギリギリだよ、エレーユ」
武術大会当日。
騎士団の競技場前の待ち合わせ場所に、エレーユは滑り込んだ。
待っていたメリエーヌは「と言いつつ私も今来たばかりだ」と笑っていた。
「さあ、観戦席は関係者席だ。私たちはクライスの招待客ということになってる」
「何から何までありがとう」
「いや、いつものことだ」
「あ、それ嫌味に聞こえる気もする」
「いやいや、私は嫌味を言ったことは生まれて一度もないよ」
「嘘もついた!」
競技場の観戦席へと続く大きな階段を上がり、酒やつまみまで用意された部屋に入る。
これは観戦席というより観戦部屋だ。
騎士団の隊長格の関係者という事にメリエーヌの王女という身分も相まって、特別観戦席に通されたのだ。
メリエーヌと行動を共にしているとこういう事が良くあるので、エレーユは動じずに備え付けられていたソファに腰かけた。
しばらくメリエーヌと他愛のない話をしていると、武術大会の開幕式が始まった。
そこでは騎士団長の挨拶から始まり、対戦表も発表された。
「うむ、エデンバーグ次男の初戦のカードは重騎部隊のフォースト長男か。始まりから厄介なやつを引き当ててしまった。あのフォースト長男は強いぞ。素早い筋肉達磨なんて悪夢以外の何者でもないからな」
「どうでも良いよ」
配られた対戦表を眺めていたメリエーヌは、ふんとそっぽを向いたエレーユをちらりと見た。
「本当にどうでも良いのかな?」
「……」
「エレーユは応援も全くしないつもりかな?」
「私は弟の応援に来ているの」
「両方応援すればいいじゃないか」
「……手紙は一応くれたけど、でも私はエルフリート様の婚約者ではないらしいし」
先日エルフリートから来た手紙の内容は、武術大会に出るから暇だったら来てくれないかというような簡潔なものだった。
婚約破棄の書類を用意して、「私も今同じものを送るところでした」と言えるようにしてから、いざ開封してみたら拍子抜けした。
拍子抜けしすぎて、武術大会の準備で忙しいだろうし、婚約破棄を言い出すのは大会が終わってからでも遅くないと思ってしまったほどだ。
そうこうしているうちに、試合開始のラッパが鳴った。
それぞれ選ばれた騎士たちが大きな競技場の中央に出てくる。
騎士が手を振ったり武器を構えたりするたびに、大きな歓声が上がる。
武術大会は伝統あるイベントだけど、結局はお祭りだ。
観客やメリエーヌは「そこだ、いいぞ!」「かっこいいぞ!」「惜しかったな!」と声を出して応援していた。
トーナメントの最初のニ、三組が試合を終えて、エレーユも見慣れた姿が競技場に現れた。
「お、次はアレクサだ」
「本当!?」
「ああ。あいつまた背が伸びたな。相手は重装兵か。あの機動力では魔導砲に分があるが、この大舞台に立つのだから当然魔導砲の対策も仕込んでいる筈だ。さて、どうなるか」
身を乗り出したメリエーヌに続くように、エレーユも限界まで競技場に近づいた。
真っ先に気が付いた様子のアレクサが、ひらひらと手を振ってくる。
「アレクサ、頑張れー!」
エレーユの声が届いたのか、アレクサは乾杯の仕草をした。
もうかった後のワインのことでも考えているのだろうか。
マイペースな弟らしいと思いながら、エレーユもジェスチャーを返した。
「さて、姉上も見ているのでかっこよく仕留めます。気持ちよく爆殺して差し上げましょう」
試合開始の合図が鳴ると同時に、アレクサは相手の重装兵の懐に飛び込んだ。
「魔導砲で遠くからコソコソ撃って来るかと思いきや、わざわざ近接戦を仕掛けるなど愚の骨頂だな!」
自分の武器のリーチに相手が自ら入ってきたことに高笑いし、重装兵はハンマーを振り上げた。
しかしアレクサは逃げることも避けることもせず、仁王立ちの相手の足の間に滑り込んだ。
そしてニッコリ笑い、振り下ろされるハンマーに狙いを定めて魔導砲をぶっ放した。
「吹き飛ばしてしまえば近くても遠くても当たりませんよ」
結構な重量ある筈の魔導砲を持って走り、滑り込みながら照準を定めるアレクサの異常さに重装兵は息をのんだようだったが、すぐさま防御姿勢に移った。
武器は失ったが、まだ諦めた訳ではなさそうだ。体勢を立て直すつもりなのだろう。
「逃がしませんよ」
しかし、勝利の基本は相手の隙を見逃さない事。
体勢を立て直す前の重装兵に向かって、アレクサは魔導砲を恐ろしい勢いで連射した。
イベント中なのにまるで殲滅を任務としている時のような容赦のない攻撃に、会場はアレクサの勝ちを確信した。
というかみんな、この時ばかりは勝ち負けよりも重装兵の安否を心配していたに違いない。
立ち昇った砂煙の中、重装兵はもう戦闘不能であると思われた。
しかし煙が収まると、しっかりと地に立つ重装兵が現れた。
「蚊が刺したかな?」
「雑魚の台詞ですよ、それ」
「雑魚も何も、正直な感想だよ」
「まあいいです。それよりその盾、対魔導砲の特別製ですね」
「そうだ。魔力を使った攻撃は全て跳ね返す」
「重装兵は優秀な防具制作課があって羨ましいです。その点魔導砲術隊は武器全部外注なんでカスタムは自分でするしかないんですよね」
残念そうなアレクサの顔を見た重装兵は顔面を隠していて完全防備だったが、確かに勝ちを確信したように笑った。
「そうだ。騎士団の盾・王国の守護者である重装部隊を破れる者はいない!我々はどんな攻撃にも対応した盾を揃えている!」
距離を取ったアレクサではなく客席に向かって、重装兵は宣言した。
重装部隊の宣伝も兼ねているらしい。
しかし、アレクサは武器種を変えられないのに、盾で魔導砲の対策をしてくると言うのは卑怯なのではないか。
いくら素晴らしい技術があってそれをパフォーマンスしたいからって、攻撃が全く通らない無敵の相手なんていくらアレクサでも勝てない。
「どうしようメリエーヌ。あれが魔導砲の対策ってやつだよね?」
「そのようだな。今年の重装部隊は製作課のアピールも兼ねて、相手に合わせて盾を替えてくる気だろうな。よく考えられている」
「感心してる場合じゃないってば!あれじゃアレクサが勝てないよ」
「それはどうかな。アレクサだって伊達に魔導砲術部隊の代表やってないと思うぞ」
弟が優秀なのは知っているが、相性というものだってある。
「頑張ってー!」と必死で声を出すが、応援で盾の防御力が減る訳でもない。
「さきほどの攻撃は貴様が卑劣にも隙を突いてきたにもかかわらず、私は完全に防ぐことができた。魔導砲はもう私に効かないことが分かっただろう?降参しないのか?」
重装兵はまだ魔導砲を構えたままのアレクサに話しかけた。
先ほどまでアレクサが勝ったと思っていた会場は、もう既に重装兵が勝つムードに引きずり込まれている。
「降参ですか、そうですね……その盾、魔法が一切効かないんですもんね」
「その通り」
「分かりました」
アレクサは項垂れたように見えた。
いや、よく観察すれば項垂れたのではなく、屈んで魔導砲に何かを込めた。
「じゃあ物理で殴りますので降参はしません」
バアン!!!
重轟な音と共に空気が裂けて、重装兵が吹き飛んだ。
「え?!な、なにが起こったの?」
「ちょ、エレーユ、揺さぶるな。一瞬すぎて私も分からなかった」