諍いの結末
肩で息をするエレーユが到着した時、競技場ではひっきりなしにキン、キンと鋭い音が響いていた。
ぎらりと鈍く光る剣が執拗に獲物を追いかけ、空気を切り裂くたびに、背筋がゾワっとする。
ゼファルは長身のエルフリートより更に長身で、鋭い筋肉が衣装の煌びやかな装飾の上からもわかるし、目で追うのが精一杯な素早い動きからもその実力の高さは窺える。
ガキン!
と嫌な音がして、エルフリートの盾が大きく欠けた。
「軟弱者の武器はやはり軟弱だな!」
ゼファルが勢いづいて、更に打ち込んでいく。
「ははは!これで貴様も終わりだ!」
キンッ!
恐ろしい勢いで畳み掛けたゼファルの剣がエルフリートにとどめを刺すかと思われたが、エルフリートは欠けた盾でそれを受け止めた。
「ッ、貴様!」
「……」
「なんとか言ったらどうだ!」
「……」
「羽虫の分際でこの俺を無視か?その飄々とした顔が気に食わん!俺には遥か及ばぬ羽虫の癖に!」
「……」
「何を考えている!恐れろ、俺を!!」
不利なはずなのに焦りも見せないエルフリートが攻撃を避ければ避けるほど、ゼファルはどんどん苛立ちの色を濃くしているようだった。
ゼファルは相手を圧倒し、相手を恐怖させ、自分が常に圧倒的強者であることに快感を覚えるタイプなのだろう。
多分、そうでなければ帝国では生き残れない。しかしエルフリートは欠けた盾でゼファルの攻撃を受け止め、飛竜もいないのに、すべて間一髪のところで避けている。しかもその表情は一ミリたりとも変わらない。
「チッ、虫ケラが!」
「……」
「これで最後だ、くたばれっ!!!!!!」
ゼファルの叫びで、競技場が揺れたかのような錯覚があった。
ブンと振ったゼファルの剣はまたもエルフリートには当たらなかったが、二段構えで放ったゼファルの左の拳が、エルフリートの脇腹を直撃した。
「痛っ!!」
エレーユは自分が拳を喰らったわけでは無いのに、思わず声を上げていた。
競技場にいるエルフリートはエレーユとは違い何も声を発さ無かったが、ゼファルの剛拳をもろに食らって吹き飛ばされた。
客席が悲鳴に似たような声を上げ、思わず目を瞑る。
エルフリートは競技場の砂まみれになりながらもなんとか身を起こしたが、ゼファルはその隙を見逃すような相手ではない。
体制を整え切る前のエルフリートにすかさず二度目、三度目の拳を打ち込み、再び膝をつかせる。しかしそれだけでは飽き足らず、嬲るようにして地面に叩きつけた。
唇を盛大に切って顎を真っ赤に染めているエルフリートの手から、盾がグラリと離れる。
ゼファルはすかさずその盾を足で蹴り、競技場の隅まで追いやってしまう。
ボロボロの盾は無惨に滑って、ちょうどエレーユの足元で止まった。
ゴホゴホと咽せるエルフリートを踏みつけて、ゼファルは笑った。
「無様だな。しかし貴様にはそれがお似合いだ」
「ゴホゴホゴホゴホッ」
「ふ、分かるか。これが自然の摂理だ。貴様のような弱者はこの俺に首を垂れて地を這うべきだ。貴様は俺の前に立つべきでは無かった。一度たりともな」
辛そうに肩を上下させているエルフリートを蹴り上げて、ゼファルは高笑いした。
「さて、あの女もこの俺を迎えにきているようだな」
ゼファルは、選手の入場口付近まで来ていたエレーユの方を見た。
それは丁度、エレーユはボロボロの盾を拾い上げたところだった。
ゼファルはゆっくりとエレーユに向かって歩いてくる。エレーユは焦りと恐怖で、拾い上げた盾を息ができなくなるほど抱きしめた。
……この場を、収めないといけないのに……。
ゼファルの冷たい視線に息を呑む。
駄目だ、捕まる未来しか見えない。
きっと帝国などに連れて行かれたら、愛されるどころか物以下の扱いを受け、恐ろしい文化と暴君な夫に怯えながら、伏魔殿に幽閉されたりするのだろう。
「さあ、俺と共に来い」
「わ、私は……」
ゼファルに声をかけられただけなのに、足を絡め取られたような感覚だ。
せめてもの抵抗で首を横に振ろうとしたが、喉が潰れたように閉まって声が出なかった。
しっかり、拒否くらいしないといけないのに。
「さあ」
「……」
ゼファルがエレーユの前で、その手を差し出してきた。
ゼファルの全身から発せられる圧力に、思わず首を縦に動かしたら楽になれるのでは、と錯覚してしまいそうになる。
しかし駄目だ。合意だけは出来ない。
エレーユが頑張って無言を貫いているところで、「待て」とゼファルのマントの裾を掴んだものがあった。
「なんだ?」
「彼女は、貴方とは行かない」
「貴様か、羽虫。貴様に話は聞いていない。汚い手でこの俺に触れるな」
ゼファルの肩を掴んでいたのは、頭や唇からも血を流しているエルフリートだった。
「エルフリート様、退いてください……っ」
そんなにフラフラなのに、なぜまた止めに来たのか。
王国の要人と大勢の観客が見ている前だし、ここでは引けないと思ったのだろうか。それは王国騎士としての意地だろうか。
だけど、そんな意地のせいでもっと怪我をすることになったらどうするのだ。
「貴様は惨めに地に伏してろ」
エレーユの心配通り、ゼファルはエルフリートの手を振り払い、そのままエルフリートの顔面目掛けて拳を放った。
すでにダメージを受けて、ふらついているようにさえ見えるエルフリートは、きちんと避けられるのだろうか。
避けられず再びゼファルの拳が顔面を直撃すれば、きっともっと血だらけになってしまう。
「やめて!!!」
エレーユは無我夢中で叫んでいた。
エレーユに何かができるわけもないし、エレーユの呼びかけでゼファルが止まるとは思えない。
その予想通り、ゼファルの唸る拳がエルフリートに真っ直ぐに向かっていく。
「もうだめだ。エルフリートの顔にもう一つ怪我が増える」誰もがそう思った瞬間、エルフリートが視界から消えた。
ゼファルが放ったその拳が、エルフリートに当たることはなかった。
エルフリートはするりと身を屈めて拳を避け、ゼファルの懐に潜り込んでいたのだ。
その間、瞬きをする間ほどのほんの一瞬。
予備動作なしで、エルフリートはゼファルを投げ飛ばした。
ゼファルの体がふわりと宙に浮き、砂埃が立つ大きな音がする。
ゼファルは無防備に地面に叩きつけられた。
帝国のみならず大陸でも無類の強さを誇っていたはずの彼は倒されて、地面に膝どころか全身を横たえた状態で相手を仰ぎ見ている。
「この俺が地に伏している、だと?なぜだ……?」
「それは」
「貴様に説明を求めたわけではない、黙れ!!」
エルフリートが無表情のまま説明をしようとしたのを遮り、怒りに顔を染めたゼファルが叫んだ。
「どこまでも気に食わん羽虫、貴様は絶対に許さん!」
ゼファルはバッと身を起こすと、鬼のような形相でエルフリートに向かっていった。
理性を失って本能のままに殺戮する魔物さながらだ。
今度こそ、今度こそ殺される。競技場にいる全員に稲妻のような緊張感が走った。
「だ、だめっ!もうやめて!!」
恐ろし過ぎて逃げ出したいのは山々なのに。しかし弟を庇って体が勝手に動いてしまったのと同じように、エレーユの体は大きく飛び出していた。
一度ゼファルを投げ飛ばしたとはいえ、王国の一介の騎士に過ぎないエルフリートは、きっと怒りで本気になったゼファル相手では、二度も優位を保てないはず。
もうボロボロなのに、これ以上傷を増やしたらエルフリートは死んでしまうかもしれない。
「やめてってば!!!…………あっ!」
全力で飛び出していたエレーユは裂かれたドレスの裾を踏んで、大きく前のめりに倒れた。
そして倒れた拍子に、抱えていたエルフリートのボロボロの盾が両腕からすっぽ抜けた。
すっぽ抜けた盾は、綺麗な弧を描いて飛んでいく。
ヒュンヒュンヒュン、ごん!
鈍い音と共に、
どさっ。
静まり返った競技場に、ゼファルが再び倒れ込む。
皆が目を見張る。体を起こしたエレーユも恐ろしい目の前の光景を見ていることしかできなかった。
…………ど、ど、どどどど、どうしよう…………!!




