皇太子
その男は、かなりの長身で、鍛えられた筋肉と浅黒い肌に、エキゾチックな切れ長の目。
エレーユは試合中、目が合ったような気がしたのはこの男だったと、ようやくピンときた。
見たのは初めてだが、彼がゼファル・クロイツに違いない。
大陸で一二を争う軍事国家である、べザルヴァ帝国の皇太子。
武力至上主義を掲げ、大抵何でも暴力で解決する独裁国家として名高いべザルヴァ帝国。
長い歴史の中で、王国も何度か帝国に侵攻されたことがある。今だって、帝国との国境は警戒レベル最大で、常に複数の部隊が砦にいるような状態だ。
しかしこの好ましくない隣人の帝国だが、皇帝が代替わりしたこともあり、現在は同盟を結ぶ話も進んでいる。帝国と同盟及び不戦協定が結べれば、それは大陸の平和を望む王国にとって大きな一歩となる。
というわけで、帝国との関係を構築する目的で、次期皇帝になることが決まっている皇太子、ゼファルが王国の剣武祭に招待されたのだ。
ちなみに、帝国が今まで見向きもしなかった同盟の話を検討しているのは、王国の技術や文化、農作物の流通、その他資源に関心を示しているからだと聞いている。
帝国は不毛な荒野が国土の大半を占めていて、資金源は殆ど傭兵稼業だ。だから帝国にとっても、文化豊かで資源も多い王国との同盟は、悪い話ではないのだ。
「どうした。俺はおかしなことを言ったか?この国の騎士どもはゴミだ。平和ボケした腑抜けの集まりだ。腑抜けのチャンバラを延々見せられて、退屈しない方がどうかしている」
「皇太子殿下!しばしお待ちを。まだ残りのトーナメントが……」
「これ以上腑抜け共を眺める時間などない」
予定を無視して帰ろうとするゼファルは、説得を試みた王国の貴族をひと睨みで黙らせた。
「俺を満足させたいのならさっさと殺し合いをさせろ。それが出来ないのであれば、今日の視察は最悪だったと陛下に伝えよう」
「そ、それだけは……」
「やめてくれと?はっ。お前がこの場で盛大に喉でも掻き切って見せるのなら、少しは良い思い出になるかもしれないな?」
「そ、そんな……」
ここで帝国との関係が修復不可能なんてことになったら一大事だ。ゼファルの案内役を任されていたらしい王国の貴族は顔を真っ青にして、今にも泣き崩れてしてしまいそうだった。
しかし一方のゼファルは、虫でも見るような冷たい目で貴族を見下ろしているだけだ。
「いいか、勝ち負けとは、即ち首の取り合いだ。強い者だけが生き残り、弱いものが死ぬ。それゆえに帝国は発展し、こうして最強の国となった。その国の皇太子に相応しい見せ物だったか?剣武祭とやらは」
ゼファルは、床にひれ伏した貴族の手の甲を足で踏みつけた。貴族から呻き声が漏れる。
帝国はゼファルの言うように、大陸で最も軍事に長けた国の一つだ。
何の特産物も無いのに、ただ武力と用兵稼業だけで成り上がった生粋の武力国家。
そしてそんな国を纏める皇族は、より強い子供を求めて何十人もの妻を囲い、生まれた子供同士を戦わせ、そして最後に残った一番強い者を次期皇帝とする、なんて慣わしが未だに続いているとか。
他にも多くの野蛮な文化を残す帝国だから、王国内でも同盟に反対の声が多数あった。
しかし結局は、同じ大陸に住む者同士。魔物という更に分かり合えない敵もいる以上、過去は水に流して今こそ手を取り合おうと言う方向に王国は舵を切ったが、果たしてそれはうまく実を結ぶのか。
「あれが帝国の次期皇帝様?」
「そのようですね」
「初めてお目にかかるわ。挨拶に行かなくちゃ」
「……って姉上!駄目です。あちらは放っておいて、向こうで話しましょう」
ゼファルの顔をよく見ようとエレーユが会場の中心に近づいていくと、アレクサが慌てて追いかけてくる。
「何?アレクサ。私もこの国の公爵令嬢として次期皇帝様にご挨拶しないとでしょ。王国の重要な同盟国になる予定なんだし」
「いやいや、このタイミングでなくともいいではないですか!」
エレーユが止めるアレクサの手を振り解こうとしていると、シンとした空間で騒いでいたからなのか、前を向いていたはずのゼファルの頭がぐるりと回った。
そしてその視線は、ギラリとエレーユたちの方向に向けられた。
「そこの女……」
低い声を発したゼファルの目が、エレーユを捉えている。
ゼファルが進むと、まるで海の水のように人だかりが割れた。ゼファルは広々とした空間を抜けてエレーユたちの方へ向かって歩いてきた。
青い顔の人々とは対照的に、ほろ酔いのエレーユは満面に令嬢の微笑みを作った。
他国、しかもこれから仲良くしていこうと決めた国の皇太子が相手だ。
印象はできるだけ良くしておかないと。
しかしエレーユがゼファルに対してカーテシーを繰り出すよりも前に、後ろにいたアレクサが一歩前に出た。
ゼファルは、エレーユを咄嗟に庇って前に出たアレクサに目を細めた。
「なんだお前は」
「貴方こそ、うちの姉に何か御用ですか」
「俺の前に立つとは、馬鹿か、身の程知らずか……」
ゼファルは普通に腰の剣に手を掛けていた。
「退け」
周りの人々は、アレクサがその場で八つ裂きになってしまうのではとヒヤヒヤしたが、ゼファルは剣は使わず、アレクサを片手で突き飛ばしただけだった。
そしてアレクサのいなくなった場所に、ゼファルは悠々と立った。
エレーユは恐る恐る、目の前に立つゼファルを見上げた。
……巨体というわけでも無いけれど、強そうなのが分かるわね。
戦闘経験など皆無のエレーユでもなんとなく分かる。
覇気というのか殺気というのか、とりあえず、ゼファルがこの至近距離にいると、身動きができないような圧をビンビン感じる。
しかしエレーユは公爵令嬢。
戦場では役に立たないだろうが、社交場は主戦場だ。
「ご機嫌麗しゅう、皇太子殿下。私は王国筆頭公爵家ワイトドールが長女……」
「やはり、なかなか見事な藍の髪だな」
エレーユの言葉をぶった斬って、ゼファルの品定めをするような鋭い視線が飛んできた。
……え?えっと、髪?!
驚いたエレーユは、自己紹介の続きを飲み込んだ。
ゼファルは顎を撫でながらエレーユの顔を覗き込んでくる。
……え、えーっと。
大人でも油断すれば泣いてしまうような鋭い視線でジロジロと見られて、流石のエレーユも戸惑った。
挨拶もさせてもらえなかったけど、何か別のことを話した方が良いだろうか。それとも黙っているべき?
酔っているのか考えがうまくまとまらず、しかも視線を逸らすのも出来なくて、エレーユはじっとゼファルを見つめることしかできなかった。
「ふうん」
何がふうんなのかはわからないが、背の高いゼファルが、突然小さく屈んだ。
反応に困ったエレーユが硬直していると、ゼファルは当たり前のようにエレーユの顎を掴み、更に近づいてきた。




