その33
――数時間後。僕は乱れた呼吸をしながら、ベッドへと倒れ込んだ。
液体で染みたシーツは、気持ち悪かったが、隣で気絶するタケルに意識を向けていたので、あまり気にならなかった。
「ふぅ~……」
安堵の息を吐く。全身に疲労が蓄積されるのを感じ、気怠くなった体から意識を放す。
頭が回らずにいると、何やら物音が聞こえる。玄関の方からだ。
ドンドンと扉を叩かれる。部屋全体が揺れるほどに力強くて騒がしい。
これはスタッフ……じゃないな。部屋の固定電話で連絡するか、実際来たとしても、確認のために数回軽めにノックするだけだ。
賢者タイムだから、普段よりも思考能力は下がるものの、客観的に物事が把握できる。
僕はピロートークをするようなテンションで、
「すみません、部屋を間違えていますよ」
明らかに聞こえるように声を張り上げて言うと、扉の外から微かに覚えのある声が聞こえてきた。
「私の旦那様は浮気癖があるのかな?」
「ワタシの携帯がここを示しているから、中にいるのは知っているのよ!」
脳裏に二人の人物が思い浮かぶ。そして携帯という単語から、僕は急いで自身のスマホを回収する。
床に落ちているスマホを手に持ち、ロックを開けて、設定の詳細をタップする。
不審なサイトからのアクセスや履歴を確認すると、見覚えのない位置共有アプリが入っていた。
僕が頭を抱えていると、ベッドの上からタケルの声が聞こえてくる。
「ふふふ……策略っていうのは、第二、第三の刃が本命なのだ」
擦れていながらも上澄んだ抑揚に、僕は思わずチッ、と舌打ちをする。
だが、優先すべき状況は、扉の外にいる二人の対処だ。タケルに対して怒りをぶつけることじゃない。
僕はあまり言うことを効かない体を引きずって入り口に移動する。
裸の状態なため、近くに置いてあるバスローブを羽織った。
先ほど位置情報アプリを確認して気づいたことがある。
例え場所が分かったとしても、高低差は分からない。だから、あの二人は、どの階なのか知らず、しらみつぶしに探しているはずだ。
僕は催眠アプリを起動すると、喉を抑えながら呟く。
「命令。僕の声が高くなり女性らしくなる」
喉仏が上がって息苦しくなる。だが、それに呼応して声が一回り高くなった。
萌え声とまではいわないが、それ相応に可愛らしい声になった。
僕は扉の前に立ち、覗き穴を見て、緑仙先輩とクレアがいるのを確認すると、
「すみません、ちょっと部屋を間違えていませんか。あまり騒がしいとホテルの警備員を呼びますよ」
淡々と言葉を繋ぎ、不機嫌な感情を偽る。扉越しで声の判別もつきにくい、正確に分かるわけはないだろう。
ドアノブを力強く握りしめて、僕は入り口の小さな穴から覗く。
そこには緑仙先輩とクレアが立っており、こちらのようすを怪訝そうに疑っていた。目を細めて口をヘの字にしている。
先ほどの声を再び出そうとして――視界の中にいる二人は、互いにボソボソと会話した後に去っていく。
残念だったなタケル、僕の方が何枚も上だ。
この状況に対して、どう弁明したところで、誤解と偏見を持たれるのは確実だ。
だからこそ、後日、時間に余裕がある状態で説明をしなければならない。
僕はホッと胸をなでおろし、安堵の息を漏らす。
催眠アプリに「解除」と告げると、喉を締め付けられる感覚がなくなり、多少の痛みと違和感は残るものの、地声に戻った。
「あ、あ~……よし、戻ったな。あとはタケルの記憶を消して万事解決っと」
事を済ませようとベッドに戻ろうとして、ふと、僕は動きを止めた。
もしかしたら、あの二人が戻ってくるかもしれない。
これは直感だ。
本能が僕に訴えかけてくる、何かが危険だと。
去ったフリをして入り口を見張っている可能性もあるし、受付や清掃の人に情報を聞いているかもしれない。
瞬間的に僕の心に沸き上がったのは、確認のためにドアを開けるということ。
僕は謎の使命感と共に再びドアノブに手をかける。
「大丈夫だ、万が一、あの二人がいたとしても、僕が外に出れば一人であると誤魔化せる。もしダメだとしても催眠アプリはまだ僕の手の中にある」
徐々に脳の回転が戻ってきて、いつも通りの天才的な思考回路。僕は勝利の笑みを浮かべて扉を開けると――突入してきた二つの物体に部屋に押し戻された。
僕の胸元にいるのは緑仙先輩とクレア。
「私達の作戦に見事引っかかったね、このホテルに入る前に、受付の人から空き部屋を確認していたから、嘘をついたのはバレバレだったし」
「やっぱり緑仙とワタシの相性は抜群です、アンタなんかに負けるわけありません」
仲睦まじいようすの二人から、わだかまりを解消したのだと僕は察した。
共通の対象がいるだけで団結力は生まれやすい。それが、敵ならなおさらだ。
僕が称賛と困惑の念を抱いていると、緑仙先輩とクレアに担がれて、ベッドに運ばれた。




