その30
開かれた扉、そこに現れたのは――「ハチ……久しぶり」――顔を青白く染め、苦悶に満ちたような表情を浮かべるタケル。
僕は肉皮めいた表情を浮かべて、
「随分と体調が悪そうだな……もしかして動画でも見て夜更かし続きなのかな?」
ゆっくりと近づきながら、僕は手に持ったスマホを背中で隠しながら操作する。
催眠アプリが以前に「異性」しか催眠できなくなったのを、文面に打ち込んで「同性」へと変更する。
誤魔化すために大袈裟なリアクションをしながら、スタスタと近づく。
「何の警戒もせずに現れるなんて、どうやら覚悟は決めてきたようだね」
手が届く位置で止まり、僕は背後のスマホを前にかざす。
催眠アプリを起動する。
「命令。動きを止めて全ての真実を話してもらおうか……管理人よ」
今から聞くのは親友のタケルとしてではない。催眠アプリを開発した管理人として問い詰める。
変更が成功するかは一か八か。
前屈みだったタケルは動きをピタリと止め、そしてゆっくりと言葉を開く。
「……そもそも催眠アプリというのは単なる暗示効果の一端に過ぎない」
今までの和らげな言葉遣いから、単調的で冷徹な声へと変わる。
「当初ネットにアップロードした試作品は、不眠症や過剰なストレスを癒すのが目的だった。思考回路を僅かに組み替えて概念や倫理、欲求など。知性や理性から解放する」
「ちょっと話が長いん――」
「その際に副作用として、使用者の意識を強制的に変更することが可能だと分かった。苦手な物を食べれるようになったり嫌いな人を好きになったり、相反する感情を逆転させたり、つまりは――」
「内容が難しすぎるから、もっと簡潔に分かりやすく頼む」
ある程度の単語や内容は分かるが、専門的な知識はないため、長々と説明されても理解できない。
「……紆余曲折ありながらも、趣味の範疇でアプリを作ったら、催眠アプリが出来ちゃった」
タケルの顔が強張ったように震え、感情を必死に抑え込んでいるように見える。
「それで、僕に催眠アプリを使うように誘導したのはどういうことだ?」
「ボクだって元々運用する気はなかったんだよ。でも偶然近くに催眠アプリを渡したら、躊躇なく使いそうな人がいたからさ……ついやっちゃったんだよ」
「べ、別に僕が絶対に使うとはか、限らないじゃないか」
タケルは濁り淀んだような真っ黒な瞳で、僕の目をジーッと見つめてくる。
「僕が渡したパソコンを使ってるから、趣味嗜好まで把握してるに決まってるじゃん」
口角をゆっくりと上げて、狂気じみた笑顔を見せつけるタケルに、僕は動揺を隠しながら追及していく。
「それで僕はタケルの思惑通りに催眠アプリを乱用したわけだけど、結果的には成功だったってわけ?」
「もちろん! ボクの想像以上に使っていたし、それに比例して催眠の質もアップデートできたしね」
言われてみれば、催眠アプリを起動するたびに使い心地は良くなったきがする。命令も明確に説明しなくても通じるようになったし、別のデバイスからでも起動できるようになっていたし。
「ボクに聞きたいのはそれだけかな?」
「いいや、僕だってそこまでの行動は分析できた。だけど半信半疑なところもあるし、何より一連の行動の動機が分からない。趣味や好奇心の枠組みでは収まらない、確固たる意志を感じられる」
僕はタケルの肩に手を置いて、反射する瞳を覗き込む。
「どうしてなんだ?」
声を低くして囁くように語り掛ける。情に訴えかけるようなな繊細な表情にタケルは顔を俯かせた。
内心は高笑いを浮かべながら、主演男優賞を貰えるほどの演技(自称)で、泣き落としにかかる。
催眠アプリを使っているため、話すことは決まっているのだが、第三者から強制されるのと、心を打たれて自発的に行うのでは、後の関係に天と地ほどの差がある。
俯いているタケルは体を震わせて、両手で己を抱き込むように縮こまった。
静寂な時間が間を繋ぎ、ゆっくりと顔を上げて、
「グヘヘヘっ、やっぱりハチのそういうところがヌれるほど好きなんだよなぁ~」
頬を紅色に染めて悶えた。
僕は思わず一歩下がり、それに連なりタケルの肩に置いていた手が離れる。
ゴクリと喉を鳴らし、僕は目を瞑りながら呼吸を整える。
大丈夫だ。まだタケルは自由に動けない――刹那、視界が反転して――ワンテンポ遅れて、鈍い痛みが体に流れる。僕はタケルによって地面に倒されていた。
後ろに下がった勢いを利用されたのか、柔道の足払いのようにバランスを崩されたらしい。
腹の上に馬乗りになるタケルは、僕が持つスマホを手に取ると手慣れたようすで操作する。
「それにしても開発者に対して、真っ向から催眠アプリを使うなんて大したものだよ」
「ど、どうして動けるんだ……もしかしてタケルの正体って⁉」
「その通り、実はボクはお――」
「薔薇(BL)好きの腐男子ってことだな!」
僕が堂々と言い放った言葉に対し、タケルは無表情で催眠アプリを起動したスマホを見せつけてきた。




