その2
涙が乾ききった僕は二階建ての一軒家に着く。ここが我が家である。
両親が仕事で海外に転勤しているため、義妹と二人暮らしだ。
玄関の扉を開けると、脱ぎ捨てられたローファーがある。
「鈴音? もう、帰ってきてるのか?」
「……い」
風呂場の方から、うっすらと声が聞こえた。僕は靴を脱いでローファーと共にそろえる。
「前も言ったけど、脱いだ靴は揃えろって。これくらいのマナーも知らないのか?」
「……さい」
「可愛くても礼儀がない女性はモテないからな、やれやれだぜ」
「うるさぁぁぁい!」
お風呂から、怒りの叫び声が聞こえる。裸にバスタオルをまいた鈴音が現れる。
九々一鈴音、年齢は15歳。中学三年生。
血縁関係だけでいうなら、鈴音は僕の従妹である。彼女が6歳の頃に鈴音の両親が、事故で帰らぬ人となった。
それ以降、我が家に養子という形で住むようになり、今では義妹のような存在だ。
「……鈴音、もしかして太ったか?」
「はぁ! なにいきなり気持ち悪いこと言ってんの⁉」
鈴音は声を荒げて、頬を朱色に染める。
ベージュ色のボブカット、人を惹きつける煌びやかな碧眼と心に刻まれるハスキーボイス。中肉中背だが手足がスラリと伸びており、思わず握りたくなる。
「冷蔵庫から度々アイスが消えてたり、身に覚えのない炭酸飲料の空があるし。気づいてないと思ったか? 我が愛しの義妹よ」
「ち、ちょっと! 何ではちがそれを知ってるのよ!」
「えっ……マジで? ちょっと揺さぶりをかけてみようと思っただけなんだけど」
アイスが消えてたりするのは僕が忘れてるだけなんだと思っていたのだが……マジか義妹よ、太るぞ。
「このままだと、バスタオルでも隠せないほど肥えた豚さんになってしまうぞ」
「だ、だまらっしゃい!」
「あと、そろそろ服でも着たら? 風邪ひいちゃうよ」
「はちが呼んだんでしょうがぁ‼」
鈴音は相変わらず元気なようすで、風呂場へと戻っていく。
ドライヤーの風音が聞こえはじめる。
いや、僕は呼んでないぞ。勝手に来たのは、そっちではないか義妹よ。
僕は二階に上がり自室へと入った。勉強机に大きなパソコン、男の秘宝が隠されているベッド、同人誌と教科書が交互に並んだ棚。
鞄を床に放り投げると、ベッドへと飛び込む。呼吸を整えると、倒れこみ枕で口を押える。
「(タケルの裏切り者のおおおおおおおおお!)」
心の底からの雄叫びが、枕によって打ち消される。足をバタバタとさせて、体を震えさせる。
僕の猥談はただの知識と妄想なのにも関わらず、タケルは初めてを卒業済み……度々語り合っていたのは、全て経験談ってやつかよ。
入学してまだ一ヵ月ほどしか経っていないが、僕とタケルの関係は友達……いや、一生離れることのない親友くらいに思っていたのに。
感情に任せてベッドの上で荒らぶっていると、階段を駆け上がる音が聞こえ、
「さっきからドンドンとうるさい!」
首元にタオルをかけて火照ったような表情を浮かべた鈴音が、扉の前で僕を睨んでいた。
鈴音は髪をおろしており、もこもことしたパジャマを着ている。
「僕の義妹にしては、あんまりエロくないな」
「ばっ――バカじゃないの! アンタと違ってわたしはまともなの!」
「な、なに! 僕がまともじゃないとでも言うのか⁉」
自慢じゃないが、僕ほど品行方正(自称)な人間はいないはずだ。学校で行われる全国模試では、毎回上位1%の成績を有している。
運動に至っては、猥談で股間が腫れあがったという友人Aの代わりにバスケの県大会に出場して、MVPを勝ち取った。
顔もきちんと手入れもしていて、ニキビは一つもない。親譲りの幼い顔立ちで、身長も低いから、年下好きには好印象のはずだ。
「僕ほどの好条件な人間はいないと思うぞ!」
「口を開けば、エ、エッチなことしか言わないし。か、可愛い顔に、か、カッコイイ体だから、違和感が凄いし……」
顔を赤らめながら、モジモジとした反応をする鈴音。首元のタオルを僕投げてきて視界を塞がれる。
「ぐぉっ――……鈴音もしかしてシャンプー変えた?」
「はぁ⁉ なにいってん――」
「この湿ったタオルから甘酸っぱい匂いがしてさ。新しく買ってきたなら言えよな」
「⁉」
僕の塞がっていた視界が解放されると、鈴音が顔を赤らめながら口をタオルで隠す。
「へ、変態! このドスケベ野郎! そんなんだから、彼女の一人も出来ない童貞なんだ!」
「ぐっ……だったら、そう言う鈴音はどうなんだ?」
「わ、わたしはモテまくってるし、そ、そんな経験なんて友達でもやってるもん!」
「な、もう経験済み(非処女)だと……鈴音も僕を置いて先にいくのか……」
僕が心に鋭いショックを受けて、絶望した表情を浮かべる。手足の力が段々と抜けていき、ベッドの上で力尽きる。
放心状態の僕に、鈴音は呆れたような表情を浮かべて、自身の部屋へと戻っていった。
しばらく寝転んで心の傷に侵された僕は、
「よし……癒されよう」
パソコンを起動して、部屋の電気を消した。