その18
授業を遅刻して、先生から課題を倍に増やされた。机の上に教科書を置いて、僕は周囲から隠すようにスマホを取り出した。
先ほど送られてきたメールを確認する。
『緑仙:放課後に旧校舎で待っています。今日は逃げないでね』
『クレア:絶対にきなさい。絶対にきなさい。絶対にきなさい。絶対にきなさい。……』
緑仙先輩のメールからはなんとも言えない凄みがあった。最後の一文が昨日のことについて仄かに怒っているのが感じられる。
クレアに関しては、同じ言葉を百文字以上送られてきた。正直かなり怖い。
脳内は放課後のことについて考えながら、無意識的に授業と課題を同時に平行して進める。
……催眠アプリは必ず必要になってくるが、あの二人に通じるかどうか。
ここまで過ごしてきて、僕は一度たりともスマホを使わなかった。いや、使えなかった。
あの二人は僕が催眠アプリを持っていることを知っており、スマホを封じてしまえば何も出来ないことを知っている。
頭をフル回転した結果……何も対抗策が生まれず、一日の授業が終わってしまった。
そして旧校舎の裏側。学園中の生徒達から逃げきった僕は満身創痍になりながらも、無事に辿り着いた。
「はぁはぁ……騒ぎがある程度収まったとはいえ、まだ完全に自由になれるわけないよな」
特に苦戦したのがタケルだ。いずれ事情を説明すると言ったのだが、周囲の空気に流されて、僕のことを人一倍追ってきた。
「どうにかして、催眠アプリを使って撒いてきたけど……大丈夫かな?」
二人きりになった瞬間に不意打ちで、催眠アプリを見せた。前までの経験も活かして、記憶は忘れさせた。
僕は周囲を確認すると、旧校舎の扉が開いていた。導かれるように僕は旧校舎の中へと入っていく。
廊下を進んでいき、一番奥の部屋の扉の前に着く。ここまでの道に二人分の足跡が残っていたからだ。
僕はスマホを握りしめて水戸黄門のようにスマホをかざしながら、中へと突入する。
「命令。僕の――」
突如、口から音が消える。入室した瞬間に、クレアが僕の喉仏を全力のハイキックで蹴ってきたからだ。
僕は両膝を床につけて、スマホを落とす。緑仙先輩は拾って僕に見せつけてくる。
緑仙先輩とクレアは声を揃えて、
「「命令! 私たちに催眠されたことは忘れて、エッチなことしか考えられなくなる!」」
……そうだ。催眠アプリがあれば、この二人のこと好き放題に遊べる。理性が違和感を覚えているが、今の僕に必要なのは本能だ!
目の前に美少女が二人。妄想を現実にする催眠アプリ。
だったらやるべきことは一つ。
「命令。僕の言うとおりに動くこと。緑仙先輩とクレアはその場でピタッと止まる」
目の前の二人が体を硬直させて動かなくなる。
僕は大胆不敵な笑みを浮かべた。
「ぐへへ……まさか僕にこんなチャンスが訪れるなんて、さすが催眠アプリだな」
……しばらく二人の体を堪能していた僕だったけど、二人に命令されて体が動かなくなった。
ど、どうして俺の催眠が効いてないんだ。しかも、なんで俺が催眠にかかって――ゔっ、緑仙先輩が俺の体を触ってきて……これはこれで意外とアリかも、って痛ッ! クレアの野郎、遠慮なく俺の股間を蹴ってきやがった⁉ なんだこの天国と地獄に挟まれた新境地はっッ⁉
脳と神経の接続が切れたように、体が思うように動かない。
緑仙先輩とクレアの猛攻に、僕は必死に耐え続けて――激しい頭痛と共に、全てを思い出す。
そ、そうだ思い出した! この二人に呼び出されたのも、何で僕が催眠にかかっているのかも。
僕は必死に対抗策を考えていると、クレアが僕のスマホをかざした。
「命令。反応がないのもつまらないから、いい声でなきなさいよ」
チャンスだ! この命令ならば同時に新たに命令を上書きできる。普通の会話も、いい声でないていると僕が思い込めばどのようになくのかは自由だ。
「命令。僕は全ての命令――」
から解放される! と言おうと思ったのだが、それよりも早く、
「――何でもしてくれるはちくん」と緑仙先輩が喋り、「早く私の物にならないかなぁ~」と続けた。
スマホに映った催眠アプリ。充血して真っ赤になった目玉は、上下左右に激しく動きまわった。
初めての挙動に僕が驚いていると、目玉はピタッと止まって僕を睨みつけた。
な、なんだこの愛情と怨念が混ざったような不気味な瞳は……連日酷使したから、故障でもしたのか?
スマホの電源が切れて画面が真っ暗になる。僕の体が軽くなり、ようやく自由に動けるのを確信する。
「さて、そろそろ僕のことを解放してもらってもいいかな?」
「「え⁉」」
緑仙先輩とクレアの声が重なった。僕はその場から駆け出そうとして、緑仙先輩は僕の耳元で囁く。
「ねえ? はちくんは私のなんだから、逃げないよね♡」
甘いぞ緑仙先輩。そんなことを言われたって、僕だって取捨選択はするんですよ……って、あれ体が動かない。
「はちくんってば、やっぱり私のことが大好きなんだね」
な、なぜだ⁉ 確か催眠を解除したはずなのに。
刹那。僕は先ほどの情景を思い出した。僕が命令を言い切る前に、緑仙先輩が割って話したことを。そして催眠アプリの明らかにおかしい挙動。
そして催眠アプリを使わず、僕の行動を制限した緑仙先輩。
もしかして、僕は誰からの命令でも、実行するようになったのでは⁉




