前編
「こちらです」
いきなり立ち込めた霧の中で、前から手が差し出された。
1メートル先も見えない霧だから誰の手かはわからない。
しかし、山道に不慣れなぼくにとってはありがたかった。
「大丈夫、手を取って着いて来れば山小屋まで案内します」
穏やかな口調に安心して手を握る。
手の主はゆっくりと進んで行った。
「慣れてない町の人が来ると、霧の中で立ち往生してしまって危ないんですよ。このあたりにはマムシやイノシシも出ますから」
「すみませんね」
「いえいえ、こういう場所では困った時は助け合わないと」
声の主は次第に早足になる。
「さあ、もう一息です」
さらに進もうとすると、急に後ろから何者かに首を絞められた。
「うっ……誰だ! 」
つないでいた手を離し、首にやろうとするとふっと絞める力が消え、
「安心して。もう大丈夫だから」
女の声がする。
「君は一体? 」
「それより足元を見て」
見ると、うっすらとした霧の下に千尋の崖が。
思わず腰を抜かしそうになった。
「あと一歩で、ここから真っ逆さまに落ちるところだったのよ」
「あの手は? 」
「霧の中の魔性の物よ」
小動物が走って逃げるような音が聞こえた。
「この山の霧の中にはいろんな恐ろしい者がいるのよ」 つづく